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2010年12月27日 (月)

一世紀前のモダン空間 カフェアンデパンダン

Yasakanotou_2  冷えみの強い日、崇徳天皇御廟、安井金毘羅宮を抜け、八坂通から八坂の塔を見上げながら歩く。産寧坂から清水寺へ出るが、まだ修学旅行生などで参道はぎっしり。帰りは産寧坂から二寧坂、ねねの道へ。
 高台寺脇の、昔からあるお店が閉まっている。以前買った四角いお猪口をもう少し買い揃えたいと思っていたが、叶わない。店じまいしてしまったのだろうか。
 八坂神社を抜け、寺町通から三条通へ出る。

 歩き疲れたので、どこかで休みたかった。想い出し、三条御幸町東入ルのカフェアンデパンダン(CAFE INDEPENDANTS)へ。
2  毎日新聞社の京都支局として1928年に建てられた骨董もののビル。三条通には古いモダン建築物がたくさん残されているが、そのひとつ。
 京に仮住まいしているときは、結局建物の地下にあるこの店には、入ったことがなかった。

 タイルをあしらった細い階段を下りると、周囲の壁には、演劇やらさまざまなイベントのポスターが貼られ、パンフレットがずらりと置かれている。
 金属製の丸いノブが懐かしい。引っぱって戸を開ける。入ったら、中からちゃんとノブを引き寄せて締める。自動ドアではなく、「開けたら閉める」というこの感覚、いいです。

3  剥き出しの天上から暖かな色の照明が照らしているが、この空間を独特にしているのは、御幸町通側に高い窓が続き、地上の明かりが射しこんでくることだ。その光が空間に解放感をもたらしてくれる。壁はかつては白かったのだろうが、時代の流れを染みこませて、味わいを出している。タイルが並べられた床に、木製の長い板がテーブル、同じく長い木でつくられた椅子が並ぶ。自由にどのようにも座れる。
 店名にふさわしく独立系の音楽が流れ、若者たちの会話と混じり合う。

 客は若者ばかり。学生さんたちが多い。京都のカフェらしい。見回しても、オジサン(ジイサン)は私一人。
 店員さんはみな、アートとか音楽とか何かやってるんだろうな、という雰囲気。でも、ていねいな応対。夜はイベントが開催されることも。

4   席に荷物を下ろしてから、カウンターに行き注文して支払いを終える。飲み物はそこで受け取り、料理はあとでもってきてくれるシステム。
 白ワインを飲みながら、サンドウィッチランチを食す。歩き疲れているので、うまい。テーブルの古い木の質感もよい。なかなか居心地のよい空間だ。
 気持よくなりカメラを持つ手もぶれて、このとおりワイングラスも回る回る……。

2010年12月23日 (木)

今年の五作

◎ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール・ソシアリスム』(FILM SOCIALISME)
 欧州(系)文明史挽歌。
 「ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる」、そんなヘーゲルのことばが献辞としてふさわしい。
◎柄谷行人『世界史の構造』
 スローワーク論では労働が主題なのであまり触れられなかったが、互酬交換の視点から国家の両義性を改めてしっかり抉り出し、だからこそ諸国家連邦(国際連合)から「世界共和国」(カント)へ架橋しようとする注目すべき労作。協同組合的運動を評価する目もたしかだ。
◎トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』
 原作を読んでいないと唐突な感が否めないだろうな、という流れがときどきあるが、読んでいれば、映像、言葉、音を堪能できる。
 「緑」役の水原希子ちゃんの存在が輝いている。
◎エリック・クラプトン『クラプトン』
 How Deep Is The Ocean や Autumn Leaves(枯葉)などジャズ・スタンダードになっている曲と、しっかりブルースしている曲が混じる好アルバム。How Deep Is The Ocean にはウイントン・マルサリスも参加している。

 あと一作と思い巡らしたけれど、出てこない。こちらのアンテナが昔のことばかりに向いているせいか。ということで今年は四作となりました。

2010年12月15日 (水)

映画『ノルウェイの森』の中の村上春樹?

 原作の小説『ノルウェイの森』は、村上春樹さんの作品としては、わたしのなかで珍しく評価が低かった。自分(の恋)をとりまく外部、社会への主人公「僕」(ワタナベトオル)の怒りのような感情が、当時の村上作品には珍しく強く吐露されていて、退いてしまうしかなかったからだ(それについては『村上春樹と小阪修平の1968年』でも少し触れた)。
 しかし、トラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』は、そのあたりは抑えられ、ほぼ純粋に恋愛・性愛映画として作られている。
 原作が頭にあるせいか、筋を追うというよりは、その場その場のシーン、映像、会話、音を、流れるままに楽しめる。

 舞台となる1967年に始まり68年前後の時代風俗は、ヘアスタイルからファッション、大学構内の風景にいたるまで、当時を生きたものとしても大きな異和感なく観ることができる。最後のクレジットに、学生運動の監修だか指導を、当時早大反戦連合メンバーだった高橋公さん(自治労を経て現在ふるさと回帰支援センター)が担当しているのをみつけて、なるほど、と苦笑。

 速く流すべきは流し、ゆっくり追うべきは静かに追い、映像構成のリズム感は巧みだ。
 「直子」が入る京都の寮周辺の森、広大な草原の映像は、動的なズーミングも効果的で、「僕」と彼女の恋の心象を表すだけでなく、物語のダイナミックな展開を促す役割も果たしている。

