2014年6月12日 (木)

『谷川雁 永久工作者の言霊』

『谷川雁 永久工作者の言霊』松本輝夫(平凡社新書)

Tanigawagan 谷川雁という名は、メタファーを駆使した詩人、筑豊のサークル村運動、大正炭鉱闘争、(吉本隆明・村上一郎とともに)「試行」創刊同人などとして語られることが多い。いずれも一九六〇年代前半までの話だ。
 そのあと世に突然その名が浮上したのは、七一年のテック労働争議(刑事弾圧)に経営者として関わっていたことがニュースとして否定的にとりあげられたときだった。そして以降は再び消えてしまった。彼の名を知る人にとっては、そんなふうに意識の水面で浮沈していたのが一般的だったと思う。

 しかし、そんな見方をがらりと改めさせてくれるのが『谷川雁 永久工作者の言霊』。筑豊を離れたあとの「沈黙の一五年」と言われた時期のテック(のちのラボ教育センター)での活躍、さらにテックを追われたあとの活動に光をあて、東京へ出てからの活動が、筑豊での運動と通底する志をもったものであることを明らかにしている。

 著者は谷川雁を慕いテックに入ったものの、職場では労使関係で対峙し、またのちに雁をテックから追放せざるをえなかった中心メンバーでもあった。しかし本書では、彼をこき下ろすのではなく、といって絶対視するのでもなく、適度な距離を保ちながら、しかしその思想性については敬愛し、彼の魅力と志をていねいに描いている。近年谷川雁研究会を立ちあげて主宰し、研究を続けてきた著者の取材力と筆力が冴える。
 新書判なので、原稿をかなりカットせざるをえなかったようだが、逆にコンパクトゆえに、雁の生涯の輪郭が鮮やかに示されている。若い世代にも近づきやすいはず。
 ここで掘り起こされた雁さんのフレーズに接すると、たしかに六〇年代後半の全共闘運動にも少なからぬ影響を与えていたのだな、と教えられる。
 読み終えて思うのは、雁さんはよき対立者、理解者、後輩に恵まれたなあ、もって瞑すべし、というところ。

 「三・一一」で現代文明が根底から揺らぎ始めた今こそ、学ぶべき知恵、参考にできる手がかりが雁さんにはたくさん秘められていると、本書は強調する。現代の行きづまりを打開する力をもっていると評価を加えている。たとえば、戦争と敗戦によってさえも辛うじて残り続けた縄文以来の「日本の村と自然生態系」が、その後のわずか数十年の高度成長によってトドメをさされて一挙に解体した、と見抜いた雁の彗眼を指摘する。たしかに「独創的な高度経済期批判」である。

 さて著者は、谷川が「下部へ、下部へ、根へ、根へ、」と歌い、下降しながら「存在の原点」、「万有の母」を探求した試みに、「縄文の心」を重ねている。
 かつて「試行」の仲間だった吉本隆明は、上にいくこと(世界の高次化)と下にいく(アフリカ的段階に降りる)ことが同じであるような方法を追求した。しかし、晩年の表現をみるかぎり、残念ながら引き裂かれていた。あえてそれをさらけ出したところに、吉本さんの真摯さをみることができる。
 吉本と異なり雁さんは、「無名性」の「集団創造」という方法によって、「下部へ、根へ、」の「原点」を探ろうとした。いや、そういう志向性自体に原点をみようとしたのかもしれない。
 ひとことだけ感想を添えれば、吉本とは異なるその作業もまた難しいことにおいては変わらないのではないか。それは「問いの立て方」に関わる。そもそも「工作者」「無名性」「根」「存在の原点」という立て方……。私自身の課題でもあり、別の機会にさらに論じてみたい。

2014年3月10日 (月)

「船便でjazzが来る」

 酒田から羽越西線に乗る。二両編成の列車は吹雪く中を最上川に沿っDscn1383_2 登っていく。山々は白く、線路際にも雪が高く積もっていDscn1395_2 る。

 新庄を経由して山形駅に出たのは夕暮れだった。降りたら寄りたい店があった。ジャズ喫茶OCTET
 駅前に出てから道に迷って戻ったあと、ようやくひっそりした路地脇に、それらしい小さな灯りを見つけけ辿り着いた。駅から数分のところだ。
Dscn14321  玄関の横に掲げられた板には、「船便でjazzが来る」なんて書かれている。

