2014年12月29日 (月)

2014年の七つ

○エリック・クラプトン 武道館ライブ 2.21
 「来日40周年記念公演」と銘打たれたツアー。これまで何度か彼の武道館ライブに出かけたが、今まででもっともハードに徹した演奏だったように感じる。間もなく70歳とは思えぬ。力をもらう。

○高千穂の町と神楽
 「神話の故郷」として知られる高千穂。
 かつて国家の統治(政治)には「始まりの物語」が欠かせなかった。力の掌握と維持を理由づける根拠づくりは切実で、現実からの「超越」がどこかに示されなればならない。
Takatiho3_2 「神が降りた地」として挙げられる高千穂。けれども、夜の高千穂神社で毎
晩演じられる高千穂神楽は、厳かな「超越」を引き下ろす面白さに溢れている。4作ほど演じられたが、とくに興味深いのは「御神躰の舞」。別名「国生みの舞」。神話通りイザナギとイザナミが(酒を造って)抱擁しあう。神話世界が、笑いを誘う神楽となる。庶民のしたたかさを感じる。
Takatiho1 翌朝、町のコミュニティバスの始発に乗る。乗客は私一人。手入れされた棚田を車窓から眺めながら向かったのは、天岩戸神社。西本宮の遙拝所から、岩戸川を挟んで対岸の岩山に目を遣ると、アマテラスが隠れたという「天岩戸」がうかがえる。そのように、神職の方から説明を受ける(撮影禁止)。
 続いて岩戸川の渓流添いに道を下ると出現した天安河原は、アマテラスが岩戸に隠れてしまい、困った八百万の神々が相談したという場。早朝で、はじめにいたカップルが去ったあとは、私だけ。河原には小石がいたるところに積まれている。神々が集ったと物語られる洞窟内に立ち、水しぶきを上げる急流の岩場や向かいの山を仰ぎ見ていると、冷気と霊気に包まれ、怯えすら覚える。10分ほどで立ち去りたい気分に。
Takatiho2_2 もうひとつ、観光スポットである高千穂峡へ。大方の観光客は自動車で曲がりくねった道を簡単に降りるが、私はまち中から歩き、重いバッグを背負い汗を流しながら降りた。両側を高い崖で挟まれた渓谷はたしかに絶景。秘境の趣きが深まる。
 こうして散策してみると、高千穂が神が降りたという物語を演出するのにふさわしい土地であることはたしか。こじんまりした町中を歩けば、子どもたちから大人まで皆さん、私のような行きずりの旅人に挨拶の言葉をかけてくれる。大都市の街ではみられない。ありがたく受けとめ挨拶を返した。バスセンターに貼られていた写真にみえるかつての街並の勢いは薄れていても、滞在日程を延ばしたくなる町だった。

○『資本主義の終焉と歴史の危機』
 水野 和夫 (集英社新書)
Sihonshuginokiki すでに2年前に出た前著『世界経済の大潮流』に引き続き、資本制の危機(と終焉)を改めて丁寧に展開している。「成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう」今日の資本制の限界を省みずに、無理やりの「成長」薬を注入する現政府のやり方は、必ず怖い反動をもたらすにちがいない。「タイム・イズ・マネー」の時代は終焉を迎える、そう言い切る勇気をもつ著者は希有な存在。「西欧の終焉」をも告げる。

○宗像大社国宝展(出光美術館)
 自然との対話を、西欧キリスト教宗教学者タイラーは「アニミズム」と定義したが、そうした狭いとらわれを破ってものごとを考えるべきことを改めて教えてくれる。

○折口信夫の論考Origutitenno_2
~『折口信夫 天皇論集』(講談社文芸文庫)&「大嘗祭の本義」(『古代研究Ⅱ』所収)~
 「罪」、「負い目」の発生について深い考察を残し、近代を超える存在観を巡らすにあたりさまざまなヒントを与えてくれる。

○『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ
 「借り」(負債、負い目)から文明観(哲学)をとらえるユニークな書。同時に、西欧的視点の限界も示している。

