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2007年11月15日 (木)

浦山桐郎「私が棄てた女」

 遠藤周作原作の同名の作を浦山桐郎監督が映画化した作品(日活)。脚本山内久。
 封切られた69年に観たが、手元にあったビデオを改めて。
 
Sutetaonna  観念的にすぎるきらいがないわけではないけれど、印象に残るシーンがいくつかある。浅丘ルリ子演じるマリ子が葉山の突堤で風に吹かれながら「はまべの歌」を歌うあたり。マリ子とミツが河原で笑顔でともに洗濯をするシーン。そして最後にマリ子が団地の窓から夕陽に目を遣りながら決意を吐露するシーン……。

 そもそも粗筋はこんなふうになる。
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 自動車関係の会社に勤める若き吉岡努(河原崎長一郎)の回想から始まる。
 学生時代、60年安保闘争で挫折しうじうじしている頃、「ペンフレンド」欄(懐かしい!)で知った、福島から上京した森田ミツ(小林トシエ)と、渋谷駅前で初めて会う。吉岡は、工員をしていた田舎者のミツを嫌うが、ただ性的欲望を充たすための存在としてつきあう。
 人を疑うことを知らないミツは結局吉岡に捨てられ、孕んだ子を中絶し、借金を抱えながら生きることに。
 吉岡はその後偶然出会ったミツの厳しい状況を知りながらも、勤め先の専務の姪三浦マリ子(浅丘ルリ子)と結婚する。
 のちに吉岡はミツに再会し、再び関係をもつものの、それを盗撮しネタで脅迫される。ミツを脅したのは、ミツとともに上京した仲良しの友だちで、今はホステスになっている彼女とその情夫だった。そこで争いになり、ミツはアパートの2階から転落し死んでしまう。
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○わかりやすい対立構図

 この作品では、わかりやすい対立構図が映像化されている。

・近代化とそれによって切り捨てられたもの
   颯爽と走る新幹線と、その橋脚下の長屋でひっそり暮らす庶民
・東京(都市)と地方(田舎)
・大企業経営の上流層と地方の貧しい下流層
   ベンツで葉山の自宅(別荘?)に向かう大企業経営一族たちと貧しい庶民たち
・与える女/許す女と欲望に支配されるガサツな男たち
・純朴/純真と悪意/犯罪

 というように対立を構図化でき、巧みに演出されている。

○田舎を切り捨て上昇する

 地方から上京したてのミツと友だち。桜の季節、二人は成城学園前にある憧れのビッグな俳優?の家を見に行って、無邪気に騒ぐ。
 その二人の進む道は対照的だ。
 ミツのほうは、渋谷で出会った吉岡に裏切られ傷つくものの、男を信じ待ち続ける。長屋で見かけた、どん底に落ちていく年寄りを救い、自らも老人ホームで働き始める。
 もう一人の娘は、ホステスになりヤクザの情夫をもち恐喝などに手を染めるようになる。

 じつは吉岡が捨てたのはミツだけではない。
 母と弟が上京したときのこと。上野動物園でわずかの時間だけ家族は再会する(たぶん当時はもの珍しかったのだろう、動物園のモノレールをきちんとカメラが追っている)。吉岡の家も貧しいゆえ、高校生の弟が養子入りし、ひとりになる母は親戚の許へ身を寄せるつもりだという話を聞き、彼はとくに反対するでもなく、わずかの時間会った以外は、宿や観光の手配を部下に任せるだけだった。
 吉岡はミツばかりでなく、母と弟にも背を向ける。

 ミツに対して出自を明らかにしなかった彼は、自らの恥部として故郷を隠し切る。それはミツへの近親憎悪にもなっている。故郷を隠し切り捨てることによって、近代化とその上流階層を志向し、社会の位階で上昇していこうとする。社長の姪であるマリ子との結婚にも、そうした打算がないとはいえない。

○「ミツを殺したもの」と和解
 
 吉岡は、ミツを捨て、死んだあと警察の取り調べにも「たんなる行きずり」と再び彼女を捨てる。

 「ミツを殺したもの」、それは直接にはミツを恐喝したミツの友人とその情夫であり、吉岡である。
 そして、辿れば、当然はじめに挙げたような社会対立構図の中にも「ミツを殺したもの」を探しだすことができる。
 もちろん今日「ミツを殺したもの」を改めて問うならば、もっと別様に立てられる必要があるだろうけれど、この作品内ではいっこうに色褪せていない。

 ミツとの関係を知ったマリ子は、吉岡と別れようとするものの、最後はミツの死とその真相を知り、ミツの存在を受けとめ、吉岡と生きていくことを決意する。
 浦山さんは、吉岡とミツが世話したおばあちゃんの息子を和解させ、マリ子とミツも和解するシーンを置く。とくにマリ子とミツの和解を象徴する、河原で二人が仲よく洗濯する幻想的なシーンはなかなかだ。

○「愛しながら闘う」

 そして最後のシーン。
 マリ子は団地部屋の窓から夕陽に目を遣り、こう語る、「ミッちゃんを殺したものをはっきり見つけてそのものと闘っていかねばならない。愛するものを愛しながら」。いささか観念的な匂いがするけれど、みごとな決意ではある。

 マリ子に最後に語らせたもの、「愛しながら闘う」の台詞は浦山さんの、七〇年代への決意だったろうし、この映画はミツ(的な存在、女性、聖母マリア的なるもの)への讃歌でもあり、またミツ的なものへ赦しを乞うたものでもあったのだろう。
 浦山さんが、その決意を男である吉岡にではなく、ミツを抱えこむマリ子(女)に語らせる(託す)ところに、監督浦山さんの女性(母)への想いもうかがえる。

