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2006年9月26日 (火)

ロゴ入りスイミングパンツ

~商品の謎(2)~

 スイミング用の競泳パンツをときどき買い替える。消耗品だからやむをえない。
 現在やっているスポーツは水泳くらいで、かかる費用はジムの費用と水着、ゴーグル、スイムキャップくらい。ゴルフなどに比べたら、安いものだ。
 先日、デパートの水着売り場で、新しいスタイルのものを選んでいると、同タイプの商品が並んでいるのだが、値段が1,000円ほど違う。なぜなのだろうと、商品説明など見るが、理由がわからない。
 近くにいた店員さんに聞いてみた。
Pants  パンツ表側には「arena」のロゴが入っている。これは以前から同じ。で、じつはお尻側にメーカーの大きなロゴとデザインが施されているか、いないかで値段が違うという。なるほど、納得。(写真は後ろ側)

 さて、値段が高いのはどちらか。

 お尻側にメーカーのロゴを大きくあしらったデザインのあるほうが、なんと値段が高いのだ。うーむ、広告料替わりなのだから値段が安くなってもいいはずだが、逆にそのほうが1,000円高い。
 もちろん私は安いほうを選ぶ。お尻側にデカデカとロゴデザインのあるものなんて不要だ。1,000円も高いのにわざわざメーカーのロゴがお尻側にも入ったものを買う人、いるのだろうか。商品として出回っているのだから、いるんだろうな。今度プールでもチェックしてみよう。
 いまの競泳パンツはだいたいメーカーのロゴが入っている。それにはまったく驚かないのだが、お尻側に大きなロゴデザインを入れて、その企業広告入りのほうが高いとは……。
 そもそも使用価値は同じ。あとはデザインの付加価値で差異が生まれる。そこまではわかる。その差異が企業ロゴデザインによってさらに高くなるというのが、いささか不思議ではある。

2006年9月24日 (日)

「マイルス・デイビス」CD10枚組の怪

~商品の謎(1)~

 CDショップ「WAVE」のジャズエリア。新譜コーナーにマイルス・デイビスの写真が表を飾るCDがあった。妙に厚い。手に取ると、ボックスになっている。なんと10枚組だ。値段を見ると、「1,733円」と読める。近頃目が悪くなっているので、確認すべく何度も見直してみる。
Miles  でも、1,733円だ。CD10枚入って……? なんどもなんども値段を見直す。まあ、17,300円だってけっしておかしくはないはずだから。

 東京ブックフェアのときだったろうか、輸入盤のモーツァルト名曲集CD10枚入りのボックスがが2,800円くらいで売られていたことがあった。それは買った。驚きはしたが納得できた。まあ、旧東欧で録音されたような音源が安く売られるのかなと推測できたから。
 でも、こちらはマイルス・デイビスだ。既存のアルバムの構成とは異なっているが、とにかくマイルスだ。著作権切れということなのだろうか。CD1枚あたり173円のマイルス。
 シールに定価を刻印するとき、店員がひと桁間違えたのではないか、などと訝しく思う。とにかくこれは買わない手はない。
 さっそく購入した。さて、聴いてみよう。

2006年9月14日 (木)

あがた森魚さん まっすぐな「赤色エレジー」

 突然テレビ画面に、若い頃に活躍し、その後音沙汰のなかった歌手が写し出されることがある。

 たしかNHKだったと思うが、なつかしのメロディのような番組を八月の下旬にやっていた。
 ふと、あがた森魚さんが登場し、「赤色エレジー」を歌った。番組表など見ていないので、まったく予期せざる登場に映った。
 これには釘付けになった。
 若いときから、少し老け顔だったあがたさん、21世紀にテレビに出てきてもまったく変わっていなかった(ように感じられた)。
 ひたむきに「赤色エレジー」を歌った。背後には林静一さんのイラストが浮き上がり。歌もバックのプレイヤーもよかった。
 あがたさんのファンということでもないし、その後熱心に追うこともなかった。でも、アルバム『乙女の儚夢』だけはしっかり買った。1972年ごろのこと。
Otomenoroman  当時はフォークにはあまり心を寄せることなかったのだが、あがたさんの「赤色エレジー」が入ったアルバムを買うことに迷いはなかった。もちろん林さんの『赤色エレジー』はすでに書棚にあった。(写真は『乙女の儚夢』レコードから)

 今回心動かされたのは、三十数年を超えてひたむきに歌っていた風情だ。風化なんて感じさせずに。
 昔の人が登場すると、歌う力が落ちていたり、あるいは、人生経験を重ねたがゆえに変に歌をいじり回しこねくり回して崩したりして、がっかりさせられることが多々ある。
 崩すことが円熟とは限らない。ひたむきさの成熟だってある。

 あがたさんは変に崩したりしなかった。昔と同じように、かどうかはわからないが、そう感じられるように、とにかく「赤色エレジー」という楽曲をひたむきに、まっすぐに歌い上げた。それは現在の「赤色エレジー」だ。けっして懐古ではなく。
 あがたさんが『乙女の儚夢』を出してヒットしたあと、どのような生を刻んできたのか、熱心なファンではないので、まったく知らない(ネットで調べると、ずうっと活動を続けてきたことがわかる)。
 今回のテレビ画面には、あがたさんの現在の立ち姿が映し出されていた。
 そしてわたしのなかでは底に沈んでしまっていた1972年ごろが、情況が捻れつつある時期だったことが思いおこされる。

