「船便でjazzが来る」
酒田から羽越西線に乗る。二両編成の列車は吹雪く中を最上川に沿って
登っていく。山々は白く、線路際にも雪が高く積もってい
る。
新庄を経由して山形駅に出たのは夕暮れだった。降りたら寄りたい店があった。ジャズ喫茶OCTET。
駅前に出てから道に迷って戻ったあと、ようやくひっそりした路地脇に、それらしい小さな灯りを見つけけ辿り着いた。駅から数分のところだ。
玄関の横に掲げられた板には、「船便でjazzが来る」なんて書かれている。
ドアを開けると、奥の席に座ってテーブルに向かい作業をしていた男性が一人。ご主人のよう。「いいですか」と尋ねると、「どうぞ」。ほぼ同世代のよう。客はいない。ピアノトリオの曲が流れていた。
「どちらから」と尋ねられ、「東京からです。仕事で酒井に出たあと、寄りました」と答える。
古いお店で、すべてが円やかに感じられる。草花もきちんと添えられている。
膨らんだリュックサックを下ろし、カメラをテーブルにおき、コートを脱いでから、ブレンドコーヒーを注文する。
ドア脇に貼られた紙を見に寄ってみると、近年亡くなったジャズ演奏家の訃報記事が拡大されたものだった。
「知ってるミュージシャンがほとんどいなくなりましたね」と店主。「そうですね、ジム・ホールも亡くなりましたね」と答えると、そのジム・ホールの記事も上の方に貼られているのに気づいた。
「リクエストがありましたら、なんでもどうぞ。ただし、あるものになりますが」と笑う。
巡らしてみたが、なぜかリクエストしたいという気持が起こらない。この店でご主人が気ままにかけているレコードを聴いているだけで十分、そのほうがいい、と思えた。
冷え冷えした冬の夜は、若い頃の原体験のせいか、なぜかマル・ウォルドロンのピアノと結びつくけれど、このお店でわざわざ聴きたいとも思えない。
何枚かのアルバムが流れていたが、それぞれしみじみとしてよかった。
「いつから営業されているのですか」。そう尋ねると、1971年から、とおっしゃる。途中で家主の都合で建て替えもあったらしい。
「1971年……」。私と同じ世代のようで、なんとなく推測がつく。ある分岐がご主人の中であったのだろうな、と。
あとは言葉は交わさなかった。ジャズを聴きながら、原稿を書いたり、考えごとをしたり、店内を眺めていた。
一時間ほどして、ようやく客が一人。馴染みの客らしい。カウンターに腰を下ろし、マスターと話を始める。
ジャズの店に来たら、トイレに行かねばならない。張り紙や落書きなども、店の一部として欠かせないからだ。きちんとしていて、ポスターが貼られていた。
東京のジャズの店もお洒落でよいけれど、古くから続いてるこういうお店の味わいにはかなわない。ご苦労されているのだろうけれど、そんな気配は微塵も感じさせず、淡々と店を続けている感じだ。
1時間半ほどいたろうか。「ごちそうさま」と支払いをすませたあと、「とてもいい時間でした」と素直にお礼の想いを述べる。
すると、ドアを開けようとした背中に、マスターが「ありがとう!」。会話のときと異なり少しハイトーンで、強くて太い声だった。その響きがじわっと私を包んだ。それは、客と店主という関係上のものではなく、同士というか仲間といった距離を感じさせるものだった。わずかなひとときの出逢いと別れだけれど、味わい深い時間が過ごせた。感謝したいのはこちらだった。
ドアを開けると、夜の冷えこみが増し、雨が雪に変わり始めていた。
(春を待つ酒田の山居倉庫と欅並木)
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