2014年12月29日 (月)

2014年の七つ

○エリック・クラプトン 武道館ライブ 2.21
 「来日40周年記念公演」と銘打たれたツアー。これまで何度か彼の武道館ライブに出かけたが、今まででもっともハードに徹した演奏だったように感じる。間もなく70歳とは思えぬ。力をもらう。

○高千穂の町と神楽
 「神話の故郷」として知られる高千穂。
 かつて国家の統治(政治)には「始まりの物語」が欠かせなかった。力の掌握と維持を理由づける根拠づくりは切実で、現実からの「超越」がどこかに示されなればならない。
Takatiho3_2 「神が降りた地」として挙げられる高千穂。けれども、夜の高千穂神社で毎
晩演じられる高千穂神楽は、厳かな「超越」を引き下ろす面白さに溢れている。4作ほど演じられたが、とくに興味深いのは「御神躰の舞」。別名「国生みの舞」。神話通りイザナギとイザナミが(酒を造って)抱擁しあう。神話世界が、笑いを誘う神楽となる。庶民のしたたかさを感じる。
Takatiho1 翌朝、町のコミュニティバスの始発に乗る。乗客は私一人。手入れされた棚田を車窓から眺めながら向かったのは、天岩戸神社。西本宮の遙拝所から、岩戸川を挟んで対岸の岩山に目を遣ると、アマテラスが隠れたという「天岩戸」がうかがえる。そのように、神職の方から説明を受ける(撮影禁止)。
 続いて岩戸川の渓流添いに道を下ると出現した天安河原は、アマテラスが岩戸に隠れてしまい、困った八百万の神々が相談したという場。早朝で、はじめにいたカップルが去ったあとは、私だけ。河原には小石がいたるところに積まれている。神々が集ったと物語られる洞窟内に立ち、水しぶきを上げる急流の岩場や向かいの山を仰ぎ見ていると、冷気と霊気に包まれ、怯えすら覚える。10分ほどで立ち去りたい気分に。
Takatiho2_2 もうひとつ、観光スポットである高千穂峡へ。大方の観光客は自動車で曲がりくねった道を簡単に降りるが、私はまち中から歩き、重いバッグを背負い汗を流しながら降りた。両側を高い崖で挟まれた渓谷はたしかに絶景。秘境の趣きが深まる。
 こうして散策してみると、高千穂が神が降りたという物語を演出するのにふさわしい土地であることはたしか。こじんまりした町中を歩けば、子どもたちから大人まで皆さん、私のような行きずりの旅人に挨拶の言葉をかけてくれる。大都市の街ではみられない。ありがたく受けとめ挨拶を返した。バスセンターに貼られていた写真にみえるかつての街並の勢いは薄れていても、滞在日程を延ばしたくなる町だった。

○『資本主義の終焉と歴史の危機』
 水野 和夫 (集英社新書)
Sihonshuginokiki すでに2年前に出た前著『世界経済の大潮流』に引き続き、資本制の危機(と終焉)を改めて丁寧に展開している。「成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう」今日の資本制の限界を省みずに、無理やりの「成長」薬を注入する現政府のやり方は、必ず怖い反動をもたらすにちがいない。「タイム・イズ・マネー」の時代は終焉を迎える、そう言い切る勇気をもつ著者は希有な存在。「西欧の終焉」をも告げる。

○宗像大社国宝展(出光美術館)
 自然との対話を、西欧キリスト教宗教学者タイラーは「アニミズム」と定義したが、そうした狭いとらわれを破ってものごとを考えるべきことを改めて教えてくれる。

○折口信夫の論考Origutitenno_2
~『折口信夫 天皇論集』(講談社文芸文庫)&「大嘗祭の本義」(『古代研究Ⅱ』所収)~
 「罪」、「負い目」の発生について深い考察を残し、近代を超える存在観を巡らすにあたりさまざまなヒントを与えてくれる。

○『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ
 「借り」(負債、負い目)から文明観(哲学)をとらえるユニークな書。同時に、西欧的視点の限界も示している。

○『あたりまえのこと』樫山欽四郎
 古書店で手に入れる。
 たとえば、こういうフレーズがある。
 「科学自身は限界をもっている。それは人間に限界があることに由来する」。
Atarimaenokoto_2 1978年の出版だが、このフレーズは、半世紀以上前の1961年に書かれたエッセイにある。ヘーゲル哲学研究者である樫山さんが遺した「あたりまえのこと」は、今に至るも「近代の限界」を見ようとしない思考を厳しく批判する。
 じつに大きな思想的恩恵を私が受けてきた吉本隆明さんもまた、徹底して近代の刻印を受けている。科学技術の課題は科学技術によって解決するしかないとして、脱・反原発の論を彼は批判した。吉本さんのいう「科学技術は科学技術で……」という論はその枠内ではじつにもっともなこと。であるなら、廃棄処分も技術的解決に決着をつけられるまでは、そもそも原発を稼働させるべきではなかった。当然今日も再稼働されるべきではない。
 樫山さんの言のとおり、科学自体が限界をもっている。人間は具体的な場でしか生きられないという制約(限界)のもとで生きているからだ。そういう人間存在の負い目を「近代科学の絶対性」は問おうとしない。「人間が絶対」であろうとする近代の特徴は、科学技術と経済に示される。限界をもつ「科学」は、「科学」の外側から相対化されるしかない。そうした視線を、「素人」とか「人間(の進歩)を否定する」とか「軟弱・センチメント」(石原慎太郎)等の言辞で排すること自体、徹底した近代主義にほかならない。反・脱原発は、近代の「正義」や「イデオロギー」次元のことではない。
 福島第一原発の事故とその後、被災者と地域がこうむっている状況の重さは、いささかも軽くならない。

2014年6月25日 (水)

川上嘉彦『原風景を歩く』

○名所旧跡とは異なる「原風景」

Genhukei 六〇歳定年より少し早めに企業を退職し、第二の人生のテーマを「原風景を探し歩く」ことに据えた著者が、十数年以上にわたって旅してきたエッセイと写真をまとめたもの。旅と出会いと原風景がテーマになっている。
 旅といっても名所旧跡を訪ねるものではない。「私の旅は名所旧跡や観光地を訪ねる旅ではなく、そこに暮らす人びとのいとなみと自然が織りなす風景を訪ねる旅」と記している。
 著者の川上さんにとって、「原風景」とは、少年時代の記憶の中にある風景であり、名所旧跡や国宝、天然記念物のような権威が指定する特別なものでもなく、「ごくありふれた風景」を指す。
 さらに「原生林や大海原のような手つかずの大自然」のことでもない、という。この姿勢にとても共感する。ジャン=ジャック・ルソーのような西欧近代人が、理想として思い描いた「あってほしい自然」、「手付かずの自然」ではない。それは近代西欧的な自然観にほかならい。著者が探し歩くのは、人間の営みと馴染む自然であり、自然の営みと馴染む人間の姿だ。
 歩くところは、山野や峠、水郷、浜辺、焼きもののまち、路地、そして名もない鎮守の杜など。

○「無価値」で「凡庸」な山こそ

 山にしても、惹かれるのはいわゆる「名山」ではない。権威が指定した名山ではなく、人びとの生活と溶けあった山だ。『日本百名山』を著した作家深田久弥が「名山」の基準として、「山の品格」や「歴史」「個性」を挙げていることに対して、そんな条件とは無縁の「無価値」で「凡庸」な山を好む、と川上さんは京都北山を例にしながら書いている。京都の大学に在籍した時代、著者が何度も歩き愛した「京都北山の価値」を次のように考えている。「山が人の心にどれだけ滲み込んでいるか、人の心が山にどれだけ滲み込んでいるか、そして山と人とがどれだけ心を通わせているか」と。ここに川上さんの自然、原風景への姿勢がはっきり示されている。僭越ながら、私の野暮な表現で換言させてもらえば、山と人との「心の価値交換」ということになる。
 そんな著者の姿勢からいろいろ教えられる。私たちにとって自然とは、そういうかたちでしか存在していないのだから。人間の前に自然の像を立て置いて、人間と自然を対置させる近代的な自然観とはまったく異なる。

○土地の人から声をかけられる存在

Kawakamisan 面白く感じられるのは、山の里や、水辺のまちや、峠などさまざまなところで歩き、休息をとっている著者に、土地の人が声をかけてくるシーンがたびたび出てくること。
 土地の人は、なぜ川上さんに話しかけてくるのだろう。旅人自体がほとんどいないところを訪ねていることもあるのだろうが、異邦からやってきた旅人でしかないのに、つい土地の人が声をかけたくなるような雰囲気を川上さんが醸し出しているからだろう。訪ねた土地の色あいに馴染むところが、彼にはあるのに違いない。装ってもできることではない。著者の「人柄」、というより「存在の風あい」といったもののせいだろう。

 著者が訪ねる「原風景」の世界は、「変化が常態」(ウォーラーステイン)である近代システムの「進化」「発展」の概念とは縁遠い。たしかにビジネスでは誰もが「変化が常態」の中を生きねばならないけれど、どんなに変化を追い求めても、私たちの生活を基礎づけているのは生活の積み重ねである。いったい私たちの生活とはなんなのだろう、と静かに問いかけてくる。変化・更新・拡大を演じる近代を極めた今、生活を織りなすとはいったいどんなことなのか……。旅のエッセイでありながら、生きることの原型について私に考えさせてくれる。
 過剰な表現を排して言葉少なに語る文体だけでなく、収められた写真にも著者のものの見方が存分に示されている。
 最後は次のように結ばれている。
 「この一文が、それぞれの人が原風景について考え、自己の旅を創るきっかけになればと考えています」

冬至舎刊 定価(1,800円+税)

(写真は、霧ヶ峰を歩く川上さん)

2014年6月12日 (木)

『谷川雁 永久工作者の言霊』

『谷川雁 永久工作者の言霊』松本輝夫(平凡社新書)

Tanigawagan 谷川雁という名は、メタファーを駆使した詩人、筑豊のサークル村運動、大正炭鉱闘争、(吉本隆明・村上一郎とともに)「試行」創刊同人などとして語られることが多い。いずれも一九六〇年代前半までの話だ。
 そのあと世に突然その名が浮上したのは、七一年のテック労働争議(刑事弾圧)に経営者として関わっていたことがニュースとして否定的にとりあげられたときだった。そして以降は再び消えてしまった。彼の名を知る人にとっては、そんなふうに意識の水面で浮沈していたのが一般的だったと思う。

 しかし、そんな見方をがらりと改めさせてくれるのが『谷川雁 永久工作者の言霊』。筑豊を離れたあとの「沈黙の一五年」と言われた時期のテック(のちのラボ教育センター)での活躍、さらにテックを追われたあとの活動に光をあて、東京へ出てからの活動が、筑豊での運動と通底する志をもったものであることを明らかにしている。

 著者は谷川雁を慕いテックに入ったものの、職場では労使関係で対峙し、またのちに雁をテックから追放せざるをえなかった中心メンバーでもあった。しかし本書では、彼をこき下ろすのではなく、といって絶対視するのでもなく、適度な距離を保ちながら、しかしその思想性については敬愛し、彼の魅力と志をていねいに描いている。近年谷川雁研究会を立ちあげて主宰し、研究を続けてきた著者の取材力と筆力が冴える。
 新書判なので、原稿をかなりカットせざるをえなかったようだが、逆にコンパクトゆえに、雁の生涯の輪郭が鮮やかに示されている。若い世代にも近づきやすいはず。
 ここで掘り起こされた雁さんのフレーズに接すると、たしかに六〇年代後半の全共闘運動にも少なからぬ影響を与えていたのだな、と教えられる。
 読み終えて思うのは、雁さんはよき対立者、理解者、後輩に恵まれたなあ、もって瞑すべし、というところ。

