2014年12月29日 (月)

2014年の七つ

○エリック・クラプトン 武道館ライブ 2.21
 「来日40周年記念公演」と銘打たれたツアー。これまで何度か彼の武道館ライブに出かけたが、今まででもっともハードに徹した演奏だったように感じる。間もなく70歳とは思えぬ。力をもらう。

○高千穂の町と神楽
 「神話の故郷」として知られる高千穂。
 かつて国家の統治(政治)には「始まりの物語」が欠かせなかった。力の掌握と維持を理由づける根拠づくりは切実で、現実からの「超越」がどこかに示されなればならない。
Takatiho3_2 「神が降りた地」として挙げられる高千穂。けれども、夜の高千穂神社で毎
晩演じられる高千穂神楽は、厳かな「超越」を引き下ろす面白さに溢れている。4作ほど演じられたが、とくに興味深いのは「御神躰の舞」。別名「国生みの舞」。神話通りイザナギとイザナミが(酒を造って)抱擁しあう。神話世界が、笑いを誘う神楽となる。庶民のしたたかさを感じる。
Takatiho1 翌朝、町のコミュニティバスの始発に乗る。乗客は私一人。手入れされた棚田を車窓から眺めながら向かったのは、天岩戸神社。西本宮の遙拝所から、岩戸川を挟んで対岸の岩山に目を遣ると、アマテラスが隠れたという「天岩戸」がうかがえる。そのように、神職の方から説明を受ける(撮影禁止)。
 続いて岩戸川の渓流添いに道を下ると出現した天安河原は、アマテラスが岩戸に隠れてしまい、困った八百万の神々が相談したという場。早朝で、はじめにいたカップルが去ったあとは、私だけ。河原には小石がいたるところに積まれている。神々が集ったと物語られる洞窟内に立ち、水しぶきを上げる急流の岩場や向かいの山を仰ぎ見ていると、冷気と霊気に包まれ、怯えすら覚える。10分ほどで立ち去りたい気分に。
Takatiho2_2 もうひとつ、観光スポットである高千穂峡へ。大方の観光客は自動車で曲がりくねった道を簡単に降りるが、私はまち中から歩き、重いバッグを背負い汗を流しながら降りた。両側を高い崖で挟まれた渓谷はたしかに絶景。秘境の趣きが深まる。
 こうして散策してみると、高千穂が神が降りたという物語を演出するのにふさわしい土地であることはたしか。こじんまりした町中を歩けば、子どもたちから大人まで皆さん、私のような行きずりの旅人に挨拶の言葉をかけてくれる。大都市の街ではみられない。ありがたく受けとめ挨拶を返した。バスセンターに貼られていた写真にみえるかつての街並の勢いは薄れていても、滞在日程を延ばしたくなる町だった。

○『資本主義の終焉と歴史の危機』
 水野 和夫 (集英社新書)
Sihonshuginokiki すでに2年前に出た前著『世界経済の大潮流』に引き続き、資本制の危機(と終焉)を改めて丁寧に展開している。「成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう」今日の資本制の限界を省みずに、無理やりの「成長」薬を注入する現政府のやり方は、必ず怖い反動をもたらすにちがいない。「タイム・イズ・マネー」の時代は終焉を迎える、そう言い切る勇気をもつ著者は希有な存在。「西欧の終焉」をも告げる。

○宗像大社国宝展(出光美術館)
 自然との対話を、西欧キリスト教宗教学者タイラーは「アニミズム」と定義したが、そうした狭いとらわれを破ってものごとを考えるべきことを改めて教えてくれる。

○折口信夫の論考Origutitenno_2
~『折口信夫 天皇論集』(講談社文芸文庫)&「大嘗祭の本義」(『古代研究Ⅱ』所収)~
 「罪」、「負い目」の発生について深い考察を残し、近代を超える存在観を巡らすにあたりさまざまなヒントを与えてくれる。

○『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ
 「借り」(負債、負い目)から文明観(哲学)をとらえるユニークな書。同時に、西欧的視点の限界も示している。

○『あたりまえのこと』樫山欽四郎
 古書店で手に入れる。
 たとえば、こういうフレーズがある。
 「科学自身は限界をもっている。それは人間に限界があることに由来する」。
Atarimaenokoto_2 1978年の出版だが、このフレーズは、半世紀以上前の1961年に書かれたエッセイにある。ヘーゲル哲学研究者である樫山さんが遺した「あたりまえのこと」は、今に至るも「近代の限界」を見ようとしない思考を厳しく批判する。
 じつに大きな思想的恩恵を私が受けてきた吉本隆明さんもまた、徹底して近代の刻印を受けている。科学技術の課題は科学技術によって解決するしかないとして、脱・反原発の論を彼は批判した。吉本さんのいう「科学技術は科学技術で……」という論はその枠内ではじつにもっともなこと。であるなら、廃棄処分も技術的解決に決着をつけられるまでは、そもそも原発を稼働させるべきではなかった。当然今日も再稼働されるべきではない。
 樫山さんの言のとおり、科学自体が限界をもっている。人間は具体的な場でしか生きられないという制約(限界)のもとで生きているからだ。そういう人間存在の負い目を「近代科学の絶対性」は問おうとしない。「人間が絶対」であろうとする近代の特徴は、科学技術と経済に示される。限界をもつ「科学」は、「科学」の外側から相対化されるしかない。そうした視線を、「素人」とか「人間(の進歩)を否定する」とか「軟弱・センチメント」(石原慎太郎)等の言辞で排すること自体、徹底した近代主義にほかならない。反・脱原発は、近代の「正義」や「イデオロギー」次元のことではない。
 福島第一原発の事故とその後、被災者と地域がこうむっている状況の重さは、いささかも軽くならない。

