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2006年10月31日 (火)

「蟻の兵隊」そしてクリント・イーストウッド

○あまり気がすすまないまま上映会へ

 誘いを受けて「蟻の兵隊」という映画の上映会に出かけた。少し前、地域のホールで土曜日の夜のこと。

Ariheitai

 敗戦後、中国山西省に残留させられた兵を「蟻の兵隊」と言うそうで、紹介の文にはだいたい以下のように書かれている。

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 中国国民党と中国共産党の内戦状態の中で、国民党系軍閥は日本軍の武力を望み、日本軍の首脳に、彼らの戦犯免罪を条件に、日本軍人の残留を要請し、軍の首脳の命令で2,600名の日本兵が残留させられたという。
 中国内戦に巻き込まれ、内550名の犠牲者を出し、共産党が勝利を収めたあとは「戦犯」扱いを受け、帰国した最後の人は昭和39年になったという。
 昭和31年の衆院調査特別委員会で、軍首脳は、兵士は自らの意思で残留したのであって、命令していないと陳述し、そのため、軍人として受けられる戦傷、戦病、恩給等の補償の対象外とされた。
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 その蟻の兵隊のひとり、現在80歳の老人・奥村和一さんが軍首脳による「売軍行為」を暴こうと執念を燃やし続ける生活を描いたのが、映画「蟻の兵隊」だ(池谷薫監督)。
 パンフレットのようなものを読み、政治的プロパガンダのような映画だったら観たくないなあ、と思っていた。とくに日本軍兵士の被害面を描いたものってどうなんだろう……と。
 だがそれは杞憂で、なかなか深みをもった映画だ。

○被害者であり加害者であり

 主人公である奥村和一さんの体内には今も無数の砲弾の破片が残っている。そんな彼が、自分たちが命令を受けて残留させられた事実を探しに、中国の戦地を訪ね、資料調査、そして現地での聞き取りを行う。
 結局、幹部は上手く立ち回り中国国民党の軍閥と交渉し、一部兵士らを協力兵として残し、それをもって戦犯免罪を得て帰国している。そういう裏取引の材料とされ一般兵士が中国内戦で犠牲になったり、戦犯扱いで帰国が遅れたり、帰国しても軍人としての補償すら受けることができない。
 政治家や軍幹部は「正義」や「大義」を持ち出して兵隊を動かし、局面が変われば自分の保身を最優先にして、末端の兵士・部隊を見殺しにする。それは昔も今も、どこの国でもまったく変わらない光景だ。
 この映画も、そのことを生々しく教えてくれる。

 そしてこの映画に深みをもたらしているのは、その兵士たちが日本軍幹部から売り渡された被害者であるだけでなく、中国において日本軍兵士として歴然と加害者としてたいへんな行為をしてきたことをも、奥村さんの姿を通して明らかにしていることだ。
 初年兵たちに兵士としての教育を施すために、中国の民間人、あるいは軍関係者(いずれにせよ、中国軍兵士ではない人間)を銃剣で突き刺す行為を、上官が命じ、実行させている。その現場を奥村さんは訪ね、自らの行為をも抉り出す。
 現地に赴き、日本軍による銃剣処刑シーンの目撃者を探し出す。居合わせて処刑を免れた中国人と向かい合ったとき、ついつい奥村さんは詰問調になりその声は強くなる。抑えられない怒りが当の中国人に向かう。それは若いとき体に染みついた、中国人への日本兵の態度が抜けていないことを物語ってもいる。そこに自らの行為への怒りも重なっている。
 映像は倫理主義を超えたところで、奥村さんの実像を描いている。
 あるいは民家に押し入られ日本軍数名に強姦された中国人女性の証言も挿入されたりする。

○政治家と兵士

 どんな戦争だって、「大義」「正義」が高々と掲げられる。そして、政治家や一部の軍幹部、さらには戦争で利潤を吸い上げる一部経済屋がほくそ笑み、現場・末端兵士たちは戦場で残虐になり(ならざるをえず)、殺し合いを演じさせられる。