 「三・一一」で現代文明が根底から揺らぎ始めた今こそ、学ぶべき知恵、参考にできる手がかりが雁さんにはたくさん秘められていると、本書は強調する。現代の行きづまりを打開する力をもっていると評価を加えている。たとえば、戦争と敗戦によってさえも辛うじて残り続けた縄文以来の「日本の村と自然生態系」が、その後のわずか数十年の高度成長によってトドメをさされて一挙に解体した、と見抜いた雁の彗眼を指摘する。たしかに「独創的な高度経済期批判」である。

 さて著者は、谷川が「下部へ、下部へ、根へ、根へ、」と歌い、下降しながら「存在の原点」、「万有の母」を探求した試みに、「縄文の心」を重ねている。
 かつて「試行」の仲間だった吉本隆明は、上にいくこと(世界の高次化)と下にいく(アフリカ的段階に降りる)ことが同じであるような方法を追求した。しかし、晩年の表現をみるかぎり、残念ながら引き裂かれていた。あえてそれをさらけ出したところに、吉本さんの真摯さをみることができる。
 吉本と異なり雁さんは、「無名性」の「集団創造」という方法によって、「下部へ、根へ、」の「原点」を探ろうとした。いや、そういう志向性自体に原点をみようとしたのかもしれない。
 ひとことだけ感想を添えれば、吉本とは異なるその作業もまた難しいことにおいては変わらないのではないか。それは「問いの立て方」に関わる。そもそも「工作者」「無名性」「根」「存在の原点」という立て方……。私自身の課題でもあり、別の機会にさらに論じてみたい。

2014年6月 5日 (木)

「労働の科学」四月号に寄稿

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 しばらく前のことになるが、「労働の科学」四月号に『里山資本主義 ――日本経済は「安心の原理」で動く――』(藻谷浩介、NHK広島取材班)の書評を寄稿。昨年末のブログで収穫として取りあげた一冊。
 「里山」と「資本主義」――馴染まないふたつの言葉を組み合わせて「里山資本主義」。意外なタイトルだが、多くの支持を集め、「新書大賞2014」にも選ばれている。
 マネー資本主義の猛威に憤りや不安を覚える中で、私たちがどう生き、働けばよいのか、示唆に富む内容だ。

★付記★
 『資本主義の終焉と歴史の危機』(水野和夫、集英社新書)は、このところ注目している経済学者の新著。これも数ヵ月前に読んだもので、出版されたのは三月。
 資本主義が「終焉」を迎えつつある中、これをいかにソフトランディングさせるか。とても誠実に今日の経済社会と向きあっている。

2014年3月10日 (月)

「船便でjazzが来る」

 酒田から羽越西線に乗る。二両編成の列車は吹雪く中を最上川に沿っDscn1383_2 登っていく。山々は白く、線路際にも雪が高く積もっていDscn1395_2 る。

 新庄を経由して山形駅に出たのは夕暮れだった。降りたら寄りたい店があった。ジャズ喫茶OCTET
 駅前に出てから道に迷って戻ったあと、ようやくひっそりした路地脇に、それらしい小さな灯りを見つけけ辿り着いた。駅から数分のところだ。
Dscn14321  玄関の横に掲げられた板には、「船便でjazzが来る」なんて書かれている。

 ドアを開けると、奥の席に座ってテーブルに向かい作業をしていた男性が一人。ご主人のよう。「いいですか」と尋ねると、「どうぞ」。ほぼ同世代のよう。客はいない。ピアノトリオの曲が流れていた。
 「どちらから」と尋ねられ、「東京からです。仕事で酒井に出たあと、寄りました」と答える。
 古いお店で、すべてが円やかに感じられる。草花もきちんと添えられている。
 膨らんだリュックサックを下ろし、カメラをテーブルにおき、コートを脱いでから、ブレンドコーヒーを注文する。
 ドア脇に貼られた紙を見に寄ってみると、近年亡くなったジャズ演奏家の訃報記事が拡大されたものだった。
Dscn14351  「知ってるミュージシャンがほとんどいなくなりましたね」と店主。「そうですね、ジム・ホールも亡くなりましたね」と答えると、そのジム・ホールの記事も上の方に貼られているのに気づいた。

 「リクエストがありましたら、なんでもどうぞ。ただし、あるものになりますが」と笑う。
 巡らしてみたが、なぜかリクエストしたいという気持が起こらない。この店でご主人が気ままにかけているレコードを聴いているだけで十分、そのほうがいい、と思えた。
 冷え冷えした冬の夜は、若い頃の原体験のせいか、なぜかマル・ウォルドロンのピアノと結びつくけれど、このお店でわざわざ聴きたいとも思えない。
 何枚かのアルバムが流れていたが、それぞれしみじみとしてよかった。

 「いつから営業されているのですか」。そう尋ねると、1971年から、とおっしゃる。途中で家主の都合で建て替えもあったらしい。
 「1971年……」。私と同じ世代のようで、なんとなく推測がつく。ある分岐がご主人の中であったのだろうな、と。
 あとは言葉は交わさなかった。ジャズを聴きながら、原稿を書いたり、考えごとをしたり、店内を眺めていた。
 一時間ほどして、ようやく客が一人。馴染みの客らしい。カウンターに腰を下ろし、マスターと話を始める。
 ジャズの店に来たら、トイレに行かねばならない。張り紙や落書きなども、店の一部として欠かせないからだ。きちんとしていて、ポスターが貼られていた。

 東京のジャズの店もお洒落でよいけれど、古くから続いてるこういうお店の味わいにはかなわない。ご苦労されているのだろうけれど、そんな気配は微塵も感じさせず、淡々と店を続けている感じだ。

 1時間半ほどいたろうか。「ごちそうさま」と支払いをすませたあと、「とてもいい時間でした」と素直にお礼の想いを述べる。
 すると、ドアを開けようとした背中に、マスターが「ありがとう!」。会話のときと異なり少しハイトーンで、強くて太い声だった。その響きがじわっと私を包んだ。それは、客と店主という関係上のものではなく、同士というか仲間といった距離を感じさせるものだった。わずかなひとときの出逢いと別れだけれど、味わい深い時間が過ごせた。感謝したいのはこちらだった。
 ドアを開けると、夜の冷えこみが増し、雨が雪に変わり始めていた。

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(春を待つ酒田の山居倉庫と欅並木)

2013年12月31日 (火)

今年の10点 ~2013年~

 今年の前半は吉本隆明論(『吉本隆明と二つの「敗戦」』)の執筆・編集、後半は次のテーマの執筆にとりかかり、ほとんどその二つに集中した一年。
 そんな中、合間に接して印象に残った作品は――。

○エリック・クラプトン『OLD SOCK』

Old_sock  御年68のクラプトンのアルバム。ジャケット写真の彼は、好々爺といった感じ。私にも馴染みのある曲がたくさん選ばれ、演奏は豪華な顔ぶれが脇を固めている。
 「ALL OF ME」はポール・マッカートニーがアップライト・ベースとヴォーカルで参加。ゲイーリー・ムーアの「STILL GOT THE  BLUES」は大好きな曲だったけれど、そのアルバムをなくしていた。ハモンドオルガンのスティーヴ・ウィンウッドの参加を得て、名演奏。今年一番聴いた曲かもしれない。

○宮崎駿『風立ちぬ』

Kazetatinu_2   宮崎駿さんのアニメーション映画を劇場で観るのは、この作品が初めて。これまで熱心な受け手ではまったくなかった。
 概念としての「自然」ではなく、風や雲、草木、水の動きや音、大地の生成……ああ、この人はこれらをていねいに描くことに燃え、とことんこだわっているんだな、と気づく。二度映画館に足を運んでしまった。

○九鬼周造『いきの構造』

Ikinokozo  祇園から人力車で京都大学に通い教壇に立ったという伝説をもつ九鬼周造、昭和五年の書。

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「いき」は恋の束縛に超越した自由なる浮気心でなければならぬ。
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 九鬼と交わりのあったハイデガーが、とても理解できないとした「いき」についての、みごとな文体の論考。もちろん危うさも潜んでいる。

○ジャン=ポール・ジョー監督『世界が食べられなくなる日』

Taberarenakunaruhi_2   分子生物学者、ジル=エリック・セラリーニ教授が行った、遺伝子組み換え作物をラットに与えた世界初の実験。前世紀に生まれた「遺伝子組み換え」と「原子力」という二つのテクノロジーをめぐって警鐘を鳴らすドキュメンタリー。

○水野和夫『世界経済の大潮流』

 刺激的な資本主義論。こういう経済学者さんにもっともっと頑張っていただきたい。
 
○中沢新一・國分功一郎『哲学の自然』

 同感するところ、多し。

○藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義』

Satoyamashihonshugi  とりあげられたさまざまの事例に刺激を受ける。

○堤未果『(株)貧困大国アメリカ』

 「自由」と「民主主義」の大国の惨状は、他人事ではまったくない。

○エル・グレコ展(東京都美術館)

○吉本隆明『開店休業』(追想・画 ハルノ宵子)

 吉本さんが最晩年に書いたエッセイのそれぞれに、長女ハルノ宵子さんが追想(コメント)を付けたもの。ハルノさんの追想から、吉本さんの思考と嗜好を裏づけるいくつかの事実を知る。彼が化学調味料「味の素」を発売当初からずっと「信奉」し、梅干しなどには「真っ白の雪山のようになるまでかけ」ていたこと。奥さんの和子さんが「料理を食べることも作ることもまったく愛せなかった」ということなど。意外であったが、よくよく考えると、なるほどと合点がいく。拙著で示した吉本さんの農業論、食のとらえ方の背景と符号する。
 来年「吉本隆明全集」が晶文社から出るようだが、その刊行にあたり二人の娘さんが寄せた文章はじつに味わい深い。

2013年11月20日 (水)

「男流」近代を問う紫琴の生涯

~内田聖子著『清水紫琴――幻の女流作家がいた』書評を「Myaku18号」に寄稿~

Shimizushikin_2   「清水紫琴」――。知らない方も多いだろう。私自身、初めて聞く名だった。明治初年生まれの「幻の女流作家」。
 維新の新体制以降、「近代化」がさまざまに急速に進められたが、女性の社会的・法的差別はなかなか解消されず、参政権獲得に至っては敗戦後まで待たなければならなかった。運動の長い歴史のスタートを切ったのは、『青鞜』で知られる平塚らいてうあたりと思っていたが、それより四半世紀前に、福田(旧姓景山)英子や清水紫琴が活躍していたことを本書で知った。
 清水紫琴は、若いころからその矛盾の中を生き、自由民権の運動に身を投じたものの、民権活動家大井憲太郎の子を宿して婚外子として出産したあと、学者と結婚。家庭を築きながら表現活動を続けてきた。しかし、人生半ばで筆を折る。そのあたりの事情にこだわりながら、著者は「痕跡すらも消し去」られそうな生涯の軌跡を少ない資料から探り、辿る。そんな評伝である。
 さまざまな問いかけを、本書は含んでいる。
 ・「書く」ということ
 ・近代化が「男流」であったこと
 ・現在が近代的権利の確立と、近代の超克という二重の課題を抱えていること

 そうしたことを、清水紫琴の生涯を辿りながら、問うているようにみえる。
 近代自体が「男流」であったことは否めない。観念と科学技術を絶対化し、自然支配、直線的進歩、効率を最優先してきた。著者の内田聖子さんは、すでに谷川雁論(『谷川雁のめがね』)や森崎和江論を著している。たとえば、男の論理について、こう書いている。

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だが言葉で構築した論理はやがては矛盾を孕み、その破綻を補うために再び言葉の銃口を必要とする。 
        (『谷川雁のめがね』)
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 谷川に対してのものだが、紛れもなく私も含む男たちが陥る近代観念の病理を指摘するものだ。もちろん、反近代が措定されればすむのでもない。近代か反近代か、というこれまでずうっと繰り返された問いかけの構造を超えることが、現在の先鋭的な課題であり、「男流」近代を相対化し撃とうとする著者のこれからの作業に期待したい。

2013年8月26日 (月)

毎日新聞に書評(『吉本隆明と「二つの敗戦」』)

