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2006年12月22日 (金)

奥田瑛二「長い散歩」

 奥田瑛二さんの「長い散歩」。2週間前に先行の上映会で観る。
 パンフレットのリード文にはこうある。

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 背中に悔いを背負った男、安田松太郎。彼は傷ついた天使に出会い、旅に出る。しかし、社会はそれを誘惑と呼んだ。
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Nagaisanpo  いろいろ考えさせられる映画だ。
 家庭は妻に任せ出世に励み社会的体裁を第一とし、権威主義に陥った元校長と崩壊した家庭。
 母親と愛人による幼女への虐待
 帰国子女少年の彷徨。

 この映画を観て、かつてルネ・クレマンが描いた名画「禁じられた遊び」が想い出され、重なった。「禁じられた遊び」の幼女が墓作りの遊びに熱中する姿と、「長い散歩」の幼女が小鳥の雛が死に、そして少年が死んだあとに墓を作る姿。
 二人の女の子とも、隣に親がいない。「禁じられた遊び」では戦争による爆撃で両親が一瞬のうちに亡くなったから。「長い散歩」では、母親の虐待から逃れるように離れたから。
 どちらが不幸なのかたやすく比べることはできないだろうが、親の虐待から逃れて親が隣にいない幼女のほうが、むしろ悲惨の度合いは深いかもしれない。
 「禁じられた遊び」では戦争という残虐が静かに描かれた。戦後、そうしたもっとも悲惨から解放された。しかし、戦争がなくなったはずの戦後半世紀を経て、子どもは親から死に至らしめられるほどの虐待を受けている。

 子どもへの虐待は、社会のありようの反映である。
 しばらく前、秋田県で起きた、母親が幼女とその近所の男の子の殺害事件が報道され続けていた。あの母親は極悪人としてメディアに描かれ続けてきたが、その背景を辿ると、ひとりを極悪人に仕立てあげるだけではとてもすまないとてつもない重さを感じざるをえなかった。
 消費社会、ポスト産業資本主義社会におけるどうしようもない暗さと淀み。それは私たちが生みだし抱えこんでしまったものだ。

 映写会のあと、奥田さんはこの映画が緒形拳さんへのリスぺクトでもあるといった趣旨のことを語っていたが、最後に緒形拳演じる松太郎が、中京地方の駅広場で幼女の前にひざまづき崩れるシーンはなかなか泣かせてくれる。もちろん自分の妻と娘にたいして流した涙でもある。
 最後に流れるUAの「傘がない」が切ない。

 

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