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2006年8月31日 (木)

京都のおばあちゃんたち

P4100017  8月の下旬の土曜日。ハーティ・ハウスで。
  60代、70代の女性たち六人が土曜の夜、カフェでお茶を飲んでいる。週末、私が座る席の横なので、姿を見てはじめ少し引いてしまう。
 でも、東京のカフェで昼間聞く、おばさんたちのうるさい話っぷりとは少々異なる。がさつさ、「私が、私が……」というぎらつきがない。
 定番の羅漢果ティーをオーダー。
 なんとはなしに、おばあちゃんたちの話に耳が向く。家庭のこと、男のこと、満州のこと、引き揚げ時のことなどが話題になっている。声はさほど大きくない。皆、分をわきまえていて、それぞれ静かに話をする。聞いていてせかされるような、あわただしさがない。だからうるさいとは感じない。
 そして、しばらくして静かに店を出ていく。
 鞍馬口通に近いカフェ。堀川の名前も出てくるし、下町風エリアに住むおばあちゃんたちの様子。身なりもそうだ。上品ぶらないけれど、騒々しくもない。
 不思議なおばあちゃんたちだった。

 歳を重ねた女性たちが土曜の夕暮れ、カフェで少しばかり話をしている。いい光景ではある。
 うーん、東京では見かけないし、見かけてももっとぎらっと、そして騒々しいか、妙に上品ぶっていたりするのだが。

2006年8月26日 (土)

“生命記憶”

 一週間ほど前に出かけた海。身体がその体験を記憶している。体、細胞にしみこまれている。
 数日前の体験と記憶だが、体には小さいときからの身体記憶も残され蓄積されていて、それが改めて刺激される。
 それは、三木成夫さん風に言えば“P1010011_2 生命記憶”だ。皮膚の感覚、海の匂いと味……遠い昔からの生命の記憶を呼び起こす。

 陽にきらめく海。
 潮の匂いとざわめき。砂浜を歩く足の感覚。海水に体をとろりと包まれる感覚。
 競泳用ゴーグルをつけて、クロールの手を水中に伸ばすと、海水の中の手が差し込む陽光に照らされゆらめきながら見える。
 泳ぎ着いて岩場に上がろうとして、足を滑らせて踵や足の裏に擦り傷をつくるが、足の裏に擦り傷をつくるなんて、少年時代に戻ったようだ。擦り傷もまた楽しく懐かしい。

 梅雨が長くて、短かった夏……。

2006年8月24日 (木)

“最後の京都”

P1010048
 鞍馬口通にある仮寓居も八月をもって閉じることになった。
 最後の晩餐になにを食べるか、という企画はテレビ番組でもあったが、さて、「最後の京都」。ひとまず最後にもう一度出かけてみたいスポットはどこだろう、と思いを巡らせてみる。

 カフェならジャズのYAMATOYAだろうか。
 寺社なら、高桐院、正伝寺、蓮華寺……。圓光寺、詩仙堂も捨てがたい。
 それから賀茂川縁のベンチ御所のベンチ
 結局一番よく足を運んだあたりに絞られそうだ。
 さあ、どこをぶらっとしようか。

2006年8月20日 (日)

「八月の路上に捨てる」

~芥川賞受賞作の位置~

See1_1  時間を見つけて、湘南の海へ。毎年出かける葉山の海は、もう時期外れのはずだが、空は澄み、海の水も青く、水温も低くない。恐れたクラゲにも刺されない。
 岩場まで泳ぐ。
 そして沖で仰向けになる。ゴーグルを通しての青空にトンビがゆっくり旋回している。体が波で揺らいでいる。耳元で水がざわめく。ゆっくり呼吸するとその音が体腔に響く。それは胎児が聴く音……。
 至福のとき。