○『あたりまえのこと』樫山欽四郎
 古書店で手に入れる。
 たとえば、こういうフレーズがある。
 「科学自身は限界をもっている。それは人間に限界があることに由来する」。
Atarimaenokoto_2 1978年の出版だが、このフレーズは、半世紀以上前の1961年に書かれたエッセイにある。ヘーゲル哲学研究者である樫山さんが遺した「あたりまえのこと」は、今に至るも「近代の限界」を見ようとしない思考を厳しく批判する。
 じつに大きな思想的恩恵を私が受けてきた吉本隆明さんもまた、徹底して近代の刻印を受けている。科学技術の課題は科学技術によって解決するしかないとして、脱・反原発の論を彼は批判した。吉本さんのいう「科学技術は科学技術で……」という論はその枠内ではじつにもっともなこと。であるなら、廃棄処分も技術的解決に決着をつけられるまでは、そもそも原発を稼働させるべきではなかった。当然今日も再稼働されるべきではない。
 樫山さんの言のとおり、科学自体が限界をもっている。人間は具体的な場でしか生きられないという制約(限界)のもとで生きているからだ。そういう人間存在の負い目を「近代科学の絶対性」は問おうとしない。「人間が絶対」であろうとする近代の特徴は、科学技術と経済に示される。限界をもつ「科学」は、「科学」の外側から相対化されるしかない。そうした視線を、「素人」とか「人間(の進歩)を否定する」とか「軟弱・センチメント」(石原慎太郎)等の言辞で排すること自体、徹底した近代主義にほかならない。反・脱原発は、近代の「正義」や「イデオロギー」次元のことではない。
 福島第一原発の事故とその後、被災者と地域がこうむっている状況の重さは、いささかも軽くならない。

2014年6月12日 (木)

『谷川雁 永久工作者の言霊』

『谷川雁 永久工作者の言霊』松本輝夫(平凡社新書)

Tanigawagan 谷川雁という名は、メタファーを駆使した詩人、筑豊のサークル村運動、大正炭鉱闘争、(吉本隆明・村上一郎とともに)「試行」創刊同人などとして語られることが多い。いずれも一九六〇年代前半までの話だ。
 そのあと世に突然その名が浮上したのは、七一年のテック労働争議(刑事弾圧)に経営者として関わっていたことがニュースとして否定的にとりあげられたときだった。そして以降は再び消えてしまった。彼の名を知る人にとっては、そんなふうに意識の水面で浮沈していたのが一般的だったと思う。

 しかし、そんな見方をがらりと改めさせてくれるのが『谷川雁 永久工作者の言霊』。筑豊を離れたあとの「沈黙の一五年」と言われた時期のテック(のちのラボ教育センター)での活躍、さらにテックを追われたあとの活動に光をあて、東京へ出てからの活動が、筑豊での運動と通底する志をもったものであることを明らかにしている。

 著者は谷川雁を慕いテックに入ったものの、職場では労使関係で対峙し、またのちに雁をテックから追放せざるをえなかった中心メンバーでもあった。しかし本書では、彼をこき下ろすのではなく、といって絶対視するのでもなく、適度な距離を保ちながら、しかしその思想性については敬愛し、彼の魅力と志をていねいに描いている。近年谷川雁研究会を立ちあげて主宰し、研究を続けてきた著者の取材力と筆力が冴える。
 新書判なので、原稿をかなりカットせざるをえなかったようだが、逆にコンパクトゆえに、雁の生涯の輪郭が鮮やかに示されている。若い世代にも近づきやすいはず。
 ここで掘り起こされた雁さんのフレーズに接すると、たしかに六〇年代後半の全共闘運動にも少なからぬ影響を与えていたのだな、と教えられる。
 読み終えて思うのは、雁さんはよき対立者、理解者、後輩に恵まれたなあ、もって瞑すべし、というところ。

 「三・一一」で現代文明が根底から揺らぎ始めた今こそ、学ぶべき知恵、参考にできる手がかりが雁さんにはたくさん秘められていると、本書は強調する。現代の行きづまりを打開する力をもっていると評価を加えている。たとえば、戦争と敗戦によってさえも辛うじて残り続けた縄文以来の「日本の村と自然生態系」が、その後のわずか数十年の高度成長によってトドメをさされて一挙に解体した、と見抜いた雁の彗眼を指摘する。たしかに「独創的な高度経済期批判」である。