 色調は明るめで鮮やかだ。日本人ではなく、ベトナム出身でパリ在住の監督ゆえだろうか。デジタルプロジェクター方式による放映も多少影響しているのかもしれない。フィルムのような深みは出しにくいのだろう。しかし、これはこれでこの時代に作られた映像として、受けとめることができる。むしろ好ましいのかもしれない。

 「僕」の松山ケンイチは、受動的な男を嫌味を感じさせることなく演じている。
 強く惹かれたのは、「緑」の水原希子。「直子」(菊地凛子)とは対照的な、動的で明るい存在をみごとに表していた。瞳と口元がつくりだす微笑みは強い輝きを放っている。彼女は本作一番の配役ではないだろうか。
 「永沢さん」(玉山鉄二)と「ハツミ」(初音映莉子)は、小説と同様の役割と味わいを十分示している。
 糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏の各氏がちらっと出てくるのはご愛嬌。

 目が釘付けになったシーンがある。「緑」と「僕」がバーに入り、カウンターに腰掛ける。彼らは画面左側に位置している。「緑」がトムコリンズだったかを注文する。すると画面右側にちらりと見えるバーテンダーさんがカクテルを作り、差し出す。視線をぼんやりそのバーテンのほうへ流したとき、左側にいる「緑」と「僕」の会話が頭に入らなくなってしまった。バーテンダーが村上春樹さんそっくりだったのだ。ずいぶん若作りにはしているけれど、似ている。慌てて像を追ったが、はぐらかすような映像で確証はもてなかった。しかし、わざわざそっくりさんを登場させることもあるまい。公式HPのクレジットにも村上春樹出演は記載されていないが、おそらくお遊びで登場したのだろうと推測したが、どうだろうか。
 かつて遠藤周作さんが自身原作の映画『わたしが棄てた女』で、浅丘ルリ子の妊娠を診察する産婦人科医役を白衣で演じ、満面笑みを浮かべていたときよりはずっと好感がもてる(笑)、ということになるが。
 そのことは別にしても、もう一度みてもいいな、と感じさせてくれるフィルム(ではなくファイル)。

2010年12月13日 (月)

哲学の道の『高橋和巳全集』

 たまには銀閣寺へと、烏丸四条から203号系バスに乗り銀閣寺道へ。
 狭い参道には、寒い季節にも関わらず修学旅行生がまだたくさん。

 哲学の道へ出ると、道の一部は養生中とあり、ロープが張られている。反対の山側の細道をぶらりとしながら法然院へ。
 京都へやってくると必ずといってよいほど出かけるのが、大徳寺の高桐院と、この法然院。
3_3  通常は本堂拝観がないし、庭も小さい。茅葺きの苔むした小さな山門1と、そこに立つと見渡せる庭の白砂檀と池、石畳の道。ただそれだけだ。 だから人も少なく、かえってしばらく佇んでいたくなる静寂の空間。東山の山麓なので、小鳥のさえずりと、木々の葉音だけが風に舞う。落葉が庭や白砂檀、池面を飾っている。

 体が冷えてきたので、疎水へ降りてCafeTerrazzaへ。以前はアトリエ・ド・カフェという名だった。拙著『ほっこり京都時間』を執筆しているときに、オーナーが変わり、店の名も変わった。でもこの店の特色である、哲学に道に接するテラスは健在。この日はさすがに寒いので、中に入る。
Cafeterrazza  スパゲッティのセットとグラスワインの白を注文。最近は休日でも昼にアルコールを飲むことは控えているが、今日は哲学の道の冬景色を眺めながら、とワインを注文。
 体が冷えていたので、辛口の白ワインと、スープがうまい。ミートソーススパゲティもおいしくいただく。
 店内奥に置かれた書棚を覗くと、なんと『高橋和巳全集』が並んでいる。その下段には『ルカーチ著作集』がずらり。うーむ、学園闘争中に四〇前で夭折した作家高橋和巳と、ハンガリーの「マルクス主義」哲学者ルカーチの組み合わせ。勝手に解る気がして頷く。お店の関係者の所蔵らしい。おもしろいな、京のお店は。

 紅茶で食後のひととき。哲学の道を歩く観光客や地元に人の姿を眺めながら、しばしカントとへーゲルの「間」について考える。雇用が孕む問題では、カントを批判するへーゲルのほうが優れている。近代の雇用契約における「人格」の「自由」を裏付けたことになる。しかし、カントが苦肉の策で考えた「用益権」こそ、逆説的に今日の問題を考えるときのヒントを与えてくれるのではないだろうか……。

 そのあと白川通へ出て錦林車庫前から204系バスで大徳寺へ。
 境内の石畳を踏みしめながら高桐院へ。
1_2   雨で濡れた参道の石畳の両側には紅葉が散りばめられている。寒風4 が吹き抜ける客殿から南庭を眺める。雨水をたくさん含んだ苔の緑に、散った紅葉が鮮やかなコントラストをなしている。
 この庭は、他の石庭と違い、人造物は石灯籠がひとつ立つだけ。あとは木と苔だけでかたちづくられている。それだけの庭だ。石庭のようにあれこれ考えさせようとする押しつけはまったくない。それがかえって魅力なのだろう。いつ訪ねても、耳には必ず木々のざわめき、小鳥たちのさえずりが聞こえる。
3_4  もう一度強い通り雨がやってきて、やむのを待つ。すっかり体は冷えこむ。ようやく雨があがり、高桐院を出た。

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