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2009年10月30日 (金)

スコット・ラファロとビル・エヴァンス

~Scott LaFaro / Pieces of Jade~

Lafaro  HMVに注文していた「Scott LaFaro / Pieces of Jade」が届く。
 ラファロが加わったドン・フリードマン「Memories Of Scotty」の5曲。そのあとに、ビル・エヴァンスとのリハーサル音源。23分近くある。エヴァンスがラファロについて語った1966年のインタビューも収録されている。

 お目当ては23分近くあるリハーサル音源。ラファロとエヴァンスの二人がWaltsfordebby 「My Foolish Heart」を弾きながら、演奏のかたちを組みたてる様がテープに記録されていた。1960年録音なので、同曲が収録されたアルバム「Waltz for Debby」の前年ということになる。
 前半はエヴァンスが旋律をさまざまに崩して展開させる。
 中盤からは二人で特定の難しいフレーズをくり返し練習している。旋律を歌う声も重なる。
 そして最後は、ひととおりのデュオ演奏で締めくくられている。
 わたしは前半部が好きだ。アルバム「Waltz for Debby」に収められた同曲を聴き直して比べると、最終的に音を削ぎ落としてまとめられていく過程がわかる。
 インプロヴィゼーションとはいっても、基本的な構造と流れを事前にかなり押さえている。録音状態はよくないけれど、ジャズを勉強している人にはきっと大いに参考になるのだろう。

 エヴァンスの演奏がもっとも輝いているのは、やはりラファロと組んでいた時期だ。 ブッカー・リトルの1ホーンアルバム「Booker Little」が名盤として輝いているのも、スコット・ラファロの共演によるところ大である。
 改めて、25歳で夭折したスコット・ラファロの存在を思う。

2009年10月20日 (火)

加藤和彦さんの死

 一七日朝、軽井沢のホテルで音楽家・加藤和彦さんの遺体が発見された。自殺だという。遺書も発見されている。うつだったと知人に告白していたこと、一ヵ月ほど前からその症状がひどくなっていたこと、音楽的に新しいことができないことでゆきづまりを感じていたことなども報じられている。
 うつが心の風邪と言われるのは、誰もが罹る可能性があることを表したもので、特別視されるべきではないということだろう。どんな年代でも、節目ごとに患う可能性はだれにもあるのだろう。

 同日夜、同い年のビートたけしさんはテレビ番組内で、自分たちの世代が今置かれている状況がきついことをちらっと語っていた。週間番組など定期的な仕事をもっていれば、その流れに乗って紛らわせてやっていけるが、それがないと厳しい、というように。
 サラリーマンであれば、定年で毎日通う職場を失うことと似たようなものだ。勤め人も、毎日通う場が突然なくなると、心的身体的な不安に追いこまれる。「毎日が日曜日」とはじめは喜んでも、その喜びが続くわけではないし、定年後二、三年で心身の変調を来す例は少なくない。
 加藤さんはもともとフリーのクリエイターとして活躍してきたのだから、これはあてはまらないようにも思えるのだが、ちょうど六〇前後でひとつの壁にぶちあたっていたのかもしれない。

Kouyou  加藤さんの音楽はわたしの個人的な嗜好としては違っていたから熱心に追いかけることはなかったけれど、彼が戦後ベビーブーマー、団塊世代のひとつの方向を象徴する存在であったことは間違いない。音楽、生き方、ファッションは、それ以前の世代にないある伸びやかさのようなものをもっていた。もちろんそれがメディアによって露出される範囲でしか知りえないことは承知していても、がちがちの体制に縛られない心身のゆとりのようなものが彼から滲み出ていたように感じられた。

 かつて一緒に活動をした「きたやまおさむ」さんが新聞に追悼文を寄せていた(19日朝日新聞)。それによれば、加藤さんはかつてきたやまさんにこう語ったことがある、という。