 毎日新聞8月25日付朝刊(東京本社版)の「今週の本棚」に、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』の書評が掲載された。

 その中から二箇所、フレーズを引かせていただく。

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吉本の思想形成の原点から丹念に彼の思考の方法論を押さえてたどるだけに、著者は吉本の原発論における飛躍と晩年の「引き裂かれ」を見逃さない。
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吉本への感謝と批判を経たうえで近代の超克として、人間の「生」を贈与として受け止める著者の新たな発想が提示されている。それは吉本が晩年提唱した「存在の倫理」を深める試論として注目される。
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「Myaku」17号に『吉本隆明と「二つの敗戦」』書評

 「Myaku」17号(8月20日発行)に、拙著『吉本隆明と「二つの敗戦」』についての書評が掲載された。
 雑誌「Myaku」は、沖縄で「島尾敏雄論」などの評論や詩、小説を長年書いてきた比嘉加津夫さんが編集・運営する雑誌。「島尾敏雄と写真」、「今再び高木護」などの特集を毎号組んで話題を呼び、その持続的な活動は高く評価されている。
Myaku17  那覇出身の詩人「山之口 貘」を特集した今回の17号の書評コーナーに、「吉本隆明への入魂の讃歌であり、かつ決別の書でもある」というタイトルの拙著書評が掲載された。評者は松本輝夫さん。

 松本さんは、谷川雁との出会いが機縁でテック(のちのラボ教育センター)に入り労組活動で谷川と対峙したが、のちに経営参画。現在は谷川雁研究会代表、言語学者鈴木孝夫研究会(タカの会)代表などを務める御仁。これまで論じてきた谷川雁論をまとめて単行本にすべき作業に追われ、いまは多忙を極めているはずだが、「Myaku」側の依頼に応え、7ページに及ぶ渾身の批評を寄せてくれた。

(ここでは、三箇所だけフレーズを引用させていただく)

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……、本書は、とよだの人生にあって多大な収穫とともに消し難い傷痕も残したにちがいないくだんの長期争議中を含めて長年にわたって大きな影響をうけ、精神の支えともなってきた吉本隆明への、彼の死をうけてのとよだならではの入魂の追悼とオマージュの一冊である。本書全体からとよだの真摯な謝念の声が聞こえてくるはずだ。
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……、同時に本書は感謝の限りを尽くしての吉本讃歌であるとともに、その上での吉本との決別の一書でもある。こう評されることはとよだ本人にとってはもしかしたら不本意であり、抵抗感があることかもしれないが、よく読めば実質的には決別、あるいは恩返し的脱吉本の色合いが濃厚な吉本論になっているはずだ。そして、ここにこそ、つまりはこの二重性というか卓抜に均衡のとれた双面性にこそ、この一冊のかけがえなき特長と面白味、格別な存在理由があると言ってもいい。
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とよだが、相当に長く親密な吉本との「心的価値」交換の歳月を経て、最後の吉本の到達点である「存在の倫理」の吟味も丁寧に行なった上で、その先に行かんとして、「贈与存在の倫理」へ! と高く志を打ち出した構えにも拍手を送りたい。
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2013年6月21日 (金)

「経済成長」と次世代へのツケ

○「次の世代に受け渡すこと」

 福島第一原発事故から2年少々を経た今日、原発再稼働の声が政治「業界」の一部で強まっている。理由として「エネルギーの安定供給」、「経済成長」、「立地自治体の声」が挙げられている。「安全神話」が崩れ、なおかつ電力生産過程における廃物処理方法すらお手上げ状態がさらに露わになるなかでも、そう主張される。

 「3.11」より20年以上前、チェルノブイリ原発事故後に出版された『「いのち」とはなにか』で、生命科学者の柳澤桂子さんは次のように書いている。
「一五〇億年という宇宙の歴史を考えてみると、私たちはこの宇宙の中で瞬間を生きて消えてしまうはかない存在であることに気がつきます」。そして、問いかける。「人間とは何なのでしょうか。自己とは何なのでしょうか。宇宙の歴史、生命の歴史という観点から見ると、私たちが一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なことは、遺伝物質をつぎの世代に受け渡すことです」と。
 生命科学者らしい視点と表現だが、いのちをしっかりつなげることを、「一生のうちに成し遂げる仕事のうちでもっとも重要なこと」としている。それはいいかえれば、新しいいのちの生誕と、そのいのちを育んでいくことだ。
 同書で柳澤さんはこうも書いている。「短期的にみて、放射能のいちばん恐ろしいことは細胞をがん化させることです。長期的には奇形児がたくさん生まれるでしょう。さらに汚染が進めば、地球は放射能に強い微生物だけの世界に変わるかもしれません。あるいは生物はまったく絶えてしまうのでしょうか」。ごく基本的なことが語られている。

○「次世代」を犠牲にする「今の成長」とは……

 しかし政治業の一部では、「今の経済成長」のために、福島の人びとのみならず、「次の世代」、以降の世代すべてにそのツケを押し付ける無責任を、あえて選びとろうとする政策が掲げられる。
 「成長」や「進歩」を一概に否定するつもりはない。仮に彼らのいう「経済成長」概念を否定しないにしても、それが原発再稼働なしでも可能であることは、さまざまな専門家が指摘していることだ。
 そして基本に立ち戻れば、次世代、子ども・孫、さらにその後の世代に、手に負えないものの処分・監視を押し付け、生存を脅かし、(間違いなく)犠牲を強いる政策を、私たちは「成長」「進歩」とは呼びがたいのではないか。
 もし「成長」「進歩」にこだわるのなら、その近代的な概念を組み替える作業が必要なはずだ。

130531

(福島原発原告団の5.31東電要請行動には、バスをチャーターして来られた福島の方々がたさくん参加し、切々たる訴えを行った)

2013年6月20日 (木)

「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿

紀伊國屋書店の電子書籍として
GN21「人類再生シリーズ⑧」の
わたしたちは二十二世紀を望めるのか
が刊行された。
紀伊國屋書店の電子書籍アプリ「Kinoppy」にてダウンロード。
定価500円(税込)

小生も「生産・労働と消費の関係を見直す」を寄稿。

【目次】Proposal_2013_2

○序章
山折哲雄:未来を紡ぐ智慧を
板垣雄三:悲観的楽観主義で生きのびる
○第1章 いのちを甦らせ、自分らしく生きる 
上倉庸敬:ひたむきに愛と死を生きる-イーストウッドと小津の映画から-
宇野木洋:明日の日本に生きる魯迅の言葉――絶望から/希望へ
ムラリス:広く文学を通し、グローバル化時代の多様な文化と心豊かな生き方! 
金守良:胃瘻を巡る諸問題 -人ひとりの尊厳死とどう向き合うかー
工藤孝司:生死の視点を活かす「学び」を
片岡幸彦:「老病死生」を生きることこそ「人生の真髄」ではないか
○第2章 ライフスタイルを変える 
とよだもとゆき:生産・労働と消費の関係を見直す ~新しい「スローワーク」論の勧め~
樺島勝徳:東洋的身体観を身に付け、心身共に鍛え、自信をもって生きる道
中川 恵: 自己表現と民主化-アラブ世界の変革とこれからの日本人の生き方-
高垣友海:グローバル化社会における「言語政策」への提言
桂良太郎:自然力を文化力に!-新しい里山学への誘い-
北島義信:地域と食文化 - 伝統的食文化としての「報恩講汁」と地域再生
○第3章 コミュニティを再生する 
池田知隆:新・学問のススメ -独立自尊から独立共尊へ-
八木啓代:インターネットメディアが動かす市民革命
蔡明哲:企業活動に生かすための儒教(論語)の現代化
石崎晴巳:「世界史」の構築と共有を
竹谷裕之:ネットワーク構築による地域力再生をベースとする生活再建
古田元夫:東アジアの共通教養である漢字文化の再興・交流を
○第4章 新しい社会システムをつくる 
小林 誠:超えられた国家主権の明日を考える、コスモポリタリズムの未来
レズラズィ:未来を冷徹に予測する ―「アラブの春 」の社会経済的コスト―
嶋 努:これまでの経験を踏まえて、優れたリーダーの条件について提言する
マルチノ:EUのエネルギー政策における「市長誓約」の重要性
渡辺幸重:大震災の原発事故から「やさしさと善意を基盤とする社会」を考える
安斎育郎:脱原発社会の構築に向けて
○終 章
片岡幸彦:「文化が政治を変え、社会を変え、世界を変える」
あとがき 
執筆者紹介

写真は刊行記念イベントでの山折哲雄氏

Yamaorisi

2013年6月 8日 (土)

『吉本隆明と「二つの敗戦」』

拙著新刊!
『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~
(とよだ もとゆき)

 昨年(2012年)亡くなった吉本隆明さんは「敗戦」を二度迎えている。一度目は1945年二十歳の夏。そして二度目は、自ら「第二の敗戦期」と表した近年(晩年期)。その象徴が「3.11」の福島第一原発事故だった。
 前者は、近代戦における日本の敗北だった。しかし、後者は近代戦における敗北ではない。近代(を極めた現代)自体が敗北を迎えた、ととらえるほかない。Yosimotohutatunohaisenn2
 質を異にする二つの「敗戦」は、彼の思想営為にどんなことを強いたのか。それを探りながら、近代(を極めた現代)を超える方向を本書で考えてみた。

 主な問いを列記してみる。
○なぜ「科学の進歩」を止めてはならないとして「反・脱原発」を苛烈に批判し、それを「原発稼働」と直結させたのか。
○思想営為の基本に据えた「大衆の原像」というOS(オペレーティングシステム)に、なぜ最後までこだわったのか。それはもはや時代にそぐわなくなくなり、切り替えが必要だったのではないか。
○以前から小林秀雄の限界を指摘し、「小林秀雄ってダメだね」と厳しく断じていたにもかかわらず、現在を「第二の敗戦期」とした晩年になると、敗戦後の小林秀雄の言、「僕は無智だから反省なぞしない」を強く評価するようになった。いったいなぜか。
○ヘーゲル・マルクスの歴史観を批判して「史観の拡張」をめざしたが、彼らのそれをほんとうに超えたのだろうか。
○農業問題に触発された「贈与価値」論、さらに晩年提示した「存在の倫理」は、「現代の超克」の方向を指し示しているのだろうか。
○2008年、従来の自らの営為とぶつかるような意外な慨嘆を漏らした。それはなにゆえか。

『吉本隆明と「二つの敗戦」』
~近代の敗北と超克~

(とよだもとゆき)
四六判 184ページ 定価1,500円(税別)
発行=脈発行所
メールアドレス higa20@nirai.ne.jp (電子メールで注文可)
その他京都・三月書房、一部大型書店で(「地方小出版流通センター」取扱)

目次等、詳細はこちら

2013年5月23日 (木)

梅原猛『人類哲学序説』

 福島第一原発事故後、自らの過去も含めて痛恨の想いを吐露していた梅原猛さんの新著で、講演をベースに加筆したもの(岩波新書)。
 大震災と原発事故がこの本を書かせることを決意させたと、あとがきに記している。「原子力発電を主なエネルギー源とする現代文明のあり方をそのものが問われなければならない」と。事故はまさに近現代の極みに逢着した事態であり、同意するしかない。
Photo  『人類哲学序説』というタイトルについては、つぎのようにコメントしている。「哲学」とはギリシャ生まれで、近代西洋で発展してきたもの。ゆえにヨーロッパを超えた「人類哲学」はこれまで語られたことがなかった。また序説とは、これから本格的に西洋文明(西洋哲学)を体系的に論じたものを書くつもりなので、本書は「序説」にすぎないと。

