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2006年8月20日 (日)

「八月の路上に捨てる」

~芥川賞受賞作の位置~

See1_1  時間を見つけて、湘南の海へ。毎年出かける葉山の海は、もう時期外れのはずだが、空は澄み、海の水も青く、水温も低くない。恐れたクラゲにも刺されない。
 岩場まで泳ぐ。
 そして沖で仰向けになる。ゴーグルを通しての青空にトンビがゆっくり旋回している。体が波で揺らいでいる。耳元で水がざわめく。ゆっくり呼吸するとその音が体腔に響く。それは胎児が聴く音……。
 至福のとき。

 伊藤たかみさんの「八月の路上に捨てる」を読む。
 小説を読む余裕がなかなかないが、せめて芥川賞あたりはと、発表があると掲載された「文藝春秋」を手にする。
 前回の受賞作はたしか、絲山秋子さんの「沖で待つ」だった。
 絲山さんのは、職場に同期で入社した新入社員男女の交流を描いたものだったが、今回は、同じ職場の正社員の年上女性と男子アルバイターのやりとりだ。
 恋愛関係にはない、職場での男女のやりとりを描いているというてんで二作は共通している。

 劇作家志望だった男のほうは、妻との関係に悩み、離婚に踏み出そうとしている。一方女性のほうは、すでに離婚している。トラックに乗り、自動販売機に缶を補充する女性ドライバーとそれをアシストするアルバイト男性の一日の仕事を通じてのやりとりが描写される。
 上司と部下、正社員とアルバイター、すでに離婚していて新らしく彼氏ができそうな女性上司と、結婚四年で破局を迎えようとする男性助手。女と男の淡い心模様も感じさせながら、ふたりの男女がそれぞれの結婚と離婚、男女関係について、トラックでの運搬仕事のなかで軽妙な会話でやりとりをする。

 絲山さんのは大手企業の営業社員どうし、伊藤さんのは肉体労働現場での正社員とアルバイターのやりとり。期せずして、職場を舞台にした作品がつづいて受賞。
 なかなかうまく描かれ、構成もしっかりしていて、作家としての力を感じる。それは絲山さんと同じだ。

 さて、読み終わり、悪くない世界だなあと素直に感じる。男性アルバイターの夫婦関係、離婚の描き方も巧みだし、視線もやさしい。
 ただ、若干ものたりなくもある。それはなぜなのだろう。
 いまの若者は元気がないとか、社会にたいしてもっと怒ってほしい、などとマスメディアに登場するコメンテーター風にいうつもりは、わたしにはまったくない。絲山さんや伊藤さんのこういう表現世界に力も与えられる。

 選評で、村上龍さんが「現代における生きにくさ」ということばを記していた。ちょうどことばが重なるのだが、“生きにくさ”のようなものがあるとすれば(あるにちがいないが)、その“生きにくさ”の根っこのほうへ少しでも迫ってほしいように感じてしまう。読者としてそれを欲してしまう。
 わたしは「芥川賞」とは、この社会の“生きにくさ”を抱えこんでしまった感性が、人生論風の回路に繰りこまれない力や歌を表現する作品に与えられるものと勝手に思いこんでいる。とすると、伊藤さんの作品はこれが初めてなので、他の作品については語れないが、少なくとも「八月の路上に捨てる」については、そのあたりが希薄に感じられる。

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