2014年6月25日 (水)

川上嘉彦『原風景を歩く』

○名所旧跡とは異なる「原風景」

Genhukei 六〇歳定年より少し早めに企業を退職し、第二の人生のテーマを「原風景を探し歩く」ことに据えた著者が、十数年以上にわたって旅してきたエッセイと写真をまとめたもの。旅と出会いと原風景がテーマになっている。
 旅といっても名所旧跡を訪ねるものではない。「私の旅は名所旧跡や観光地を訪ねる旅ではなく、そこに暮らす人びとのいとなみと自然が織りなす風景を訪ねる旅」と記している。
 著者の川上さんにとって、「原風景」とは、少年時代の記憶の中にある風景であり、名所旧跡や国宝、天然記念物のような権威が指定する特別なものでもなく、「ごくありふれた風景」を指す。
 さらに「原生林や大海原のような手つかずの大自然」のことでもない、という。この姿勢にとても共感する。ジャン=ジャック・ルソーのような西欧近代人が、理想として思い描いた「あってほしい自然」、「手付かずの自然」ではない。それは近代西欧的な自然観にほかならい。著者が探し歩くのは、人間の営みと馴染む自然であり、自然の営みと馴染む人間の姿だ。
 歩くところは、山野や峠、水郷、浜辺、焼きもののまち、路地、そして名もない鎮守の杜など。

○「無価値」で「凡庸」な山こそ

 山にしても、惹かれるのはいわゆる「名山」ではない。権威が指定した名山ではなく、人びとの生活と溶けあった山だ。『日本百名山』を著した作家深田久弥が「名山」の基準として、「山の品格」や「歴史」「個性」を挙げていることに対して、そんな条件とは無縁の「無価値」で「凡庸」な山を好む、と川上さんは京都北山を例にしながら書いている。京都の大学に在籍した時代、著者が何度も歩き愛した「京都北山の価値」を次のように考えている。「山が人の心にどれだけ滲み込んでいるか、人の心が山にどれだけ滲み込んでいるか、そして山と人とがどれだけ心を通わせているか」と。ここに川上さんの自然、原風景への姿勢がはっきり示されている。僭越ながら、私の野暮な表現で換言させてもらえば、山と人との「心の価値交換」ということになる。
 そんな著者の姿勢からいろいろ教えられる。私たちにとって自然とは、そういうかたちでしか存在していないのだから。人間の前に自然の像を立て置いて、人間と自然を対置させる近代的な自然観とはまったく異なる。

○土地の人から声をかけられる存在

Kawakamisan 面白く感じられるのは、山の里や、水辺のまちや、峠などさまざまなところで歩き、休息をとっている著者に、土地の人が声をかけてくるシーンがたびたび出てくること。
 土地の人は、なぜ川上さんに話しかけてくるのだろう。旅人自体がほとんどいないところを訪ねていることもあるのだろうが、異邦からやってきた旅人でしかないのに、つい土地の人が声をかけたくなるような雰囲気を川上さんが醸し出しているからだろう。訪ねた土地の色あいに馴染むところが、彼にはあるのに違いない。装ってもできることではない。著者の「人柄」、というより「存在の風あい」といったもののせいだろう。

 著者が訪ねる「原風景」の世界は、「変化が常態」(ウォーラーステイン)である近代システムの「進化」「発展」の概念とは縁遠い。たしかにビジネスでは誰もが「変化が常態」の中を生きねばならないけれど、どんなに変化を追い求めても、私たちの生活を基礎づけているのは生活の積み重ねである。いったい私たちの生活とはなんなのだろう、と静かに問いかけてくる。変化・更新・拡大を演じる近代を極めた今、生活を織りなすとはいったいどんなことなのか……。旅のエッセイでありながら、生きることの原型について私に考えさせてくれる。
 過剰な表現を排して言葉少なに語る文体だけでなく、収められた写真にも著者のものの見方が存分に示されている。
 最後は次のように結ばれている。
 「この一文が、それぞれの人が原風景について考え、自己の旅を創るきっかけになればと考えています」

冬至舎刊 定価(1,800円+税)

(写真は、霧ヶ峰を歩く川上さん)

2014年3月10日 (月)