 さて著者は、谷川が「下部へ、下部へ、根へ、根へ、」と歌い、下降しながら「存在の原点」、「万有の母」を探求した試みに、「縄文の心」を重ねている。
 かつて「試行」の仲間だった吉本隆明は、上にいくこと(世界の高次化)と下にいく(アフリカ的段階に降りる)ことが同じであるような方法を追求した。しかし、晩年の表現をみるかぎり、残念ながら引き裂かれていた。あえてそれをさらけ出したところに、吉本さんの真摯さをみることができる。
 吉本と異なり雁さんは、「無名性」の「集団創造」という方法によって、「下部へ、根へ、」の「原点」を探ろうとした。いや、そういう志向性自体に原点をみようとしたのかもしれない。
 ひとことだけ感想を添えれば、吉本とは異なるその作業もまた難しいことにおいては変わらないのではないか。それは「問いの立て方」に関わる。そもそも「工作者」「無名性」「根」「存在の原点」という立て方……。私自身の課題でもあり、別の機会にさらに論じてみたい。

2013年12月31日 (火)

今年の10点 ~2013年~

 今年の前半は吉本隆明論(『吉本隆明と二つの「敗戦」』)の執筆・編集、後半は次のテーマの執筆にとりかかり、ほとんどその二つに集中した一年。
 そんな中、合間に接して印象に残った作品は――。

○エリック・クラプトン『OLD SOCK』

Old_sock  御年68のクラプトンのアルバム。ジャケット写真の彼は、好々爺といった感じ。私にも馴染みのある曲がたくさん選ばれ、演奏は豪華な顔ぶれが脇を固めている。
 「ALL OF ME」はポール・マッカートニーがアップライト・ベースとヴォーカルで参加。ゲイーリー・ムーアの「STILL GOT THE  BLUES」は大好きな曲だったけれど、そのアルバムをなくしていた。ハモンドオルガンのスティーヴ・ウィンウッドの参加を得て、名演奏。今年一番聴いた曲かもしれない。

○宮崎駿『風立ちぬ』

Kazetatinu_2   宮崎駿さんのアニメーション映画を劇場で観るのは、この作品が初めて。これまで熱心な受け手ではまったくなかった。
 概念としての「自然」ではなく、風や雲、草木、水の動きや音、大地の生成……ああ、この人はこれらをていねいに描くことに燃え、とことんこだわっているんだな、と気づく。二度映画館に足を運んでしまった。

