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2006年12月24日 (日)

今年の5冊

 今年もあと1週間ほど。そこで今年の5冊。

◎小阪修平
思想としての全共闘世代』(ちくま新書)

 なんといっても今年一番の収穫(9月8日当コーナーに掲載)。
 「経験史」でありながら(だからこそ)、現在の課題をも示している。

◎吉本隆明
甦るヴェイユ』(洋泉社新書)

 単行本が出たのは1992年のこと。だが、なぜか読んでいなかった。その前に大和書房から80年代後半に刊行されていた「全集撰」に差し込まれていた月報に連載され、断片は目にしていたが、入っていくのが重すぎる印象を持っていたからだろう。
Weil  今回新書として刊行されたのを機にきちんと読んだが、ずいぶん力のこもった書だ。
 労働、死、信仰をめぐり、シモーヌ・ヴェイユ思想にたいし共鳴しつつも厳しい批判が、哀感を滲ませながら展開されている。
 たとえば以下のようなフレーズがある。

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 死は平等で、無価値だ。自然死を最良においた中世日本のひとりの思想家は偉大で懐かしい。犠牲死のほうが自然死よりも意味があり、また価値があるかのように触れてあるく三百代言たち。自己抹殺の理念のほうが自然死の理念より価値があるかのように言葉を駆使するシモーヌ・ヴェイユ。この思想家はほんとの悲劇だ。そしてほんとに根拠がある病気だ。
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 厳しいことばが並ぶけれど、これが、工場労働者として倒れるほど働き、レジスタンス運動に身を挺したヴェイユへの、遅ればせながらもほんとうの餞になるのだろう。

◎梅津時比古
天から音が舞い降りてくるとき~音楽の彼方にあるものにⅡ~』(東京書籍)

 クラシック分野で音楽評論を続ける著者が、毎日新聞に連載したコラムを集めたもの。 とりあげられるのは、バッハやモーツァルト、シューベルト、サティらの西洋作曲家だけではない。中田喜直、武満徹ら日本の作曲家、東西の演奏家にまで広がる。さらに、クラシックだけではなく、ビートルズやゴールデン・カップスなど、ロックのミュージシャンにまで及ぶ。また、音楽のみならず、ボッティチェッリ、シャガールらの絵画、写真にまで評論の対象は伸びている。
 じつに幅広いジャンルから、音と言葉、色合いにまつわる作品が採り上げられているのだが、そこには著者の哀しみと慈しみを含んだ眼差しがつねに感じられる。哲学的箴言とでもいうべきフレーズもさりげなく散りばめられている。
 意表を衝かれることもある。たとえば、ビートルズのジョージ・ハリソンを、シューベルトやピアソラに二重写しにする。ジョンレノンの曲作りとシューベルトのそれを並べてみる。
 石原慎太郎の初期の短編「鴨」にまつわる話など、ぐっと引きこまれる。音楽評論というカテゴリーにとどまらない、著者の力量をうかがうこともできる。

 復活したゴールデン・カップスのライブに接してつぎのように書いている。

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 三十年以上たって先日、六本木のライブハウス「BOLD」の片隅で、カップスを聴いた。入院中のルイズルイス加部以外は、ボーカルのデイブ平尾、リードギターのエディ藩、キーボードのミッキー吉野、ドラムスのマモル・マヌーとそろっていた。
 基本の線がぴしりと合っていることに改めて驚いた。その上に、自在の遊びがあった。ボーカルに味がにじんでいた。エディ藩のリードギターが、面白い音を発見しつつ決して誇張せず、見せようとせず、音自体が求めるイメージを、遠い憧れのように、大切に追っていた。音の質を求めるこの姿勢は、アラウが音を慈しむ姿勢と変わりない。
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 静かにできる正月にDVD「ワンモアタイム」を再び流してみよう。

◎ジョルジュ・バタイユ(中山元訳)
呪われた部分 有用性の限界』(ちくま文庫)

 二見書房版などで拾い読みしていたが、中山元さん訳のちくま学芸文庫版が2003年に出ている。労働論を考えていた今年、再読。
 まだしばらくはバタイユさんと向きあう必要がありそうだ。