 ドアを開けると、奥の席に座ってテーブルに向かい作業をしていた男性が一人。ご主人のよう。「いいですか」と尋ねると、「どうぞ」。ほぼ同世代のよう。客はいない。ピアノトリオの曲が流れていた。
 「どちらから」と尋ねられ、「東京からです。仕事で酒井に出たあと、寄りました」と答える。
 古いお店で、すべてが円やかに感じられる。草花もきちんと添えられている。
 膨らんだリュックサックを下ろし、カメラをテーブルにおき、コートを脱いでから、ブレンドコーヒーを注文する。
 ドア脇に貼られた紙を見に寄ってみると、近年亡くなったジャズ演奏家の訃報記事が拡大されたものだった。
Dscn14351  「知ってるミュージシャンがほとんどいなくなりましたね」と店主。「そうですね、ジム・ホールも亡くなりましたね」と答えると、そのジム・ホールの記事も上の方に貼られているのに気づいた。

 「リクエストがありましたら、なんでもどうぞ。ただし、あるものになりますが」と笑う。
 巡らしてみたが、なぜかリクエストしたいという気持が起こらない。この店でご主人が気ままにかけているレコードを聴いているだけで十分、そのほうがいい、と思えた。
 冷え冷えした冬の夜は、若い頃の原体験のせいか、なぜかマル・ウォルドロンのピアノと結びつくけれど、このお店でわざわざ聴きたいとも思えない。
 何枚かのアルバムが流れていたが、それぞれしみじみとしてよかった。

 「いつから営業されているのですか」。そう尋ねると、1971年から、とおっしゃる。途中で家主の都合で建て替えもあったらしい。
 「1971年……」。私と同じ世代のようで、なんとなく推測がつく。ある分岐がご主人の中であったのだろうな、と。
 あとは言葉は交わさなかった。ジャズを聴きながら、原稿を書いたり、考えごとをしたり、店内を眺めていた。
 一時間ほどして、ようやく客が一人。馴染みの客らしい。カウンターに腰を下ろし、マスターと話を始める。
 ジャズの店に来たら、トイレに行かねばならない。張り紙や落書きなども、店の一部として欠かせないからだ。きちんとしていて、ポスターが貼られていた。

 東京のジャズの店もお洒落でよいけれど、古くから続いてるこういうお店の味わいにはかなわない。ご苦労されているのだろうけれど、そんな気配は微塵も感じさせず、淡々と店を続けている感じだ。

 1時間半ほどいたろうか。「ごちそうさま」と支払いをすませたあと、「とてもいい時間でした」と素直にお礼の想いを述べる。
 すると、ドアを開けようとした背中に、マスターが「ありがとう!」。会話のときと異なり少しハイトーンで、強くて太い声だった。その響きがじわっと私を包んだ。それは、客と店主という関係上のものではなく、同士というか仲間といった距離を感じさせるものだった。わずかなひとときの出逢いと別れだけれど、味わい深い時間が過ごせた。感謝したいのはこちらだった。
 ドアを開けると、夜の冷えこみが増し、雨が雪に変わり始めていた。

Dscn1069

(春を待つ酒田の山居倉庫と欅並木)

2013年12月31日 (火)

今年の10点 ~2013年~

 今年の前半は吉本隆明論(『吉本隆明と二つの「敗戦」』)の執筆・編集、後半は次のテーマの執筆にとりかかり、ほとんどその二つに集中した一年。
 そんな中、合間に接して印象に残った作品は――。

○エリック・クラプトン『OLD SOCK』

Old_sock  御年68のクラプトンのアルバム。ジャケット写真の彼は、好々爺といった感じ。私にも馴染みのある曲がたくさん選ばれ、演奏は豪華な顔ぶれが脇を固めている。
 「ALL OF ME」はポール・マッカートニーがアップライト・ベースとヴォーカルで参加。ゲイーリー・ムーアの「STILL GOT THE  BLUES」は大好きな曲だったけれど、そのアルバムをなくしていた。ハモンドオルガンのスティーヴ・ウィンウッドの参加を得て、名演奏。今年一番聴いた曲かもしれない。

○宮崎駿『風立ちぬ』

Kazetatinu_2   宮崎駿さんのアニメーション映画を劇場で観るのは、この作品が初めて。これまで熱心な受け手ではまったくなかった。
 概念としての「自然」ではなく、風や雲、草木、水の動きや音、大地の生成……ああ、この人はこれらをていねいに描くことに燃え、とことんこだわっているんだな、と気づく。二度映画館に足を運んでしまった。