 デカルトから始まる近代哲学・科学を批判し、さらに近代を批判したはずのニーチェ、さらにハイデガーにまで疑問を投げかける。このあたりもまったく同感である。さらにこうしたヨーロッパ文明に大きな影響を与えたヘブライズムとヘレニズムに遡り、これを裏づける。
 他方で、日本文化の原理を探り、天台密教(台密)を基本として挙げる。台密は「草木国土悉皆成仏」で表現されるという。動物はもとより、草木も仏性をもち成仏できるとする思想。縄文文化を源流として草木国土悉皆成仏の考えが生みだされた。ヨーロッパ文明が否定的にとらえる「森」を大切にする森の思想=循環の思想にこそ、これからの可能性を見いだす。
 草木国土悉皆成仏の思想と、(西欧がその影響を否定しようとしてきた)太陽信仰をもつエジプト文明、さらにアジア、日本の太陽崇拝の思想に注目し、現代文明を根底から批判し、新しい文明の方向を追求する。その序説として、本書が位置づけられている。

 かつて梅原さんは、和辻哲郎の『風土』を高く評価したうえで、そこには「生産」の概念がまったく欠落している、と鋭い指摘をしていた。ご高齢でたいへんと思うが、数歩でも進んでその成果(本論)を発表していただきたいと願う。もちろん、わたしも自分なりに歩を進めるつもりでいる。(写真は経産省前テント村行動)
2

2013年5月15日 (水)

『評価と贈与の経済学』

 「贈与の経済学」の内田樹さんと、「評価の経済学」の岡田斗司夫さんの対談。
なにかと刺激を与えてくれる。
 気に入ったフレーズはたくさんあるが、いくつか拾ってみる。

◎内田さんPhoto_3
「よく一九六〇年代高度成長の時代、日本社会は希望にあふれていました、なんてことしらじらと言うけれど、あれは嘘だよ」 
 (まったく同感)
◎内田さん
「掃除やってると、人間の営みの根源的な無意味性に気がつくんですよ。『シジフォスの神話』とおなじで、掃除って、やってもやっても終わらない。せっかくきれいにしても、たちまち汚れてしまう。……。それがたいせつなんですよ。『なんだよ、掃除ってエンドレスじゃん』て気がつくことが」
◎岡田さん
「貨幣経済を贈与経済に戻すのがデジタルネットワークじゃないかと思っているんです」
  (そういう可能性をもっている)
◎岡田さん
「内田先生のその考えを借りれば、パスを出す人を贈与者と呼んで、そうじゃない人を消費者と呼ぶこともできますよね」
◎内田さん
「……、就職の生き残り術って、結局は『強者の論理』になるでしょ。強い人間だけが生き残って、弱い人間は野垂れ死にしても仕方がないというルールだから。でも、社会システムがそういうものであってもいいとぼくは思わない。そういう残酷な現実は確かに目の前にあるのだけれど、そこをまるごと肯定するのは思考停止だと思う。アカデミアが思考停止の片棒担いでしまったら、もう存在理由がない」。
  (同感)
◎岡田さん
「ぼくはついに無世代論者になりつつあります。世代なんてなかったってことがわかってきたから」
◎内田さん
「これからの日本を担ってゆくことになる若い世代に対して、先行世代に課せられた使命は『敬意をもって、できる限り親切にする』ことなんですよ」
◎内田さん
「未来の自分に向けて吐きかけた呪詛はいずれ自分に返ってくる」
  (名言)
◎内田さん
「例えば、ぼくが人を判断するときに見ているのは『この人と一緒に革命ができるか』ということです。革命活動というのはそのほぼ全期間を権力の弾圧や裏切りや社会的孤立といったリスクを長期にわたって耐えることですけれど、そういうときに信じられる人間かどうか、それを考える。もちろん、ぼくにはいまから革命を起こす計画なんかありません。でも、想像することくらいはできる。そういう想像上の苦難をともに分かち合うことのできる人間かどうか、それを『ものさし』にして人の器を計る」
◎内田さん
「家族制度の基本て身体性でしょ」
◎内田さん
「そういう相互扶助・相互支援の安全保障体制を作り上げることが結婚の基本だと思うんです」


<読み終わって>
 西欧的な知が語る贈与交換論には落とし穴があるけれど、内田さんの贈与論はそれとは違う。

2013年3月21日 (木)

『流砂』6号 【追悼特集】吉本隆明その重層的可能性

Rusa6  吉本隆明について追悼特集した『流砂』6号(発売=批評社、共同責任編集栗本慎一郎+三上治)が発行された(定価1200円+税)。

 特集タイトルは、「吉本隆明その重層的可能性」。
 小生も寄稿させていただいた。
 『吉本隆明と小林秀雄 ~「第二の敗戦期」と「現代の超克」~』
 晩年の吉本さんにいったい何が起きていたのか、との問いかけから、吉本さんの小林秀雄評価をめぐって論じてみた。

雑誌全体の構成は以下のとおり。

【構成】
三島由紀夫と吉本隆明…………………………三上治
革命的思考と吉本隆明の思想
―.左翼的思考の閉塞を突き破る  …………山本哲士
吉本隆明の哲学的思考…………………………新田滋
吉本隆明の彼方へ
 ―もうひとつの時間のゆくえ―……………宮内広利
吉本隆明と原発………………………………中村礼治
脱原発と社会主義の構想への探究 
 ―吉本隆明『「反核」異論』について―……山家歩
吉本親鸞論への問い.―宮沢賢治論から―…伊藤述史
吉本隆明の西行論………………………………高岡健
世界視線としての放射線の夢と胎生防御装置
 ―吉本隆明なるものを巡る私にとっての諸問題―
  ………………………………………………柴崎明
吉本隆明のまなざし、死生観………………佐竹靖邦
大衆よりの自立…………………………………柏木信
吉本隆明へのアプローチ……………………平田重正
吉本思想との出会い―吉本さん追悼………古賀英二
吉本隆明と小林秀雄
 ―「第二の敗戦期」と「現代の超克」…とよだもとゆき
問われ続けた《革命とは何か》………………菅原則生
〈関係・資質・異和・成熟〉という問題……高橋順一
■【社会運動の空間】
循環型コミュニティーにトライ
―鴨川から―……………………………………田中正治
■連載
「エチカ.」―倫理学第五部
知性の能力あるいは人間の自由について……木畑壽信
傾注とポイエーシス[六]
BNE.―半透明のリテラシーから水の透明性へ 
………………………………………大山エンリコイサム

2013年3月16日 (土)

西武HDとサーベラス

~投資者の利益と「企業価値」~

 西武鉄道やプリンスホテルを傘下にもつ西武ホールディングス(HD)の再上場をめぐって、同社と筆頭株主の投資会社、アメリカのサーベラスとの間で対立が泥沼化している、と新聞が伝えている。サーベラスがTOBをかけて出資比率を三分の一超にして経営方針を変えて「企業価値」を高めて、再上場時の「上場益」を大幅に増やしたい狙いのようだ。ゆえに不採算部門の切り捨てなどをサーベラスは迫る。

 具体的には、①西武多摩川線、山口線、秩父線など不採算路線の廃止 ②特急料金の引き上げ ③プリンスホテルのサービス料金を上げる(10%を20%へ) ④西武ライオンズの売却 ⑤JR品川駅周辺の再開発案の策定などを挙げているようだ。
 おおむねエンドユーザの生活の足を切り捨てるか、その経済負担をもっと高くしなさいというものだ。②と③などじつに「セコイ」というしかない。これが、「企業価値」を高めるための投資会社メンバーが、「実物投資空間」から利益をひねり出すために思い付いた方法なのだ。問題は極めて多いが、なかでも路線の廃止というリストラは、その沿線の住民にとっては重大な問題だろう。

 そもそもの発端は10年ほど前の有価証券報告書の虚偽記載問題にまで遡るのだろうし、西武HDにも不動産なども含めさまざまな経営上の思惑もあるだろうけれど、少なくとも現経営陣が「地元に根ざした鉄道会社として、路線廃止は考えられない」との見解はどうあれまっとうだ。

 サーベラスがとりまとめる投資家のほとんどはアメリカはじめ海外の人だろうし、とにかく「目先の利益」が得られば、異国の一地域の生活路線なんてどうだろうが関係のないことだ。あるいは特急料金やホテルサービス料をちょっと値上がりさせたという事実を作り出せばよいのだろう。それが当該企業や、その商品・サービスを購入している人たちにとっての影響や、さらに企業自体の数字に中長期的にどんな影響を与えるかは、考慮外となる。売却益取得後のことなぞ関係ない。上場という瞬間に「企業価値」が上がっていれば、どんな方法でもよい。目先の利益(上場益)を増大させるためには、その鉄道を利用する地域住民の生活など切り捨てろ、という。端的にいえば、実体など関係ない、投資(貨幣)がとにかく増えて戻ってくればよい、ということだろう。

 こうした株主至上主義を支持する人が国内にもいるようで、サーベラスは、日本の元金融庁長官、元日本郵政公社総裁らを取締役として推薦するという。
 高めたい「企業価値」とは、いったい誰にとっての、どういう価値なのか。わたしたちは誰もが「資本の論理」から免れることはできないけれど、リーマンショック以降も、構造はまったく変わっていない。
 ちなみにサーベラスとはギリシャ神話の「地獄の番犬ケルベロス」の英語読みで、「底なし穴の霊」を意味することを、ウィキペディアで教えられた。

2013年3月13日 (水)

「PLANETS」vol.8が投げかけていること

Planets8  人文・社会科学系の新刊売り場には場違いと感じられる、異質な表紙の雑誌が平積みされている。表紙モデルは、AKB48の横山由衣ちゃん。雑誌は「PLANETS」第8号。
 AKB48のメンバー名を挙げるとなると、前田敦子、大島優子、篠田麻里子、板野友美、高橋みなみくらいしか浮かんでこない。なにせ最近は、ますます古典にますますはまりこんでいる。当然この子も名前も知らなかった(ちなみにわたしはAKB48よりは、きゃりーぱみゅぱみゅのほうに新鮮な驚きを感じている)。

 さて、AKBの子が表紙を飾るこの雑誌、しかし、あるいは、ゆえに、というべきか、そうとうに密度が濃く、わたしのように頭が凝り固まりがちな世代には挑発的なほどの刺激を与えてくれる。今一番元気な雑誌といっても過言ではないと思う。
 丁寧な編集とその充実度、ジャンルの多岐性において、とても優れている。カラーも多い232頁の雑誌で1800円(本体)というかたちを、既存版元に寄らずに自力で刊行しつづけているのも驚きだ。
 もちろんハード面だけではない。雑誌の鋭いコンセプトは、座談、鼎談、インタビューで主に構成された全ページに貫かれている。

 この号の特集タイトルは「僕たちは<夜の世界>を生きている」。「夜の世界」とは、サブカルチャーやインタネット環境(世界)を指している。政治や経済の「昼の世界」がすでに終わっているなかで、この「夜の世界」こそ、「自由と生成のフロンティア」だと同誌は高らかに宣言する。
 戦後的な社会システムが機能しなくなったなかで、ポスト戦後的社会システムが構築されていない。否、その青写真すらも示されていない。「僕たちはこの20年間、ずっと放置されてきた日本のOSを今こそアップデートしなければならない、そのための手がかりは既にこの日本社会の内部にあふれている」。それは「昼の世界」でしばしば語られる「ものづくり」や「市民社会」には存在しない。サブカルチャーやインターネット世界にこそ存在する、と謳う。
 語られる分野は、政治(ポピュリズム)、社会、経済、原発、ソーシャルメディア、ゲーム(ゲーミフィケーション)、ファッション、性、子育て、社会起業、NPO活動など、幅広いジャンルが網羅され、いま注目を集める若手の論客たちや、IT産業やNPO活動をしている若者の考えが示されている。

 責任編集者宇野常寛氏の発言を少し挙げてみよう。

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「20世紀までの西洋近代的価値観では「エリート」と「大衆」、「固有名」と「匿名」、「目的」と「手段」、「現実」と「虚構」といたような二元論的にイメージされていた世界観」を、一元的な想像力によって置き換える……。
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 戦後社会の建前的な精神がすでに機能しない現状を踏まえ、こう語る。