 「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」

 おそらく加藤さんは追求すべきものがあれば、「全財産はたいてどこへだって飛んで」いったのだろう。

 それを尽くしてしまったにしても、あるいは壁にぶちあたったとしても、音楽から離れて、ワイン通だったのだからワインでもいいし、恋でもエロスでもいいし、旅でもいいし、緩やかに生きる道もあったと思うし、そういうフィールドをもつことにおいて彼ほど恵まれた人は同世代ではそういなかったと思うのだが、そういう成熟や耽溺、あるいは彼にはふさわさしくないかもしれないが沈潜する生への埋没を拒んでの、あるいは拒まれての結果だということだろう。
 音楽の道から外れることをよしとしない生真面目さが支配していたのかもしれない。

 彼が自死に追いこまれたことは、なかなか重い。社会や情況にストレートにつなげるつもりはまったくないが、生き方のスタイルとして成熟や耽溺にもっとも近いところに位置していたようにみえる存在がそれを果たせず(果たさず)に逝ったことは、「老いること」とこの時代の情況の難しさを改めて示しているのだろう。
 (写真は京都青蓮院)

2009年10月14日 (水)

ビートルズ解散と『共同幻想論』

 吉本隆明さんの仕事を調べる機会があり、古い著書をぱらぱらとめくっていた。
 一九七二年に刊行された『敗北の構造』を手にしていて、前年講演の「自己について ~キルケゴールに関連して~」が目がとまった。
 吉本さんは、自己とは何かというキルケゴールの問いと彼の恋愛体験について語っている。ここで改めて、自己幻想、対幻想、共同幻想の位相の違いと、それを踏まえてトータルにとらえることの必要性が明らかにされている。
 三つの幻想領域の位相の違いをわきまえることは、七〇年代という当時の情況下でとくに求められることでもあった。

Let_it_be  先日ビートルズの最新リマスターCDが発売された。今回「LET IT BE」に収められたミニドキュメンタリー映像を見ていて、改めてそのことを感じた。
 スタジオ内の音響室とでもいうのだろうか、狭い室内でビートルズのメンバー四人が並んで腰掛けていたが、ジョン・レノンの脇にはオノ・ヨーコさんが寄り添っている。いわばビートルズメンバーが五人という按配だ。演奏中もジョンに密着していた。
 かつてビートルズ解散前後に観た映像でも、リハーサルやレコーディング時にジョンに密着する彼女の姿があった。当時その映像に、「それはないよ」と心のなかで呟いたことが想い出される。

 四人それぞれにさまざまな確執があったけれど、ポール、ジョージ、リンゴの三氏からみれば、こういうことが許される状態はたまったものではあるまい。「ビートルズ」というひとつの共同性の世界に対世界が持ちこまれる。しかもそこでオノ・ヨーコさんはなんのたじろぎもみせないどころか、むしろ「前衛アーティスト」としての自己存在を拡張させている気配だ。
 スタジオ(職場)内にパートナーを連れてこないという不文律が破られても、メンバー内にも外側にも、それを制止できる力がすでになくなっていたのだろう。
 解散に至る理由はいろいろあったけれど、位相の違いをわきまえないこうしたシーンは、その流れをただ加速させるだけだったにちがいない。今回のCD映像をみて、改めてそう感じざるをえなかった。

2009年10月10日 (土)

図書新聞に書評

 拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』(新泉社刊)の書評が、「図書新聞」(2937号、10月10日発売)に掲載された。評者は若手気鋭の批評家、宇野常寛さん。
「小阪修平が二〇〇七年に急逝したときに、貴重な回路をひとつ喪ったように思えた」と書き始める宇野さんは、ゼロ年代の批評文脈から、拙著のキーワードを「村上春樹」と「労働」に絞りこみ論じている。
 そして最後を次のように締めくくる。
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六八年の記憶を世代的な自己憐憫に回収しないために、あるいはゼロ年代の批評をウェブの島宇宙に自閉させないために、本書の提唱する「労働」という回路の根源的(そしてSF的な)再設定は極めて有効かつ貴重な示唆になるだろう。
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 「建設的」「反論」部分も含め、「ゼロ年代の批評」との対照はおもしろく、なかなかに刺激を受ける。これからの「スローワーク論」の展開を通じて、「ゼロ年代の批評」と交差することも必ずあるだろう。

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