 最近クリント・イーストウッドさんの発言を耳にした。
 太平洋戦争末期の硫黄島攻防戦を描いた映画「父親たちの星条旗」の監督をしている彼がルモンド紙で戦争観を語っている。
「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている」「政治家たちは最前線にいる者の運命より、自らのちっぽけな権力を行使し、保持することに関心がある」
 けだし、名言だ。
 時代が変わりどんなにソフィストケートされようが、戦争の言説と構造は昔も今も変わりはしない。

2006年10月24日 (火)

「枯葉」Autumn Leaves

 陽の落ちるのがどんどん早まる。日のリズムが年のリズムと重なり、秋の夕暮れは心と体に滲みてくる。
 ジョセフ・コスマが作ったシャンソン曲「枯葉」の季節、到来。
 愛され続けた名曲は、ジャズでしばしば演奏される。ジム・ホール、キャノンボール・アダレイ、ウィントン・ケリー……、まだまだたくさんあった。サラ・ヴォーンの名唱も。
 偏愛する三つの「枯葉」演奏を挙げてみよう。

○ビル・エヴァンスの「枯葉」

 ビル・エヴァンスは生涯に何度も「枯葉」を演奏しているが、やはり1959年暮れも押し詰まった12月28日にスタジオ録音された「Portrait in Jazz 」に収められたものが一番だろう。ドラムスはポール・モチアン、ベースはスコッロ・ラファロのトリオ。
Portraitinjazz  スコット・ラファロとのインタープレイは、至上のものといってもよい。
 ビル・エヴァンスは、歳を重ねるごとに生き急ぐように演奏は前のめりになっていった印象を受けるけれど、このころのエヴァンスは、ラファロのベースを得て、インタープレイの世界を存分に聴かせてくれる。

 take1(ステレオ)と2(モノラル)が現在では同一アルバム収められていて、甲乙付けがたいが、わたしはtake1を推したい。
 take1。ひととおり旋律をやり終えたあと、ラファロのソロがあり、そのあとエヴァンスとラファロによる即興のインタープレイがあり、モチアンもそこにからんでくる。
 しばらく続く即興から、エヴァンスがぐいと主題に引き戻し、ラファロがそれを追うようにしてベース音をしならせて歌いあげる。このあたりのうねるダイナミズムは何度聴いても飽きることがない。
 自動車事故で間もなく逝ってしまったスコット・ラファロとエヴァンスの束の間の出会いが放った美しい火花。

○ステファン・グラッペリの「枯葉」

 初めて聞いたのは、もう20年近く前だろうか、池袋の雑踏、小さなビルの3階にあったジャズの店だった。平日の昼下がり、学生と中年サラリーマンがなんだかわびしそうに腰かけていた。その中に馴染んでいく。すきま風が店内を吹き抜けていたから、冬だった。そんなとき、ステファン・グラッペリのヴァイオリンは心にじわっと染みこんできた。
 彼のアルバム「アフターヌーン・イン・パリ」の最後に収められている。ピアノもベースも知らないプレイヤーだが、深まる秋のもの哀しい世界を切々と歌いあげている。

○イヴ・モンタンの「枯葉」

 シャンソンの古典なので、当然多くのシャンソン歌手が歌っている。
 ジュリエット・グレコのもいいが、やはり歌は本家イヴ・モンタンということになる。
 10代終わりのころからモンタンの歌を聴き、映画も観ていた。アラン・レネ『戦争は終わった』や、甘めのクロード・ルルーシュ『パリのめぐり逢い』など。なかなかいいなとは思っていたが、フランス特有のねっとりした感じか、あるいは中年男らしい愛撫のしぐさにか、内心少し反発もあった。
 40代になってからだろうか、モンタンのよさがしっかり見えてきたのは。『戒厳令』やゴダールの『万事快調』に出たり。『ギャルソン!』に出演していたときは、もう60歳を超えていた。
 ちなみに、奥さんで女優のシモーヌ・シニョレは映画だけではなく、ミシェル・フーコーらと一緒に街頭デモなどにも参加していた。
 二十歳前後の感性にはもの足りなく感じたものだが、ジャック・プレヴェールの詩とともに淡々と歌うモンタンの元祖「枯葉」、歳とともに次第に滲みてくる。