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……、匿名社会的・分人主義的・キャラクター的なるものを基礎に、それがかつてのような暴走や「無責任の体系」的な体制に陥らない状態でそのまま機能させるにはどうしたらいいかを考えるほうが、長期的には現実的なのではないでしょうか。
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 わたし自身の興味に引きつけて一例を挙げれば、「人間的」と「動物的」という、近代主義的概念への疑義を根柢から提出している(いくつかの対談、鼎談で現にそのように語られている)。「欲望」か「反欲望(禁欲)」か、という近現代の枠組みをどう破るか、と受けとめることができる。
 それは、おそらく失われた20年でのOS更新にとどまらず、近現代(的西欧知)のとらえなおしにまで及ぶ質を含んでいる。その可能性を日本のサブカルチャーやインターネット世界の現在にこそ探ろうとする。しかもそこにこそ「楽しさ」があることを、(ルサンチマンによらず)自らが生きるなかで示したいというところに、従来の「目的」と「手段」を分けるスタイルを超えた新しさもみえる。わたしのような世代も、こういうテーマを避けて「現在」を語ることはできない。

2013年1月 1日 (火)

「労働の科学」の特集「働くことの意味」

Roudounokagaku2  65年を越える歴史をもつ「労働の科学」は、公益財団法人労働科学研究所が発行する月刊誌。2013年1月号の特集は「働くことの意味」。さまざまな分野の人がそれぞれの視点から、働くことの意味を問い直している。小生も寄稿させていただいた。
 拙稿では、労働観を問い直すことが求められていること、「労働」という概念・ことばがたかだか近代百年少々のものにすぎないことを示し、以下の三点からまず労働観を問い直す。
 ①「生きる」総体から 
 ②「生産と消費」の関係から 
 ③「雇用」というかたちから。
 そのあと、問い直しのヒントを「地域社会で働く」ことのなかに探ってみた。

2012年12月22日 (土)

六角堂とクリスマス

 京の臍と呼ばれる六角堂。聖徳太子ゆかりの地であり、親鸞が叡山から下り百日参籠したところでもある。
Rokakudo  池坊さんの拠点ゆえ、周囲は池坊の高いビルに囲まれている。その一角、1階にスターバックスが店を構えている。店のソファからは大きなガラス張りの前に六角堂を眺めることができる。クリスマスシーズンを迎えて、トナカイに引かれたソリとクリスマスプレゼントが生け垣に飾られている。背景に六角堂。
 六角堂に訪れるクリスマスシーズン。京のへそにクリスマスの飾り。これはこれで絵になっているところが、日本文化の特異性だろう。

 西田幾多郎の著作を探して京の古書店をいくつか回る。人文系に限られるが。寺町三条、河原町丸太町、京大周辺の店を覗く。品揃えが比較的よいのは、河原町丸太町の今村書店、東大路今出川の吉岡書店くらいか。京大周辺の古書店は、仮住まいしていた十年前よりさらに減っているように感じられる。

 夕暮れ、六波羅蜜寺を訪ね、踊り念仏に接する。前回観させていただいたのは、もう10年近く前だろうか。年末師走の13日ごろから大晦日まで限定で、日没近い時間に毎夕続けられる。
Rokuharamituji  本堂内であるにもかかわらず、一段下がった祭壇で、読経のあと、祭壇の囲むようにして回り、腰を曲げ、体勢を低くする。南無阿弥陀仏とは唱えない。そして、途中で途切れるように終わる。
 それらすべてが示しているのは、かつて念仏が弾圧された時代の名残だ。本堂で焼香したあと、御札をいただく。

2012年12月14日 (金)

2012年の五つ

 今年は3月に吉本隆明さんが亡くなり、彼の遺した様々な論考とずっと向きあい続けてきた。とても大きな影響を受けた思想家の死だったから、当然のことだ。とくに3・11と原発の問題をめぐり、彼の表現を検証せざるをえなかった。近いうちにサイトに連載を始めたい。そんなわけで、今年も新しいものに触れる機会はあまりなかった。

○ハイデガー『技術論』『放下』
 3・11後について考えているうちに、昔の理想社版選集に収められていたハイデガーの技術論に接してみた。戦後に発表されたものだが、西欧形而上学批判が基礎にあるので、近代科学を相対化してみる目は鋭い。優れた講演だ。
 「近代科学」とは「自然現象があらかじめ算定できるものだということを、確保するような知識を追求するのです」(『技術論』)と、近代科学の限界をはっきり指摘し、踏まえている。そこでは人間が「役立つものの仕立屋」になってしまい、傲慢にも「地上の主人顔」をしている、と。
 思惟には、「計算する思惟」と「省察する追思惟」の二種類があるけれど、前者は世界を「役立つもの」としてとらえるので、存在を見る眼を曇らせてしまう。自然現象をあらかじめ想定できるものとしてのみとらえようとする近代科学の狭さ、限界が明らかにされている。
Heidegger_2  そして当時、ノーベル賞受賞の科学者たちがボーデン湖にあるマウナウ島に集まり発表した、「科学」が人類を幸福な生活に導くという宣言に疑義を示し、原子力時代が抱える原発問題に迫っている。「計算する思惟」によって、「自然は、他に比類なき一つの巨大なガソリン・スタンドと化し、つまり現代の技術と工業とにエネルギーを供給する力源と化します」とし、それが17世紀の西欧において成立したとみている。
 翻ってみると吉本隆明さんには、酷なようだがそうした視点がみられなかった。技術はただ技術によって超えられる、とするだけだった。科学の進歩を阻止してはならないし、それを阻止するのは暗黒の時代に陥るのだ、と。たしかに時代的な背景をみておかなければならない。人間的な善悪で科学をとらえてはならないという原則を語ることで、かつての(ソフト)スターリニズム批判を貫こうとした姿勢はわかる。ただ、そこにこだわりすぎた。吉本さんも時代に規定されたのだ。そのことを素直に受けとめるべきだろう。
 むしろ問われるのは、吉本さんに「追随」する一部の人が、ハイデガーの技術論を曲解して、技術の本質は人類の主体には帰属しないのだから、人間が技術をコントロールなんてできやしないと、脱原発や反原発の声は無意味、ファシズムと批判していることだ。科学技術の進歩と、現実の生活圏での原発稼働とを短絡させる。また原子力による電力生産によってうみだされる廃物処理のことにも、まったく口を閉ざしている。

○中沢新一「『自然史過程』について」(「新潮」5月号)
 「試行」1984年5月刊の「情況への発言」で、「だが中沢さんよ」と挑発気味に始まった吉本さんと中沢さんの二人のやりとりは、のちに互いに書の解説を寄せあったり、対談する間柄になる。梅原猛も加えた『日本人は思想したか』もまた内容の濃い鼎談だった。
 中沢さんは、亡くなる数ヵ月前の吉本さんの「週刊新潮」発言について、「たとえその結論には真っ向から異を唱えなければならないとしても、私はこのインタヴューでの発言を、思想家吉本隆明の真性の思考から生まれ出たもの」と受けとめたうえで、原子核技術、原子炉の問題点を鋭く指摘し、あえて吉本の原発論に異を唱える、「原子核技術は失敗したモダン科学の象徴なのである」と。
 そして最後にこう記す。「一人の偉大な思想家を追悼するためには、その人の思想を正しく理解しながら、その人を限界づけていた時代のくびきを解いて、その人の思想に秘められていた可能性を新しい地平に開いていくことこそ、その人にふさわしい敬意の表し方であろうと、私は思った」と。
 じつにまっとうな姿勢だ。

○松任谷由実『日本の恋と、ユーミンと。』
Yuming1  松任谷由実40周年記念ベストアルバム。いつのころからか、新譜を買わなくなってしまったけれど、初期から80年代まではしっかり追いかけた。90年代前半くらいまではアルバムも買ってきた。どうあれ、荒井由実時代から40年というのはたいへんなことだ。敬意を表したい。彼女についての評論『ユーミンの吐息』を上梓したのは1989年。ユーミンについての書籍は当時まだほとんど出ていないころだった。その10年後、カメラマンと組んで『探訪松任谷由実の世界』を企画・編集・執筆した。
 今回のベスト盤を聴くと、初期・中期の作品群が傑出した輝きをまったく失っていないことを改めて感じる。当時の時代風景、肌触り、匂いがよみがえる。それに、近年の曲にも新たな発見あり。

○八代亜紀『夜のアルバム』
 近所のTSUTAYAで見つけたのが、演歌界を代表する八代亜紀さんがジャズを歌ったアルバム。ジャズのスタンダードから、「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」「私は泣いています」などの日本の歌も採りあげている。若いシンガーが挑戦するジャズではなかなかない味わえない深みが、八代さんの世界にはある。かつて松尾和子が歌った「再会」は面白いアレンジ。「枯葉」は、1959年の石原裕次郎バージョンだそう。裕次郎のオリジナルは聴いたことがないが、この八代さんの「枯葉」も捨てたものではない。あえてひとつだけいえば、バラードのなかであっても、もう少しスイング感がほしかった。やはり日本人の限界なのかな。

○グレン・グールド『バッハ・パルティータ全6曲』
Partitas  グールドのバッハのなかでも、もっとも好きなパルティータ。1960年代だろうか、レコード2枚組みのものを買った。今回のCD4枚組でずいぶん廉価になっていた。「ゴールドベルク変奏曲」や「平均律クラヴィア曲集」、「二声と三声のインベンション」ももちろんよいけれど、わたしにとっては「パルティータ」が最高峰に位置している。

 ★ ★ ★

 ほかには、若手の評論家宇野常寛・濱野智史両氏の対談『希望論』(NHKブックス)が、ソーシャルメディアやデジタルネットワークがどういう地殻変動を社会にもたらしつつあるのか、その可能性を探っていて、それを措いて社会を論じることの無効を告げている。
 想い出したが、今年は珍しく惹かれたテレビドラマがあった。春に続いた「最後から二番目の恋」(脚本=岡田惠和、演出=宮本理江子ほか)。秋にもスペシャルが放映された。通勤帰り、江ノ電極楽寺駅の改札前でいつもバッグの中をまさぐってパスモ(?)を探しつづける小泉今日子と、毎度同じことをくりかえす彼女に呆れる中井貴一のやりとり、口げんかが魅力のドラマ。古民家の温もりが感じられる、ちょっと暗めで湿り気のある空間と、鎌倉・湘南の街を舞台にした二人の掛けあいは、楽しく小気味いいものだった。ヌーヴェルヴァーグの手法を用いたり、映像も魅せてくれた。
 フィリップ・ガレルの「愛の残像」は、期待して青山の映画館に出かけたが、映像はいいものの、描かれた世界はフランスインテリ階層的なこだわりにしかみえず残念。
 桑田佳祐『I LOVE YOU』では、中原中也、太宰治、与謝野晶子、高村光太郎、芥川龍之介、小林多喜二、石川啄木、宮沢賢治、夏目漱石ら、近代文学者の名作のフレーズも歌にしてしまっている。ロック調にしても、この人の力は衰えをみせない。