「船便でjazzが来る」

 酒田から羽越西線に乗る。二両編成の列車は吹雪く中を最上川に沿っDscn1383_2 登っていく。山々は白く、線路際にも雪が高く積もっていDscn1395_2 る。

 新庄を経由して山形駅に出たのは夕暮れだった。降りたら寄りたい店があった。ジャズ喫茶OCTET
 駅前に出てから道に迷って戻ったあと、ようやくひっそりした路地脇に、それらしい小さな灯りを見つけけ辿り着いた。駅から数分のところだ。
Dscn14321  玄関の横に掲げられた板には、「船便でjazzが来る」なんて書かれている。

 ドアを開けると、奥の席に座ってテーブルに向かい作業をしていた男性が一人。ご主人のよう。「いいですか」と尋ねると、「どうぞ」。ほぼ同世代のよう。客はいない。ピアノトリオの曲が流れていた。
 「どちらから」と尋ねられ、「東京からです。仕事で酒井に出たあと、寄りました」と答える。
 古いお店で、すべてが円やかに感じられる。草花もきちんと添えられている。
 膨らんだリュックサックを下ろし、カメラをテーブルにおき、コートを脱いでから、ブレンドコーヒーを注文する。
 ドア脇に貼られた紙を見に寄ってみると、近年亡くなったジャズ演奏家の訃報記事が拡大されたものだった。
Dscn14351  「知ってるミュージシャンがほとんどいなくなりましたね」と店主。「そうですね、ジム・ホールも亡くなりましたね」と答えると、そのジム・ホールの記事も上の方に貼られているのに気づいた。

 「リクエストがありましたら、なんでもどうぞ。ただし、あるものになりますが」と笑う。
 巡らしてみたが、なぜかリクエストしたいという気持が起こらない。この店でご主人が気ままにかけているレコードを聴いているだけで十分、そのほうがいい、と思えた。
 冷え冷えした冬の夜は、若い頃の原体験のせいか、なぜかマル・ウォルドロンのピアノと結びつくけれど、このお店でわざわざ聴きたいとも思えない。
 何枚かのアルバムが流れていたが、それぞれしみじみとしてよかった。

 「いつから営業されているのですか」。そう尋ねると、1971年から、とおっしゃる。途中で家主の都合で建て替えもあったらしい。
 「1971年……」。私と同じ世代のようで、なんとなく推測がつく。ある分岐がご主人の中であったのだろうな、と。
 あとは言葉は交わさなかった。ジャズを聴きながら、原稿を書いたり、考えごとをしたり、店内を眺めていた。
 一時間ほどして、ようやく客が一人。馴染みの客らしい。カウンターに腰を下ろし、マスターと話を始める。
 ジャズの店に来たら、トイレに行かねばならない。張り紙や落書きなども、店の一部として欠かせないからだ。きちんとしていて、ポスターが貼られていた。

 東京のジャズの店もお洒落でよいけれど、古くから続いてるこういうお店の味わいにはかなわない。ご苦労されているのだろうけれど、そんな気配は微塵も感じさせず、淡々と店を続けている感じだ。

 1時間半ほどいたろうか。「ごちそうさま」と支払いをすませたあと、「とてもいい時間でした」と素直にお礼の想いを述べる。
 すると、ドアを開けようとした背中に、マスターが「ありがとう!」。会話のときと異なり少しハイトーンで、強くて太い声だった。その響きがじわっと私を包んだ。それは、客と店主という関係上のものではなく、同士というか仲間といった距離を感じさせるものだった。わずかなひとときの出逢いと別れだけれど、味わい深い時間が過ごせた。感謝したいのはこちらだった。
 ドアを開けると、夜の冷えこみが増し、雨が雪に変わり始めていた。

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(春を待つ酒田の山居倉庫と欅並木)

2013年3月16日 (土)

西武HDとサーベラス

~投資者の利益と「企業価値」~

 西武鉄道やプリンスホテルを傘下にもつ西武ホールディングス(HD)の再上場をめぐって、同社と筆頭株主の投資会社、アメリカのサーベラスとの間で対立が泥沼化している、と新聞が伝えている。サーベラスがTOBをかけて出資比率を三分の一超にして経営方針を変えて「企業価値」を高めて、再上場時の「上場益」を大幅に増やしたい狙いのようだ。ゆえに不採算部門の切り捨てなどをサーベラスは迫る。

 具体的には、①西武多摩川線、山口線、秩父線など不採算路線の廃止 ②特急料金の引き上げ ③プリンスホテルのサービス料金を上げる(10%を20%へ) ④西武ライオンズの売却 ⑤JR品川駅周辺の再開発案の策定などを挙げているようだ。
 おおむねエンドユーザの生活の足を切り捨てるか、その経済負担をもっと高くしなさいというものだ。②と③などじつに「セコイ」というしかない。これが、「企業価値」を高めるための投資会社メンバーが、「実物投資空間」から利益をひねり出すために思い付いた方法なのだ。問題は極めて多いが、なかでも路線の廃止というリストラは、その沿線の住民にとっては重大な問題だろう。

