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2006年12月10日 (日)

「父親たちの星条旗」とクリント・イーストウッド

 「硫黄島からの手紙」が公開されようとする直前、ようやく「父親たちの星条旗」(Flags Of Our Fathers 監督=クリント・イーストウッド)を観た。

 激戦が繰り広げられた硫黄島、そこで日本軍を駆逐し擂鉢山に掲げられた星条旗。その写真と、旗を掲げた兵士たちを利用して、厭戦気分を一掃して戦意高揚を図る軍幹部、政治家たち。
 戦争では“英雄”が欠かせない。“英雄”が創造され、利用される。
 “英雄”として利用された3人のうち、ひとりは戦中戦後、先住民である差別を受けつづけ、もうひとりは、戦争が終わったら連絡しろ、と雇用を約束してくれた企業経営者に戦後電話を入れても、無視される。
 祭りあげられた“英雄”は、戦後には使い捨てられた。他方、戦死した仲間の家族たちは、戦後息子たちの不在の悲しさに包まれ続ける。

 銃弾が飛び交う中、仲間を思いやり、同時に我が身を守り、ときにはどちらをとるかを突きつけられ、家族や恋人(のいる祖国)に思いを馳せる。葛藤を抱えながら、怯えながら、敵を攻撃する。攻撃しなければ自分(自軍)がやられてしまう。そこでは“英雄”もクソもない。

 もし“英雄”が存在するとしたら、それは戦争の「大義」「正義」を掲げて戦意高揚を図ろうとする人たち、“英雄”を祭りあげる必要のある人たち、戦費を獲得しなければならない人たち、つまり政治家や軍幹部、軍需産業経営者らのデッチ上げにすぎない。
 クリント・イーストウッドさんは、硫黄島での戦争とそれに関わった人々を静かに描いたにすぎない。でも、映像は自ずから、そうしたことを強く訴えかけている。
 最後に浜辺で軍服を脱いで海に入り泳ぐ若き兵士たちの姿が、微かな救いでもある。だが、硫黄島の惨劇は戦後も繰り返されている。

 1960年前後だったか、毎週土曜日の夜テレビで観た「ローハイド」は、戦後生まれの日本のガキどもの一番楽しみな番組だった。
 数千頭の牛たちを、テキサス州からカンザス州までの長い道のり運ぶカウボーイたちの物語。
 若手のロディを演じていたのがクリント・イーストウッドさん。長身で、少し背を丸めて細くて、胴が長くて。女の子には目がなくて、エリック・フレミングさん扮するフェイバー(隊長)によく叱られていた。
 でも、心優しくて、組織を束ねる長として原則的主張もせざるをえないフェイバーにときには抵抗する姿勢も見せていた。

 そのロディ、いやクリント・イーストウッドさんが、のちに御年70代になって「ミスティック・リバー」や「父親たちの星条旗」といった名作を生みだすとは思いもしなかった。70代……、まだまだだ。

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