○九鬼周造『いきの構造』

Ikinokozo  祇園から人力車で京都大学に通い教壇に立ったという伝説をもつ九鬼周造、昭和五年の書。

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「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。
~~~~~~~~~~~

 九鬼と交わりのあったハイデガーが、とても理解できないとした「いき」についての、みごとな文体の論考。もちろん危うさも潜んでいる。

○ジャン=ポール・ジョー監督『世界が食べられなくなる日』

Taberarenakunaruhi_2   分子生物学者、ジル=エリック・セラリーニ教授が行った、遺伝子組み換え作物をラットに与えた世界初の実験。前世紀に生まれた「遺伝子組み換え」と「原子力」という二つのテクノロジーをめぐって警鐘を鳴らすドキュメンタリー。

○水野和夫『世界経済の大潮流』

 刺激的な資本主義論。こういう経済学者さんにもっともっと頑張っていただきたい。
 
○中沢新一・國分功一郎『哲学の自然』

 同感するところ、多し。

○藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』

Satoyamashihonshugi  とりあげられたさまざまの事例に刺激を受ける。

○堤未果『(株)貧困大国アメリカ』

 「自由」と「民主主義」の大国の惨状は、他人事ではまったくない。

○エル・グレコ展(東京都美術館)

○吉本隆明『開店休業』(追想・画 ハルノ宵子)

 吉本さんが最晩年に書いたエッセイのそれぞれに、長女ハルノ宵子さんが追想(コメント)を付けたもの。ハルノさんの追想から、吉本さんの思考と嗜好を裏づけるいくつかの事実を知る。彼が化学調味料「味の素」を発売当初からずっと「信奉」し、梅干しなどには「真っ白の雪山のようになるまでかけ」ていたこと。奥さんの和子さんが「料理を食べることも作ることもまったく愛せなかった」ということなど。意外であったが、よくよく考えると、なるほどと合点がいく。拙著で示した吉本さんの農業論、食のとらえ方の背景と符号する。
 来年「吉本隆明全集」が晶文社から出るようだが、その刊行にあたり二人の娘さんが寄せた文章はじつに味わい深い。

2013年8月26日 (月)

毎日新聞に書評(『吉本隆明と「二つの敗戦」』)

 毎日新聞8月25日付朝刊(東京本社版)の「今週の本棚」に、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』の書評が掲載された。

 その中から二箇所、フレーズを引かせていただく。

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吉本の思想形成の原点から丹念に彼の思考の方法論を押さえてたどるだけに、著者は吉本の原発論における飛躍と晩年の「引き裂かれ」を見逃さない。
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吉本への感謝と批判を経たうえで近代の超克として、人間の「生」を贈与として受け止める著者の新たな発想が提示されている。それは吉本が晩年提唱した「存在の倫理」を深める試論として注目される。
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2013年6月21日 (金)

「経済成長」と次世代へのツケ

○「次の世代に受け渡すこと」

 福島第一原発事故から2年少々を経た今日、原発再稼働の声が政治「業界」の一部で強まっている。理由として「エネルギーの安定供給」、「経済成長」、「立地自治体の声」が挙げられている。「安全神話」が崩れ、なおかつ電力生産過程における廃物処理方法すらお手上げ状態がさらに露わになるなかでも、そう主張される。

 「3.11」より20年以上前、チェルノブイリ原発事故後に出版された『「いのち」とはなにか』で、生命科学者の柳澤桂子さんは次のように書いている。
「一五〇億年という宇宙の歴史を考えてみると、私たちはこの宇宙の中で瞬間を生きて消えてしまうはかない存在であることに気がつきます」。そして、問いかける。「人間とは何なのでしょうか。自己とは何なのでしょうか。宇宙の歴史、生命の歴史という観点から見ると、私たちが一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なことは、遺伝物質をつぎの世代に受け渡すことです」と。