2006年10月 9日 (月)

ミシェル・ルグランのヴォーカル

 近所のジャズの店に入った。同世代らしいオジサンのやっている店。ジャズのアルバムは4,000枚ほどあるらしい。
 店を始めて間もないころは、音を控えめに流していたが、このところ大きなスピーカーから迫力のある音を流している。いいことだ。
 で、この日、レコードが変わると、突然男性ヴォーカルが始まる。かなりすっとんだ歌い方なのだ。曲は「My Funny Valentine」だとわかるのだが、うなったり、シャウトしたり、そうとうにアヴァンギャルドな唱法。
 悪くはないな……とじっと聴いていた。終わって、カウンターに置かれたジャケットを取ってみると、うーん、ミシェル・ルグランだ。シェリーマンらと共演したアルバムのB面のよう。
 これは知らなかった。ジャズはずうっと聴いていても、まだまだ知らないアルバム、あるんだなあと痛感。

Legrand_1  ちょうどそんな折り、ミシェル・ルグランがヌーベル・ヴァーグを担当したいくつかの映画音楽を収めた輸入CDをネットで見つけて、HMVで予約していたのが手に入る。
 ゴダールの「女は女である」、「女と男のいる舗道」や、ジャック・ドミィの「5時から7時までのクレオ」、「ローラ」などの音楽が入っている。
 お目当ては「5時から7時までのクレオ」の曲だった。アニエス・ヴァルダの映画は観ていなかったけれど、いい曲があったはずだったので、これが目的で購入。
 ジャケットには、アンナ・カリーナ、ゴダールらの顔も並んでいる。
 そうしたらサウンドトラックとは別に、ボーナストラックが一曲付いてる。「5時から7時までのクレオ」の「Sans toi」を、なんとルグラン自らが歌っているものだ。これはみっけもの。
 期せずして、ミシェル・ルグランの歌を耳にする機会が重なる。

 「Sans toi」はフレンチポップスのマリナも最近のアルバム「シネマ・アンシャンテ」で歌っているが、やはりルグランのほうがいいな。

 名曲「Sans toi」。

2006年10月 5日 (木)

2007年と団塊世代 「働くこと」をめぐって

~スローワークへ~

 団塊世代が60歳を迎え始める2007年を前に、団塊世代が話題になることがとりわけ多くなってきた。
 新聞でも、雑誌でも、テレビでも採り上げられない日はないくらいだ。

 先日(9月30日)もNHK教育TVで、ETV「団塊が日本を変える!?」という3時間ほどの特別番組を組んでいて、終わりの30分くらいをちらっと見た。
 浅野史郎、蛭子能収、残間里江子、杉田二郎、橋爪大三郎の各氏らが出演していた。
『それでいいのか蕎麦打ち男』を出した残間さんがいたり、社会に役立つ活動の取材映像が流れる中、蛭子さんは、自分が楽しいと思うことをすればよい、といった旨の発言を何度かしていた。おそらくそういう役割を与えられていたのだろう。

 蛭子さんの発言、それはそれでいいのだろう。長年がむしゃらに働いてきて、せっかく定年を迎えたのだから、これからは自分の好きなことを思いのままにすればいいじゃないかというわけで、これについてぐたぐたと批判が加えられるべきではないと思う。

 ただそれでも、高齢社会を迎え、社会構成を考えたとき、「働くこと」あるいはそうした活動のありようを問い直しながら関わっていくことが、団塊世代には求められるのではないか。
 わたしは団塊世代の大量退職は、これまでの「働き方」を問い直す歴史的なチャンスではないか、と密かに考えている。

○団塊世代はどう動くのか?

