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2013年6月21日 (金)

「経済成長」と次世代へのツケ

○「次の世代に受け渡すこと」

 福島第一原発事故から2年少々を経た今日、原発再稼働の声が政治「業界」の一部で強まっている。理由として「エネルギーの安定供給」、「経済成長」、「立地自治体の声」が挙げられている。「安全神話」が崩れ、なおかつ電力生産過程における廃物処理方法すらお手上げ状態がさらに露わになるなかでも、そう主張される。

 「3.11」より20年以上前、チェルノブイリ原発事故後に出版された『「いのち」とはなにか』で、生命科学者の柳澤桂子さんは次のように書いている。
「一五〇億年という宇宙の歴史を考えてみると、私たちはこの宇宙の中で瞬間を生きて消えてしまうはかない存在であることに気がつきます」。そして、問いかける。「人間とは何なのでしょうか。自己とは何なのでしょうか。宇宙の歴史、生命の歴史という観点から見ると、私たちが一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なことは、遺伝物質をつぎの世代に受け渡すことです」と。
 生命科学者らしい視点と表現だが、いのちをしっかりつなげることを、「一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なこと」としている。それはいいかえれば、新しいいのちの生誕と、そのいのちを育んでいくことだ。
 同書で柳澤さんはこうも書いている。「短期的にみて、放射能のいちばん恐ろしいことは細胞をがん化させることです。長期的には奇形児がたくさん生まれるでしょう。さらに汚染が進めば、地球は放射能に強い微生物だけの世界に変わるかもしれません。あるいは生物はまったく絶えてしまうのでしょうか」。ごく基本的なことが語られている。

○「次世代」を犠牲にする「今の成長」とは……

 しかし政治業の一部では、「今の経済成長」のために、福島の人びとのみならず、「次の世代」、以降の世代すべてにそのツケを押し付ける無責任を、あえて選びとろうとする政策が掲げられる。
 「成長」や「進歩」を一概に否定するつもりはない。仮に彼らのいう「経済成長」概念を否定しないにしても、それが原発再稼働なしでも可能であることは、さまざまな専門家が指摘していることだ。
 そして基本に立ち戻れば、次世代、子ども・孫、さらにその後の世代に、手に負えないものの処分・監視を押し付け、生存を脅かし、(間違いなく)犠牲を強いる政策を、私たちは「成長」「進歩」とは呼びがたいのではないか。
 もし「成長」「進歩」にこだわるのなら、その近代的な概念を組み替える作業が必要なはずだ。

130531

(福島原発原告団の5.31東電要請行動には、バスをチャーターして来られた福島の方々がたさくん参加し、切々たる訴えを行った)

2013年6月20日 (木)

「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿

紀伊國屋書店の電子書籍として
GN21「人類再生シリーズ⑧」の
わたしたちは二十二世紀を望めるのか
が刊行された。
紀伊國屋書店の電子書籍アプリ「Kinoppy」にてダウンロード。
定価500円(税込)

小生も「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿。

【目次】Proposal_2013_2

○序章
山折哲雄:未来を紡ぐ智慧を
板垣雄三:悲観的楽観主義で生きのびる
○第1章 いのちを甦らせ、自分らしく生きる 
上倉庸敬:ひたむきに愛と死を生きる-イーストウッドと小津の映画から-
宇野木洋:明日の日本に生きる魯迅の言葉――絶望から/希望へ
ムラリス:広く文学を通し、グローバル化時代の多様な文化と心豊かな生き方! 
金守良:胃瘻を巡る諸問題 -人ひとりの尊厳死とどう向き合うかー
工藤孝司:生死の視点を活かす「学び」を
片岡幸彦:「老病死生」を生きることこそ「人生の真髄」ではないか
○第2章 ライフスタイルを変える 
とよだもとゆき:生産・労働と消費の関係を見直す ~新しい「スローワーク」論の勧め~
樺島勝徳:東洋的身体観を身に付け、心身共に鍛え、自信をもって生きる道
中川 恵: 自己表現と民主化-アラブ世界の変革とこれからの日本人の生き方-
高垣友海:グローバル化社会における「言語政策」への提言
桂良太郎:自然力を文化力に!-新しい里山学への誘い-
北島義信:地域と食文化 - 伝統的食文化としての「報恩講汁」と地域再生
○第3章 コミュニティを再生する 
池田知隆:新・学問のススメ -独立自尊から独立共尊へ-
八木啓代:インターネットメディアが動かす市民革命
蔡明哲:企業活動に生かすための儒教(論語)の現代化
石崎晴巳:「世界史」の構築と共有を
竹谷裕之:ネットワーク構築による地域力再生をベースとする生活再建
古田元夫:東アジアの共通教養である漢字文化の再興・交流を
○第4章 新しい社会システムをつくる 
小林 誠:超えられた国家主権の明日を考える、コスモポリタリズムの未来
レズラズィ:未来を冷徹に予測する ―「アラブの春 」の社会経済的コスト―
嶋 努:これまでの経験を踏まえて、優れたリーダーの条件について提言する
マルチノ:EUのエネルギー政策における「市長誓約」の重要性
渡辺幸重:大震災の原発事故から「やさしさと善意を基盤とする社会」を考える
安斎育郎:脱原発社会の構築に向けて
○終 章
片岡幸彦:「文化が政治を変え、社会を変え、世界を変える」
あとがき 
執筆者紹介

写真は刊行記念イベントでの山折哲雄氏

Yamaorisi

2013年6月 8日 (土)

『吉本隆明と「二つの敗戦」』

拙著新刊!
『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~
(とよだ もとゆき)

 昨年(2012年)亡くなった吉本隆明さんは「敗戦」を二度迎えている。一度目は1945年二十歳の夏。そして二度目は、自ら「第二の敗戦期」と表した近年(晩年期)。その象徴が「3.11」の福島第一原発事故だった。
 前者は、近代戦における日本の敗北だった。しかし、後者は近代戦における敗北ではない。近代(を極めた現代)自体が敗北を迎えた、ととらえるほかない。Yosimotohutatunohaisenn2
 質を異にする二つの「敗戦」は、彼の思想営為にどんなことを強いたのか。それを探りながら、近代(を極めた現代)を超える方向を本書で考えてみた。

 主な問いを列記してみる。
○なぜ「科学の進歩」を止めてはならないとして「反・脱原発」を苛烈に批判し、それを「原発稼働」と直結させたのか。
○思想営為の基本に据えた「大衆の原像」というOS(オペレーティングシステム)に、なぜ最後までこだわったのか。それはもはや時代にそぐわなくなくなり、切り替えが必要だったのではないか。
○以前から小林秀雄の限界を指摘し、「小林秀雄ってダメだね」と厳しく断じていたにもかかわらず、現在を「第二の敗戦期」とした晩年になると、敗戦後の小林秀雄の言、「僕は無智だから反省なぞしない」を強く評価するようになった。いったいなぜか。
○ヘーゲル・マルクスの歴史観を批判して「史観の拡張」をめざしたが、彼らのそれをほんとうに超えたのだろうか。
○農業問題に触発された「贈与価値」論、さらに晩年提示した「存在の倫理」は、「現代の超克」の方向を指し示しているのだろうか。
○2008年、従来の自らの営為とぶつかるような意外な慨嘆を漏らした。それはなにゆえか。

『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~

(とよだもとゆき)
四六判 184ページ 定価1,500円(税別)
発行=脈発行所
メールアドレス higa20@nirai.ne.jp (電子メールで注文可)
その他京都・三月書房、一部大型書店で(「地方小出版流通センター」取扱)

目次等、詳細はこちら

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