 伊藤たかみさんの「八月の路上に捨てる」を読む。
 小説を読む余裕がなかなかないが、せめて芥川賞あたりはと、発表があると掲載された「文藝春秋」を手にする。
 前回の受賞作はたしか、絲山秋子さんの「沖で待つ」だった。
 絲山さんのは、職場に同期で入社した新入社員男女の交流を描いたものだったが、今回は、同じ職場の正社員の年上女性と男子アルバイターのやりとりだ。
 恋愛関係にはない、職場での男女のやりとりを描いているというてんで二作は共通している。

 劇作家志望だった男のほうは、妻との関係に悩み、離婚に踏み出そうとしている。一方女性のほうは、すでに離婚している。トラックに乗り、自動販売機に缶を補充する女性ドライバーとそれをアシストするアルバイト男性の一日の仕事を通じてのやりとりが描写される。
 上司と部下、正社員とアルバイター、すでに離婚していて新らしく彼氏ができそうな女性上司と、結婚四年で破局を迎えようとする男性助手。女と男の淡い心模様も感じさせながら、ふたりの男女がそれぞれの結婚と離婚、男女関係について、トラックでの運搬仕事のなかで軽妙な会話でやりとりをする。

 絲山さんのは大手企業の営業社員どうし、伊藤さんのは肉体労働現場での正社員とアルバイターのやりとり。期せずして、職場を舞台にした作品がつづいて受賞。
 なかなかうまく描かれ、構成もしっかりしていて、作家としての力を感じる。それは絲山さんと同じだ。

 さて、読み終わり、悪くない世界だなあと素直に感じる。男性アルバイターの夫婦関係、離婚の描き方も巧みだし、視線もやさしい。
 ただ、若干ものたりなくもある。それはなぜなのだろう。
 いまの若者は元気がないとか、社会にたいしてもっと怒ってほしい、などとマスメディアに登場するコメンテーター風にいうつもりは、わたしにはまったくない。絲山さんや伊藤さんのこういう表現世界に力も与えられる。

 選評で、村上龍さんが「現代における生きにくさ」ということばを記していた。ちょうどことばが重なるのだが、“生きにくさ”のようなものがあるとすれば(あるにちがいないが)、その“生きにくさ”の根っこのほうへ少しでも迫ってほしいように感じてしまう。読者としてそれを欲してしまう。
 わたしは「芥川賞」とは、この社会の“生きにくさ”を抱えこんでしまった感性が、人生論風の回路に繰りこまれない力や歌を表現する作品に与えられるものと勝手に思いこんでいる。とすると、伊藤さんの作品はこれが初めてなので、他の作品については語れないが、少なくとも「八月の路上に捨てる」については、そのあたりが希薄に感じられる。

2006年8月18日 (金)

三浦展さんの団塊世代マーケティング

 芥川賞掲載号の「文藝春秋」を買って読んでいて、三浦展さんの「団塊格差二〇〇〇人実地調査」を見つける。
 年収や預貯金、仕事、支持政党、子ども、好きな音楽、結婚、……などさまざまな点について、団塊世代のデータを紹介している。

 例によって勝ち組、負け組、引き分け組などと、品のないレッテルことばが出てくる。 このひとはマーケティング用のデータの収集と紹介をしているぶんにはそれでよいのだが、ときどきとんでもない私情が吐き出されたり、自分の色眼鏡でのコメントが加えられる。
 たとえば、最後のテーマとして離婚や男女関係について触れて、団塊世代夫婦の2~3%がこれから離婚しそうだ、と推定したあとで、つぎのように文を結んでいる。
======
 しかも未婚や離別などで独身の場合、「今恋人がいる」という人が男性の27%、女性の20%もいる! 愛の流刑地に向けて、準備は万端だ。
======
 27%、20%「もいる!」と。どうやら三浦さんは比率の多さに驚いている。
 歳を重ねると恋をしていてはいけない、あるいは恋などしないと考えているようだ。この人、どういう恋愛観をもっているのだろう。
 それに「愛の流刑地に向けて」などと揶揄するのは、せっかくアンケートに答えてくれた人に礼を失しているのでは。最低限のビジネスのマナーというものでしょう。
 こういうところは、自らのけっして豊かとは思えない(貧しい)恋愛観を吐き出しているだけで、世代分析とはなんの関係もないと思うのだが。

