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2008年12月26日 (金)

『東北からの思考』

   少しでも地方を旅すれば誰もが目にする駅前商店街のシャッター化、山村・農村の過疎化、集落の解体……。わたしも旅や取材でそうした光景をかなり目にし、ショックを受けてきた。
 人口が国内で少ない山形県内でも最も少なく、しかも高齢化比率、過疎化比率が高い最上郡の八市町村となれば、深刻の度は増す。
Tohokukaranosikou_4  その最上エリア内のさまざまな場に立ち、歩きながら対談するのが、舞踏家で東北芸術工科大学教授の森繁哉さんと、編集者の入澤美時さん。二人はそこで風景を見、匂いを嗅ぎ、手で触り、舌で味わいながら、言葉を交わす。

 テーマは、明日の希望が見えず崩壊が進む集落、そこに住む「じっちゃん、ばっちゃん」たちの農業をいかに再生していくか――。
 そう問うとき、陥りがちなのは、集落や人の総体、二重性、闇を無視して都会人の一方通行的表層視線からのアプローチで、わたしも含め、その陥穽から免れがたい。しかし、そんな視線を粉砕した地平に立って新たな方策を具体的に提起しようとするのが本書。
 たとえば、かつての原風景、集落のイメージに対立するものとみなされるコンビニをたんに悪しき近代主義として排除するのでなく、現在の民俗学的視点も採りいれて考察する。他方、スナック・演歌や隣組や結いを前近代的遺制として排するのではなく抱えこみ、逆にそこから突破口を見いだそうとする。

 「じっちゃん、ばっちゃん」に象徴される農業(アジア的遺制)を、大型化・広域化が不可避な農業(超資本主義)にどう接ぎ木するかを、進歩主義的歴史観を突き破って、「相互扶助」「無償の贈与」「協働」をキーワードに展開している。

 新庄駅から近い国道の陸橋の上から眺めると、道路の一方にショッピングセンター、反対側に昔懐かしい農村風景が広がる。この日本の地域・地方の縮図のような風景を前に始まった二人の対話は、言葉がじつに豊かだ。
 とくに森さんの言葉には、なかなか接することのできない深みと響きがあり、読者の心身に滲みてくる。それは、森さんが最上の山村で生まれ育ち、今も住んでいて、その身体と心から発せられていることに拠っているのだろう。

 まったくかけ離れた都会に住むわたしのような人間にとっても、じつはとても切実な課題が突きつけられているのだと思う。
 自らの場のことはひとまず措いて善意やボランティアで関わろうとする次元(このことが即座に否定されるべきことではないが)を突き抜けて、たとえば労働(生産)と消費の分裂があまねく都会労働者(生活者)にもたらす悲惨な現実と関係をどう組み替えていくのかという課題(わたし流にいえば「スローワーク」)ともつながっているからだ。

 400ページ近いヴォリュームだが、豊富な写真と注が洒落たデザインで添えられていて、対話の妙にぐいぐいと引きこまれる。収穫の書(新泉社刊)。

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