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2012年12月22日 (土)

六角堂とクリスマス

 京の臍と呼ばれる六角堂。聖徳太子ゆかりの地であり、親鸞が叡山から下り百日参籠したところでもある。
Rokakudo  池坊さんの拠点ゆえ、周囲は池坊の高いビルに囲まれている。その一角、1階にスターバックスが店を構えている。店のソファからは大きなガラス張りの前に六角堂を眺めることができる。クリスマスシーズンを迎えて、トナカイに引かれたソリとクリスマスプレゼントが生け垣に飾られている。背景に六角堂。
 六角堂に訪れるクリスマスシーズン。京のへそにクリスマスの飾り。これはこれで絵になっているところが、日本文化の特異性だろう。

 西田幾多郎の著作を探して京の古書店をいくつか回る。人文系に限られるが。寺町三条、河原町丸太町、京大周辺の店を覗く。品揃えが比較的よいのは、河原町丸太町の今村書店、東大路今出川の吉岡書店くらいか。京大周辺の古書店は、仮住まいしていた十年前よりさらに減っているように感じられる。

 夕暮れ、六波羅蜜寺を訪ね、踊り念仏に接する。前回観させていただいたのは、もう10年近く前だろうか。年末師走の13日ごろから大晦日まで限定で、日没近い時間に毎夕続けられる。
Rokuharamituji  本堂内であるにもかかわらず、一段下がった祭壇で、読経のあと、祭壇の囲むようにして回り、腰を曲げ、体勢を低くする。南無阿弥陀仏とは唱えない。そして、途中で途切れるように終わる。
 それらすべてが示しているのは、かつて念仏が弾圧された時代の名残だ。本堂で焼香したあと、御札をいただく。

2012年12月14日 (金)

2012年の五つ

 今年は3月に吉本隆明さんが亡くなり、彼の遺した様々な論考とずっと向きあい続けてきた。とても大きな影響を受けた思想家の死だったから、当然のことだ。とくに3・11と原発の問題をめぐり、彼の表現を検証せざるをえなかった。近いうちにサイトに連載を始めたい。そんなわけで、今年も新しいものに触れる機会はあまりなかった。

○ハイデガー『技術論』『放下』
 3・11後について考えているうちに、昔の理想社版選集に収められていたハイデガーの技術論に接してみた。戦後に発表されたものだが、西欧形而上学批判が基礎にあるので、近代科学を相対化してみる目は鋭い。優れた講演だ。
 「近代科学」とは「自然現象があらかじめ算定できるものだということを、確保するような知識を追求するのです」(『技術論』)と、近代科学の限界をはっきり指摘し、踏まえている。そこでは人間が「役立つものの仕立屋」になってしまい、傲慢にも「地上の主人顔」をしている、と。
 思惟には、「計算する思惟」と「省察する追思惟」の二種類があるけれど、前者は世界を「役立つもの」としてとらえるので、存在を見る眼を曇らせてしまう。自然現象をあらかじめ想定できるものとしてのみとらえようとする近代科学の狭さ、限界が明らかにされている。
Heidegger_2  そして当時、ノーベル賞受賞の科学者たちがボーデン湖にあるマウナウ島に集まり発表した、「科学」が人類を幸福な生活に導くという宣言に疑義を示し、原子力時代が抱える原発問題に迫っている。「計算する思惟」によって、「自然は、他に比類なき一つの巨大なガソリン・スタンドと化し、つまり現代の技術と工業とにエネルギーを供給する力源と化します」とし、それが17世紀の西欧において成立したとみている。
 翻ってみると吉本隆明さんには、酷なようだがそうした視点がみられなかった。技術はただ技術によって超えられる、とするだけだった。科学の進歩を阻止してはならないし、それを阻止するのは暗黒の時代に陥るのだ、と。たしかに時代的な背景をみておかなければならない。人間的な善悪で科学をとらえてはならないという原則を語ることで、かつての(ソフト)スターリニズム批判を貫こうとした姿勢はわかる。ただ、そこにこだわりすぎた。吉本さんも時代に規定されたのだ。そのことを素直に受けとめるべきだろう。
 むしろ問われるのは、吉本さんに「追随」する一部の人が、ハイデガーの技術論を曲解して、技術の本質は人類の主体には帰属しないのだから、人間が技術をコントロールなんてできやしないと、脱原発や反原発の声は無意味、ファシズムと批判していることだ。科学技術の進歩と、現実の生活圏での原発稼働とを短絡させる。また原子力による電力生産によってうみだされる廃物処理のことにも、まったく口を閉ざしている。