◎杉田俊介
フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)

 初版は昨年秋らしいが、読んだのは今年に入ってから。このところ働くことについて考え続けてきたので出会った本だ。若い世代のフリーター論。
 フリーターという層のあり方を通じて、正規雇用、非正規雇用を貫く、労働が抱える問題の核について迫ろうとしている。
 フリーターからの告発という立場に終始するのではなく、問いを自らに戻しもする。アジテーション風にすぎるところもあるけれど、刺激的ではある。

2006年12月22日 (金)

奥田瑛二「長い散歩」

 奥田瑛二さんの「長い散歩」。2週間前に先行の上映会で観る。
 パンフレットのリード文にはこうある。

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 背中に悔いを背負った男、安田松太郎。彼は傷ついた天使に出会い、旅に出る。しかし、社会はそれを誘惑と呼んだ。
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Nagaisanpo  いろいろ考えさせられる映画だ。
 家庭は妻に任せ出世に励み社会的体裁を第一とし、権威主義に陥った元校長と崩壊した家庭。
 母親と愛人による幼女への虐待
 帰国子女少年の彷徨。

 この映画を観て、かつてルネ・クレマンが描いた名画「禁じられた遊び」が想い出され、重なった。「禁じられた遊び」の幼女が墓作りの遊びに熱中する姿と、「長い散歩」の幼女が小鳥の雛が死に、そして少年が死んだあとに墓を作る姿。
 二人の女の子とも、隣に親がいない。「禁じられた遊び」では戦争による爆撃で両親が一瞬のうちに亡くなったから。「長い散歩」では、母親の虐待から逃れるように離れたから。
 どちらが不幸なのかたやすく比べることはできないだろうが、親の虐待から逃れて親が隣にいない幼女のほうが、むしろ悲惨の度合いは深いかもしれない。
 「禁じられた遊び」では戦争という残虐が静かに描かれた。戦後、そうしたもっとも悲惨から解放された。しかし、戦争がなくなったはずの戦後半世紀を経て、子どもは親から死に至らしめられるほどの虐待を受けている。

 子どもへの虐待は、社会のありようの反映である。
 しばらく前、秋田県で起きた、母親が幼女とその近所の男の子の殺害事件が報道され続けていた。あの母親は極悪人としてメディアに描かれ続けてきたが、その背景を辿ると、ひとりを極悪人に仕立てあげるだけではとてもすまないとてつもない重さを感じざるをえなかった。
 消費社会、ポスト産業資本主義社会におけるどうしようもない暗さと淀み。それは私たちが生みだし抱えこんでしまったものだ。

 映写会のあと、奥田さんはこの映画が緒形拳さんへのリスぺクトでもあるといった趣旨のことを語っていたが、最後に緒形拳演じる松太郎が、中京地方の駅広場で幼女の前にひざまづき崩れるシーンはなかなか泣かせてくれる。もちろん自分の妻と娘にたいして流した涙でもある。
 最後に流れるUAの「傘がない」が切ない。

 

2006年12月17日 (日)

『宗教の経済思想』の危うさ

○宗教的倫理こそ「不祥事」の土壌を

 ここに『宗教の経済思想』という本がある(光文社新書)。キリスト教、イスラム教、仏教、そして日本の経済思想について、歴史的に比較し丁寧に解説したものだ。なかなか参考になり、教えられる。
Shukyorinri  ただ、一点だけ、そしてとても大きな点なのだが、どうしても著者の保坂俊司さんの視点に異を唱えておかなければならないころがある。
 こういう視点にたいしてだ。