 そもそもの発端は10年ほど前の有価証券報告書の虚偽記載問題にまで遡るのだろうし、西武HDにも不動産なども含めさまざまな経営上の思惑もあるだろうけれど、少なくとも現経営陣が「地元に根ざした鉄道会社として、路線廃止は考えられない」との見解はどうあれまっとうだ。

 サーベラスがとりまとめる投資家のほとんどはアメリカはじめ海外の人だろうし、とにかく「目先の利益」が得られば、異国の一地域の生活路線なんてどうだろうが関係のないことだ。あるいは特急料金やホテルサービス料をちょっと値上がりさせたという事実を作り出せばよいのだろう。それが当該企業や、その商品・サービスを購入している人たちにとっての影響や、さらに企業自体の数字に中長期的にどんな影響を与えるかは、考慮外となる。売却益取得後のことなぞ関係ない。上場という瞬間に「企業価値」が上がっていれば、どんな方法でもよい。目先の利益(上場益)を増大させるためには、その鉄道を利用する地域住民の生活など切り捨てろ、という。端的にいえば、実体など関係ない、投資(貨幣)がとにかく増えて戻ってくればよい、ということだろう。

 こうした株主至上主義を支持する人が国内にもいるようで、サーベラスは、日本の元金融庁長官、元日本郵政公社総裁らを取締役として推薦するという。
 高めたい「企業価値」とは、いったい誰にとっての、どういう価値なのか。わたしたちは誰もが「資本の論理」から免れることはできないけれど、リーマンショック以降も、構造はまったく変わっていない。
 ちなみにサーベラスとはギリシャ神話の「地獄の番犬ケルベロス」の英語読みで、「底なし穴の霊」を意味することを、ウィキペディアで教えられた。

2012年12月22日 (土)

六角堂とクリスマス

 京の臍と呼ばれる六角堂。聖徳太子ゆかりの地であり、親鸞が叡山から下り百日参籠したところでもある。
Rokakudo  池坊さんの拠点ゆえ、周囲は池坊の高いビルに囲まれている。その一角、1階にスターバックスが店を構えている。店のソファからは大きなガラス張りの前に六角堂を眺めることができる。クリスマスシーズンを迎えて、トナカイに引かれたソリとクリスマスプレゼントが生け垣に飾られている。背景に六角堂。
 六角堂に訪れるクリスマスシーズン。京のへそにクリスマスの飾り。これはこれで絵になっているところが、日本文化の特異性だろう。

 西田幾多郎の著作を探して京の古書店をいくつか回る。人文系に限られるが。寺町三条、河原町丸太町、京大周辺の店を覗く。品揃えが比較的よいのは、河原町丸太町の今村書店、東大路今出川の吉岡書店くらいか。京大周辺の古書店は、仮住まいしていた十年前よりさらに減っているように感じられる。

 夕暮れ、六波羅蜜寺を訪ね、踊り念仏に接する。前回観させていただいたのは、もう10年近く前だろうか。年末師走の13日ごろから大晦日まで限定で、日没近い時間に毎夕続けられる。
Rokuharamituji  本堂内であるにもかかわらず、一段下がった祭壇で、読経のあと、祭壇の囲むようにして回り、腰を曲げ、体勢を低くする。南無阿弥陀仏とは唱えない。そして、途中で途切れるように終わる。
 それらすべてが示しているのは、かつて念仏が弾圧された時代の名残だ。本堂で焼香したあと、御札をいただく。

2012年3月17日 (土)

吉本隆明さんのこと


 吉本隆明さんが三月一六日に亡くなった。八七歳。再読したかった『母型論』が手許に見つからなくてネットで購入して届いた日の翌日のことだった。
 わたしにとっては、ヘーゲル、マルクスと並び、いや同時代性ゆえにそれ以上に大きな影響を受けた思想家だった。
 その著作に出会ったのは、一九六八年ごろのこと。十年ほど前に亡くなった学生時代の親友に教えられてだった。以来、新刊が出れば必ず購入して読むことになった。
 七〇年代に入ってからは講演会にも何度か足を運び、千駄木の家には自立誌「試行」の申し込みにお邪魔したこともあった。また二〇〇〇年代に入ってからは、本駒込のご自宅にも取材で一度伺わせていただいた。
Yanaka1_2 ただ、それらはこちら側が意図して会ったものにすぎない。それとは別に、下町で偶然その姿を見かけたことが二度ほどある。街でたまたますれ違ったときの姿こそ、彼の思想の幅と奥行きを裏づけているようで、今もそのシーンがしっかりと瞼に焼き付いている。

一度目は七〇年代半ばだろうか。(以下はHPに)

2011年12月 2日 (金)

