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2008年8月31日 (日)

クンパルシータ

 四条木屋町から、閉店し今はない「みゅーず」の脇を上り、次の路地を西に入る。フーゾク看板が立ち並ぶその狭い小径を入ってすぐのところにあったタンゴのカフェ「クンパルシータ」。

P8220990_3  訪ねてみると、……予感していたのだが、案の定閉店していた。呑み屋になり、クンパルシータは消えていた。

 最後に出向いたのはもう4年ほど前だったろうか。
 そのときのことはよく覚えている。午後6時ごろ出かけたら、ちょうど店を開く時であまり準備はしていないところだった。ようやくエアコンが作動し始め、湿気をたっぷり含んだ店内の澱んだ空気が流れ始めたときだった。

 客は私1人。ママさんは、新聞の片付けなどをしたあと、音楽を流し始める。
Photo_3  長時間待たされることもあったが、この日はコーヒーは意外に早く出てきた。そしてお水のおかわりなどにも気遣ってくれた(左写真はありし日の「クンパルシータ」の店構え)。

 そのうち、若い学生の男女が入ってくる。女の子は初めてやってきたようで、男が女に店の説明などしていた。
 午後7時を回ったころだろうか、脂が漲った大学教員風の男が、やや年下の女性を連れてきた。近くに座ったせいで、彼がしきりに女を口説いている声が耳に入ってこざるをえなかった。なぜかそんなことを覚えている。

 ママさんはもうずいぶん腰が曲がっていて、歩くのも少し難儀そうだったが、しっかりした話っぷりで、笑顔が可愛らしかった。若い頃はさぞやお綺麗だったことだろう。
 そしていろいろ話を聞かせてくださった。

Photo_2  戦後の混乱の中、母娘で店を始めたのは昭和21年。「あと2年で創業60年」と語っていたのが4年前のことだ(拙著『ほっこり京都時間』)。
 創業60年はたしか2006年に当るはず。そのころは訪ねられなかったが、きっと創業60年というのがママさんの心には節目になっていたのだろう。
 それを閉店のタイミングと心を決めていたと考えても不思議ではない。そんなふうに感じられた。親族がいるでもなさそうだし、ママさんが退くときが店じまいのときだったのだろう。

 近くで呼びこみをしているフーゾクのお兄さんに尋ねると、店じまいは1年ほど前のことらしい。

 創業のころ二十歳くらいの娘として、80歳前後。よくもまあ、現場でしっかりお店を続けてこられたものだ。頭が下がる。きっとまだ彼女の生は続くのだろうが、まずは80歳までご立派な現役人生。

 代々にわたり長く続くお店はもちろん素晴らしいが、母娘2代、そして娘さんが80までしっかり切り盛りして店を維持し、休店しがちになり最後はひっそり店じまいして消えていく。それもまた静かに受けとめ味わいたい歴史だ。フーゾクの波がこのあたりの風情を激変させつつあったし。

 一説には介護施設に入られたとか。たしかではないが、お元気でいることを願わずにはいられない。

2008年8月26日 (火)

「過ぎさりし夏」

 8月、湘南の海へ。
Umi  仰向けになり海に浮かぶ。
 皮膜が海水に溶け、四肢が海に溶解する。頭の奥のほうでざわめきの音がするだけ。体は波に浮遊する。

Yoru  夜の入江。波の音だけが足許から響く。

 夏も終わり。
 そこでミシェル・ルグラン「過ぎさりし夏」。チャリートが巨匠ミシェル・ルグランに会い、彼の楽曲を歌った最新アルバム(CTミュージック)。
 「Watch What Happens ~チャリート meets ミシェル・ルグラン~

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2008年8月20日 (水)

最近読んだ本から

 けっこうな枚数の原稿を最近脱稿して多少時間に余裕が。
 ということで読書時間を少し増やす。

Huyunotabi梅津時比古『冬の旅 ~24の象徴の森へ~』。シューベルトの「冬の 旅」論であり、それを通じた現代のニヒリズムとも向きあう刺激的な書。私のようにごく一般的なクラシック聴きにとっても、なかなかスリリング。

大塚英志『サブカルチャー文学論』。刊行されてずいぶん経ってから読んだことになる。

村上春樹『スプートニクの恋人』再読。改めて巧いと思う。一点、ひっかかりを覚えるのは、「ミュウ」の原体験のとらえ方。それは『ねじまき鳥クロニクル』の「クミコ」のとらえ方ともつながっている。いつか触れてみたいと思う。

大澤真幸『不可能性の時代』

北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』

Zerosouzouryoku宇野常寛『ゼロ年代の想像力』は気鋭の若手評論家のデビュー作。わたしはまったく疎いけれど、ここ10年間のサブカルチャー作品群を素材にし、現在の若い世代が直面する問題の所在をわかりやすく論じている。大いに刺激を受ける。

ニーチェ『偶像の黄昏』、『アンチクリスト』、『この人をみよ』。以前も手にしていたが、正面から再読。現代思想の源流とも評されるニーチェだが、この人、やっぱりおかしいな。「あらゆる価値の価値転換」と何度も自ら強調しているが、異議あり。

2008年8月16日 (土)