 生命科学者らしい視点と表現だが、いのちをしっかりつなげることを、「一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なこと」としている。それはいいかえれば、新しいいのちの生誕と、そのいのちを育んでいくことだ。
 同書で柳澤さんはこうも書いている。「短期的にみて、放射能のいちばん恐ろしいことは細胞をがん化させることです。長期的には奇形児がたくさん生まれるでしょう。さらに汚染が進めば、地球は放射能に強い微生物だけの世界に変わるかもしれません。あるいは生物はまったく絶えてしまうのでしょうか」。ごく基本的なことが語られている。

○「次世代」を犠牲にする「今の成長」とは……

 しかし政治業の一部では、「今の経済成長」のために、福島の人びとのみならず、「次の世代」、以降の世代すべてにそのツケを押し付ける無責任を、あえて選びとろうとする政策が掲げられる。
 「成長」や「進歩」を一概に否定するつもりはない。仮に彼らのいう「経済成長」概念を否定しないにしても、それが原発再稼働なしでも可能であることは、さまざまな専門家が指摘していることだ。
 そして基本に立ち戻れば、次世代、子ども・孫、さらにその後の世代に、手に負えないものの処分・監視を押し付け、生存を脅かし、(間違いなく)犠牲を強いる政策を、私たちは「成長」「進歩」とは呼びがたいのではないか。
 もし「成長」「進歩」にこだわるのなら、その近代的な概念を組み替える作業が必要なはずだ。

130531

(福島原発原告団の5.31東電要請行動には、バスをチャーターして来られた福島の方々がたさくん参加し、切々たる訴えを行った)

2013年6月 8日 (土)

『吉本隆明と「二つの敗戦」』

拙著新刊!
『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~
(とよだ もとゆき)

 昨年(2012年)亡くなった吉本隆明さんは「敗戦」を二度迎えている。一度目は1945年二十歳の夏。そして二度目は、自ら「第二の敗戦期」と表した近年(晩年期)。その象徴が「3.11」の福島第一原発事故だった。
 前者は、近代戦における日本の敗北だった。しかし、後者は近代戦における敗北ではない。近代(を極めた現代)自体が敗北を迎えた、ととらえるほかない。Yosimotohutatunohaisenn2
 質を異にする二つの「敗戦」は、彼の思想営為にどんなことを強いたのか。それを探りながら、近代(を極めた現代)を超える方向を本書で考えてみた。

 主な問いを列記してみる。
○なぜ「科学の進歩」を止めてはならないとして「反・脱原発」を苛烈に批判し、それを「原発稼働」と直結させたのか。
○思想営為の基本に据えた「大衆の原像」というOS(オペレーティングシステム)に、なぜ最後までこだわったのか。それはもはや時代にそぐわなくなくなり、切り替えが必要だったのではないか。
○以前から小林秀雄の限界を指摘し、「小林秀雄ってダメだね」と厳しく断じていたにもかかわらず、現在を「第二の敗戦期」とした晩年になると、敗戦後の小林秀雄の言、「僕は無智だから反省なぞしない」を強く評価するようになった。いったいなぜか。
○ヘーゲル・マルクスの歴史観を批判して「史観の拡張」をめざしたが、彼らのそれをほんとうに超えたのだろうか。
○農業問題に触発された「贈与価値」論、さらに晩年提示した「存在の倫理」は、「現代の超克」の方向を指し示しているのだろうか。
○2008年、従来の自らの営為とぶつかるような意外な慨嘆を漏らした。それはなにゆえか。

『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~

(とよだもとゆき)
四六判 184ページ 定価1,500円(税別)
発行=脈発行所
メールアドレス higa20@nirai.ne.jp (電子メールで注文可)
その他京都・三月書房、一部大型書店で(「地方小出版流通センター」取扱)

目次等、詳細はこちら

2013年5月23日 (木)

梅原猛『人類哲学序説』

 福島第一原発事故後、自らの過去も含めて痛恨の想いを吐露していた梅原猛さんの新著で、講演をベースに加筆したもの(岩波新書)。
 大震災と原発事故がこの本を書かせることを決意させたと、あとがきに記している。「原子力発電を主なエネルギー源とする現代文明のあり方をそのものが問われなければならない」と。事故はまさに近現代の極みに逢着した事態であり、同意するしかない。