○九鬼周造『いきの構造』

Ikinokozo  祇園から人力車で京都大学に通い教壇に立ったという伝説をもつ九鬼周造、昭和五年の書。

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「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。
~~~~~~~~~~~

 九鬼と交わりのあったハイデガーが、とても理解できないとした「いき」についての、みごとな文体の論考。もちろん危うさも潜んでいる。

○ジャン=ポール・ジョー監督『世界が食べられなくなる日』

Taberarenakunaruhi_2   分子生物学者、ジル=エリック・セラリーニ教授が行った、遺伝子組み換え作物をラットに与えた世界初の実験。前世紀に生まれた「遺伝子組み換え」と「原子力」という二つのテクノロジーをめぐって警鐘を鳴らすドキュメンタリー。

○水野和夫『世界経済の大潮流』

 刺激的な資本主義論。こういう経済学者さんにもっともっと頑張っていただきたい。
 
○中沢新一・國分功一郎『哲学の自然』

 同感するところ、多し。

○藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』

Satoyamashihonshugi  とりあげられたさまざまの事例に刺激を受ける。

○堤未果『(株)貧困大国アメリカ』

 「自由」と「民主主義」の大国の惨状は、他人事ではまったくない。

○エル・グレコ展(東京都美術館)

○吉本隆明『開店休業』(追想・画 ハルノ宵子)

 吉本さんが最晩年に書いたエッセイのそれぞれに、長女ハルノ宵子さんが追想(コメント)を付けたもの。ハルノさんの追想から、吉本さんの思考と嗜好を裏づけるいくつかの事実を知る。彼が化学調味料「味の素」を発売当初からずっと「信奉」し、梅干しなどには「真っ白の雪山のようになるまでかけ」ていたこと。奥さんの和子さんが「料理を食べることも作ることもまったく愛せなかった」ということなど。意外であったが、よくよく考えると、なるほどと合点がいく。拙著で示した吉本さんの農業論、食のとらえ方の背景と符号する。
 来年「吉本隆明全集」が晶文社から出るようだが、その刊行にあたり二人の娘さんが寄せた文章はじつに味わい深い。

2013年8月26日 (月)

毎日新聞に書評(『吉本隆明と「二つの敗戦」』)

 毎日新聞8月25日付朝刊(東京本社版)の「今週の本棚」に、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』の書評が掲載された。

 その中から二箇所、フレーズを引かせていただく。

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吉本の思想形成の原点から丹念に彼の思考の方法論を押さえてたどるだけに、著者は吉本の原発論における飛躍と晩年の「引き裂かれ」を見逃さない。
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吉本への感謝と批判を経たうえで近代の超克として、人間の「生」を贈与として受け止める著者の新たな発想が提示されている。それは吉本が晩年提唱した「存在の倫理」を深める試論として注目される。
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「Myaku」17号に『吉本隆明と「二つの敗戦」』書評

 「Myaku」17号(8月20日発行)に、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』についての書評が掲載された。
 雑誌「Myaku」は、沖縄で「島尾敏雄論」などの評論や詩、小説を長年書いてきた比嘉加津夫さんが編集・運営する雑誌。「島尾敏雄と写真」、「今再び高木護」などの特集を毎号組んで話題を呼び、その持続的な活動は高く評価されている。
Myaku17  那覇出身の詩人「山之口 貘」を特集した今回の17号の書評コーナーに、「吉本隆明への入魂の讃歌であり、かつ決別の書でもある」というタイトルの拙著書評が掲載された。評者は松本輝夫さん。

 松本さんは、谷川雁との出会いが機縁でテック(のちのラボ教育センター)に入り労組活動で谷川と対峙したが、のちに経営参画。現在は谷川雁研究会代表、言語学者鈴木孝夫研究会(タカの会)代表などを務める御仁。これまで論じてきた谷川雁論をまとめて単行本にすべき作業に追われ、いまは多忙を極めているはずだが、「Myaku」側の依頼に応え、7ページに及ぶ渾身の批評を寄せてくれた。

