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2007年2月12日 (月)

健在! シャルル・アズナブール

 シャルル・アズナブールの日本公演を東京国際フォーラムまで聴きに出かける。

 東京国際フォーラムで前回聴いたコンサートは、ジョアン・ジルベルトだった。彼が以降毎年のように来日する初めての年だった。
 開演時間近くになると、場内にアナウンスが流れる。「演奏者は、ただいまホテルを出て、会場に向っています。しばらくお待ちください」。
 怒るなんてことよりも、とにかくコンサートをすっぽかさずにジルベルトさんが会場に向かっていることに、客席はみな安堵し、どよめきが起こった。
 40、50分遅れてのスタートだったが、しかしジルベルトのギターと声だけの演奏は素晴らしいものだった。途中で20分前後、椅子に座ったまま動かずなにもしない伝説のシーンもあったりして、すごいコンサートだった。

 そのときは2階の奥から見える遙か先の小さな舞台を見下ろすようだったが、今日は1階席。
Aznavour2   60年代、70年代によく聴いたアズナブールの曲が続いて流れる。82歳というのに、声量も張りもあり、うれしい。バックは弦楽四重奏、ギター2本、ピアノ、キーボード、ドラムス、パーカッション、サックスという最近あまりみなくなった陣形。女性二人のコーラス、一人はアズナブールの娘さんらしい。(写真は「シャルル・アズナブール新しき世界」キングレコード)
「ラボエーム」「遠い想い出」「二つのギター」……聴きながら、その時代の体験や映像と重なる。

 四谷の路地にあった「ボヌール」。“シャンソン喫茶”だ。シャンソンが元気であった時代とはいえ、シャンソンだけを流す店はそうそうはなかった。アズナブールやモンタン、ジュリエット・グレコらの歌がよく流れていた。
 ここのメニューには、紅茶にイチゴジャムを入れるロシアンティーがあり、体が冷えたときなど、ときどき注文した。
 下町育ちのわたしにとって、四谷や六本木はあまり足を踏み入れない場所だったが、故あって、学生時代何度か通い、そして四谷にある職場に勤めるようになってからは、ときどき合間を見ては入った。過酷で先のみえない70年代、ジャズの「いーぐる」と並び、「ボヌール」はなんとかひと息つけるスポットだった。
 その「ボヌール」も70年代末か80年代はじめだったか、私が四谷を離れるころ、同時になくなったと思う。

 脇道に逸れたが、アズナブール。
 エディット・ピアフはすごい! だってイヴ・モンタンとシャルル・アズナブールという男らを傍らに置き、二人とも大シャンソン大歌手として生みだし育ててしまったのだから。
 アズナブールは、パリで生まれたといっても両親はアルメニア系。彼ははじめからフランス人で「ある」のではなかった。フランス人に「なる」ために大きな力を要した。
 トリュフォーの「ピアニストを撃て」(1960年)で主演。映画で観ているのはこれくらいだろう、と思っていたら「オルフェの遺言」にも出ていたそう。気づかなかった。トリュフォーらとともにヌーヴェル・ヴァーグに立ちあっていた。

 コンサートでは大仰なアクションはまったくないが、両手の微妙で柔らかな動きがかえってドラマ性を高める。軽くダンスするときの脚の運びも滑らか。
 翻ってフランス人でこれだけ人を集められるアーティスト、いまはほとんどいないのではないだろうか。
 彼には引退がないという。引退する、あるいは引退しない、ではなく、ただ歌いたいときに歌うのだと。なるほど。
 82歳の1時間40分にわたるコンサートは大喝采のなかで幕を閉じた。

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