もう一度、吉本隆明さんの原発論

 雨が降る夕暮れ、いつも通うスポーツジムの玄関内で、母親が娘を厳しく叱っている。「なんでそんなことするのっ」とかなり強い口調だ。なにもそこまで……との思いを呑み込んで横を通り過ぎようとしたが、そのあと母親の言葉を聞き、暗然とした。「雨に濡れたら絶対にいけないって、言ったでしょ。どうして雨の中、遊んでいるの」。叱られる小学生の娘さんは、黙って俯くだけだった。
 このお母さんのことを、放射性物質に過剰だと批判することはできない。母親だって子どもを叱りたくはない。女の子のほうも外で遊んでいて、なんでこんなに怒られるんだと思うだろう。
 負わなくてよいはずの心労。いわんや、福島第一原発周辺に暮らしてきて被害に遭い、さらに避難を余儀なくされている人たちをや。

 「撃論」という雑誌3号に「吉本隆明『反原発』異論」という記事があった。吉本さんが編集者のインタビューに応えている。目次をみると、寄稿者として三宅久之、町村信孝、田母神俊雄らのお歴々の名が並んでいる。
 これまでと変わらず、「反原発」を批判する吉本さんの発言だ。計り知れない知的恩恵を受けとってきた吉本さんゆえに、逆にどうしても看過できない。以前新聞記事に触れて論じたが、もう一度。
 まず彼の論を要約してみる。

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 原発は実用化するまでにおよそ100年の月日を要している。それを一度の事故でこれを放棄しようというのは、安易に過ぎる。「人間の進歩性、学問の進歩の否定」になる。
 危険度をゼロにするには、立派な囲いをして放射能を完璧に防げばいい。たとえば高さ10キロの煙突をつくり、放射性物質を人間の生活範囲にこないようにすればいい。原発の問題はお金をかけるかかけないかの問題だ。原発をやめるよりもっと出費がかかっても、技術や文明を発達させるべきだ。それが人類の特徴だ。原発をやめるのは、時代の最高の知性が考え実用化した技術、進歩を大事にする近代の考え方そのものの否定になる。
 じっくりと問題と向きあい、「賛成派は保守、反対派は革新」という単純な二元論を昇華した先でやめる結論に達したら、やめていいと思う。しかし今の段階でやめるのは中途半端で、人類の歴史を否定することになる。先の戦争の敗戦は、進歩を軽んじてきたからだ。進歩を軽んじずに、苦しくても先につなげるべきだ。
 日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ。反対派も推進派も脅迫を使っているからだめだが、より問題なのは前者(反対派)だ。「内臓も肉体も(放射能に)当たらないようにする」「防御装置を作ってその上で原発を上手に使う」のが唯一の使い方だ。
 原発一つを廃棄するにも厖大な予算と労力が必要になる。廃棄の方法をみんな考慮したら、「それだけで神経衰弱になってしま」う。「一度発明した技術を捨て去ることはそれほど難しい」。「すでに原発というものを実用化した以上、それを完璧なものにしていく努力こそ必要」だ。
 放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だ。
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 いくつかの論点がある。

◎散らかしっぱなし、やりっぱなし

 吉本さんは、原発をやめることが「進歩性、学問の進歩の否定」になるという。だがこの学問、科学とは、無邪気な子どもが知的好奇心ゆえにさまざまに遊んでも後始末はしないケースの、「散らかしっぱなし」と同じだ。なぜなら、生産過程で発生する放射性廃棄物や核のゴミをまともに処理できる技術をもたないからだ。やりっぱなし、散らかしっぱなしの技術にすぎない。そこにとどまっている。行ったきりだ。帰り道がない。それは西欧的知にほかならない。手に負えないものをつくっておいて、廃棄物は知らん顔は、「人間の進歩」とは言うまい。

◎「科学・学問の進歩」

 「科学の進歩」「学問の進歩」を否定はしない(なにを「進歩」というかは別として)。だが、この「進歩」のために、一般人たちが犠牲にならなければならない理由はない。吉本さんが終始一貫してこだわってきたはずの「一般大衆」を犠牲にするいわれはない。被害を蒙るのは、どうしてもやりたい学者さんや財界人、為政者に留めておくべきことだ。それが守れないならやめるべきで、原発で働く労働者はもとより、実際に一般に被害をもたらすべきではない。他者に根底的な被害を及ぼす技術、知を「科学の進歩」「学問の進歩」とはいわない。たんなる知的好奇心のわがままにすぎまい。

◎研究と運用・実施

 たしかに吉本さんがいうように、どんな知的な好奇心、研究も力によって否定してはならない。だが、それと現実の運用(原発稼働)とは分けて考えなければならない。廃棄・処理方法がまったく確立されていないのに運用がなされるべきではなかった。逆に、そもそも廃棄や処分の方法、技術が決まっていないのだから、すでにある厖大な核のゴミについて、これからも「研究」してもらわねば困る。責任がある。