「今日資本主義経済社会が抱える問題の多くが、宗教倫理の欠如にあるということは、誤りのない視点であろう」。

 宗教(あるいは宗教的といってよい)倫理の欠如こそが、バブル崩壊後の経済界でのさまざまな不祥事を生みだしている、と著者は指摘する。
 
 わたしにはまったく逆に思える。ひとつは宗教倫理こそが資本主義の抱える問題をより惹起し、あるいは拡大してきたのではないか、と。また宗教倫理こそが、社会が抱えるしくみの問題を結果として隠蔽し、矛盾をさらに拡大する役割を果たしてきたのではないか、と。
 わたしは宗教を「阿片」などととらえる蒙昧から多少は自由なつもりだ。むしろ宗教のなかに人間の心の動きが集約されている。ものごとを突き詰めたり、存在を振り返るとき、つねに宗教(的発想)と向きあうことにもなる。宗教を貶めようという気持ちはもたない。
 ただ、宗教倫理の欠如が資本制経済社会での不祥事を生みだしたのだとは思わない。逆に、宗教的倫理こそが不祥事を生む土壌をずっと醸成しつづけてきたのだ、ととらえる。

○宗教倫理が推進してきた

 労働とは苦役であり、できれば奴隷(他者)にさせたほうがよい、できれば短時間ですませたいという古来からの労働観がある。これは宗教ではないが、古来からの西欧に根強い発想だ。労働は他者に押しつけるか、手っとり早く済ませればよいという考えが職場や環境を荒廃へ近づけている。
 たほう、「時は金なり」なのだから、倍々で増殖する貨幣(と膨大な財産)を生み築くために、寸暇を惜しんで働こうという効率優先の労働観がある。倍々で利潤を増殖させていくべきであるという考え方が、経済界における不祥事の発生をより促進してきたことを否定することはできない。
 あくなき利潤の追求を促すのは、「時は金なり」の思想であり、仕事を神から授けられた天職として休みなく全うしようとする天職思想だ。
 寸暇を惜しんで働き利潤を増殖させることこそ務めとする思想と組みあわせられた利潤増殖の自己運動こそが転倒を呼びこみ、「倫理性の軽視や欠如が原因と思われる不祥事」を生みだすように結果しているのである。
 人間は弱い存在だ。だからこそ、利潤の自己増殖運動に巻きこまれて、脱法や法の侵犯へと向かってしまう。向かうように強いられる。
 むしろ、目を向けるべきは、そのように強いてしまう、利潤の自己増殖運動の力学だ。そのしくみから目を背けて、心や信仰を問い、倫理や道徳を説き守らせようとすることに収斂するのは、問題を不可避に惹きおこす、根っこにあるしくみを支えることになる。

○偉大なる「善意」と飽くなき利潤追求

 莫大な利益を上げ個人資産を蓄積した人が、たとえば福祉へその財産を寄付すること、保坂さんはそこに「損得勘定を超えた崇高な価値観、特に宗教性があるのではないか」とみる。はたしてそうだろうか。

つづきは以下へ 徒然にスロー>宗教倫理と「不祥事」

2006年12月10日 (日)

「父親たちの星条旗」とクリント・イーストウッド

 「硫黄島からの手紙」が公開されようとする直前、ようやく「父親たちの星条旗」(Flags Of Our Fathers 監督=クリント・イーストウッド)を観た。

 激戦が繰り広げられた硫黄島、そこで日本軍を駆逐し擂鉢山に掲げられた星条旗。その写真と、旗を掲げた兵士たちを利用して、厭戦気分を一掃して戦意高揚を図る軍幹部、政治家たち。
 戦争では“英雄”が欠かせない。“英雄”が創造され、利用される。
 “英雄”として利用された3人のうち、ひとりは戦中戦後、先住民である差別を受けつづけ、もうひとりは、戦争が終わったら連絡しろ、と雇用を約束してくれた企業経営者に戦後電話を入れても、無視される。
 祭りあげられた“英雄”は、戦後には使い捨てられた。他方、戦死した仲間の家族たちは、戦後息子たちの不在の悲しさに包まれ続ける。

 銃弾が飛び交う中、仲間を思いやり、同時に我が身を守り、ときにはどちらをとるかを突きつけられ、家族や恋人(のいる祖国)に思いを馳せる。葛藤を抱えながら、怯えながら、敵を攻撃する。攻撃しなければ自分(自軍)がやられてしまう。そこでは“英雄”もクソもない。

