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2011年10月 4日 (火)

寺島実郎さんの「覚悟」

 TBSの「サンデーモーニング」で「考・震災」のシリーズが続いている。
 先月25日は、「原発は高くつく?」というテーマで、福島原発事故により発生した、放射性廃棄物の処理、そして高レベル放射性廃棄物「核のゴミ」の処理が問いかけられた。
 重い、しかし避けて通れないテーマだ。コメンテータの発言の是非は別として、こういうテーマを考えようとする番組編成は評価したい。
 居並ぶコメンテータ諸氏の発言が歯切れが悪くなるのは当然のことで、わたしも他人のことを言えない。
 最後に岸井成格さんが新聞社の人らしく、どこかの土地を国が買い取りそこに置くという覚悟が必要、と現実に進めなければいけないことを冷静に述べていた(東京都はじめ電力の恩恵を受けている都県は少しずつ受け入れ表明をしている)。

 そのなかで、やはり異様だったのは、このコーナーではじめに口火を切った寺島実郎さんだった。だいたい次のようなことを語った。
 「二つのことを言いたい。ひとつは放射性物質の危険性について、自分は以前から国際機関との連携をきっちり組むことを主張していたが、それがなされていない。
 もうひとつは、わが国には、核燃料の再処理施設を青森県六ヶ所村にもっている。これはアジアに唯一の施設だ。だからアジアとしっかり組んでいくことが大事」。

 一番目のことは、彼はたしかに以前から発言していたことだ。だが、国際機関と「きっちり」連携しても、放射性物質の危険程度について若干の差異は出てくるかも知れない、あるいは多少のオーソライズができるかもしれないが、それによって(ゴミも含めた)危険と処理を免れることはありえない。しかも、今回のテーマである汚染されたゴミをどう処理するのか、の回答とは関係がない。ゴミは、すでにそこにあるのだ。
 二番目の、六ヶ所村は使用済み核燃料の再処理施設であり、今回の汚染されたゴミの処理とは関係がない。問題のすり替えだ。また、高レベル放射性廃棄物の処理にしても、再処理施設のいや増す危険性が指摘されることはあっても、相次ぐトラブルで、完成の見通しはみえない。その六ヶ所村にすがるとき、寺島さんはいったい何をみているのだろうか。この施設の稼働強行を願っているのだろうか。

 テレビカメラに向かってコメントするときは、以前から政治(家)にたいして、なにかと「しっかりと向きあっていかなければならない」「向きあう覚悟がなければならない」という抽象語を常套句にしてきた。
 ところが、放射性物質で汚染されたゴミ、放射性廃棄物の処理をどうするかというテーマと、この人は「まったく向きあおうとしない」ばかりか、テーマ自体を意図的に避けて「覚悟を示さない」。

 わたしたちが結果として生みだしてしまった、放射性物質に汚染されたゴミ。原発への考えが異なることはここでは措いても、すでにある現実とすら「向きあわない」ばかりか話題をすり替える態度は、「きっちりと向きあっていかなければならない」ことをいつも結語としていたことと、あまりの撞着を起こしているのではないだろうか。

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コメント

寺島さんのリベラルな言論に常々共感を持っていましたが、3.11以後、彼の言説の歯切れの悪さが目につきます。まぁ、出自が出自だからでしょうが、資本主義競争の最先端にいる限り限界なのでしょう。

メディアに重宝がられるのも頷けます。

これからは、原発以外の論評で頑張って行ってほしい。

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