◎自然との親和性の喪失

Kouyoukyoto  放射性物質による汚染は、自然との親和性を失わせる。ここでいう「自然」とは、人間の手が及ばないような、あるいはかつてあったと夢想してユートピア風に描く自然のことではない。いまわたしたちが生きている空間としての自然だ。つまり空気であり、水であり、雨であり、土である。わたしたちはこうした自然の恩恵ゆえに生きることができている。生きることの基本を支えてくれる基礎的自然との親和が失われつつある。朝起きて、窓を開け、青空を見上げて大気を胸一杯に吸いこむ――そうした素朴な行為も「科学の進歩」の犠牲にされねばならない。
 吉本さんのように考えれば、科学や学問の「進歩」が自然を放射性物質で汚染させても、それに対抗する科学マスクや科学的水・土壌フィルター、あるいは食物の汚染を除去するフィルターを科学・学問の力で開発し、それらをもらって放射性物質から身体を守ればよい、ということになるのだろうか。仮にそれらが可能になったとしても、そうした「進歩」の技術装置を子どもたちに負わせるのか。それは進歩の転倒ではないか。
 少なくとも、放射性物質の拡散・汚染は、大気、水、土という日々刻々わたしたちを生かしてくれる自然との親和性を失わせる。その局所的現れが、原発近くに住んでいたひとたちの「故郷」からの追放にほかならない。大地、海洋、食物の汚染も同様だ。吉本さんは自動車ができて交通事故で毎年たくさんの人が死んでいるではないか、という。だが、放射性物質汚染は、それら近代技術が生みだしてきたものとは次元が異なる。中沢新一さんの『日本の大転換』のことばを使えば、生態圏の外にあったものを無媒介に持ちこんでいる。

◎「脅迫」と断じる脅迫

 吉本さんは「日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ」という。たしかに過剰なところもあるかもしれない。だが、それはわからない、わからなすぎるからだ。その怖さはこのくらいですよ、と確定的なデータがはっきり示されれば、心的アレルギーが「異常」か否かの判断ができる。だが、まだ確定的なことがいえない。チェルノブイリ事故でもまだデータが揃っているとはいえない。十年単位、いや百年単位でみて、そのうえで「異常」かどうか判明するのではないか。
 わたしや吉本さんのように歳を重ね、もう遠からず、という人はよいが、子や孫たちに「空気や食や土壌や雨に対する警戒の必要なんてない、そのアレルギーは異常だよ、異常にすぎるよ」と言いきれるのだろうか。原発周辺から移住した人たちは、異常にすぎないのか、あるいは移住を指示したのは為政者の脅迫にすぎないのか。
 吉本さんはこういう問いかけを「脅迫」というのだろうが、わたしには子どもや孫に「そのアレルギーは異常だよ」というほうが「脅迫」のように思える。親やじいさんの気持は、吉本さん自身がよくよくわかっていることだろう。

◎民営(株式会社)が見えていない

 吉本さんはインタビューの最後に、国家消滅の方向を示したレーニンの『国家と革命』に触れている。放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だと。核のゴミも含めて防御装置を完備させることができるとはとても思えないが、もし仮にできたら、東電、国家機構を解体して「民衆の手」に委ねることが重要だ、という。
 『ハイイメージ論』でも同様だが、吉本さんは今日の社会的諸関係の組み替えをまったく想定していないから、「民衆」とは具体的には民間企業、株式会社(にいる人々)だろう。
 だが株式会社は、害がなくなる百万年といわないまでも、一万年、千年、いや百年先の安全性、防御策(廃棄・処理)に厖大な桁外れな資金など投じてはいられない。いま・ここの利益を求めるのだ。そんなことをやっていたら、企業を維持できないし、株主から経営は糾弾される。適当な期間、費用で誤魔化すしかない。それは経営者の非でもなんでもない。今日の社会のもとで株式会社(民衆の手)がとらざるをえない必然だ。安全性に多少の疑義があっても、その解消に厖大なコストをかけたら赤字倒産を招くから、そんなことはしない。当面の利益、短期・中期・長期(せいぜい10年)の利益を確保しなければならないのだ。それは企業人の人間性が「悪」であるからではない。まっとうな経営者なら採算に合わない、あるいは労働者被曝は避けたいと手を引くし、なんとしても今儲けたいと必死な経営者なら、完璧な防護などできなくても「一万年安全です」と宣言して、今の利益を求めるだろう。そう強いられているのだ。そういうことに思いを致さないで、いいかえれば今日の社会的諸関係の変革に触れずに、「民衆の手」に委ねる(民営化)などあってはならないことだ。

 雑誌の編集後記をみると、吉本さんはインタビューをした編集者さんに「エセ共産主義者」への注意を喚起した様子だ。二〇世紀後半の「スターリニスト」「ソフト・スターリニスト」をいまだに対抗イメージとして『反原発』異論を主張している。たしかにいまだって、一部政治党派や知識人、メディアにはそれに該当する部分がある。けれども3.11後の原発への大衆的批判は、少なくともそんなものとは無関係だ。「賛成派は保守、反対派は革新」という「単純な二元論」なんてすでに「昇華」されている。

 老いやさまざまな病いを抱えながらも、つねに情況への発言を怠らずにいる吉本さんの姿勢には今も頭が下がる。必死で思考していると思うからこそ、そしてこれからも彼のこれまでの営為と対話したいからこそ、あえて再度批判をさせてもらった次第。

2011年9月20日 (火)