○夕暮れの風に吹かれて

 この作品ではマリ子(浅丘ルリ子)の細い肢体の美しさが謳いあげられている。それが浦山さんのこだわりだったのか、商業面での要請だったのか、わからない。が、それがこの映画の魅力のひとつを形づくっている。
 吉岡と一緒の入浴シーンは措くとしても、葉山海岸の突堤で夕暮れにマリ子が風に吹かれながら「はまべの歌」を歌う――このシーンが浦山さんの昇華された原風景だったのではないだろうか。

 原作者遠藤周作さんが、マリ子の妊娠を確認する産婦人科医として登場するのはご愛嬌。じつに嬉しそうな表情は演じているというより、その役を得た喜びが自然に零れているよう。
 音楽は黛敏郎。ときどきプリペアドピアノのような現代音楽サウンドも挟み込んでいる。
 ぎこちなさはあるものの、佳作だと改めて思う。

2007年11月 4日 (日)

「忘却にたいする記憶の闘い」

 東大全共闘代表だった山本義隆さんは、闘争以降、物理学分野以外ではこれまで一切発言をしていないし、取材も受けず、沈黙を守っていた。ただ、東大闘争の膨大な資料類を長年かけて整理し、国会図書館に納めたことは伝えきいていた。
Toudaitousou  その山本さんが、10月に発売された、東大闘争をその内部から撮った女性カメラマンの写真集『東大全共闘 1968-1969』(写真=渡辺眸)に、闘争をめぐっての一文を寄せている。じつに珍しいことだ。

 その中で、東大医学部での学生・研修生への処分問題について、改めて触れている。処分された学生の一人が、学生・研修生と教授らがもめた現場にはおらず九州にいたのに、不当に処分された事件だ。そのことを追及されても、教授会は開き直って憚らず、その後医学部生や青医連が安田講堂を占拠すると、排除のために機動隊を導入した。
 「あまりにも無責任で、そのくせ恥知らずで弾圧的な言動」を重ねてきたその当時の教授会、個々の教授のありように、山本さんはいまも厳しく言及している。
 当時彼の書いた『知性の叛乱』に、わたしは少しばかり立ち位置が違うと生意気にも思っていたが、個別の闘いは、とにかくこうした個々の問題こそがすべてであり、一番大きなことだ。山本さんはあたりまえのことにあたりまえにずっとこだわり、その闘いを貫いてきたのだ。

 仲間だった今井澄さん(東大安田講堂攻防戦で安田講堂防衛隊長に指名され、のちに諏訪中央病院院長、2002年逝去)の追悼会のとき、山本さんは次のように語ったという。

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東大闘争の意義の一つは、それまでの東大の学生運動が法案の上程や条約の締結をめぐり街頭行動で国会に圧力をかけてゆく運動に終始していたが、ここではじめて、帝大解体を言うことによって、社会的に構造化された権力機構に自分たちのいる場で抗ってゆくという形の運動を展開したことにある。
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 もちそんそれは自らの存在とありようを厳しく問うことを伴う運動でもあった。いわゆる全共闘世代(団塊世代、ベビーブーマー)より上で六〇年安保にも近い位置にいたからこそ、全共闘運動の新しさをもこうしてとらえることができる。

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 山本義隆さんの風貌を写真で眺めると、いつも作家の吉行淳之介の姿を重ねてしまう。要するに、あまり闘士の姿形に似つかわしくない山本さんなのだが、闘争以降も大学に戻ることなく在野を貫いてきた。
 団塊世代より少し上の 将来を嘱望された優秀な院生や研究者などのこうした人たちも全共闘運動を最前線で担ってきたところに運動の理と広がりがあった。

 「いささかカッコよすぎて照れくさくもあるが」と断った上で山本さんは、ミラン・クンデラの語った「権力にたいする人間の闘いとは忘却にたいする記憶の闘いにほかならない」ということばを、この貴重な写真集に寄せている。もちろんフーコーの論に象徴されるように、「権力論」はその後旋回を余儀なくされることにはなるのだが。否、フーコー自身も六〇年代後半の運動を通じてそれをつかんだというべきか。
 写真展は10月に銀座のニコンサロンで開催されていた。

2007年11月 1日 (木)

黄昏れてジュリー・ロンドン

 名古屋へ出かけ空き時間ができ、夕暮れ、栄のジャズの店へ。
 「YURI」という。

 テレビ塔のある大通りに面した一階。窓からは行き交う人や車も見える。ジャズの店としては珍しい。
 二人連れが多く、みな会話している。が、スピーカーのほうも負けじとしっかり音を出している。

Yuri1  オーダーしたカフェオレを飲み始めると、「ワルツ・フォー・デビイ」のアルバムが流れてくる。
 ビル・エヴァンスの震えるようなピアノにスコット・ラファロのベースが応える。
 最近は「ポートレイト・イン・ジャズ」「エクスプロレイションズ」あたりばかり聴いていたのだが、いいススピーカーでヴォリューム上げて聴くと、「ワルツ・フォー・デビイ」、やはりいいなあ。
 スコットラファロのベース、何度も耳にしてきたつもりだが、人生この期に及んでなお発見がある。リバーサイド時代のビル・エヴァンストリオは、いつ聴いても最高だ。

 黄昏て、ジュリー・ロンドンのライブ版などかかる。暮れて色が深くなる街に浮かぶ灯りを眺めながらのジュリー・ロンドン。これもまたよし。「クライ・ミー・ア・リバー」も流れる。ライブのを聴くのは初めてのような。

Yuri2_2  店を出ると目の前、雨上がりの空にライトアップされたテレビ塔がそびえていた。

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