○中沢新一「『自然史過程』について」(「新潮」5月号)
 「試行」1984年5月刊の「情況への発言」で、「だが中沢さんよ」と挑発気味に始まった吉本さんと中沢さんの二人のやりとりは、のちに互いに書の解説を寄せあったり、対談する間柄になる。梅原猛も加えた『日本人は思想したか』もまた内容の濃い鼎談だった。
 中沢さんは、亡くなる数ヵ月前の吉本さんの「週刊新潮」発言について、「たとえその結論には真っ向から異を唱えなければならないとしても、私はこのインタヴューでの発言を、思想家吉本隆明の真性の思考から生まれ出たもの」と受けとめたうえで、原子核技術、原子炉の問題点を鋭く指摘し、あえて吉本の原発論に異を唱える、「原子核技術は失敗したモダン科学の象徴なのである」と。
 そして最後にこう記す。「一人の偉大な思想家を追悼するためには、その人の思想を正しく理解しながら、その人を限界づけていた時代のくびきを解いて、その人の思想に秘められていた可能性を新しい地平に開いていくことこそ、その人にふさわしい敬意の表し方であろうと、私は思った」と。
 じつにまっとうな姿勢だ。

○松任谷由実『日本の恋と、ユーミンと。』
Yuming1  松任谷由実40周年記念ベストアルバム。いつのころからか、新譜を買わなくなってしまったけれど、初期から80年代まではしっかり追いかけた。90年代前半くらいまではアルバムも買ってきた。どうあれ、荒井由実時代から40年というのはたいへんなことだ。敬意を表したい。彼女についての評論『ユーミンの吐息』を上梓したのは1989年。ユーミンについての書籍は当時まだほとんど出ていないころだった。その10年後、カメラマンと組んで『探訪松任谷由実の世界』を企画・編集・執筆した。
 今回のベスト盤を聴くと、初期・中期の作品群が傑出した輝きをまったく失っていないことを改めて感じる。当時の時代風景、肌触り、匂いがよみがえる。それに、近年の曲にも新たな発見あり。

○八代亜紀『夜のアルバム』
 近所のTSUTAYAで見つけたのが、演歌界を代表する八代亜紀さんがジャズを歌ったアルバム。ジャズのスタンダードから、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」「私は泣いています」などの日本の歌も採りあげている。若いシンガーが挑戦するジャズではなかなかない味わえない深みが、八代さんの世界にはある。かつて松尾和子が歌った「再会」は面白いアレンジ。「枯葉」は、1959年の石原裕次郎バージョンだそう。裕次郎のオリジナルは聴いたことがないが、この八代さんの「枯葉」も捨てたものではない。あえてひとつだけいえば、バラードのなかであっても、もう少しスイング感がほしかった。やはり日本人の限界なのかな。

○グレン・グールド『バッハ・パルティータ全6曲』
Partitas  グールドのバッハのなかでも、もっとも好きなパルティータ。1960年代だろうか、レコード2枚組みのものを買った。今回のCD4枚組でずいぶん廉価になっていた。「ゴールドベルク変奏曲」や「平均律クラヴィア曲集」、「二声と三声のインベンション」ももちろんよいけれど、わたしにとっては「パルティータ」が最高峰に位置している。

