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2011年3月19日 (土)

震災後の1週間

◎当日
 11日午後2時46分ごろ、都心から少し離れた西部地域の小宅にも、激しい揺れが襲った。その強さはこれまで体験したことのないものだった。
 SOHOでパソコンに向かっていたとき、突然揺れ出した。記憶では縦揺れではなく、横揺れがどんどん激しさを増した。はじめは本棚、CD棚を押さえたが、倒れる危険を感じ、よけるように部屋の出入り口の柱につかまり、腰を低く構えて凌いた。1分前後揺れていたように感じるが、定かではない。
 書斎では置き方を安定させていなかったスピーカーが棚から落ちたが、ほかの部屋は大きな被害はなく、置物が落ちたくらいですんだ。
 ネットとラジオで情報を収集する。しばらくして固定電話に家族から電話が入る。
 どうせつながらないだろうと思いつつ、子どもたちのケータイに連絡したが、案の定まったくつながらない。家族の居場所は首都圏のはずなので、無事だろうと推測する。
 ちょうど隣地が新築工事中で、地震発生後も建設の作業員さんたちが何ごともなかったようにぶんぶん音を立てていたので、こちらの大地震意識もいささか薄らいでしまう。
 夕刻、娘から固定電話に電話がはいる。新宿中層ビルにいたが、たいへんな揺れで非常階段から降りたという。新しいビルなのに、下のほうの階には壁面にひびが入っていたという。非常階段から降りただろう人たちで新宿の街は溢れかえっているようで、こちらではなかなか想像できない心的パニックが起こっていることが伺えた。長時間並んで公衆電話からかけてきたらしい。
 夜、メディアから仕入れた情報をパソコンから電子メールで伝えると、しばらくして返事があり、電車が復旧したので帰宅したい、とあったが、結局、電車の本数もすくなく駅に人が殺到するので、会社関係のところに泊まるとの報が入る。
 他の娘たちとも連絡が取れ、無事が確認できる。
 この夜は、都心から自宅まで、数時間かけて歩いて帰った人が、知りあいには多い。黙々と歩きながら人生観が変わった人もいたようだ。 

◎翌日
 食を通じた高齢者福祉の協働運動を進めるカミさんは、翌土曜日早朝も仕事に出る。こういうときこそ、安否確認、食の確保という役割がますます重要になる(数日後は、ガソリン不足で、配食サービスの危機を迎えるが、結束して困難を乗りこえた様子)。
 停電に備え土曜日のうちに、コンロ用のガスボンベ3本、単一電池・単二・単三電池を1パックずつ買う。翌日の日曜にみると、スーパーの棚には皆売り切れの表示が貼られていた。いろいろな棚ががらがらに。

◎安否
 福島県にいる親戚、宮城県にいる知りあいにメールをいれる。宮城県気仙沼の人からはいまだに返事がない。住所で地図をたしかめると少し高台のようにみえるのだが、心配だ。

◎計画停電
Ekimae  計画停電が始まった14日朝、私鉄の駅前には長蛇の列。本数が制限されているため、乗り切れず、駅から溢れて長蛇の列を作っているよう。駅に辿り着いた人たちは、わざわざ300メートルくらい先の列の最後尾に並び直す。でもみな、静かに整然と行動している。
 夕暮れ、近所のカフェに入るが、節電しているので暗い。窓辺に座り、プリントアウトした原稿に手を加えていたが、日が落ちてくると読めないので、店を出る。このくらい我慢するのは当然のこと。小さな街の商店もみな照明を落としている。
 計画停電実施前夜から、自宅と、福祉協働職場のグループ分けを東京電力のホームページのPDFファイルで調べるが、該当町名が複数のグループに重複記載されている。どちらなのかがわからないまま、当日に突入する。幸い実施が回避されたので、助かる。あとで市役所ホームページで、最終確認がとれる。やはりWEBのほうが情報入手は確実で早いし、それ以外ない。

◎生産者
 生活協同組合からのメールマガジンでは、提携する宮城、岩手の生産者が、行方不明になったり、生産工場が壊滅的打撃を受けているなど報じている。生産・消費を通じて長年交流も図ってきたグループのようで深刻な事態。できることがみえてきたら応援しなくてはならない。

◎海外から 
 1週間近く経ち、サンフランシスコ付近に住む親友からお見舞いの電話が入る。電話で話している最中も余震がある。彼方では、近所の小さなお店でも、女性店主が震災用の募金箱を店に置いたとのこと。

◎福島原発
 情報収集はテレビ・ラジオが中心で、ネットもみるが、放射能測定量の情報はなかなか探せなかったが、ようやくネットで見つける。量はテレビでは断片的に報じられるだけでは、かえって不安を増幅させたりする。WEBが一番しっかり把握できる。
 首都圏に住むものとしては、原発近辺に住む人たちにはたいへん申し訳ない気持でいっぱいだ。
 気になるのは、テレビに登場する「評論家」「キャスター」「芸人」「記者」さんの一部が、東京電力や政府を「糾弾」すること。低レベルのそれには呆れる。たしかに東京電力の当初の会見など、重大なテーマなのに対応はじつにお粗末だった。だが、今必要なのは「糾弾」ではない。発言する方々が「偉い」のは十分わかったので、扇情的な糾弾だけはやめていただきたいものだ。大人げない。
 新聞の原発事故の取り上げ方は、各社ずいぶん違う。これまでの原発への姿勢がそうさせるのだろう。

◎仕事
 以前から予定された都内での取材仕事はとりやめとなり、別の手段を講じることに。他の仕事はすべてネットでやりとりしているので、計画停電が長時間に及ばなければ、あまり影響はない。自宅待機措置をとった企業も多いようだ。

 すでに1週間を過ぎた。できることから、始めさせてもらおう。

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