(ここでは、三箇所だけフレーズを引用させていただく)

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……、本書は、とよだの人生にあって多大な収穫とともに消し難い傷痕も残したにちがいないくだんの長期争議中を含めて長年にわたって大きな影響をうけ、精神の支えともなってきた吉本隆明への、彼の死をうけてのとよだならではの入魂の追悼とオマージュの一冊である。本書全体からとよだの真摯な謝念の声が聞こえてくるはずだ。
************

************
……、同時に本書は感謝の限りを尽くしての吉本讃歌であるとともに、その上での吉本との決別の一書でもある。こう評されることはとよだ本人にとってはもしかしたら不本意であり、抵抗感があることかもしれないが、よく読めば実質的には決別、あるいは恩返し的脱吉本の色合いが濃厚な吉本論になっているはずだ。そして、ここにこそ、つまりはこの二重性というか卓抜に均衡のとれた双面性にこそ、この一冊のかけがえなき特長と面白味、格別な存在理由があると言ってもいい。
************

************
とよだが、相当に長く親密な吉本との「心的価値」交換の歳月を経て、最後の吉本の到達点である「存在の倫理」の吟味も丁寧に行なった上で、その先に行かんとして、「贈与存在の倫理」へ! と高く志を打ち出した構えにも拍手を送りたい。
************

2013年6月20日 (木)

「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿

紀伊國屋書店の電子書籍として
GN21「人類再生シリーズ⑧」の
わたしたちは二十二世紀を望めるのか
が刊行された。
紀伊國屋書店の電子書籍アプリ「Kinoppy」にてダウンロード。
定価500円(税込)

小生も「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿。

【目次】Proposal_2013_2

○序章
山折哲雄:未来を紡ぐ智慧を
板垣雄三:悲観的楽観主義で生きのびる
○第1章 いのちを甦らせ、自分らしく生きる 
上倉庸敬:ひたむきに愛と死を生きる-イーストウッドと小津の映画から-
宇野木洋:明日の日本に生きる魯迅の言葉――絶望から/希望へ
ムラリス:広く文学を通し、グローバル化時代の多様な文化と心豊かな生き方! 
金守良:胃瘻を巡る諸問題 -人ひとりの尊厳死とどう向き合うかー
工藤孝司:生死の視点を活かす「学び」を
片岡幸彦:「老病死生」を生きることこそ「人生の真髄」ではないか
○第2章 ライフスタイルを変える 
とよだもとゆき:生産・労働と消費の関係を見直す ~新しい「スローワーク」論の勧め~
樺島勝徳:東洋的身体観を身に付け、心身共に鍛え、自信をもって生きる道
中川 恵: 自己表現と民主化-アラブ世界の変革とこれからの日本人の生き方-
高垣友海:グローバル化社会における「言語政策」への提言
桂良太郎:自然力を文化力に!-新しい里山学への誘い-
北島義信:地域と食文化 - 伝統的食文化としての「報恩講汁」と地域再生
○第3章 コミュニティを再生する 
池田知隆:新・学問のススメ -独立自尊から独立共尊へ-
八木啓代:インターネットメディアが動かす市民革命
蔡明哲:企業活動に生かすための儒教(論語)の現代化
石崎晴巳:「世界史」の構築と共有を
竹谷裕之:ネットワーク構築による地域力再生をベースとする生活再建
古田元夫:東アジアの共通教養である漢字文化の再興・交流を
○第4章 新しい社会システムをつくる 
小林 誠:超えられた国家主権の明日を考える、コスモポリタリズムの未来
レズラズィ:未来を冷徹に予測する ―「アラブの春 」の社会経済的コスト―
嶋 努:これまでの経験を踏まえて、優れたリーダーの条件について提言する
マルチノ:EUのエネルギー政策における「市長誓約」の重要性
渡辺幸重:大震災の原発事故から「やさしさと善意を基盤とする社会」を考える
安斎育郎:脱原発社会の構築に向けて
○終 章
片岡幸彦:「文化が政治を変え、社会を変え、世界を変える」
あとがき 
執筆者紹介

写真は刊行記念イベントでの山折哲雄氏

Yamaorisi

2013年6月 8日 (土)

『吉本隆明と「二つの敗戦」』

拙著新刊!
『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~
(とよだ もとゆき)

