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2008年10月25日 (土)

「現代思想」8月臨時増刊「吉本隆明 肯定の思想」

Gendaisisou_2  おそまきながら、「現代思想」8月臨時増刊の「吉本隆明 肯定の思想」。
 うしろにたくさん並ぶ吉本論はおいて、冒頭の吉本さんインタビュー「肯定と疎外」はなかなか充実している。ここしばらくいろいろなメディアで語っている中でも、出色のものではないか。
 過去の著作や発言を振り返っているところは、これまでもおおよそ触れられてきたところだが、さらに踏み込んだ発言があり、驚くところもある。花田清輝、三浦つとむらへの感慨にも、ほう、という感じがある。

 なかなか突っこんだ内容になっているが、これは聞き手である高橋順一さんの力に負うところが大きいに違いない。語っているのは吉本さんだが、問いと展開、まとめ方でそうとうにていねいに力を注いだことがうかがえる。
 それに呼応するように、吉本さんもしっかり発言している。

 ここで、吉本さんは現在の病理に触れている。
 第一次産業革命期に膨大な産業規模が大きくなったのは蒸気機関のおかげだと一般経済学者は考えたが、マルクスとエンゲルスはそれに替えて肺結核の蔓延を挙げた。つまり労働者の長時間労働によることをそう表した。これを受けて、吉本さんは、第二次産業革命期の現在蔓延しているのは、肺結核ではなく精神病だ、と。そうなのだと思う。

 昨今の様々な事件に触れて、精神疾患と「正常な人間」の区別が不明瞭になっていることをだれも言ってくれない、とも不満ももらしている。

 吉本さんは産業の一循環の速度が人間心理の速度を規定する、とも指摘している。おそらく『ハイイメージ論』あたりを踏まえてのことだろう。
 教えられた上でわたしなりに言い換えれば、産業の一循環の速度というより、資本が自己増殖する運動の速度とでもいうほうがぴったり来るようにみえる。それが、心の病いを蔓延させ、社会の疲弊と混乱を深めているのだと。

2008年10月 5日 (日)

沢田研二と山下敬二郎

~年重論2~

○還暦を迎えた沢田研二

 沢田研二さんがTVで久しぶりに歌を披露していた。NHK「SONGS」で2週2回にわたって。これまでも矢沢永吉や寺尾聡らが出演している番組だ。 
 昔の曲「勝手にしやがれ」から、最新曲で自ら作詞し憲法九条をかけた「我が窮状」まで数曲を歌っていた。還暦を迎え、11月、12月と関西・東京のドームでコンサートを開くようだ。

 阿久悠が作詞した70年代ジュリーの歌は、あの時代の気分をよく反映していた。声、ルックスと楽曲は流行歌(はやりうた)として一級だった。
Sawadakenji_3  「勝手にしやがれ」も「時の過ぎゆくままに」もよかったが、わたしには「さよならをいう気もない」「LOVE (抱きしめたい)」あたりが深く心に残っている。重い時代だった70年代のことが蘇ってくる。(ジャケット ポリドールレコード)

 これまでも歌い続けてきたのだから、まずはご立派。歌はやはりうまい。ずっと「ロック」をやってきたというような話をしていたと思うが、「ロック」でも「流行歌」でもその規定はどうでもよい。
 ただ残念なのは、贅肉が付きすぎていたこと。以前からたまに写真などで見ていて、知ってはいたが……。それとあまり変わっていない。とくに「SONGS」1回目では、衣裳の関係もあり、そのあたりがひときわ目立ち、もたつき感があった。

 同じ番組に登場していた矢沢永吉、寺尾聡、忌野清志郎の各氏はそれぞれ絞っていた。見られるのが職業でもあるのだから、当然だとも思うのだが。でも、体質やらいろいろ理由があるのかもしれないし、これ以上触れるのはやめておこう。
 GRACEという女性ドラマーがなぜか気になった。

○「ダイアナ」の山下敬二郎

 その少し前、これも珍しくTVに登場したロカビリー歌手の山下敬二郎さんを観て、びっくりした。
 いわゆる懐メロ番組だったが、平尾昌晃、ミッキー・カーチスとかつてのロカビリー3人組として、ポール・アンカの「ダイアナ」だったかを歌っていた。
 もう70歳近い山下さんだが、細い体を白い上下の服に包み、当時と同じような独特の高い声で歌いあげていた。
 わたしにとっては当時の三人組の中では一番興味の薄い存在だった。そして以降も何度か同じような企画番組に出ても、山下さんには一番つかみどころのなさを感じていたのだが、この日は一番輝き音にノリ、パワフルに感じられた。
 衝撃といってもいいような驚きを受けた。平尾昌晃、ミッキー・カーチスよりカッコよく決めていた。

 曲の合間の対応がずれていて(?)、多少お歳のせいでは、と搦め手からのつっこみがあったが、そんなことも含めて、ご立派というしかない。驚きだった。
 どうやらずっとステージには立っていたようだ。

○アンチエイジングではなく

 歳をとればそれに伴い身体にも緩みやガタが来る。たとえば肌の弾性が弱まってくる。寝ていて顔にできた寝跡がなかなかとれない。視力が落ちる。足腰も弾性が弱くなる。重力に逆らえず、全体に肉は下がり気味になってくる。
 それにたいして、「アンチエイジング」というのもおかしなことだ。加齢による変化は自然過程にすぎないのだから、無駄な抵抗はしない。ただ重ねる歳に沿いながら、どう現在の己れ、情況と緊張感を持ち続けるか。そのことは問われている。

 話は飛ぶが、仕事で話を伺った古希を迎えたある女性作家は、死ぬまで焦燥感を持ち続けるのではないか、と語っていらっしゃった。その通りだと思う。達観や悟りの状態がステージとして設定されていたら、そのほうが怖い。わたしも、最後まで焦燥感など抱き右往左往しながらだろう。

2008年10月 3日 (金)

橋爪大三郎『冒険としての社会科学』

 1989年、昭和が平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊した年に出された『冒険としての社会科学』が、新書として復刊された。当時はまともに読んではいなかったようだ。

Shakaikagaku  それまでの「右翼」や「左翼」の狭い枠組みを越えたところでの社会科学のあり方が、憲法を柱にして示されている。緻密にそして誠実に論が展開され、しかも若い世代への啓蒙書として、噛み砕いてわかりやすく書かれている。

 氏が社会科学の分野で多くの業績を残し、活躍をしてきたことも認めた上で、あえてこの書への疑義を呈しておきたい。
 もちろんすでに20年前に書かれた書であることを踏まえなければいけないし、橋爪さんの他著をあまり読んでいないので、あくまでも本書に限定してのことになる。

 なぜ、「あえて」なのか。ここでの橋爪さんの「マルクス主義」の始末の付け方が以降の若い世代の視点にけっこう影響を与えているように思えるからだ。 (2回連載)

詳細は以下へ。
toyodasha>知の岸辺へ
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-26.htm

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