立錐の余地もない明治公園

~「さようなら原発 5万人集会」~

 60年代、70年代、なんだかんだと、ここでの集会・デモに参加したが、これだけぎっしりと埋まり、立錐の余地もない明治公園をみたのは、初めてのことだ。公園の周囲にも、入りきれない参加者たちがたくさん溢れていた。
Sayonaranukes1  「9.19 さようなら原発 5万人集会」は、午後1時から東京・明治公園で開催。そのあと、渋谷、原宿、新宿の三ヵ所へ分かれてパレード(デモ)となったが、その出発時もまったく身動きのとれない状態が長いこと続くほどの参加数。脱原発の強い意思で埋められた。
 集会中の呼びかけ人たちの発言はあまり聞きとれなかったが、澤地久枝さんの言葉がじわりと染みてきた。

 主催者発表(6万人)と警視庁発表(2万7千人、3万人)の数値が倍以上違うのは、昔と変わらないが、今回は主催者側発表の参加者数がそうとうにリアリティをもっていた。
Sayonaranukes2  労組等のお決まり組織、団体だけでなく、広汎な市民の会、個人参加がとくに目立ち、宗教団体に至るまでじつに多彩で、若者、家族連れ、六十代、七十代に至るまで、世代もじつに幅広いものだった。

Sayonaranukes3  処理がままならないゴミを、生態圏にこれ以上増やし続けない方向にもっていくことは、これからつながれる「いのち」(類)への最低限の責務と思う。

2011年5月 1日 (日)

『「絵のある」岩波文庫への招待』

 京都に仮住まいしていたとき、百万遍にある思文閣美術館で「谷崎潤一郎と京都」という展覧会を見たことがある。初夏の日曜日だったか、たしかバスで出かけた。
 小さな美術館でしかも人影まばらな室内。潤一郎の妻松子の連れ子の妻(渡辺千萬子)と、谷崎のフェティッシュな交流が垣間見られたのが印象に残っていた。彼女の足のサイズとか型についてのやりとりがあったと断片的に記憶している。

Iwanamibunko  そんなことをふと想い出したのは、坂崎重盛著『「絵のある」岩波文庫への招待』を開いていたときだった。「絵のある」岩波文庫の数々を自由気ままに紹介しているエッセイ集で、シャミッソー『影をなくした男』、『カフカ寓話集』の次のページを開くと、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』、『小出楢重随筆集』の二冊がテーマになっていた。
 そこで坂崎さんは渡辺千萬子さんについて触れていた。谷崎から自分の頭を踏んでくれと頼まれて千萬子さんがそうしたことがあるという件が引用されていた。「下世話話大好きな私」と坂崎さんは記しているが、私もこういう話は嫌いではない。
 坂崎さんの筆は、ここから画家小出楢重と谷崎の創作上のからみへ展開していく。引用された挿絵も改めて眺めると楽しい。

 ここで、『瘋癲老人日記』の颯子のモデルともいわれる渡辺千萬Hakusasonsou 子さんが、画家橋本関雪の孫娘であることを教えられた。橋本関雪といえば、大正・昭和に活躍した日本画家で、銀閣寺近くに居を構え、邸宅は今は白沙村荘(橋本関雪記念館)として公開されている。わたしも何度か散策したことがあるし、仕事でも一度使わせていただいたことがあった。銀閣寺や参道に近いわりには、喧噪はほとんど耳に入らない静かな庭だった。たしか松竹梅だったか、宇野重吉が登場する日本酒のCMでも舞台になったところ。

Cafe_2  調べていたら、渡辺千萬子さんは後に、哲学の道に「アトリエ・ド・カフェ」を開いたという。東山を散策すると必ずといってよいくらい入る店だったが、そこが千萬子さんの店とは知らなかった。拙著『ほっこり京都時間』で紹介したことがある。その店も数年前に経営が変わってしまったが、骨格は変わらず今に残されている。昨年末京を訪ねたときも、その店で体を暖めた。

 『「絵のある」岩波文庫への招待』にあった一文から、思わぬところに発展したが、「絵のある」岩波文庫をキーワードにして 読書の楽しみをさまざまな角度から教えてくれる一冊。分厚いけれど、山本容子さんの絵で飾られたカバーもうれしい。(芸術新聞社刊)

2011年3月19日 (土)