 昨年(2012年)亡くなった吉本隆明さんは「敗戦」を二度迎えている。一度目は1945年二十歳の夏。そして二度目は、自ら「第二の敗戦期」と表した近年(晩年期)。その象徴が「3.11」の福島第一原発事故だった。
 前者は、近代戦における日本の敗北だった。しかし、後者は近代戦における敗北ではない。近代(を極めた現代)自体が敗北を迎えた、ととらえるほかない。Yosimotohutatunohaisenn2
 質を異にする二つの「敗戦」は、彼の思想営為にどんなことを強いたのか。それを探りながら、近代(を極めた現代)を超える方向を本書で考えてみた。

 主な問いを列記してみる。
○なぜ「科学の進歩」を止めてはならないとして「反・脱原発」を苛烈に批判し、それを「原発稼働」と直結させたのか。
○思想営為の基本に据えた「大衆の原像」というOS(オペレーティングシステム)に、なぜ最後までこだわったのか。それはもはや時代にそぐわなくなくなり、切り替えが必要だったのではないか。
○以前から小林秀雄の限界を指摘し、「小林秀雄ってダメだね」と厳しく断じていたにもかかわらず、現在を「第二の敗戦期」とした晩年になると、敗戦後の小林秀雄の言、「僕は無智だから反省なぞしない」を強く評価するようになった。いったいなぜか。
○ヘーゲル・マルクスの歴史観を批判して「史観の拡張」をめざしたが、彼らのそれをほんとうに超えたのだろうか。
○農業問題に触発された「贈与価値」論、さらに晩年提示した「存在の倫理」は、「現代の超克」の方向を指し示しているのだろうか。
○2008年、従来の自らの営為とぶつかるような意外な慨嘆を漏らした。それはなにゆえか。

『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~

(とよだもとゆき)
四六判 184ページ 定価1,500円(税別)
発行=脈発行所
メールアドレス higa20@nirai.ne.jp (電子メールで注文可)
その他京都・三月書房、一部大型書店で(「地方小出版流通センター」取扱)

目次等、詳細はこちら

2013年5月23日 (木)

梅原猛『人類哲学序説』

 福島第一原発事故後、自らの過去も含めて痛恨の想いを吐露していた梅原猛さんの新著で、講演をベースに加筆したもの(岩波新書)。
 大震災と原発事故がこの本を書かせることを決意させたと、あとがきに記している。「原子力発電を主なエネルギー源とする現代文明のあり方をそのものが問われなければならない」と。事故はまさに近現代の極みに逢着した事態であり、同意するしかない。
Photo  『人類哲学序説』というタイトルについては、つぎのようにコメントしている。「哲学」とはギリシャ生まれで、近代西洋で発展してきたもの。ゆえにヨーロッパを超えた「人類哲学」はこれまで語られたことがなかった。また序説とは、これから本格的に西洋文明(西洋哲学)を体系的に論じたものを書くつもりなので、本書は「序説」にすぎないと。

 デカルトから始まる近代哲学・科学を批判し、さらに近代を批判したはずのニーチェ、さらにハイデガーにまで疑問を投げかける。このあたりもまったく同感である。さらにこうしたヨーロッパ文明に大きな影響を与えたヘブライズムとヘレニズムに遡り、これを裏づける。
 他方で、日本文化の原理を探り、天台密教(台密)を基本として挙げる。台密は「草木国土悉皆成仏」で表現されるという。動物はもとより、草木も仏性をもち成仏できるとする思想。縄文文化を源流として草木国土悉皆成仏の考えが生みだされた。ヨーロッパ文明が否定的にとらえる「森」を大切にする森の思想=循環の思想にこそ、これからの可能性を見いだす。
 草木国土悉皆成仏の思想と、(西欧がその影響を否定しようとしてきた)太陽信仰をもつエジプト文明、さらにアジア、日本の太陽崇拝の思想に注目し、現代文明を根底から批判し、新しい文明の方向を追求する。その序説として、本書が位置づけられている。

 かつて梅原さんは、和辻哲郎の『風土』を高く評価したうえで、そこには「生産」の概念がまったく欠落している、と鋭い指摘をしていた。ご高齢でたいへんと思うが、数歩でも進んでその成果(本論)を発表していただきたいと願う。もちろん、わたしも自分なりに歩を進めるつもりでいる。(写真は経産省前テント村行動)
2

2013年5月15日 (水)

『評価と贈与の経済学』

 「贈与の経済学」の内田樹さんと、「評価の経済学」の岡田斗司夫さんの対談。
なにかと刺激を与えてくれる。
 気に入ったフレーズはたくさんあるが、いくつか拾ってみる。

◎内田さんPhoto_3
「よく一九六〇年代高度成長の時代、日本社会は希望にあふれていました、なんてことしらじらと言うけれど、あれは嘘だよ」 
 (まったく同感)
◎内田さん
