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2009年7月16日 (木)

詩仙堂のハイデガー

 「何か、お探しか?」
 普段着の白髪のオジサンが声をかけてくれた。白川通から東へ少し入った、住宅地の細い路地で、曼殊院門跡への道を探していたときだった。京都人のやさしさだ。
 梅雨時の朝、どこへ行くか決めかねながら三条京阪のバス停でぼんやりしてたとき、はじめに入ってきた岩倉実相院前行のバスに乗る。洛北の静かな寺に出かけようと考えていたので、頭の中に地図を広げ修学院駅前で降り、叡山電鉄修学院前を抜け白川通へ出たところだった。

Photo  オジサンの教えてくれたとおりに進み、曼殊院へ。重いバッグを背負っているので、汗が噴きだす。この門跡寺院を訪ねるのも、もう五回目くらいだろうか。
 人影のない曼殊院で畳みに座り、枯山水の庭を眺める。鶯、そして名付けえぬ小鳥のさえずりだけが聞こえる。

 次に、ひなびた丘陵の風景が続く小径を抜け、詩仙堂丈山寺へ。

Photo_2  ここも人影がないのがうれしい。腰を下ろし庭園に目を遣る。鹿威しの音だけが響く。 小一時間ほど庭を眺めていて、いろいろな思いが去来する。
 ふと、ハイデガーのことを思う。彼がなぜナチスに傾斜したのか簡単に論難してすますつもりはないけれど、彼の思考を辿るとナチスにつながっても不思議ではない気がする。誰をも襲う観念の力学は厄介だ。それから自由であるのはけっして容易ではない。

 白川通に戻りバスで洛中に出ようとするが、来ないので、叡山電鉄に乗って、とりあえず出町柳へ。
 京阪電車に乗り換えようとしたが、クラシック喫茶柳月堂のことを想い出し、のぞいてみる。
Photo_3  店は健在だった。平日の昼下がり、中高年の客数名がいる。ハムトーストを注文して昼食替わりにする。
 ヘンデルの管弦楽曲、つづいてラフマニノフのピアノ協奏曲が流れる。以前だったら、ロマン派以降の曲はあまり受けつけられなかったが、最近は自然に聴ける。
 野球帽を被った商店主という感じの小柄なオジサンが首を振り、腕を振り、曲に浸っている。京都らしいな。
 店内を静かに歩く若いウエイトレスさんは、六〇年代早稲田「あらえびす」にいたウエイトレスさんに似ていて清楚。
 こういう店は、とうの昔に東京からは消えている。

2009年7月 7日 (火)

村上春樹と小阪修平の1968年

1968cover_6 ★近刊予告!『村上春樹と小阪修平の1968年』★

 「1968年」をテーマにしたり、書名に冠する書籍が最近次々と刊行されている。
 『1968年に日本と世界で起こったこと』(毎日新聞社)は、毎日新聞に連載されていたシリーズ企画をまとめたもので、たんに「全共闘」に限定せず、「公害」「ミニスカート」「アングラ演劇」「フォークソングの時代」など幅広い領域から、各界の人の発言を通して68年についてまとめたもの。いかにも新聞社らしい企画。
 鹿島茂『吉本隆明1968』(平凡社新書)は、全共闘世代にあたる著者が、「吉本隆明の偉さ」をていねいに示した書。
 そして新曜社からは、小熊英二『1968』が上下巻となって今月出版される。各巻1,000ページを超える大著で、『<民主>と<愛国>』同様話題呼ぶことだろう。
 その他にもいくつか見かけた。

   こうした「1968年」ものの末席を汚すことになるが、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』も今月下旬に発売になる。
1968obiura_2   後記にも書いたが、小阪修平さんが亡くなった直後2007年の秋から書き始めたもの。同世代(全共闘世代)でもっとも評価する村上春樹さんと小阪修平さんの表現と生き方を主に論じながら、全共闘体験と現在の意味を問う。村上さんの初期三部作から本年の講演「卵と壁」と『1Q84』まで、小阪さんの30年近くにわたる評論、そして生き方と向きあってみた(新泉社、7月下旬刊、装幀藤田美咲、写真は帯裏側)。
 詳しくはこちらから(近刊予告)。

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