【番外】
○加藤智大『解』
Kai  加藤智大という名はもう忘れられつつあ るのかもしれない。7名の生命を一瞬にして奪い、10名を傷つけた秋葉原連続殺人事件の被告。死刑判決控訴中の彼の手記『解』(批評社刊)が今年刊行された。
 家庭で育った環境が彼の成長に深刻に影響を与えていることが伺える。そのひとつが、間違った相手の考えを改めさせるためには痛みを与えなければならない、ということ。かつての自らの自殺予告は、他人の「間違った考えを改めさせる」ために心理的に痛みを与えるものだったとか、「会社の間違った考え方を改めさせるために」会社のトラックを破壊して痛い目にあわせてやろうと発想している。秋葉原の事件も、そういう発想の延長でなされている。自分がこだわったネット掲示板での「成りすましら」へ心理的痛みを与えるものだった。自らそう書いている。
 その発想の根深さを示すフレーズをひとつ引用してみる。
 「私は成りすましらとのトラブルから秋葉原で人を殺傷したのではなく、成りすましらとのトラブルから成りすましらを心理的に攻撃したのだということをご理解いただきたいと思います」
 同じことを視点を変えて語っているだけにすぎないのだが、そこにこだわりつづける。実際の殺傷行為は意識のなかで霞み、ネット上の「成りすましら」への心理的攻撃だったと主張しつづけている。殺人が目的ではなかった、と。
 彼なりに反省の姿勢は伺える。けれど、ここに特徴的にみられるのは、ネットこそがリアルであり、非ネット(現実社会)は非リアルに転倒されていること。少なくとも、彼がかつてネット世界に生き、事件を起こしたときは、そのように彼の世界は構成されていた。
 顔を合わせたことのない人が集う掲示板(ネット世界)を生きることに収斂され、顔を合わせる非ネット社会は手段化される。ネットにおける関係が拠りどころになり、そこにすべてが絞りこまれ、ネット上での見えない他者への怒り、「心理的攻撃」が非ネット(「現実」社会)を手段化し、そこに存在する人を傷つけた。
 家庭的・社会的関係など事件の要因、背景をさまざまに挙げられるし、防止する手段(生き方のノウハウ等――彼自身もあとでそれを自覚しているようだ)も指摘できるが、なにより、ネット世界がこれまでリアルとされた現実社会(非ネット世界)を後景化させ、手段化させて初めて起こされた事件。そういう時代の本格的始まりを告げるものだ。
 ひとつだけ私見を述べれば、この事態をとらえなおそうとするとき必要なのは、ネット・非ネットを貫き基底に流れる心的価値交換のドラマであり、そういう視点から今日のソーシャルメディアを再考することだと思う。

2012年10月22日 (月)

「雲よ―原点と越境―」第7号

「雲よ―原点と越境―」(谷川雁研究会機関誌) 第7号

 少し遅い情報だが、谷川雁研究会機関誌7号の刊行された。
 拙稿もあるが、各稿が充実し、とくに資料は貴重。

2012年7月発刊
Kumoyo7_2

<目次>
松本輝夫●連帯を求めて孤立を恐れず、自立を求めて共同を恐れず
――谷川雁が「ひと筋固執した<実践>」(吉本隆明)の核心とは――
  【物語・谷川雁の全体像・本論第四部】

●仁衡琢磨
闘い、エロス、断層、そしていのち
――森崎和江を読み、考える――

●とよだもとゆき
最後の吉本隆明
――原発事故と「第二の敗戦期」――

●中村倭 文 夫
これらの最も小さき者
――熊本からのささやかな報告書――

●矢部顕
谷川雁の物語論
――ラボ時代の講話記録をめぐって――

●金丸謙一郎
コロンとグルガの歩いた場所へ
――三雁転入 その①

●あきあかね
雁さんの卒業制作としての「わだつみのいろこのみや」

●やぶつばき
ホオリにとって魂の成長の場所であった「わだつみのいろこのみや」

●内田聖子
石牟礼道子と谷川雁

●北野辰一
「原点が存在する」は、いま猶呼びかけている

【特別寄稿】
●加藤重一
雁上京後の半世紀余を振り返りつつ
――私が拾い集めた『筑豊の炭坑仕事唄』のこと――

【資料編】
①『筑豊の炭坑仕事唄』
②谷川雁 ラボへの遺言
――私は、なぜラボを辞めざるをえなくなったか――
③谷川雁の書状(直筆のまま)――平原哲平氏への手紙               

2012年3月17日 (土)

吉本隆明さんのこと


 吉本隆明さんが三月一六日に亡くなった。八七歳。再読したかった『母型論』が手許に見つからなくてネットで購入して届いた日の翌日のことだった。
 わたしにとっては、ヘーゲル、マルクスと並び、いや同時代性ゆえにそれ以上に大きな影響を受けた思想家だった。
 その著作に出会ったのは、一九六八年ごろのこと。十年ほど前に亡くなった学生時代の親友に教えられてだった。以来、新刊が出れば必ず購入して読むことになった。
 七〇年代に入ってからは講演会にも何度か足を運び、千駄木の家には自立誌「試行」の申し込みにお邪魔したこともあった。また二〇〇〇年代に入ってからは、本駒込のご自宅にも取材で一度伺わせていただいた。
Yanaka1_2 ただ、それらはこちら側が意図して会ったものにすぎない。それとは別に、下町で偶然その姿を見かけたことが二度ほどある。街でたまたますれ違ったときの姿こそ、彼の思想の幅と奥行きを裏づけているようで、今もそのシーンがしっかりと瞼に焼き付いている。

一度目は七〇年代半ばだろうか。(以下はHPに)

2011年12月31日 (土)

「サルトルとボーヴォワール」

 イラン・デュラン=コーエン監督「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」が封切られていたことを知り、年末の渋谷に出かける。
 アルベール・カミュ、ポール・ニザンらもちらっと登場するが、タイトル通り、ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールの出会いと「契約結婚」をテーマにした物語だ。
 二人はお互いに相手の恋愛を束縛せず、しかも自らの体験を偽りなく報告しあう自由恋愛の「契約結婚」を結ぶが、教え子や友人たちがからみ複雑な展開になり、ボーヴォワールの嫉妬、苦悩が中心に描かれる。彼女がサルトルの提案する自由恋愛に同意し追求する背景には、当時女性が置かれた位置への反発があった。
Sartre_2  詳細な表現は別にして映画は基本的には事実を描いている、と監督はいう。二人の交流の軌跡の詳細はわたしも知らないが、たしかに大枠はすべて事実に基づいているようにみえる。
 そして観終わって残されるのは、監督がどれだけ狙っていたのかわからないのだが、殺伐とした荒涼感だ。
 たしかに、最後は歳を重ねたサルトルとボーヴォワールが、同志として了解しあうようなシーンで結ばれる。実際そうであったろう。パリ高等師範学校のアグレガシオン試験を主席と二位で卒業した知的エリートらしく、二人が互いに生においても哲学において、刺激を与えあったこともわかる。
 それでも寂寥の感は免れがたい。それは恋愛、性愛が変転し広がっていくからではない。さまざまな嫉妬や葛藤の情が生まれるからでもない。「自由恋愛」という概念ゆえである。人格が自由な主体として自らを確立し、束縛にとらわれずに恋愛する、という哲学ゆえである。もちろん道徳主義への回帰をいいたいのではない。恋愛、性愛、情愛の本質と熱が、自由な主体確立という思考領域では掬いきれないところに存在するからだ。
 だから、(サルトルと比べると!)マッチョにみえるアメリカ人作家との性愛で、ボーヴォワールが「初めて女としての歓びを経験する」というのも、(実際そうだったのにせよ)、ありふれた「性の定型」に落ち着いているようで、いささか拍子抜けする。ただ、当時の女性の社会的束縛を解き放とうとした苦闘の軌跡ととらえる視点で観ることも必要なのだろう。

 ところで主著『存在と無』でサルトルは性的欲望について、「他人の自由な主観性を奪い取ろうとする私の根源的な試み」と定義し、それは結局、根源的な挫折に至る、ととらえている。エロティシズムについてそうとうに深く洞察したものの、伝統をひきずる西欧的知にとってエロティシズムが難所であることを、サルトルもまた示した。自由とは束縛されないことだ、という西欧的知がここでも幅を利かせている。そういう「自由」哲学の土壌が荒涼感をあとに残した。ジョルジュ・バタイユのように、エロティシズムとは死にまで至る生の称揚ととらえるほうが、西欧的知の限界を超える可能性を秘めているように思える。

2011年12月17日 (土)

今年の5作(2011年)

 振り返ってみると、今年2011年も、創世記、カント、ヘーゲル、マルクス(『資本論』『剰余価値学説史』等)、モーゼス・ヘス、マルセル・モース、鴨長明、道元、安藤昌益など、古典と接している時間がほとんどだった。3月11日の東日本大震災と原発事故とは、古典との対話のなかで考え続けてきた。それでも「浮き世離れ」が加速した感は否めない。5作も見当たらず、4作となってしまった。

◎中沢新一『日本の大転換』
 すでに本ブログに書いたとおり。日本文明の「根底からの転換」を迫る書。

◎鎌仲ひとみ 『ミツバチの羽音と地球の回転』
 映画自体は、昨年、つまり福島第一原発事故以前に制作されたものだが、3.11後、作品の重みをさらに増している。
Mitubati  中国電力の上関原発計画予定地の対岸に浮かぶ祝島島民の暮らしと反原発運動を描いたもの。島のおばちゃん、おばあちゃんたちの生き生きとした生活と闘争の活写は、女性監督だからできたのだろう。熊谷博子監督が制作した「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」(2005年)のときもそうだった。
 鎌仲監督のこの映画で、今でも鮮明に残るシーンがある。
 海辺で対峙する中国電力社員と島民のやりとり。建設強行を狙う中国電力社員の管理職とおぼしき人物が、祝島近くにやってきて船上から島民にハンドマイクで呼び掛ける。
 「このまま、本当に農業とか、第一次産業だけで、この島がよくなると、本当にお考えですか? 人口は年々、年々減っていって、お年寄りばかりの町になっていっていることは、皆さん自身が、よくおわかりではないかと思います」
 島民「どんだけ年寄りが増えようが、どんだけ厳しかろうが、祝島の人間は、自分たちの力でがんばっちょるんじゃ、お前らに、いらん世話をやかれんでも、ええ」
 中国電力社員「みなさんが心配しておられるような、海が壊れるようなことは絶対にありません。絶対と言ってよいほど壊れません」
 島民「中電が絶対と言って、絶対の試しはないじゃないか」
 ――電力会社社員のあまりのお節介・僭越発言には、さすがに客席から野次を飛ばしたくなった。

◎あがた森魚『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』
 これもブログで取りあげた。アルバム『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』の中でも、同名の曲が一番好きだが、「渓谷鉄道研究家になるんだ」や「霧のブロッケン」など佳曲が並んでいる。全12曲のほとんどが、あがた森魚の作詞・作曲。

◎宇野常寛『リトル・ピープルの時代』
Littlepeople  ビッグブラザー(大きな物語)が崩壊したあとの「リトル・ピープルの時代」として今日の社会を受けとめたうえで、わたしたちはどう構えたらよいのか――それが若い著者の課題である。村上春樹や、仮面ライダーなどのヒーロー番組の軌跡を辿りながら、道を探っている。村上春樹のとらえ方にはいくつか異を唱えたいところもあるが、基本的には著者の構え方を評価できるし、同意したい。
 貨幣と情報のネットワークの圧倒的な速度を奪い取り、「現実を書き換える/拡張するための想像力」を著者は訴える。このときデジタルテクノロジー界における変化に合わせて、「仮想現実から拡張現実へ」という流れに著者は光を見いだそうとしている。なかなかみえにくいのだが、これはわたしの労働論(スローワーク論)とも無縁ではないし、自らの課題として突きつけられているのだと思う。

2011年12月 2日 (金)

もう一度、吉本隆明さんの原発論

 雨が降る夕暮れ、いつも通うスポーツジムの玄関内で、母親が娘を厳しく叱っている。「なんでそんなことするのっ」とかなり強い口調だ。なにもそこまで……との思いを呑み込んで横を通り過ぎようとしたが、そのあと母親の言葉を聞き、暗然とした。「雨に濡れたら絶対にいけないって、言ったでしょ。どうして雨の中、遊んでいるの」。叱られる小学生の娘さんは、黙って俯くだけだった。
 このお母さんのことを、放射性物質に過剰だと批判することはできない。母親だって子どもを叱りたくはない。女の子のほうも外で遊んでいて、なんでこんなに怒られるんだと思うだろう。
 負わなくてよいはずの心労。いわんや、福島第一原発周辺に暮らしてきて被害に遭い、さらに避難を余儀なくされている人たちをや。