 ★ ★ ★

 ほかには、若手の評論家宇野常寛・濱野智史両氏の対談『希望論』(NHKブックス)が、ソーシャルメディアやデジタルネットワークがどういう地殻変動を社会にもたらしつつあるのか、その可能性を探っていて、それを措いて社会を論じることの無効を告げている。
 想い出したが、今年は珍しく惹かれたテレビドラマがあった。春に続いた「最後から二番目の恋」(脚本=岡田惠和、演出=宮本理江子ほか)。秋にもスペシャルが放映された。通勤帰り、江ノ電極楽寺駅の改札前でいつもバッグの中をまさぐってパスモ(?)を探しつづける小泉今日子と、毎度同じことをくりかえす彼女に呆れる中井貴一のやりとり、口げんかが魅力のドラマ。古民家の温もりが感じられる、ちょっと暗めで湿り気のある空間と、鎌倉・湘南の街を舞台にした二人の掛けあいは、楽しく小気味いいものだった。ヌーヴェルヴァーグの手法を用いたり、映像も魅せてくれた。
 フィリップ・ガレルの「愛の残像」は、期待して青山の映画館に出かけたが、映像はいいものの、描かれた世界はフランスインテリ階層的なこだわりにしかみえず残念。
 桑田佳祐『I LOVE YOU』では、中原中也、太宰治、与謝野晶子、高村光太郎、芥川龍之介、小林多喜二、石川啄木、宮沢賢治、夏目漱石ら、近代文学者の名作のフレーズも歌にしてしまっている。ロック調にしても、この人の力は衰えをみせない。

【番外】
○加藤智大『解』
Kai  加藤智大という名はもう忘れられつつあ るのかもしれない。7名の生命を一瞬にして奪い、10名を傷つけた秋葉原連続殺人事件の被告。死刑判決控訴中の彼の手記『解』(批評社刊)が今年刊行された。
 家庭で育った環境が彼の成長に深刻に影響を与えていることが伺える。そのひとつが、間違った相手の考えを改めさせるためには痛みを与えなければならない、ということ。かつての自らの自殺予告は、他人の「間違った考えを改めさせる」ために心理的に痛みを与えるものだったとか、「会社の間違った考え方を改めさせるために」会社のトラックを破壊して痛い目にあわせてやろうと発想している。秋葉原の事件も、そういう発想の延長でなされている。自分がこだわったネット掲示板での「成りすましら」へ心理的痛みを与えるものだった。自らそう書いている。
 その発想の根深さを示すフレーズをひとつ引用してみる。
 「私は成りすましらとのトラブルから秋葉原で人を殺傷したのではなく、成りすましらとのトラブルから成りすましらを心理的に攻撃したのだということをご理解いただきたいと思います」
 同じことを視点を変えて語っているだけにすぎないのだが、そこにこだわりつづける。実際の殺傷行為は意識のなかで霞み、ネット上の「成りすましら」への心理的攻撃だったと主張しつづけている。殺人が目的ではなかった、と。
 彼なりに反省の姿勢は伺える。けれど、ここに特徴的にみられるのは、ネットこそがリアルであり、非ネット(現実社会)は非リアルに転倒されていること。少なくとも、彼がかつてネット世界に生き、事件を起こしたときは、そのように彼の世界は構成されていた。
 顔を合わせたことのない人が集う掲示板(ネット世界)を生きることに収斂され、顔を合わせる非ネット社会は手段化される。ネットにおける関係が拠りどころになり、そこにすべてが絞りこまれ、ネット上での見えない他者への怒り、「心理的攻撃」が非ネット(「現実」社会)を手段化し、そこに存在する人を傷つけた。
 家庭的・社会的関係など事件の要因、背景をさまざまに挙げられるし、防止する手段(生き方のノウハウ等――彼自身もあとでそれを自覚しているようだ)も指摘できるが、なにより、ネット世界がこれまでリアルとされた現実社会(非ネット世界)を後景化させ、手段化させて初めて起こされた事件。そういう時代の本格的始まりを告げるものだ。
 ひとつだけ私見を述べれば、この事態をとらえなおそうとするとき必要なのは、ネット・非ネットを貫き基底に流れる心的価値交換のドラマであり、そういう視点から今日のソーシャルメディアを再考することだと思う。

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