 もし“英雄”が存在するとしたら、それは戦争の「大義」「正義」を掲げて戦意高揚を図ろうとする人たち、“英雄”を祭りあげる必要のある人たち、戦費を獲得しなければならない人たち、つまり政治家や軍幹部、軍需産業経営者らのデッチ上げにすぎない。
 クリント・イーストウッドさんは、硫黄島での戦争とそれに関わった人々を静かに描いたにすぎない。でも、映像は自ずから、そうしたことを強く訴えかけている。
 最後に浜辺で軍服を脱いで海に入り泳ぐ若き兵士たちの姿が、微かな救いでもある。だが、硫黄島の惨劇は戦後も繰り返されている。

 1960年前後だったか、毎週土曜日の夜テレビで観た「ローハイド」は、戦後生まれの日本のガキどもの一番楽しみな番組だった。
 数千頭の牛たちを、テキサス州からカンザス州までの長い道のり運ぶカウボーイたちの物語。
 若手のロディを演じていたのがクリント・イーストウッドさん。長身で、少し背を丸めて細くて、胴が長くて。女の子には目がなくて、エリック・フレミングさん扮するフェイバー(隊長)によく叱られていた。
 でも、心優しくて、組織を束ねる長として原則的主張もせざるをえないフェイバーにときには抵抗する姿勢も見せていた。

 そのロディ、いやクリント・イーストウッドさんが、のちに御年70代になって「ミスティック・リバー」や「父親たちの星条旗」といった名作を生みだすとは思いもしなかった。70代……、まだまだだ。

2006年12月 8日 (金)

茂田井武の世界

Chihirokan2  晩秋の午後、いわさきちひろ美術館で開催されていた「茂田井武の世界」へ。

 茂田井武――ご存知だろうか。戦後の児童絵本雑誌「キンダーブック」などで絵を描き、あるいは宮沢賢治の「セロひきのゴーシュ」(福音館書店)や「グリム童話選」(岩波書店)などで絵を担当していた画家。50代、60代の人なら幼少年時代にきっと目にしているにちがいない。
 私自身、幼年時代「キンダーブック」はよく手にしていたから、ずいぶん影響を受けているはずだ。保育園で見ていたし、親が買ってくれたのかもしれない。

Goshu  画家茂田井武さんは、日本橋の旅館の息子として生まれたが、震災で家が全焼、親が早く亡くなってしまったこともあり、独学で絵の勉強を志す。そのころ中原中也などとも交流があった。
 渡仏しパリで働きながら絵を学び、戦争末期には中国へ出兵。
 敗戦後、児童文学、児童画の世界の復興を受け、本の絵をたくさん手がけるが、持病の喘息などで、奥さんと子ども3人を残し、40代の若さで夭逝してしまった。

 今回の展覧会で絵を眺め、改めて幼少、少年時代の記憶が蘇ってくる。シャガールやエミール・ノルデの世界とも通じるように、私は勝手に感じている。
 今回は作品だけでなく、日記帳のようなものやノート類まで展示されている。長女や長男、次女を描いた絵も並んでいる。いわば人生の軌跡もしっかりと辿れる、とてもていねいな展覧会だ。

 じつは、そこで武さんによって描かれている長男の泉君とわたしは高校時代の同級生で、卒業以降ずっと交流をつづけていきた。大の親友でもある。
 17、18歳前後からの数年間、つまり1960年代後半のあの時代、二人でいろいろなところへ出向いた。
 新宿アートシアターは毎月のように出かけた。「気狂いピエロ」「軽蔑」「女と男のいる歩道」「男性・女性」「突然炎のごとく」「長距離ランナーの孤独」「幸福」「心中天網島」「絞首刑」……あたりはみなそうではなかったか。
 アートシアター以外の名画座にもずいぶん出かけた。彼の影響を受けたといったほうが正しいのかもしれない。
 丹下健三が設計したオリンピックの代々木会場で開かれた現代音楽祭。たしかジョン・ケージも来ていたのではなかったか。日独文化センターやアテネフランセでのイベントにもずいぶん通った。旅にも出た。
 アヴァンギャルドが勢いをもっていた時代だった。映画、美術、音楽……時代の先端の文化を彼と一緒に思い切り吸い込んだ。

