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2013年5月15日 (水)

『評価と贈与の経済学』

 「贈与の経済学」の内田樹さんと、「評価の経済学」の岡田斗司夫さんの対談。
なにかと刺激を与えてくれる。
 気に入ったフレーズはたくさんあるが、いくつか拾ってみる。

◎内田さんPhoto_3
「よく一九六〇年代高度成長の時代、日本社会は希望にあふれていました、なんてことしらじらと言うけれど、あれは嘘だよ」 
 (まったく同感)
◎内田さん
「掃除やってると、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくんですよ。『シジフォスの神話』とおなじで、掃除って、やってもやっても終わらない。せっかくきれいにしても、たちまち汚れてしまう。……。それがたいせつなんですよ。『なんだよ、掃除ってエンドレスじゃん』て気がつくことが」
◎岡田さん
「貨幣経済を贈与経済に戻すのがデジタルネットワークじゃないかと思っているんです」
  (そういう可能性をもっている)
◎岡田さん
「内田先生のその考えを借りれば、パスを出す人を贈与者と呼んで、そうじゃない人を消費者と呼ぶこともできますよね」
◎内田さん
「……、就職の生き残り術って、結局は『強者の論理』になるでしょ。強い人間だけが生き残って、弱い人間は野垂れ死にしても仕方がないというルールだから。でも、社会システムがそういうものであってもいいとぼくは思わない。そういう残酷な現実は確かに目の前にあるのだけれど、そこをまるごと肯定するのは思考停止だと思う。アカデミアが思考停止の片棒担いでしまったら、もう存在理由がない」。
  (同感)
◎岡田さん
「ぼくはついに無世代論者になりつつあります。世代なんてなかったってことがわかってきたから」
◎内田さん
「これからの日本を担ってゆくことになる若い世代に対して、先行世代に課せられた使命は『敬意をもって、できる限り親切にする』ことなんですよ」
◎内田さん
「未来の自分に向けて吐きかけた呪詛はいずれ自分に返ってくる」
  (名言)
◎内田さん
「例えば、ぼくが人を判断するときに見ているのは『この人と一緒に革命ができるか』ということです。革命活動というのはそのほぼ全期間を権力の弾圧や裏切りや社会的孤立といったリスクを長期にわたって耐えることですけれど、そういうときに信じられる人間かどうか、それを考える。もちろん、ぼくにはいまから革命を起こす計画なんかありません。でも、想像することくらいはできる。そういう想像上の苦難をともに分かち合うことのできる人間かどうか、それを『ものさし』にして人の器を計る」
◎内田さん
「家族制度の基本て身体性でしょ」
◎内田さん
「そういう相互扶助・相互支援の安全保障体制を作り上げることが結婚の基本だと思うんです」


<読み終わって>
 西欧的な知が語る贈与交換論には落とし穴があるけれど、内田さんの贈与論はそれとは違う。

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