2006年8月17日 (木)

糺の森の「納涼古本祭り」をぶらり

P1010009_1  8月11日~16日まで糺の森で開かれていた納涼古本祭りに出かける。京都三大古書祭りのひとつだ。
 曇り空のせいか、やや過ごしやすい古書探しだ。前回数年前のときは、午前中に入ったのに、汗が止まらなかった。
 道の両側にえんえんと店が並んでいる。今回は片側ずつ進み、最後まで行ったら反対側に折り返すことにする。流しながら見ているのだが、それでも片側に一時間半ほどかかる。
P1010010_1  大阪の梁山泊が店を出している。

 ジャズ雑誌「スイングジャーナル」のバックナンバーがひと山。ものすごい数が並んでいる。売り主のことを想像する。

 レコード、骨董品などを置く店もある。
 プライベートな写真アルバムも無造作に積まれている。そういえば、天神さんあたりでもそんなのが並んでいたな。
 めくっていると、すでにずいぶん前に亡くなっている人の写真が貼られ、ところどころ剥がされている。
P1010011_1  どうして古書店の手に渡ったのだろうか。あれこれ推測してみる。
 家族が一度に事故などに遭い、その家の処分が業者などに任され、あらゆるものが売りに出された。
 先祖の遺産を受け継いでいた人が亡くなり、その後見者も不在で、一切合切が売りに出された。
 遺産を継いでいた人が金に困り、蔵ごと差し押さえられ、処分された。
 まあ、わたしの推測だからいずれも貧困な発想だ。

 この写真のもともとの所有者にとって、もしこのアルバムが後世の見ず知らずの人に買われたら、それはどうなのだろう。
 自分の人生の一部が見ず知らずの人間に覗かれ、ひどく恥ずかしいことかもしれない。あるいは、見ず知らずであっても後世の人間に自らの痕跡を示すことになって少しうれしいのかもしれない。
 ふと、購入してみたい気にもなったが、手にしてしまうと、なんかだやっかいな気もした。たんに写真が貼られたアルバムという紙以上のものを背負いこむようにも感じられ、アルバムを段ボールの中に戻す。

 片側が終わり南端出入り口の休み処で、ビールは我慢し、サイダーを飲んでひと休みしたあと、反対側へ。
P1010018_1  ある書店の棚に、たとえば吉本隆明の本がずらっと並んでいたりする。たぶん団塊世代あたりの吉本さんファンの人が亡くなったりして、遺族が処分したのだろう、などと勝手に想像したりもする。3年前亡くなった、吉本ファンの親友を東京から連れて来られたらなあ、との想いが過ぎる。

 結局、かつて所蔵していた本などを15冊前後買う。江藤淳、大江健三郎、石川啄木、安藤昌益らの書。前回よりは収穫あり。

2006年8月12日 (土)

アメリカへの屈折

○“プレスリーフリーク”

 少し前、藤原新也さんが新聞に「エルビスの亡霊」という小文を寄せていた。
 小泉首相が訪問先のアメリカでエルビスプレスリーへの熱狂ぶりを示していたことにかんしてのものだ。
 そのころあわただしくて、ニュースや映像をまともに見られなかったが、小泉さんのプレスリー邸でのパフォーマンスは映像が流れるのをちらっと見ていたので、藤原さんの文には同感だった。
Plesry  藤原さんは、小泉さんのプレスリーフリークぶりが手にとるようにわかる。というのも二人は同世代であり、かつ横須賀という進駐軍がいた街に子ども時代にいたこともあり、プレスリー邸での振る舞いの出自が、自分の体験と重ねてみえてくるからだ。
 子ども時代にアメリカ進駐軍に接し、また初期のテレビ時代でアメリカ文化に接したた子どもたちのだれもが、アメリカへ憧れを抱き、絶大な影響を受けた。(写真はプレスリー「I feel so bad」(ビクター)
 問題は、子ども時代のその圧倒的な体験と、成長し、大人になったあと、どう向き合っているかだ。