 その後、彼がアメリカ人女性と結婚し渡米、サンフランシスコに居を構えるようになってからも、数年に一度くらいは会っている。仕事でこちらがサンフランシスコへ出かけたとき、あるいは彼が帰国したときなど。
 父の個展開催もあり、この秋久しぶりに息子とともに日本に戻ってきた。わが家で、そして酒場で酒を酌み交わした。
 画家・茂田井武さんの心は、子どもたちの中にちゃんとつながっている。

2006年12月 2日 (土)

上山高史さんのライブ DUG閉店

 定年後に“三度目”のデビューを果たした異色のジャズ・シンガー上山高史さん。まもなく70歳を迎える。
 数年前仕事で取材をさせていただいたことがあり、以降、東京でのライブにはときどきお邪魔している。
 三度目というのは、まず一度目がボーイソプラノ時代。戦後NHKラジオ「鐘の鳴る丘」を高らかに歌った、そう、皆が聞いたことのある声が上山少年だった。
焼け跡の日本で全国の少年少女が励まされた曲だ。
 変声期を迎えて引退。
 つづいて二十歳前にザ・ヒット・パレードで学生ジャズシンガーとして再デビュー。しかし卒業して就職とともに歌手を引退。長いこと、サラリーマン生活を送ってきた。
 そして満を持して定年後三度目のデビューということになる。

Img_0078_1   その上山さんのライブが11月23日夜、新宿であった。会場となったDUGはこの日は満員。もう狭い空間までぎっしり。上山人気の広がりもあるのだが、満員盛況の理由はもうひとつ、このDUGがこの年末で店仕舞いするからでもある。
Murakamisekai_1  オーナーの中平穂積さんがそろそろここを閉めるそう。
 DUGといえば、1960年代にオープンした新宿ジャズの老舗。中平さんはカメラマンとしても活躍し、店にはジャズプレイヤーの写真も飾られている。
 60年代、70年代にはよく通った。まだ紀伊国屋書店の脇のビルの地下にあったころだ。
『ノルウェイの森』の中で、村上春樹さんは珍しく「DUG」という固有名詞を登場させている。小説の中で実在の店名を出すことは、ほとんどないのに。

Murakami2   私が構成・取材・執筆した『探訪村上春樹の世界』をつくるとき、カメラマンの齋藤郁夫さんを同行してDUGを取材させていただいた。そのときは、すでに紀伊国屋書店脇の店はなくなり、別のビルの4階に移っていたが、取材は靖国通り沿いにできたnewDUGのほうでお願いした。旧DUGの雰囲気をnewDUGがよく残していたからだ。中平さんが丁寧に応対をしてくださった。

Dugmark_1  この空間でのDUGは今年で店仕舞い。来年からは近くにあるnewDUGをDUGとして再スタート。これまでも店を切り盛りしてきたご子息が店を継ぐという。息子さんはこの日も店内で元気に活躍していた。

 さて、DUGの話が長くなってしまったが、ぎっしりの店内で上山さんのライブが始まった。バックはピアノの田村博さん、ベースは山下弘治さん、ドラムスは吉岡大輔さん。
 リクエストに応えた「ブルー・ムーン」もよかったが、いちばん心を揺さぶられたのは、「ゴールデン・イヤアリングス」。マリーネ・ディートリッヒ主演映画の主題歌のよう。しっとりと歌い上げられた。
 こういう言い方は大先輩に失礼かもしれないが、定年後サード・デビューの上山さん、歳を重ねるごとに歌はますます円熟味を増している。場数もあるのだろうが、人生というものは、とどまるところなく深みを湛えるものだ。
 合間のトークもどんどん滑らかに。ちょっぴり毒を含んだユーモアで客席の心を放さない。

Img_0073  最後は、中平オーナーの呼びかけて、ラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を皆で歌う。

 当然年輩の客が多かったが、若い人も混じり、なかなかいいライブのひとときだった。 DUG、中平さんのこと、上山さんの歌と人生、そして観客……そんなすべてを丸ごと優しく包みこんで。

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