2006年9月10日 (日)

阿部和重と堀江貴文のご両人

 新聞の夕刊を広げていて、あるカラー写真に気づき驚いた。
Abe1_1  映画監督溝口健二さんの没後50年記念の国際シンポジウムで、招かれた参加者全員が壇上に並んでいる写真だ。
 着物を着た若尾文子さん、香川京子さん。お二人とも健在できれいだ。そのほか、映画監督の柳町光男さん、海外からの評論家や監督ら10人がずらりと並ぶ。その端に立っていたのが、作家の阿部和重さん。

 彼のファッションがじつに異彩を放つ。いやもしかすると異臭といったほうがふさわしいかもしれない。
 数ヶ月穿きっぱなしの様相を呈したジーンズ。膝が突き出しているだけでなく、その上の腿部分までたっぷり膨らませてている。その裾は、幾重にもたるみにたるみ、薄い色のスニーカーの上にかかる。Tシャツの上には、開け広げたシャツ。
 もちろん、街のどこにでもありそうな、今若者に流行りのファッションにすぎないが、膝上の腿まで形のままに膨らませたジーンズで、シンポジウムの壇上に登場した阿部さんの凄さ。これはただごとではない。
 それは、あの堀江貴文さんが、ボタンをかけることがけっしてできそうにないオープンシャツを広げて、きついTシャツの下からお腹を突き出したスタイルと双璧をなしている。堀江さんの場合は、バブリーな六本木ヒルズの景色とよくお似合いだったが、このシンポジウムの舞台と阿部さんのファッションはそぐわない。

 かつてヒッピーや、反体制的なファッションはいろいろあった。長髪だったり、すりきれたジーンズであったり。でも、そこにはいちおう美への構えというものがあった。
 そういう視点の欠片も感じさせない阿部さんの無配慮ぶりは、じつに見事。配慮を欠くこと、礼を失することにこそなにごとかがあると考えているのか、あるいはまったくそんなことに頓着していないのか、どちらにしても鈍な偉大さを感じさせてくれた。

 芥川賞受賞作「グランド・フィナーレ」をミーハー根性で読み、あまり心動かされなかったわたしも、この偉大なる無配慮ぶりがどこからやってくるのか、もう一作くらい読んでみたい、と思わせる舞台写真だった。

  (写真は朝日新聞9月8日夕刊掲載より)

2006年9月 8日 (金)

『思想としての全共闘世代』

○小阪さんの位置

Zenkyotosedai  同世代でもっとも評価し、つねに注目してきた思想家、小阪修平さん。いや、「同世代」と限定せずともよい。その小阪さんの新刊が出た。しかも、全共闘運動について書いたものなので、すぐ手にする。
 このところ、哲学の概説書を出すか、小文を雑誌に寄せるくらいだったから、そろそろ全共闘運動について、あるいは、制度論についての労作を発表するのではないか、と期待をしていたところだった。

 同世代で発言に注目してきた評論家としては、笠井潔、竹田青嗣、加藤典洋の各氏らが挙げられる。ほかにもいたかな……。なかでも、小阪さんの文には、もっとも共感を抱き、また刺激を受けてきた。いまは手元になくなってしまったが、彼が出していた同人誌「ことがら」あたりから、「オルガン」、そして単行本と、読み進めてきた。一時は勉強会にも参加させていただいた。

 ただ、不思議なことだが、どちらかといえば、わたしの周囲には全共闘運動とその理念にそれなりに影響を受けた人が多いにもかかわらず、小阪さんを知らなかったり、わたしのように評価しようとする人が多くはない。こちらから小阪さんを薦めるくらいだ。

○「ぐちゃぐちゃ」だからこそ

 それはなぜなのだろう。
 もともと哲学的な思考をするひとなのだが、文体と論の歯切れがけっしてよいわけでなく、小阪さん自身の表現を借りれば「ぐちゃぐちゃ」とした思考と表現に負っているのかもしれない。ただ、わたしは全共闘運動的なるものとその体験とは、すっきり明快に表現できるとはとても思えない。すっきりと表現されていれば、それは怪しいとすら思う。

 たとえば笠井潔さんは、84年に『テロルの現象学』をいちはやく著した。全共闘運動、連合赤軍事件についての、笠井さんなりの総括だ。左翼的な観念が辿る避けがたい過程を、ヘーゲルとジョルジュ・バタイユを対置しながら抉りだしたたいへんな労作だ。でも、その世界はすっきり明快なわけではないし、十分に総括されきっているわけでもない。
 もちろん、ほかにもたくさんの書が世に出ているが、全共闘運動、連合赤軍の問題としっかり向きあっているのは、この笠井さんの書と、小阪さんが折々に書いてきた論くらいではないだろうか(あとは三上治さんのいくつかの論)。

