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2006年12月17日 (日)

『宗教の経済思想』の危うさ

○宗教的倫理こそ「不祥事」の土壌を

 ここに『宗教の経済思想』という本がある(光文社新書)。キリスト教、イスラム教、仏教、そして日本の経済思想について、歴史的に比較し丁寧に解説したものだ。なかなか参考になり、教えられる。
Shukyorinri  ただ、一点だけ、そしてとても大きな点なのだが、どうしても著者の保坂俊司さんの視点に異を唱えておかなければならないころがある。
 こういう視点にたいしてだ。

「今日資本主義経済社会が抱える問題の多くが、宗教倫理の欠如にあるということは、誤りのない視点であろう」。

 宗教(あるいは宗教的といってよい)倫理の欠如こそが、バブル崩壊後の経済界でのさまざまな不祥事を生みだしている、と著者は指摘する。
 
 わたしにはまったく逆に思える。ひとつは宗教倫理こそが資本主義の抱える問題をより惹起し、あるいは拡大してきたのではないか、と。また宗教倫理こそが、社会が抱えるしくみの問題を結果として隠蔽し、矛盾をさらに拡大する役割を果たしてきたのではないか、と。
 わたしは宗教を「阿片」などととらえる蒙昧から多少は自由なつもりだ。むしろ宗教のなかに人間の心の動きが集約されている。ものごとを突き詰めたり、存在を振り返るとき、つねに宗教(的発想)と向きあうことにもなる。宗教を貶めようという気持ちはもたない。
 ただ、宗教倫理の欠如が資本制経済社会での不祥事を生みだしたのだとは思わない。逆に、宗教的倫理こそが不祥事を生む土壌をずっと醸成しつづけてきたのだ、ととらえる。

○宗教倫理が推進してきた

 労働とは苦役であり、できれば奴隷(他者)にさせたほうがよい、できれば短時間ですませたいという古来からの労働観がある。これは宗教ではないが、古来からの西欧に根強い発想だ。労働は他者に押しつけるか、手っとり早く済ませればよいという考えが職場や環境を荒廃へ近づけている。
 たほう、「時は金なり」なのだから、倍々で増殖する貨幣(と膨大な財産)を生み築くために、寸暇を惜しんで働こうという効率優先の労働観がある。倍々で利潤を増殖させていくべきであるという考え方が、経済界における不祥事の発生をより促進してきたことを否定することはできない。
 あくなき利潤の追求を促すのは、「時は金なり」の思想であり、仕事を神から授けられた天職として休みなく全うしようとする天職思想だ。
 寸暇を惜しんで働き利潤を増殖させることこそ務めとする思想と組みあわせられた利潤増殖の自己運動こそが転倒を呼びこみ、「倫理性の軽視や欠如が原因と思われる不祥事」を生みだすように結果しているのである。
 人間は弱い存在だ。だからこそ、利潤の自己増殖運動に巻きこまれて、脱法や法の侵犯へと向かってしまう。向かうように強いられる。
 むしろ、目を向けるべきは、そのように強いてしまう、利潤の自己増殖運動の力学だ。そのしくみから目を背けて、心や信仰を問い、倫理や道徳を説き守らせようとすることに収斂するのは、問題を不可避に惹きおこす、根っこにあるしくみを支えることになる。

○偉大なる「善意」と飽くなき利潤追求

 莫大な利益を上げ個人資産を蓄積した人が、たとえば福祉へその財産を寄付すること、保坂さんはそこに「損得勘定を超えた崇高な価値観、特に宗教性があるのではないか」とみる。はたしてそうだろうか。

つづきは以下へ 徒然にスロー>宗教倫理と「不祥事」

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