震災後の1週間

◎当日
 11日午後2時46分ごろ、都心から少し離れた西部地域の小宅にも、激しい揺れが襲った。その強さはこれまで体験したことのないものだった。
 SOHOでパソコンに向かっていたとき、突然揺れ出した。記憶では縦揺れではなく、横揺れがどんどん激しさを増した。はじめは本棚、CD棚を押さえたが、倒れる危険を感じ、よけるように部屋の出入り口の柱につかまり、腰を低く構えて凌いた。1分前後揺れていたように感じるが、定かではない。
 書斎では置き方を安定させていなかったスピーカーが棚から落ちたが、ほかの部屋は大きな被害はなく、置物が落ちたくらいですんだ。
 ネットとラジオで情報を収集する。しばらくして固定電話に家族から電話が入る。
 どうせつながらないだろうと思いつつ、子どもたちのケータイに連絡したが、案の定まったくつながらない。家族の居場所は首都圏のはずなので、無事だろうと推測する。
 ちょうど隣地が新築工事中で、地震発生後も建設の作業員さんたちが何ごともなかったようにぶんぶん音を立てていたので、こちらの大地震意識もいささか薄らいでしまう。
 夕刻、娘から固定電話に電話がはいる。新宿中層ビルにいたが、たいへんな揺れで非常階段から降りたという。新しいビルなのに、下のほうの階には壁面にひびが入っていたという。非常階段から降りただろう人たちで新宿の街は溢れかえっているようで、こちらではなかなか想像できない心的パニックが起こっていることが伺えた。長時間並んで公衆電話からかけてきたらしい。
 夜、メディアから仕入れた情報をパソコンから電子メールで伝えると、しばらくして返事があり、電車が復旧したので帰宅したい、とあったが、結局、電車の本数もすくなく駅に人が殺到するので、会社関係のところに泊まるとの報が入る。
 他の娘たちとも連絡が取れ、無事が確認できる。
 この夜は、都心から自宅まで、数時間かけて歩いて帰った人が、知りあいには多い。黙々と歩きながら人生観が変わった人もいたようだ。 

◎翌日
 食を通じた高齢者福祉の協働運動を進めるカミさんは、翌土曜日早朝も仕事に出る。こういうときこそ、安否確認、食の確保という役割がますます重要になる(数日後は、ガソリン不足で、配食サービスの危機を迎えるが、結束して困難を乗りこえた様子)。
 停電に備え土曜日のうちに、コンロ用のガスボンベ3本、単一電池・単二・単三電池を1パックずつ買う。翌日の日曜にみると、スーパーの棚には皆売り切れの表示が貼られていた。いろいろな棚ががらがらに。

◎安否
 福島県にいる親戚、宮城県にいる知りあいにメールをいれる。宮城県気仙沼の人からはいまだに返事がない。住所で地図をたしかめると少し高台のようにみえるのだが、心配だ。

◎計画停電
Ekimae  計画停電が始まった14日朝、私鉄の駅前には長蛇の列。本数が制限されているため、乗り切れず、駅から溢れて長蛇の列を作っているよう。駅に辿り着いた人たちは、わざわざ300メートルくらい先の列の最後尾に並び直す。でもみな、静かに整然と行動している。
 夕暮れ、近所のカフェに入るが、節電しているので暗い。窓辺に座り、プリントアウトした原稿に手を加えていたが、日が落ちてくると読めないので、店を出る。このくらい我慢するのは当然のこと。小さな街の商店もみな照明を落としている。
 計画停電実施前夜から、自宅と、福祉協働職場のグループ分けを東京電力のホームページのPDFファイルで調べるが、該当町名が複数のグループに重複記載されている。どちらなのかがわからないまま、当日に突入する。幸い実施が回避されたので、助かる。あとで市役所ホームページで、最終確認がとれる。やはりWEBのほうが情報入手は確実で早いし、それ以外ない。

◎生産者
 生活協同組合からのメールマガジンでは、提携する宮城、岩手の生産者が、行方不明になったり、生産工場が壊滅的打撃を受けているなど報じている。生産・消費を通じて長年交流も図ってきたグループのようで深刻な事態。できることがみえてきたら応援しなくてはならない。

◎海外から 
 1週間近く経ち、サンフランシスコ付近に住む親友からお見舞いの電話が入る。電話で話している最中も余震がある。彼方では、近所の小さなお店でも、女性店主が震災用の募金箱を店に置いたとのこと。

◎福島原発
 情報収集はテレビ・ラジオが中心で、ネットもみるが、放射能測定量の情報はなかなか探せなかったが、ようやくネットで見つける。量はテレビでは断片的に報じられるだけでは、かえって不安を増幅させたりする。WEBが一番しっかり把握できる。
 首都圏に住むものとしては、原発近辺に住む人たちにはたいへん申し訳ない気持でいっぱいだ。
 気になるのは、テレビに登場する「評論家」「キャスター」「芸人」「記者」さんの一部が、東京電力や政府を「糾弾」すること。低レベルのそれには呆れる。たしかに東京電力の当初の会見など、重大なテーマなのに対応はじつにお粗末だった。だが、今必要なのは「糾弾」ではない。発言する方々が「偉い」のは十分わかったので、扇情的な糾弾だけはやめていただきたいものだ。大人げない。
 新聞の原発事故の取り上げ方は、各社ずいぶん違う。これまでの原発への姿勢がそうさせるのだろう。

◎仕事
 以前から予定された都内での取材仕事はとりやめとなり、別の手段を講じることに。他の仕事はすべてネットでやりとりしているので、計画停電が長時間に及ばなければ、あまり影響はない。自宅待機措置をとった企業も多いようだ。

 すでに1週間を過ぎた。できることから、始めさせてもらおう。

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