 団塊世代が定年を迎え始める2007年。すでに早期退職している人も、定年延長・再雇用で仕事を続ける人もいるだろう。それでも団塊世代の多数が来年から定年退職が始まる。
 これによって企業では労働力や技術力の不足が危惧される。また、会社人間としてがむしゃらに突き進んできた男たちが、日々通っていた居場所を突然失い、毎日が日曜日になったとき、いったいどうなるのか。定年後の生活にソフトランディングできるか心配する向きもある。つねに経済や消費、文化の大きな潮流をつくりだしてきた団塊世代の定年後は、その世代ならずとも無関心ではいられない。2007年問題といわれる所以である。

 さて、日経新聞発表はじめ各種調査では、団塊世代の70パーセント以上の人たちが、定年後も収入を得るために働きたいと望んでいる。その主な理由として公的年金額や預貯金の不足が挙げられる。
 働きたいのは、なにも経済的理由からだけではない。技術とキャリアを活かして社会貢献したり、社会とのつながりを維持したい、そんな気持ちも旺盛だ。団塊世代は60を過ぎてもなんらかの形で働きたい、活動したいと希望している。

○2007年を歴史的チャンスに切り替える!

 団塊世代は一般的にみれば、十分ではないが年金があり(支給年齢は64歳、65歳にまで延長されている。食い逃げ世代というのは当たらない)、また多少の貯えもある。だから現役とは違い、少しは余裕をもってゆったりと働きたいと考えている。現役時代と同じようにぎんぎらで働き続けたいとは思っていない。
 とすれば、これまでの仕事のスタイルをとらえなおし、新しい働き方を模索し生み出すチャンスでもあるのではないか。
 戦後社会は大量生産・大量消費・大量廃棄を疑わず、速い・強い・大きいこそよしとし、効率とスピードを最優先で突っ走ってきた。しかし、そんなファーストなスタイルが、結果として現在人々と社会を疲弊させ、地球の持続を危うくさせるに至っている。

 他方若者たちは、会社漬で家庭や地域を顧みず働き、挙げ句の果てリストラされたりするサラリーマンの背中を見、企業の不祥事でマスコミの前で頭を下げる大人たちの姿を眺め、仕事や企業に退き気味になってきた。それはニートやフリーターの増加と無縁ではあるまい。
 これまでの働き方を変えることが求められている。
 そういう役割を30代、40代に求めるのは難しい。彼らは中堅として企業を支え、また子育てや住宅ローンを背負っているからだ。しかし団塊世代なら、それが不可能ではない。子育てが終わり住宅ローンもほぼ返済し、仕事や働き方を余裕をもって見なおすことのできる。まだローンを残している人はいても、現役時代のような高収入を求めなくていい環境にある。

 では、いったいどのように変えればいいのだろう。

 続きは以下へ
 http://toyodasha.in.coocan.jp/sub5/sub5-23.htm
 豊田舎>徒然にスロー>2007年と団塊世代 「働くこと」をめぐって

2006年10月 1日 (日)

ジャズ・サンバの佳作「サンバ・チガーネ」

ダスコ・ゴイコヴィッチ「サンバ・チガーネ」
DUSKO GOYKOVICH SAMBA TZIGANE

Dusko  旧ユーゴスラヴィアで1931年生まれだから、もうベテランということになるのだが、このトランペッター、じつは知らなかった。ジャズシーンをしっかり追いかけていない証拠。
 今回初めてアルバムを買う。最新作ではブラジルのサンバに挑戦している。
 やや甘く感じるところもある、ちょうどアート・ファーマーが70年代だろうか、ずいぶん甘く流れてしまったように。でも、アート・ファーマーのフリューゲルホーン「おもいでの夏」のように途中でストップしようとは思わない。たしかあのアルバムは日本人が企画制作していたものだった。

 ヴィラ・ロボスが書いたバラードなんてのも、女性ヴォーカルでなかなか聴かせてくれる。はじめはアランフェス協奏曲第二楽章の冒頭とそっくりで驚いたが。
 ボサノヴァのスタンダード「グランヂアモール」もある。
 ニニ・ロッソがそうだったが、この人も“哀愁のトランペッター”などと呼称されているようで、どうしても哀愁に流れすぎになりがちなトランペット。でもサンバのギター、ベース、パーカッションが甘さを抑制し、乗り心地をよくしている。ジャズ・サンバの佳作。

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