2011年9月20日 (火)

立錐の余地もない明治公園

~「さようなら原発 5万人集会」~

 60年代、70年代、なんだかんだと、ここでの集会・デモに参加したが、これだけぎっしりと埋まり、立錐の余地もない明治公園をみたのは、初めてのことだ。公園の周囲にも、入りきれない参加者たちがたくさん溢れていた。
Sayonaranukes1  「9.19 さようなら原発 5万人集会」は、午後1時から東京・明治公園で開催。そのあと、渋谷、原宿、新宿の三ヵ所へ分かれてパレード(デモ)となったが、その出発時もまったく身動きのとれない状態が長いこと続くほどの参加数。脱原発の強い意思で埋められた。
 集会中の呼びかけ人たちの発言はあまり聞きとれなかったが、澤地久枝さんの言葉がじわりと染みてきた。

 主催者発表(6万人)と警視庁発表(2万7千人、3万人)の数値が倍以上違うのは、昔と変わらないが、今回は主催者側発表の参加者数がそうとうにリアリティをもっていた。
Sayonaranukes2  労組等のお決まり組織、団体だけでなく、広汎な市民の会、個人参加がとくに目立ち、宗教団体に至るまでじつに多彩で、若者、家族連れ、六十代、七十代に至るまで、世代もじつに幅広いものだった。

Sayonaranukes3  処理がままならないゴミを、生態圏にこれ以上増やし続けない方向にもっていくことは、これからつながれる「いのち」(類)への最低限の責務と思う。

2010年8月22日 (日)

海と戯れ

 海へ出かけるのは年に一回くらいになってしまい、久しい。
 今年も葉山近くの海へ出かけた。
 いつも出かける浜も、今年は海の家が減っている。数年前までは四軒前後はあったが、今年は二軒だけ。サーファの数も減っているようだ。

Sea20102

 毎年二、三百メートル先にある岩場まで泳ぐ。これまではクロールでゆっくり泳いでも一、二度は顔を上げて小休止したが、今年はクロールで一気に岩場まで気持ちよく泳いだ。水温が高かったこともあるが、泳力だけは落ちていない。

 なんとしても海辺で ビールを飲みたいという欲望も少なくなり、夕暮れに飲むビールの量も減ってきたが、泳ぎ、沖へ出て仰向けになって海のざわめきを体内に取り入れてその響きを楽しもうという欲望は決して失せない。海でのそういう行為、遊戯は、心身の存在のありようそのものと共鳴しあっているからだろう。

Tamba4_2

TAMBA4:WE AND THE SEA

2006年7月 8日 (土)

「ロハス」の「自由化」をめぐって

Lohasnews

○「ロハス」は商標登録申請されていた

 少し前に朝日新聞に「ロハス」=LOHASについて、面白い記事が載っていた。
 ロハス(LOHAS)が二つの企業によって商標登録申請されていたという。
 ひとつはスローライフや最近ではロハスをコンセプトにした雑誌「ソコトト」を出版するトドプレス。もうひとつは三井物産。

「ロハス」ということば、2年ほど前からだろうか、日本で聞くようになった。かつてサイトでの解説を引っ張ってくれば、以下のようになる。

===========
ロハス=LOHASとは、Lifestyles Of Health And Sustainability の頭文字をとった造語で、健康な生活、地球環境の持続可能性を重視しようとするライフスタイルということになる。アメリカの社会学者ポール・レイさんと心理学者シェリー・アンダーソンさんが提唱する。
===========

 その概念に起業家が賛同し、アメリカではマーケティング用語として広がる。
 日本ではしばらく前から雑誌で目にしたり、ラジオで耳にしてきた。とりわけ雑誌「ソトコト」あたりは、いわばその牽引者だった。
 記事では、この「ロハス」については、「ソトコト」を出版するトド・プレスが商標登録を2年前に出願した。そして三井物産もそれに続いた。こうして「ロハス」を使用しようとする他企業から商標使用料をとれると踏んだ。
 少し遅れた電通は、ロハスは一般名詞だから宣伝文句に使うだけなら商標権侵害にならないだろうと、ある家電メーカーの製品に「ロハス」を使い始めた。これにたいして、トドと三井物産側が「不快感」を示し、以降「ロハス」を広告に使うのを敬遠するようになったという。こうして他の大手企業もそれに続いたという。

 「ロハス」の露出が抑えられると、結局、トド・三井物産側にとっても好ましいことではないと、この春から、両者は商標使用料をとるのを諦めた、という。
 こうして遅まきながら「ロハス自由化」のときが訪れ、大手企業らは商品開発に力を入れようと動きだしている。
 こんな経緯だ。

○記事にあるロハスの意味

 この記事を読み、おさえておきたいことがいくつかある。
 火付け役の雑誌版元と大手商社が商標登録をして「ロハス」ビジネスで儲けようとしたこと、「ロハス」のコンセプトがものを購入する「消費」という視点に絞られてとらえられていること、大手の企業戦略に載らなければ「ロハス」ということばも露出、「流行」にならない、ということなど。

 所詮「ロハス」も日本では企業ベースでの動きでしかないということ。ここにも、なんでも呑み尽くし自己増殖しようとする資本制の力をみることができるし、ぎゃくにそれに呑まれなければ流行りにもならないということ。

 こうした事実を挙げれば、すぐに想定される言説がある。なんでもビジネス(商売)にして儲けようとする企業への批判だ。それはいつも変わらぬ光景である。
 こうした企業批判を着地点にして、利潤追求する企業の汚れからは自立した「心」や「良心」を表出して安住する姿勢。なにもこれを否定することはないけれど、それは、ビジネスとしてひと儲けしようとする企業や動きと、じつは構造としては表裏一体にすぎないのではないか。

 このあたりについてはもう少し詳しく論じるべきだろう。
 (重くなるので、以降はこちらへ)

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