『おひとりさまの老後』にみる貧しさ

○ハウツー本として情報は網羅されているが

 遅ればせながら、上野千鶴子氏の『おひとりさまの老後』について。

Ohitrisama  「老後」を迎える「おひとりさま」が「こうすれば、あるいはこう心がければ大丈夫」と、「不安」を解消して元気に「老後」を送りましょうとエールを送る書。
 「老後」のハウツー本としては、だいたい世間で流布されている情報が陳列されている。住宅、地域、お金・経済、介護、仲間づくり、財産や遺言、お墓などについてさまざまに目配りして情報を集めていて、それはそれで一般的な情報価値をもっている。ハウツー本として価値を見いだして購入する人が多く出ることもわかる。

 本書のターゲットは、もともとシングル、離婚したり夫が先に逝きシングルになった(いずれなる)女性たちに絞られている。でも、おそらく男性読者も少なくないのだろう。
 長年会社勤めをしてきた男たちが往々にして不器用で、地域デビューもなかなかできないし、したたかでもないし、現役時代の肩書きや名刺を引きずりがちだし、(自分も含め)やっかいな存在であることはたしかだろう。そして、だいたいが女性より早く死ぬことも事実だろう。
 そういうことを前提にして、「おひとりさま」であったり、これからそうなる女性へのエールを送ることは、それなりの情報価値をもっている。

○不評を招く排他的な姿勢

 だが、ひっかかりを覚える点もいつくかある。
 まずは、多くの人たちが感じている一般的な点について。
 仕事がら、わたしも定年後の生き方について取材してきたり、ときにはデータやノウハウについて書いたり、語ったりするようなこともある。そして「老後」の生き方のハウツー本の必要性も十分わかる。みな不安なのだから。
 老いてくれば、収入が減り、死をより間近に感じるようになり、自立して生活できない事態への不安が増す。これは年齢を重ねた人が抱えこむ不安だ。

 しかし、あたりまえのことだが、不安は高齢者だけの「特権」ではない。生きていて抱える不安は、若者であれ、中年であれ、高齢者であれ、女性であれ、男性であれ、変わりはない。若者にはまた別の不安や苛立ちがあり、中年も同様だ。

 で、本書では「老後」に抱える不安の解消を図ろうとする語り口、姿勢が、なかなかに排他的だ。
 本書で送られるエールの先は、これから「老後」を迎える「団塊世代」とそれ以降の、「おひとりさま」女性に絞られている。それ自体はメッセージのターゲティングであり問題ないのだが、他世代や異性、あるいは、経済的により苦しんでいる層への配慮や、つながろうとする姿勢はみられず、むしろ突き放して嘲笑している。それは故意にとっている戦略なのだろうが、あまり好ましいものではない。そのことが多くの反発を買う要因でもある。
 当然、ターゲット以外の世代や性、あるいは厳しい経済的状況に置かれ層や、この社会のシステムについて思考を伸ばそうという姿勢もない。
 まあ、それも書籍のターゲティング上やむをえないと半ばイクスキューズできるのかもしれない。

○若い世代からの批判

 で、今頃なぜこの本について触れるのか。それは雑誌「SIGHT」2008夏号(ロッキング・オン)で、若手の評論家東浩紀さんが、上野氏の論に噛みついていたからだ(東浩紀ジャーナル「言論は世代を超えられないのか?」)。

続きは以下へ
http://homepage3.nifty.com/toyodasha/sub5/sub5-28.htm

2008年8月 3日 (日)

金沢と京都 自己増殖運動

 恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「世界報道写真展」。
 カメラ付きケータイの普及、動画の普及とネット上での閲覧システムが確立し、報道写真のポジションは低下しているのだろう。
Sekaihoudou  だが、報道写真展をこうしてみると、プロが一瞬を切りとった写真は、あとから考えさせられる力をしっかりもっていることは今も変わりない。
 戦争、内乱、貧困、弾圧、レイプ……。

 「争闘と暴力」

 そのあと、2階にあるがらんどうのカフェでひとやすみ。

 ★ ★ ★

 酷暑の夕暮れ、金沢にある21世紀美術館へ。

 美術館へ向かう途中、香林坊の交差点に立っていたら、制服を着たような若い地味目の女性が広告ティッシュを差し出す。二つ差し出すので、一つだけ受けとる。裏側を見るとフーゾクの広告だった。
 いやはや、まだ明るい、そして香林坊の落ちついた広々した交差点で配布しているとは……。

 そういえば半年前だろうか、京都・先斗町通の夜を久しぶりに歩いたとき、路地の脇に立っていた男に声をかけられたことがある。フーゾクへのお誘いだ。
 以前は先斗町通には、フーゾク勧誘員なんてまったく立っていなかったものだが、制覇した木屋町通をさらに東進している。
 資本は自己増殖運動を追求し、自ずとエリアを拡大する。自らに増殖を強いるのだ。

P10109762_2P10109782_6 さて、21世紀美術館。数年前オープンのようだ。緑の丘陵の上に出現した空間は歩いていて気持ちよく、楽しい。
 有料エリアと無料エリアがあるようで、無料エリアのみ、ぶらりと歩く。迷路っぽい通路で、目的の地に行けずに苛立つおばさんもいたが、いろいろな発見もあり(右写真は展示作ではなく、別室の係員。でも、なかなか絵になるデザイン)。

P71800222P71800182  日比野克彦氏のアートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式[But-a-I]と名づけられた部屋に入る。女性係員以外誰もいない。
 入ると、カメラ撮影禁止とかでカメラを袋に入れさせ られる。
 入口にかかっているいくつかの太い木の棒の中から1本を選んで握りしめ、空間内を徘徊する。

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