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2006年5月21日 (日)

団塊は、資源?

 たしかに多く感じる。平日の昼間、京都の街でも、東京の街でも、団塊世代とおぼしき人たちの姿を。2007年は来年だが、「2007年問題」はすでに始まっているのかもしれない。

Takarajima2

 数日前、朝日新聞はじめ3大紙あたりで宝島社が2面の全面広告を出していた。

   団塊は、資源です。

 との見出しで、脇にコピーが続いていた。
 広告を出した宝島社は、この企業広告についてサイトで次のように書いている。

「常に新しい波を起こしてきた団塊の世代は、もしかしたら日本におけるリタイアの概念さえ変えてしまうのではないか。仕事においても遊びにおいても、個人でも家庭でも、高齢になることが必ずしも老いを意味しない世の中、そういう新しい時代に、彼らが一気にジャンプしてくれる予感がするのです」

 たぶん、旧来の定年後のスタイルを踏襲していては、本人も社会ももたないし、また、そうであってはならないのだと思う。とくに働くこと(活動すること)をめぐっては、そうだと思う。
 労働については、「日経マスターズ」5月号の「新しく、働くということ」の中で一文を提起した。むしろ、団塊世代の定年を、これまでの労働、働くことの見直しと組み替えを行う好機ととらえるべきだと思う。

 ただ、広告コピーの最後にあった、

  きっと団塊は死ぬまで退場しない
  あとの人々は半ばあきれながらも楽しそうに
  彼らの背を追いかけていく

 とあるが、そうありたいけれど、「楽しそうに」と、あとの世代が受け止めるかどうか、それはなかなか難しい。「最後までうるさいな、鬱陶しいな」と感じるかもしれない。それは個々の生き方次第だろう。

文藝春秋」6月号でも「10年後の『団塊』」という特集を組んでいた。年金から、熟年離婚、第二の仕事、生き甲斐、老老介護、墓と死に方など、10項目のテーマで見通しと提言をしている。
 年金制度あたりではずいぶん甘めの見通しで書かれている。平均貯蓄と退職金で、生活費と年金の差額を埋めることができるとあるが、これは一部であって、多くの実態はとてもそうとは思えない。

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