 かつて小泉首相が訪米してブッシュ大統領の別荘だったかに出向いたとき、二人でうれしそうにキャチボールをしていたことを想い出す。アメリカの大統領とキャッチボールをして満面の笑みを浮かべる、衒いのない笑顔に、アメリカという国にたいして屈折のまったくない彼の心情を見た思いがした。
 その後、彼のとる政策や発言には、その内実が素直に表されていたようにみえる。

 そして最近、メンフィス・プレスリー邸で行った彼のパフォーマンスをテレビ画面でちらちらと見て、その「猿まね」ぶりに藤原さんや、藤原さんの知り合いの主婦が気恥ずかしかったのと同じ想いにとらわれ、困惑し、あきれた。
 わたしのように、若干下の世代からもう少し詳しく表現すれば、ああ、屈折がないんだなあ、まいったなあ、というところ。

○絶対の「正義」との距離

 藤原さんが書いたように、わたしも住んでいた上野不忍池あたりを走る外車を眺めて「キャデラック」だ「ビュイック」だ、と兄たちが騒ぐ脇に立っていた。
 映画でも「荒野の決闘」や西部劇に圧倒的な影響を受けたし、テレビでアメリカのホームドラマや西部劇にもいかれた。
 でも、少し大きくなって、社会でのさまざまなできごとを学べば、その巨大で豊かで素晴らしいアメリカの影がいやおうなくみえてくる。
 たとえばジョン・ウェイン。西部劇の黄金時代を支えた男優。彼には憧れた。でも自らメガホンをとり、アラモ砦の激闘を描いた「アラモ」を見たあと、敵であるメキシコ軍側を単純に悪としてとらえるだけではすまなくなってくる。砦に立てこもったものたちを英雄として描けば描くほど、「正義」を描けば描くほど、その戦争の相手や背景をも思わざるをえなくなる。でも、そのあたりはほとんど描かれていなかったように記憶している。
 たぶん、そういうストレートなところがアメリカという国のひとつの特徴であり実態なのだろうと思い始める。制作は1960年、日本上映はその年か翌年だろうから、中学1年くらいに観たはずだが、アメリカかぶれの少年だってそんな感想を抱きはしたのだ。
 それはベトナム戦争という現実で目の前に露わになった。

 多様なアメリカを一面でくくろうとは思わないけれども、少なくとも、屈折した目で見ることにはなる。まったくアメリカって国は……、というくらいの距離感は抱かざるをえない。
 小泉さんには、そういうところがまったく見られない。しあわせものともいえるが、とても怖いところでもある。ブッシュさんの絶対の「正義」を、輪をかけたように信奉しているようにすらみえてくる。

2006年8月 6日 (日)

Eldissa

Eldissa  海へ出て沖のほうまで泳ぐ。仰向けに寝て、さざ波を耳元に忍びこませながら深呼吸をして体と海を溶かす--夏の海に出かければこうするのがいちばんの楽しみだが、今年はどうも海へ行けそうにない……。
 でも夏はボサノヴァに限る。今年は「Eldissa」。
 フランスのレーベルから最近発売されたアルバムなので、ブラジルあたりのサンバ、ボサノヴァとは味わいが少し違うけれど、各曲とも楽しませてくれる。
 ビージーズの「ステイン・アライヴ」、アバの「ギミー!ギミー!ギミー!」はじめ70年代、80年代のヒット曲がボサノヴァ風にアレンジされている。ヴォーカル、ギターもいい。寄せる波の音もときに流れてきたりして。

2006年8月 5日 (土)

