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2008年11月 2日 (日)

「ゴーシュ」と茂田井武

~『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』~

Gauch  宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』。主人公の「ゴーシュ」とは何人(なにびと)であるのか。その問いに答えようとした『≪ゴーシュ≫という名前 ~<セロ弾きのゴーシュ>論』(2005年、東京書籍刊)はなかなかの労作である。

 著者の音楽評論家梅津時比古さんは、「ゴーシュの名はドイツ語の『かっこう』から取った要素があるのではないだろうか」と問いを発し、賢治が生きた当時に遡り、文献等を基にしながらも、広い哲学的視野から答えを探っている。
 なぜ賢治がドイツ語の「かっこう」Gauchにヒントを得たか、その思想的背景にまで論を進め、Gauchとしての「かっこう」を通じて、「かっこう」が音楽的な存在であるだけではなく、愚者としての意味と性的存在としての役割をももつことを明らかにする。そこから、『セロ弾きのゴーシュ』や『銀河鉄道の夜』が「人間や地球のみを中心として物事を見ることを傲慢として反省する視点」を指摘している。
 そして「愚直に純正律の音程を求め続けるかっこうと、帰属社会からは完璧にはずれてしまっているゴーシュの姿」に、賢治の無知の知の思想をみている。

Serohiki  さて、わたしたちが親しんだ絵本は福音館書店版『セロひきのゴーシュ』だ。その絵を描いているのが茂田井武さん。

 『≪ゴーシュ≫という名前』の著者は、アンコールのときのゴーシュの演奏が「近代主義的な、自己を強く主張する自己表現からは遠い演奏であることは明らか」で、「ゴーシュは動物たちとの遣り取りを通じて、音楽において自己の無知を自覚し、また自己の音楽的探求が<推測 coniectura>に過ぎないことを確認し、何も知らないことを知ることによって、宇宙をつらぬくような深い音楽に近づいていた」と読み解いているのだが、茂田井さんの絵は、まさにその見方と響きあう表現を得ているように感じられる。

 『セロ弾きのゴーシュ』を絵本化したものは、世にたくさんあるのだろうが、やはり茂田井さんが絵を描いた福音館書店版ということになる。
 茂田井武さんがその絵を描いたのは、数年間喘息と肺結核を患い病床に伏しながら、絵筆を握っていたころ。
 編集を担当した福音館書店の松居直さんは、当時の依頼の様子を次のように書いている(月刊「日本橋」2008年9月号)。

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 依頼をしに茂田井さんのお宅へお邪魔した際、玄関先で奥様に「主人は病気なので」と断られたのです。でも茂田井さんは襖ごしに話を聞いていて――。「その仕事する。上がってもらえ」と奥から声がしました。居間に上がらせてもらうと布団に寝ていらして、やはり帰ろうとすると、「その仕事ができたら死んでもいい」とつぶやかれて承諾して下さいました。
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 そしてその絵を描きあげた年、武さんは亡くなっている。こうしてみると、賢治と茂田井さんを結びつけた編集者が果たした役割の大きさを改めて思う。

Kiokunokakera  その「早世の天才画家」茂田井武さんの画業と人間像をまとめたのが最近発売された『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』(講談社刊)。
 今、見直され、若い世代からも評価が高まる茂田井武さん。20代前半ヨーロッパ貧乏旅行時代の習作(これも味わいがある)から絵本や絵雑誌の作品まで集められ、資料も充実している。

Tihirobijutukan  いわさきちひろ美術館では、「生誕100年 夢と記憶の画家 茂田井武展」が開催中(2008年11月30日まで)。武さんの蔵書や愛用の品々を集めたコーナーも設けられ、絵とともに楽しめる。

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