Photo  『人類哲学序説』というタイトルについては、つぎのようにコメントしている。「哲学」とはギリシャ生まれで、近代西洋で発展してきたもの。ゆえにヨーロッパを超えた「人類哲学」はこれまで語られたことがなかった。また序説とは、これから本格的に西洋文明(西洋哲学)を体系的に論じたものを書くつもりなので、本書は「序説」にすぎないと。

 デカルトから始まる近代哲学・科学を批判し、さらに近代を批判したはずのニーチェ、さらにハイデガーにまで疑問を投げかける。このあたりもまったく同感である。さらにこうしたヨーロッパ文明に大きな影響を与えたヘブライズムとヘレニズムに遡り、これを裏づける。
 他方で、日本文化の原理を探り、天台密教(台密)を基本として挙げる。台密は「草木国土悉皆成仏」で表現されるという。動物はもとより、草木も仏性をもち成仏できるとする思想。縄文文化を源流として草木国土悉皆成仏の考えが生みだされた。ヨーロッパ文明が否定的にとらえる「森」を大切にする森の思想=循環の思想にこそ、これからの可能性を見いだす。
 草木国土悉皆成仏の思想と、(西欧がその影響を否定しようとしてきた)太陽信仰をもつエジプト文明、さらにアジア、日本の太陽崇拝の思想に注目し、現代文明を根底から批判し、新しい文明の方向を追求する。その序説として、本書が位置づけられている。

 かつて梅原さんは、和辻哲郎の『風土』を高く評価したうえで、そこには「生産」の概念がまったく欠落している、と鋭い指摘をしていた。ご高齢でたいへんと思うが、数歩でも進んでその成果(本論)を発表していただきたいと願う。もちろん、わたしも自分なりに歩を進めるつもりでいる。(写真は経産省前テント村行動)
2

2013年5月15日 (水)

『評価と贈与の経済学』

 「贈与の経済学」の内田樹さんと、「評価の経済学」の岡田斗司夫さんの対談。
なにかと刺激を与えてくれる。
 気に入ったフレーズはたくさんあるが、いくつか拾ってみる。

◎内田さんPhoto_3
「よく一九六〇年代高度成長の時代、日本社会は希望にあふれていました、なんてことしらじらと言うけれど、あれは嘘だよ」 
 (まったく同感)
◎内田さん
「掃除やってると、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくんですよ。『シジフォスの神話』とおなじで、掃除って、やってもやっても終わらない。せっかくきれいにしても、たちまち汚れてしまう。……。それがたいせつなんですよ。『なんだよ、掃除ってエンドレスじゃん』て気がつくことが」
◎岡田さん
「貨幣経済を贈与経済に戻すのがデジタルネットワークじゃないかと思っているんです」
  (そういう可能性をもっている)
◎岡田さん
「内田先生のその考えを借りれば、パスを出す人を贈与者と呼んで、そうじゃない人を消費者と呼ぶこともできますよね」
◎内田さん
「……、就職の生き残り術って、結局は『強者の論理』になるでしょ。強い人間だけが生き残って、弱い人間は野垂れ死にしても仕方がないというルールだから。でも、社会システムがそういうものであってもいいとぼくは思わない。そういう残酷な現実は確かに目の前にあるのだけれど、そこをまるごと肯定するのは思考停止だと思う。アカデミアが思考停止の片棒担いでしまったら、もう存在理由がない」。
  (同感)
◎岡田さん
「ぼくはついに無世代論者になりつつあります。世代なんてなかったってことがわかってきたから」
◎内田さん
「これからの日本を担ってゆくことになる若い世代に対して、先行世代に課せられた使命は『敬意をもって、できる限り親切にする』ことなんですよ」
◎内田さん
「未来の自分に向けて吐きかけた呪詛はいずれ自分に返ってくる」
  (名言)
◎内田さん
「例えば、ぼくが人を判断するときに見ているのは『この人と一緒に革命ができるか』ということです。革命活動というのはそのほぼ全期間を権力の弾圧や裏切りや社会的孤立といったリスクを長期にわたって耐えることですけれど、そういうときに信じられる人間かどうか、それを考える。もちろん、ぼくにはいまから革命を起こす計画なんかありません。でも、想像することくらいはできる。そういう想像上の苦難をともに分かち合うことのできる人間かどうか、それを『ものさし』にして人の器を計る」
◎内田さん
「家族制度の基本て身体性でしょ」
◎内田さん
「そういう相互扶助・相互支援の安全保障体制を作り上げることが結婚の基本だと思うんです」


<読み終わって>
 西欧的な知が語る贈与交換論には落とし穴があるけれど、内田さんの贈与論はそれとは違う。

2013年3月16日 (土)