「倫理性」に収斂されることについて

~『二十一世紀の資本主義論』~

○差異を生みだすことでもたらされる疲弊

 またまた岩井克人さんについて。
 思うに、岩井さんの論に異を唱えたくなるのは、経済学音痴の私のようなものにも、彼の文が経済学の本質をかみ砕いてわかりやすく説明してくれ、私がその土俵に乗ることができるからだろう。しかも、分析がつねに根底的であるところにも魅力がある。と、評価させてもらったうえで……。

 すでにみてきたように、差異こそ利潤を生み出す源泉である、そう岩井さんは一貫してとらえる。
「資本主義でありつづけるためには、差異そのものを意識的に創りだしていくほかはない」(『二十一世紀の資本主義論』)
 そして差異が評価されればそれはかならず標準化・平準化され、差異ではなくなってしまう。ITの普及と、グローバル化の進行のなかで、差異が差異でなくなるスピードはどんどん上がっている。製品の命は短くなっている。
 ということは、差異を生み出す動きも速めなければならない。市場開拓、技術開発、新製品開発が必要であることは当然だが、その速度がどんどん速まる。
 経済学の分析はそこまででよいのかもしれない。そこで働く主体がどのような状態を強いられるかは、守備範囲にはないのだろう。

 しかし、それを働く現場からみるとどうだろう。
 差異を生み出すために働く……。まずそれが転倒だが、しかも差異を生みだすために、そのスピードを上げざるをえない。
 差異を生みだすスピードを速めることは、働く主体に疲弊を蓄積させる速度をも上げる。
 差異を生み出すために働くという転倒が強いる疲弊。それは労働者だけのものではもちろんない、経営者も同じだ。いや、経営者のほうが疲弊の度は強いかもしれない。

 昨今の岩井さんは、ポスト産業資本主義下では、経済の中心が「お金」から「人」へと移行したことをいろいろな場で明らかにしている。
 産業資本主義時代にはお金の工場投資によって利益が得られたが、今日利潤を生み出す源泉は人間、その頭脳に移行したと。人間の独創性こそ求められると。
 たしかに恣意性は拡大しているだろうが、経済の中心が「お金」から「人」に移動したように錯覚するほど、さらに「人」は差異を生みだす責務で追いこまれているようにもみえる。

○「倫理性」と「資本主義」

 先月末朝日新聞に掲載された「資本主義と会社」(インタビューのまとめなので、細かい表現は差し引かなければならいないが)で、岩井さんは企業という法人を運営する経営者には「倫理性」が要求されることを強調していた。
「資本主義には、格差や不況、環境破壊や拝金主義など、様々な欠陥や矛盾を抱えてはいるが、それを超えるものは当分、生まれないだろう」とし、資本主義の矛盾を補完するものとして経営者の「倫理性」を高らかにうたう。

「倫理性」をうたうのは、この社会ではじつにもっともなことで、この社会とそこにおける人間の生き方に関する言説の論点は、ほとんどそこに収斂されるといっても過言ではない。「倫理性Iwaishinbun_1 」に焦点を当てるのがいちばん手っとり早いし、見えやすい。
 たしかに倫理やひとのこころは、強調しすぎることはないくらい、たいせつなことだ。岩井さんは「倫理の基本は、他の人間を自分の利益の手段としてのみ扱ってはいけないということだ」とする。そのとおりだが、資本制においては、他者を自分の利益の手段として扱ってしまう--つまり転倒を避けることはたいへん難しい。自分の利益の手段としてのみ扱うことはいくらでも、どこにでもころがっている。
 ひとがこの転倒から資本制社会において免れることが可能なのだろうか。もちろん、それを資本制にのみ固有と断言することは難しいかもしれないけれど。

「倫理性」は岩井さんのいう「自由」を保障する「資本主義」のもとでは、いつの時代でも高らかにうたわれてきたし、そしていつも「倫理性」は「資本主義」に敗退を重ねてきた。むしろ「倫理性」は「資本主義」で避けられない転倒を支える結果になっているとさえいえる。問題はその円環構造をどう突き破るのか、ということにこそ向けられるべきではないだろうか。

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