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2006年5月 6日 (土)

半月 そして地球支配

 夜、スイミングのあと、ジャグジーから空を仰ぐ。
 連休中のせいか、ここ数日澄んだ夜空。そこに半月が上っている。
 見上げ眺める月は、古来変わらずに見えていたはずだ。ただ、ひとつ変わったことは、その月面に人間という類が着地したということ。

 執筆のため、たまたま読んでいた旧約聖書の創世記にあるフレーズが浮かんでくる。
 「神は自分にかたどって人を創造した。男と女を創造した。そして人を祝福して言う。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ』」
 神は人間が地球を支配できるようにしたてた。しかし、蛇にそそのかされ、知恵の実を食べてしまい、さまざまな苦しみを人間は負うことになる。そこから苦役としての労働も強いられるようになった、というわけだ。

 いいかえれば、本来だったら地球を支配できるように人間を創造していたということになる。労働は苦役だという考え、そしてそもそも人間が地球を支配できるはずだったという考え方は、旧約から新約を経て今日まで生き続けている。
 そして、原罪で失った楽園を取り戻すかのように、人間は地球の支配者を目指しているようにみえる。とりわけ欧米の思想の中には、それをもろに展開しているものもある。たとえば、ナチスの全体主義を批判するハンナ・アレントさんですら、その流れをしっかり受け継いでいる。「労働」を批判し、「仕事」を肯定する20世紀の哲学者ハンナ・アレントさんは、「労働とは自然と地球の召使にすぎない」として労働に否定的だが、仕事を通じて人間は「地球全体の支配者、主人として振舞うことができる」 としている。つまるところ、地球全体の支配者、主人であろうとすることに価値を置いている(「日経マスターズ」5月号拙稿)。それは旧約に語られていることとも重なっている。

 でも、ほんとうは地球の主人であろうとすること、それが可能だとすることこそ、根底的な陥穽が潜んでいるのではないだろうか。それはエコロジストの範囲を超えた、知の根底的な課題でもあるはずなのだ。
http://toyodasha.in.coocan.jp/

写真は京都・新風館

P1010002

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