西武HDとサーベラス

~投資者の利益と「企業価値」~

 西武鉄道やプリンスホテルを傘下にもつ西武ホールディングス(HD)の再上場をめぐって、同社と筆頭株主の投資会社、アメリカのサーベラスとの間で対立が泥沼化している、と新聞が伝えている。サーベラスがTOBをかけて出資比率を三分の一超にして経営方針を変えて「企業価値」を高めて、再上場時の「上場益」を大幅に増やしたい狙いのようだ。ゆえに不採算部門の切り捨てなどをサーベラスは迫る。

 具体的には、①西武多摩川線、山口線、秩父線など不採算路線の廃止 ②特急料金の引き上げ ③プリンスホテルのサービス料金を上げる(10%を20%へ) ④西武ライオンズの売却 ⑤JR品川駅周辺の再開発案の策定などを挙げているようだ。
 おおむねエンドユーザの生活の足を切り捨てるか、その経済負担をもっと高くしなさいというものだ。②と③などじつに「セコイ」というしかない。これが、「企業価値」を高めるための投資会社メンバーが、「実物投資空間」から利益をひねり出すために思い付いた方法なのだ。問題は極めて多いが、なかでも路線の廃止というリストラは、その沿線の住民にとっては重大な問題だろう。

 そもそもの発端は10年ほど前の有価証券報告書の虚偽記載問題にまで遡るのだろうし、西武HDにも不動産なども含めさまざまな経営上の思惑もあるだろうけれど、少なくとも現経営陣が「地元に根ざした鉄道会社として、路線廃止は考えられない」との見解はどうあれまっとうだ。

 サーベラスがとりまとめる投資家のほとんどはアメリカはじめ海外の人だろうし、とにかく「目先の利益」が得られば、異国の一地域の生活路線なんてどうだろうが関係のないことだ。あるいは特急料金やホテルサービス料をちょっと値上がりさせたという事実を作り出せばよいのだろう。それが当該企業や、その商品・サービスを購入している人たちにとっての影響や、さらに企業自体の数字に中長期的にどんな影響を与えるかは、考慮外となる。売却益取得後のことなぞ関係ない。上場という瞬間に「企業価値」が上がっていれば、どんな方法でもよい。目先の利益(上場益)を増大させるためには、その鉄道を利用する地域住民の生活など切り捨てろ、という。端的にいえば、実体など関係ない、投資(貨幣)がとにかく増えて戻ってくればよい、ということだろう。

 こうした株主至上主義を支持する人が国内にもいるようで、サーベラスは、日本の元金融庁長官、元日本郵政公社総裁らを取締役として推薦するという。
 高めたい「企業価値」とは、いったい誰にとっての、どういう価値なのか。わたしたちは誰もが「資本の論理」から免れることはできないけれど、リーマンショック以降も、構造はまったく変わっていない。
 ちなみにサーベラスとはギリシャ神話の「地獄の番犬ケルベロス」の英語読みで、「底なし穴の霊」を意味することを、ウィキペディアで教えられた。

2012年12月22日 (土)

六角堂とクリスマス

 京の臍と呼ばれる六角堂。聖徳太子ゆかりの地であり、親鸞が叡山から下り百日参籠したところでもある。
Rokakudo  池坊さんの拠点ゆえ、周囲は池坊の高いビルに囲まれている。その一角、1階にスターバックスが店を構えている。店のソファからは大きなガラス張りの前に六角堂を眺めることができる。クリスマスシーズンを迎えて、トナカイに引かれたソリとクリスマスプレゼントが生け垣に飾られている。背景に六角堂。
 六角堂に訪れるクリスマスシーズン。京のへそにクリスマスの飾り。これはこれで絵になっているところが、日本文化の特異性だろう。

 西田幾多郎の著作を探して京の古書店をいくつか回る。人文系に限られるが。寺町三条、河原町丸太町、京大周辺の店を覗く。品揃えが比較的よいのは、河原町丸太町の今村書店、東大路今出川の吉岡書店くらいか。京大周辺の古書店は、仮住まいしていた十年前よりさらに減っているように感じられる。

 夕暮れ、六波羅蜜寺を訪ね、踊り念仏に接する。前回観させていただいたのは、もう10年近く前だろうか。年末師走の13日ごろから大晦日まで限定で、日没近い時間に毎夕続けられる。
Rokuharamituji  本堂内であるにもかかわらず、一段下がった祭壇で、読経のあと、祭壇の囲むようにして回り、腰を曲げ、体勢を低くする。南無阿弥陀仏とは唱えない。そして、途中で途切れるように終わる。
 それらすべてが示しているのは、かつて念仏が弾圧された時代の名残だ。本堂で焼香したあと、御札をいただく。

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