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2008年6月 7日 (土)

若松孝二「実録・連合赤軍」

 「山に籠もってばかりいても何も変わらないのにねえ……」
 これから観る上映館に近づいたとき、向い側から歩いてくるオバサン二人(こちらは同世代のオジサンにすぎないが)が会話しているのが耳に入った。しばらくして、あ、「実録・連合赤軍」を観ての感想だな、と気づいた。
 二人の女性は、そういう世界やその周辺にいたようにはみえない、ごくふつうのオバサンスタイルだった。たしかに一般の人の素朴な感想だろう。まったくもって「山に籠もってばかりいても」ではある。
 でも、当事者にとっては、山籠もりは追いこまれて建設した山岳ベースでの軍事訓練の場であり、反撃に転じる拠点のはずだった。

 ★ ★ ★

 メンバーの言葉など、残された資料が忠実に再現されている(一部フィクションもあるが)。忠実に再現していることがいい映画の条件であるわけではまったくないが、少なくともこの映画では、個々のメンバーのやりとりが記録を基に忠実に再現されていることは評価できるし、映画の構成もしっかりしている。若松さんは素直にこの事件(闘い)の事実を映像として表現しておきたかったのだろう。
 連合赤軍事件の問題を、路線や方針、あるいは幹部の資質に帰して簡単に裁断する思い込みよりはずっとましなものになっている。

 ★ ★ ★

 もしこの映画に不満を求めるとしたら、追いこまれる厳しい状況下で組織維持と結束力の大きな飛躍を求められたときに、共同的観念が転倒し内側に折れ曲がり悪無限的様相を呈してしまう観念的生理の不可避性が十分に描けていないことだ。だが、それは若松さんの力量の問題ではなく、映像世界で表現するにはあまりに難しいことなのだろう。
 路線やスローガンにはただただ呆れるばかりだけれども、路線や幹部の資質と責任だけに帰して他人事にして平然としてはいられない同世代者の「こわばり」は、そこにこそあるのだと思う。
 この問題の核心に迫っている表現は、同世代者そして後世代者の著述をみてもなかなか見出しにくい。

 ★ ★ ★

 当時闘争に参加し逮捕されたりすれば、警察側が親を利用することはよくあったし、この山荘閉じ籠もりでも、坂口、坂東の二人だったかの母親がマイクから、「人質」解放と投降を呼びかけていたシーンが出てくる。
 若松さんは、ここでスピーカーから届く母親の声、そしてそれをじっと聞く坂口、坂東両兵士の沈黙と、そのあとの発砲という回答を、静かに描いている。重いシーンだ。
 不勉強なので推測にすぎないが、おそらく彼ら二人は人一倍母親思いだったのではないか。それでも母親の呼びかけにはもちろん応じない。
 回答としての銃声は、市民社会総体への呪詛のように響く。

 三波春夫さんが明るい笑顔で歌った「世界の国からこんにちは」が流れ、「アヴァンギャルト芸術」の岡本太郎さんが「太陽の塔」を建ててしまった大阪万博が開かれてから、すでに2年が経っていた。市民社会を呪いたい心情に傾斜しても、誰も市民社会の外側には出られないし、外に出て立ったつもりになったとき、観念は限りなく転倒し、惨劇を演じてしまう。

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