 「撃論」という雑誌3号に「吉本隆明『反原発』異論」という記事があった。吉本さんが編集者のインタビューに応えている。目次をみると、寄稿者として三宅久之、町村信孝、田母神俊雄らのお歴々の名が並んでいる。
 これまでと変わらず、「反原発」を批判する吉本さんの発言だ。計り知れない知的恩恵を受けとってきた吉本さんゆえに、逆にどうしても看過できない。以前新聞記事に触れて論じたが、もう一度。
 まず彼の論を要約してみる。

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 原発は実用化するまでにおよそ100年の月日を要している。それを一度の事故でこれを放棄しようというのは、安易に過ぎる。「人間の進歩性、学問の進歩の否定」になる。
 危険度をゼロにするには、立派な囲いをして放射能を完璧に防げばいい。たとえば高さ10キロの煙突をつくり、放射性物質を人間の生活範囲にこないようにすればいい。原発の問題はお金をかけるかかけないかの問題だ。原発をやめるよりもっと出費がかかっても、技術や文明を発達させるべきだ。それが人類の特徴だ。原発をやめるのは、時代の最高の知性が考え実用化した技術、進歩を大事にする近代の考え方そのものの否定になる。
 じっくりと問題と向きあい、「賛成派は保守、反対派は革新」という単純な二元論を昇華した先でやめる結論に達したら、やめていいと思う。しかし今の段階でやめるのは中途半端で、人類の歴史を否定することになる。先の戦争の敗戦は、進歩を軽んじてきたからだ。進歩を軽んじずに、苦しくても先につなげるべきだ。
 日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ。反対派も推進派も脅迫を使っているからだめだが、より問題なのは前者(反対派)だ。「内臓も肉体も(放射能に)当たらないようにする」「防御装置を作ってその上で原発を上手に使う」のが唯一の使い方だ。
 原発一つを廃棄するにも厖大な予算と労力が必要になる。廃棄の方法をみんな考慮したら、「それだけで神経衰弱になってしま」う。「一度発明した技術を捨て去ることはそれほど難しい」。「すでに原発というものを実用化した以上、それを完璧なものにしていく努力こそ必要」だ。
 放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だ。
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 いくつかの論点がある。

◎散らかしっぱなし、やりっぱなし

 吉本さんは、原発をやめることが「進歩性、学問の進歩の否定」になるという。だがこの学問、科学とは、無邪気な子どもが知的好奇心ゆえにさまざまに遊んでも後始末はしないケースの、「散らかしっぱなし」と同じだ。なぜなら、生産過程で発生する放射性廃棄物や核のゴミをまともに処理できる技術をもたないからだ。やりっぱなし、散らかしっぱなしの技術にすぎない。そこにとどまっている。行ったきりだ。帰り道がない。それは西欧的知にほかならない。手に負えないものをつくっておいて、廃棄物は知らん顔は、「人間の進歩」とは言うまい。

◎「科学・学問の進歩」

 「科学の進歩」「学問の進歩」を否定はしない(なにを「進歩」というかは別として)。だが、この「進歩」のために、一般人たちが犠牲にならなければならない理由はない。吉本さんが終始一貫してこだわってきたはずの「一般大衆」を犠牲にするいわれはない。被害を蒙るのは、どうしてもやりたい学者さんや財界人、為政者に留めておくべきことだ。それが守れないならやめるべきで、原発で働く労働者はもとより、実際に一般に被害をもたらすべきではない。他者に根底的な被害を及ぼす技術、知を「科学の進歩」「学問の進歩」とはいわない。たんなる知的好奇心のわがままにすぎまい。

◎研究と運用・実施

 たしかに吉本さんがいうように、どんな知的な好奇心、研究も力によって否定してはならない。だが、それと現実の運用(原発稼働)とは分けて考えなければならない。廃棄・処理方法がまったく確立されていないのに運用がなされるべきではなかった。逆に、そもそも廃棄や処分の方法、技術が決まっていないのだから、すでにある厖大な核のゴミについて、これからも「研究」してもらわねば困る。責任がある。

◎自然との親和性の喪失

Kouyoukyoto  放射性物質による汚染は、自然との親和性を失わせる。ここでいう「自然」とは、人間の手が及ばないような、あるいはかつてあったと夢想してユートピア風に描く自然のことではない。いまわたしたちが生きている空間としての自然だ。つまり空気であり、水であり、雨であり、土である。わたしたちはこうした自然の恩恵ゆえに生きることができている。生きることの基本を支えてくれる基礎的自然との親和が失われつつある。朝起きて、窓を開け、青空を見上げて大気を胸一杯に吸いこむ――そうした素朴な行為も「科学の進歩」の犠牲にされねばならない。
 吉本さんのように考えれば、科学や学問の「進歩」が自然を放射性物質で汚染させても、それに対抗する科学マスクや科学的水・土壌フィルター、あるいは食物の汚染を除去するフィルターを科学・学問の力で開発し、それらをもらって放射性物質から身体を守ればよい、ということになるのだろうか。仮にそれらが可能になったとしても、そうした「進歩」の技術装置を子どもたちに負わせるのか。それは進歩の転倒ではないか。
 少なくとも、放射性物質の拡散・汚染は、大気、水、土という日々刻々わたしたちを生かしてくれる自然との親和性を失わせる。その局所的現れが、原発近くに住んでいたひとたちの「故郷」からの追放にほかならない。大地、海洋、食物の汚染も同様だ。吉本さんは自動車ができて交通事故で毎年たくさんの人が死んでいるではないか、という。だが、放射性物質汚染は、それら近代技術が生みだしてきたものとは次元が異なる。中沢新一さんの『日本の大転換』のことばを使えば、生態圏の外にあったものを無媒介に持ちこんでいる。

◎「脅迫」と断じる脅迫

 吉本さんは「日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ」という。たしかに過剰なところもあるかもしれない。だが、それはわからない、わからなすぎるからだ。その怖さはこのくらいですよ、と確定的なデータがはっきり示されれば、心的アレルギーが「異常」か否かの判断ができる。だが、まだ確定的なことがいえない。チェルノブイリ事故でもまだデータが揃っているとはいえない。十年単位、いや百年単位でみて、そのうえで「異常」かどうか判明するのではないか。
 わたしや吉本さんのように歳を重ね、もう遠からず、という人はよいが、子や孫たちに「空気や食や土壌や雨に対する警戒の必要なんてない、そのアレルギーは異常だよ、異常にすぎるよ」と言いきれるのだろうか。原発周辺から移住した人たちは、異常にすぎないのか、あるいは移住を指示したのは為政者の脅迫にすぎないのか。
 吉本さんはこういう問いかけを「脅迫」というのだろうが、わたしには子どもや孫に「そのアレルギーは異常だよ」というほうが「脅迫」のように思える。親やじいさんの気持は、吉本さん自身がよくよくわかっていることだろう。

◎民営(株式会社)が見えていない

 吉本さんはインタビューの最後に、国家消滅の方向を示したレーニンの『国家と革命』に触れている。放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だと。核のゴミも含めて防御装置を完備させることができるとはとても思えないが、もし仮にできたら、東電、国家機構を解体して「民衆の手」に委ねることが重要だ、という。
 『ハイイメージ論』でも同様だが、吉本さんは今日の社会的諸関係の組み替えをまったく想定していないから、「民衆」とは具体的には民間企業、株式会社(にいる人々)だろう。
 だが株式会社は、害がなくなる百万年といわないまでも、一万年、千年、いや百年先の安全性、防御策(廃棄・処理)に厖大な桁外れな資金など投じてはいられない。いま・ここの利益を求めるのだ。そんなことをやっていたら、企業を維持できないし、株主から経営は糾弾される。適当な期間、費用で誤魔化すしかない。それは経営者の非でもなんでもない。今日の社会のもとで株式会社(民衆の手)がとらざるをえない必然だ。安全性に多少の疑義があっても、その解消に厖大なコストをかけたら赤字倒産を招くから、そんなことはしない。当面の利益、短期・中期・長期(せいぜい10年)の利益を確保しなければならないのだ。それは企業人の人間性が「悪」であるからではない。まっとうな経営者なら採算に合わない、あるいは労働者被曝は避けたいと手を引くし、なんとしても今儲けたいと必死な経営者なら、完璧な防護などできなくても「一万年安全です」と宣言して、今の利益を求めるだろう。そう強いられているのだ。そういうことに思いを致さないで、いいかえれば今日の社会的諸関係の変革に触れずに、「民衆の手」に委ねる(民営化)などあってはならないことだ。

 雑誌の編集後記をみると、吉本さんはインタビューをした編集者さんに「エセ共産主義者」への注意を喚起した様子だ。二〇世紀後半の「スターリニスト」「ソフト・スターリニスト」をいまだに対抗イメージとして『反原発』異論を主張している。たしかにいまだって、一部政治党派や知識人、メディアにはそれに該当する部分がある。けれども3.11後の原発への大衆的批判は、少なくともそんなものとは無関係だ。「賛成派は保守、反対派は革新」という「単純な二元論」なんてすでに「昇華」されている。

 老いやさまざまな病いを抱えながらも、つねに情況への発言を怠らずにいる吉本さんの姿勢には今も頭が下がる。必死で思考していると思うからこそ、そしてこれからも彼のこれまでの営為と対話したいからこそ、あえて再度批判をさせてもらった次第。

2011年10月 6日 (木)

あがた森魚の立ち姿

 しばらくまえ、真夏の夕べ、近所の小ホールで開かれたボサノヴァのコンサートに出かけた。ギタリスト三人によるボサノヴァ、サンバということで聴いてみたかったが、それとはあまり関係なさそうなあがた森魚さんが、なぜか特別出演するというのにも、惹かれた。
 七〇年代初頭、アルバム『乙女の儚夢』は聴きこんだが、それ以来すっかり接点はなかったが、五、六年前久しぶりに「赤色エレジー」を歌う、現在のあがたさんの姿をテレビで見かけた。その歌いっぷりはなかなかよかった。

 そして、今回の舞台でのあがたさんも、期待を裏切らないものだった。「赤色エレジー」はないが、最近のうたを二、三曲披露した。「俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け」「渓谷鉄道研究家になるんだ」……。
 フォークでも、歌謡曲でも、ロックでも、童謡でもなく、あるいはロックのような、童謡のような、少年唱歌のような、決意表明歌のような、不思議な世界へ連れて行ってくれる。既存のエリアに収まりきらない、伸びやかな、しなやかな歌の世界。
 暗色の帽子に、同色の上下の服。絞られた体の線と動きはもたつきがなく、不思議な存在感を放っていた。

 ちょうどそのあと、一般紙に珍しく紹介されていた。黒縁眼鏡をかけていると、なんとなく永井荷風に似た風貌、雰囲気(失礼)。「80歳まで歌うよ、オレ」とのこと。
 みごとな歳の重ね方をしているなあ、この人は。

Agatamorio2

(写真はアルバム『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』)

2011年10月 4日 (火)

寺島実郎さんの「覚悟」

 TBSの「サンデーモーニング」で「考・震災」のシリーズが続いている。
 先月25日は、「原発は高くつく?」というテーマで、福島原発事故により発生した、放射性廃棄物の処理、そして高レベル放射性廃棄物「核のゴミ」の処理が問いかけられた。
 重い、しかし避けて通れないテーマだ。コメンテータの発言の是非は別として、こういうテーマを考えようとする番組編成は評価したい。
 居並ぶコメンテータ諸氏の発言が歯切れが悪くなるのは当然のことで、わたしも他人のことを言えない。
 最後に岸井成格さんが新聞社の人らしく、どこかの土地を国が買い取りそこに置くという覚悟が必要、と現実に進めなければいけないことを冷静に述べていた(東京都はじめ電力の恩恵を受けている都県は少しずつ受け入れ表明をしている)。