 そんなこともあり、小阪さんの文と視線にはいつも注目し、また刺激をうけてきた。

 いったい小阪さんのどこに共感してきたのか。
 ひとつには、彼が時代に「つかまれた」と受感しているところにある。
 『思想としての全共闘世代』にこう書かれている。

==========
 自分の二十代とそれ以降の過ぎこしをふりかえってみると、それほどまじめな全共闘ではなく運動に深入りしたわけでもないのに、六〇年代末の季節を通過したことで、それ以降のぼくの人生は決定されてしまったようなところがある。
==========

 時代……60年代末という時代に「つかまれた」ということだ。じつはわたしもそう感じている。
 それはどういうことだろう。

 ☆以降は以下へ。
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-13.htm

2006年9月 3日 (日)

YAMATOYAで若きジルベルト

 三月書房を出る。
 寺町通には八百卯が健在。梶井基次郎の『檸檬』に登場する果物屋さん。
P1010043  店の一番いいウインドウエリアに、梶井の『檸檬』に関する記事や、主人が綴ったオマージュが展示されている。お店がやっていけているのかどうか気がかりだが、とにかく梶井への想いはそうとうに強いことがわかる。『檸檬』のためにお店を続けているのではないか、と思われるほど。でも、こういうお店、好きだな。

 丸太町通を東へ走り、YAMATOYAへ。
P1010032  今日は客が多い。時間が少し遅いせいだろう。特等席の深々した低いソファとテーブルが取り払われ、脚の長いテーブルと椅子に変わっている。
 コーヒーとトーストをオーダー。注文を受けるとコーヒーの豆を挽いてくれるのは、いつも変わらない。

 珍しくコルトレーンを演っている。YAMATOYAでジョン・コルトレーンって、初めてのような気がする。しかも「マイ・フェイヴァリット・シングス」のライブだ。ややボリュームは落としているが、悪くないな。
 60年代後半のジャズ喫茶は前衛化して、コルトレーンや、アルバート・アイラー、オーネット・コールマンらの演奏ばかり流れていた。67年にコルトレーンが亡くなったことも、影響していた。そのころのわたしは少しばかりコルトレーンには距離を置いていたのだが。

Getzgilberto  つづいて「ゲッツ・ジルベルト」がかかる。おおっ、YAMATOYAでジョアン・ジルベルドの歌声が流れるとは……。これもいいなあ、しっかりしたスピーカーの抑え気味のサウンドで。

 ジルベルトといえば、3年くらい前に東京での彼のコンサートに出かけたことがあった。途中、曲の合間に20分くらい、椅子に座りギターを抱えたまま、じっとして動かなかったことがあった。瞑想しているのか、居眠りしているのか、わからない。不思議な時空だった。
 夏の昼下がり、YAMATOYAで若きジルベルド。

 オフィスへ寄ったあと、雨上がりの三条通、スタバへ。
 スタバで近頃気になる曲がある。シャンソン風で、若い男が歌っているバラード風。当然最近のものだろう。昔の匂いもかすかに。北大路のスタバでも耳にした。誰の歌だろうか。ネットで調べてみよう。
 驟雨のあとのさわやかな町中を抜け、相国寺を縫い帰宅。

 さて、京都の仮寓居からの風録はこれにて。

2006年9月 2日 (土)

夏の昼下がり 高桐院の南庭

 八月末の日曜の朝。

Wave  古ぼけたミニコンポオーディオ。CDを回すと、気紛れに音が飛ぶ。
 カセットテープに落とした「WAVE」を小さな音量で流す。ぼんやりと立ち上るアントニオ・カルロス・ジョビンの世界。古典中の古典だが、ときにはこんな緩いボサノヴァもいい。
 京の寓居、日曜の朝はこれが最後。
 昼すぎ、自転車に乗り、大徳寺の高桐院を訪ねる。
P1010003  胸元まで肌を露にした艶めかしい女性がひとり、玄関から出て来て、すれ違う。

 近いこともあり、いちばん訪ねた庭だが、南庭で蝉の声を聴くのは初めて。アブラゼミ、ツクツクホウシらが。
 中央に置かれたひとつの石塔以外は、苔と木々で造型されている。緑がいちばん勢いのあるとき。 しばしぼんやり。
P1010008  蚊が寄ってきて、腕を数ヵ所刺され、立ち上がる。

 相国寺、御所を抜け、麩屋町竹屋町のイシスに向かう。ジャワ更紗の店。わたしには簡単には手が出せない値段のお店だが、いい品が拡げられている。残念ながら、日曜定休と。以前は日曜もやっていたのだが……。

P1010029  寺町通に出たところで、三月書房を想い出す。そうだ、最後に寄っておこう。店の前に自転車を停める。
 入り口の小さなウインドウには、店主目利きの新刊が飾られている。その小さな空間のデコレーションには味わいがある。
 ここは小さな新刊書店だが、人文科学系、社会科学系の、厳選された書籍がぎっしり。しかも一般流通には乗らない個人誌類もしっかりそろっている。
 もはや東京にはない、こういう書店のある街はいいな。
P1010031  『叔父の思想-吉本隆明論-』(修羅出版部)を買う。たぶんこの店でなければ売られていない書だ。

  

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