「掃除やってると、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくんですよ。『シジフォスの神話』とおなじで、掃除って、やってもやっても終わらない。せっかくきれいにしても、たちまち汚れてしまう。……。それがたいせつなんですよ。『なんだよ、掃除ってエンドレスじゃん』て気がつくことが」
◎岡田さん
「貨幣経済を贈与経済に戻すのがデジタルネットワークじゃないかと思っているんです」
  (そういう可能性をもっている)
◎岡田さん
「内田先生のその考えを借りれば、パスを出す人を贈与者と呼んで、そうじゃない人を消費者と呼ぶこともできますよね」
◎内田さん
「……、就職の生き残り術って、結局は『強者の論理』になるでしょ。強い人間だけが生き残って、弱い人間は野垂れ死にしても仕方がないというルールだから。でも、社会システムがそういうものであってもいいとぼくは思わない。そういう残酷な現実は確かに目の前にあるのだけれど、そこをまるごと肯定するのは思考停止だと思う。アカデミアが思考停止の片棒担いでしまったら、もう存在理由がない」。
  (同感)
◎岡田さん
「ぼくはついに無世代論者になりつつあります。世代なんてなかったってことがわかってきたから」
◎内田さん
「これからの日本を担ってゆくことになる若い世代に対して、先行世代に課せられた使命は『敬意をもって、できる限り親切にする』ことなんですよ」
◎内田さん
「未来の自分に向けて吐きかけた呪詛はいずれ自分に返ってくる」
  (名言)
◎内田さん
「例えば、ぼくが人を判断するときに見ているのは『この人と一緒に革命ができるか』ということです。革命活動というのはそのほぼ全期間を権力の弾圧や裏切りや社会的孤立といったリスクを長期にわたって耐えることですけれど、そういうときに信じられる人間かどうか、それを考える。もちろん、ぼくにはいまから革命を起こす計画なんかありません。でも、想像することくらいはできる。そういう想像上の苦難をともに分かち合うことのできる人間かどうか、それを『ものさし』にして人の器を計る」
◎内田さん
「家族制度の基本て身体性でしょ」
◎内田さん
「そういう相互扶助・相互支援の安全保障体制を作り上げることが結婚の基本だと思うんです」


<読み終わって>
 西欧的な知が語る贈与交換論には落とし穴があるけれど、内田さんの贈与論はそれとは違う。

2013年3月21日 (木)

『流砂』6号 【追悼特集】吉本隆明その重層的可能性

Rusa6  吉本隆明について追悼特集した『流砂』6号(発売=批評社、共同責任編集栗本慎一郎+三上治)が発行された(定価1200円+税)。

 特集タイトルは、「吉本隆明その重層的可能性」。
 小生も寄稿させていただいた。
 『吉本隆明と小林秀雄 ~「第二の敗戦期」と「現代の超克」~』
 晩年の吉本さんにいったい何が起きていたのか、との問いかけから、吉本さんの小林秀雄評価をめぐって論じてみた。

雑誌全体の構成は以下のとおり。

【構成】
三島由紀夫と吉本隆明…………………………三上治
革命的思考と吉本隆明の思想
―.左翼的思考の閉塞を突き破る  …………山本哲士
吉本隆明の哲学的思考…………………………新田滋
吉本隆明の彼方へ
 ―もうひとつの時間のゆくえ―……………宮内広利
吉本隆明と原発………………………………中村礼治
脱原発と社会主義の構想への探究 
 ―吉本隆明『「反核」異論』について―……山家歩
吉本親鸞論への問い.―宮沢賢治論から―…伊藤述史
吉本隆明の西行論………………………………高岡健
世界視線としての放射線の夢と胎生防御装置
 ―吉本隆明なるものを巡る私にとっての諸問題―
  ………………………………………………柴崎明
吉本隆明のまなざし、死生観………………佐竹靖邦
大衆よりの自立…………………………………柏木信
吉本隆明へのアプローチ……………………平田重正
吉本思想との出会い―吉本さん追悼………古賀英二
吉本隆明と小林秀雄
 ―「第二の敗戦期」と「現代の超克」…とよだもとゆき
問われ続けた《革命とは何か》………………菅原則生
〈関係・資質・異和・成熟〉という問題……高橋順一
■【社会運動の空間】
循環型コミュニティーにトライ
―鴨川から―……………………………………田中正治
■連載
「エチカ.」―倫理学第五部
知性の能力あるいは人間の自由について……木畑壽信
傾注とポイエーシス[六]
BNE.―半透明のリテラシーから水の透明性へ 
………………………………………大山エンリコイサム

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