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2006年9月 8日 (金)

『思想としての全共闘世代』

○小阪さんの位置

Zenkyotosedai  同世代でもっとも評価し、つねに注目してきた思想家、小阪修平さん。いや、「同世代」と限定せずともよい。その小阪さんの新刊が出た。しかも、全共闘運動について書いたものなので、すぐ手にする。
 このところ、哲学の概説書を出すか、小文を雑誌に寄せるくらいだったから、そろそろ全共闘運動について、あるいは、制度論についての労作を発表するのではないか、と期待をしていたところだった。

 同世代で発言に注目してきた評論家としては、笠井潔、竹田青嗣、加藤典洋の各氏らが挙げられる。ほかにもいたかな……。なかでも、小阪さんの文には、もっとも共感を抱き、また刺激を受けてきた。いまは手元になくなってしまったが、彼が出していた同人誌「ことがら」あたりから、「オルガン」、そして単行本と、読み進めてきた。一時は勉強会にも参加させていただいた。

 ただ、不思議なことだが、どちらかといえば、わたしの周囲には全共闘運動とその理念にそれなりに影響を受けた人が多いにもかかわらず、小阪さんを知らなかったり、わたしのように評価しようとする人が多くはない。こちらから小阪さんを薦めるくらいだ。

○「ぐちゃぐちゃ」だからこそ

 それはなぜなのだろう。
 もともと哲学的な思考をするひとなのだが、文体と論の歯切れがけっしてよいわけでなく、小阪さん自身の表現を借りれば「ぐちゃぐちゃ」とした思考と表現に負っているのかもしれない。ただ、わたしは全共闘運動的なるものとその体験とは、すっきり明快に表現できるとはとても思えない。すっきりと表現されていれば、それは怪しいとすら思う。

 たとえば笠井潔さんは、84年に『テロルの現象学』をいちはやく著した。全共闘運動、連合赤軍事件についての、笠井さんなりの総括だ。左翼的な観念が辿る避けがたい過程を、ヘーゲルとジョルジュ・バタイユを対置しながら抉りだしたたいへんな労作だ。でも、その世界はすっきり明快なわけではないし、十分に総括されきっているわけでもない。
 もちろん、ほかにもたくさんの書が世に出ているが、全共闘運動、連合赤軍の問題としっかり向きあっているのは、この笠井さんの書と、小阪さんが折々に書いてきた論くらいではないだろうか(あとは三上治さんのいくつかの論)。

 そんなこともあり、小阪さんの文と視線にはいつも注目し、また刺激をうけてきた。

 いったい小阪さんのどこに共感してきたのか。
 ひとつには、彼が時代に「つかまれた」と受感しているところにある。
 『思想としての全共闘世代』にこう書かれている。

==========
 自分の二十代とそれ以降の過ぎこしをふりかえってみると、それほどまじめな全共闘ではなく運動に深入りしたわけでもないのに、六〇年代末の季節を通過したことで、それ以降のぼくの人生は決定されてしまったようなところがある。
==========

 時代……60年代末という時代に「つかまれた」ということだ。じつはわたしもそう感じている。
 それはどういうことだろう。

 ☆以降は以下へ。
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-13.htm

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