 そのなかで、やはり異様だったのは、このコーナーではじめに口火を切った寺島実郎さんだった。だいたい次のようなことを語った。
 「二つのことを言いたい。ひとつは放射性物質の危険性について、自分は以前から国際機関との連携をきっちり組むことを主張していたが、それがなされていない。
 もうひとつは、わが国には、核燃料の再処理施設を青森県六ヶ所村にもっている。これはアジアに唯一の施設だ。だからアジアとしっかり組んでいくことが大事」。

 一番目のことは、彼はたしかに以前から発言していたことだ。だが、国際機関と「きっちり」連携しても、放射性物質の危険程度について若干の差異は出てくるかも知れない、あるいは多少のオーソライズができるかもしれないが、それによって(ゴミも含めた)危険と処理を免れることはありえない。しかも、今回のテーマである汚染されたゴミをどう処理するのか、の回答とは関係がない。ゴミは、すでにそこにあるのだ。
 二番目の、六ヶ所村は使用済み核燃料の再処理施設であり、今回の汚染されたゴミの処理とは関係がない。問題のすり替えだ。また、高レベル放射性廃棄物の処理にしても、再処理施設のいや増す危険性が指摘されることはあっても、相次ぐトラブルで、完成の見通しはみえない。その六ヶ所村にすがるとき、寺島さんはいったい何をみているのだろうか。この施設の稼働強行を願っているのだろうか。

 テレビカメラに向かってコメントするときは、以前から政治(家)にたいして、なにかと「しっかりと向きあっていかなければならない」「向きあう覚悟がなければならない」という抽象語を常套句にしてきた。
 ところが、放射性物質で汚染されたゴミ、放射性廃棄物の処理をどうするかというテーマと、この人は「まったく向きあおうとしない」ばかりか、テーマ自体を意図的に避けて「覚悟を示さない」。

 わたしたちが結果として生みだしてしまった、放射性物質に汚染されたゴミ。原発への考えが異なることはここでは措いても、すでにある現実とすら「向きあわない」ばかりか話題をすり替える態度は、「きっちりと向きあっていかなければならない」ことをいつも結語としていたことと、あまりの撞着を起こしているのではないだろうか。

2011年9月20日 (火)

立錐の余地もない明治公園

~「さようなら原発 5万人集会」~

 60年代、70年代、なんだかんだと、ここでの集会・デモに参加したが、これだけぎっしりと埋まり、立錐の余地もない明治公園をみたのは、初めてのことだ。公園の周囲にも、入りきれない参加者たちがたくさん溢れていた。
Sayonaranukes1  「9.19 さようなら原発 5万人集会」は、午後1時から東京・明治公園で開催。そのあと、渋谷、原宿、新宿の三ヵ所へ分かれてパレード(デモ)となったが、その出発時もまったく身動きのとれない状態が長いこと続くほどの参加数。脱原発の強い意思で埋められた。
 集会中の呼びかけ人たちの発言はあまり聞きとれなかったが、澤地久枝さんの言葉がじわりと染みてきた。

 主催者発表(6万人)と警視庁発表(2万7千人、3万人)の数値が倍以上違うのは、昔と変わらないが、今回は主催者側発表の参加者数がそうとうにリアリティをもっていた。
Sayonaranukes2  労組等のお決まり組織、団体だけでなく、広汎な市民の会、個人参加がとくに目立ち、宗教団体に至るまでじつに多彩で、若者、家族連れ、六十代、七十代に至るまで、世代もじつに幅広いものだった。

Sayonaranukes3  処理がままならないゴミを、生態圏にこれ以上増やし続けない方向にもっていくことは、これからつながれる「いのち」(類)への最低限の責務と思う。

2011年8月21日 (日)

中沢新一『日本の大転換』

○生態圏の外部の無媒介な持ちこみ

 「3.11以降の我々が進むべき道とは?」と帯にコピーがある。雑誌「すばる」6月号~8月号に掲載された文に加筆して緊急出版された(集英社刊)。
 福島第一原発事故後、さまざまな分野の専門家の発言があり、教えられ、それぞれ貴重なものだった。しかし、中沢さんの『日本の大転換』は、それらさまざまな発言とは次元が異なるものだ。
Nihonnodaitenkan  大地震と津浪、そこから起きた福島第一原発事故。この二つは一般に「天災」と「人災」と分けられるが、中沢さんはまったく新しい知の形態である「エネルゴロジー」(エネルギーの存在論)の視点から、原発事故ののっぴきならない重大性を指摘する。

 わたしたち人類は地球表層部の薄い層である「生態圏」に生きている。ところが、原子炉とは、生態圏の外部で起こる髙エネルギー現象を地球上の生態圏で「媒介」なしに発生させる機構である。原子炉内で起こっている核分裂連鎖反応は、「生態圏の外部である太陽圏に属する現象」でありながら、これを生物の生きる生態圏の内部に無媒介のまま持ち込んでしまった。
 アンドレ・ヴァラニャックのエネルギー革命の歴史に沿えば、第一次革命(火の獲得と利用)から第六次革命(電気と石油)までは、人類が原子核の内部にまで踏みこんでエネルギーを取りだすことはなかった。ところが、第七次エネルギー革命では、「原子核の内部にまで踏み込んで、そこに分裂や融合を起こさせた」。それは、「生態圏には属さない『外部』を思考の『内部』に取り込んでつくられた」ものであり、中沢さんはこれを一神教的な技術だと指摘する。

○イデオロギーの問題ではない

 火の利用(第一次)から電気や石油(第六次)までのエネルギー革命とはまったく異なり、原発システムは、「媒介なし」のエネルギー装置である。そこにとてつもない恐ろしさがある。
 わたしのスローワーク論をひっぱり出させてもらえば、西欧的知とは人格、理性が身体を所有し、身体や自然を統御、制圧し、自然的規定を免れた先に「真の自由」の実現をめざすものだ。いいかえれば、人間を規定する自然という「媒介」の排除を志向する。それはあくなき「経済成長」を当為として要求する。これ自体は西欧的知の自然過程にすぎないのだが、媒介の排除(絶対性)はつねに恐ろしい結果を招いてきた。
 話を戻せば、「無媒介」で設置されてしまった原子炉の事故で、わたしたちの社会と生態圏がいま破壊されている。これはイデオロギーの問題ではない。エネルギーの存在論(エネルゴロジー)からみて、原発はわたしたちが住む生態圏にとって異物のままでありつづける。しかも、装置が生みだす「ゴミ」の適切な処理方法は見つからず、どんどん増え続けている。

○自閉するシステムからの脱出

 原子力と現代のグローバル資本主義はまるで兄弟のようだ、と中沢さんは指摘する。後者のもとで、社会から分離され自律性を獲得した「市場」は外部をもたなくなってしまう。外部をもたないシステムとなり「成長」を遂げる市場経済システムと、もともと外部にありながら生態圏にもちこまれ外部性への回路を失い自閉し拡大するシステムである前者は、同じといってもよい。

 今日ある原発の是非の論議を、「原発推進派も新エネルギー派も」嵌ってしまう「効率論の罠」に収斂させてはならない、という思いが中沢さんにはある。「経済計算やエネルギー計量論の狭い枠」のなかでとらえていることはできない。だから「今回の『日本の大転換』では文学的な物語や修辞的な認識論の回路に一切頼らず、徹底して科学的な記述スタイルをベースにした」と語っている(「PLANETS SPECIAL 2011」)。

 原子力発電からの脱却は、「たんなるエネルギー技術と産業工学の領域に限定される影響を及ぼすばかりでなく、わたしたちの実存のすべてを巻き込んだ、ラジカルな転換」をもたらすことを明らかにする。
 ここから彼は、「贈与」をキーワードにしながら、「現代の資本主義からの脱出の可能性」(人類の本性によりふさわしい形態への変容)へと思考を進める。めざされるべきは「第八次エネルギー革命」であり、それは経済に「太陽と緑」の次元を取りもどすことになる、と。

 「贈与」の問題などさらに考えるべき課題は残されているが、大きな方向性としては、わたしたちがこれから進むべき道のアウトラインをわかりやすくみごとに描いている。「日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった」との冒頭のメッセージに同意したい。

2011年7月23日 (土)

鈴木孝夫と三木成夫

 鈴木孝夫研究会編の『鈴木孝夫の世界 第2集』が刊行された(冨山房インターナショナル)。同研究会での鈴木さんの講演や、同会が主宰した若者たちとの合宿の記録の他、鈴木さんについての研究・考察が、幅広い分野の人たちから寄せられている。
 わたしも「西欧知の黄昏にて 動物的原理・植物的原理 ~鈴木孝夫と三木成夫~」というタイトルで寄稿させていただいた。「動物的・植物的」の対比を通して、西欧型文明を厳しく批判する鈴木孝夫さん(言語学者)と三木成夫さん(形態学者)の論は深く共鳴しあっている。

Suzukiakao2_2 【目次】

『鈴木孝夫の世界――ことば・文化・自然――』第2集

◎第1章 鈴木孝夫の記念講演
グランド・セオリーとしての『私の言語学』をめざして(第3回)
『教養としての言語学』に盛り込んだ大胆な企てとは?(第4回)
『日本人はなぜ英語ができないか』――その文明史的考察(第5回)

◎第2章 鈴木孝夫、若者たちと談論風発
【講話】下山の時代を生きる知恵と覚悟と哲学とは?
  ――『私は、こう考えるのだが。』をめぐって

◎第3章 鈴木孝夫研究の進展をめざして
人間の顔をした言語学○泉邦寿
  ――鈴木言語学のいくつかのポイントをめぐって
航路を照らす灯台のように(続)○内田伸子
  ・第4回タカの会『教養としての言語学』をめぐって
  ・第5回タカの会『日本人はなぜ英語ができないか』をめぐって
鈴木孝夫とラボとの幸運にして相乗的な出会い○松本輝夫
  ――ラボ草創期は、グランド・セオリーとしての
    鈴木言語学の揺籃期でもあった

◎第4章 私が鈴木孝夫先生から学んだこと、考えたこと
新しい「グローバル化」への転換○南博通
unforgettable person○風見岳快
西欧知の黄昏にて 動物的原理・植物的原理○とよだもとゆき
  ――鈴木孝夫と三木成夫
われわれは何処へ行くのか○松岡周吾
  ――知的放浪と鈴木孝夫流言語哲学について
自己確立と協調性を結ぶビッグ・ピクチャー○姫野浩明
  ――昨夏の軽井沢合宿を通して考えたこと

◎第5章 連載論考(第2回)
弟子は取らず 鈴木孝夫の家庭環境○矢崎祥子
「空の記号」の魔法の魅力○得丸公明
  ――鈴木言語学でチョムスキーの謎を解く 

2011年6月11日 (土)

原発事故 村上春樹と寺島実郎

 古館さんやコメンテーターの発言が鬱陶しく、最近は「報道ステーション」はあまり視ていないが、この夜はたまたまチャンネルを切り替えていたら、村上春樹さんの映像が現れた。6月10日夜のこと。カタルーニャ国際賞を受賞し、当地でスピーチをしていた。古館さんが言うように、映像としての村上さんの姿はとても珍しいものだ。

 「非現実的な夢想家として」というタイトルで、日本語で話していた。
 日本語なのに、手振りがぎこちなく感じられたが、内容はまっとうなものだった。講演の断片を編集したものだが、主旨としては、唯一の被爆国でありながら、今回の福島第一原発の事故で新たに放射能をまき散らしてしまった。われわれ日本人は、核にたいする「ノー」を叫び続けるべきだった。しかしいつの間にか、「効率」的ということで、原発依存に傾いてしまった。

 要旨はそんなところで、まともな発言として受けとめた。

 ところが驚いたのは、そのあとのスタジオからの発言だった。
 コメンテーターとして鎮座していた寺島実郎さんが、語り始める。
 要旨は次のようになる。

 村上さんのいうことはわかるが、自分は違う意見をもつ。
 日本にはユニークさがある。それは日本が他の核兵器保有国と違い、核兵器開発せずに、平和利用に徹してやってきて、たくさんの専門家を送りだしてきた。これから核の平和利用を目指す国が増える。日本の技術を役立てることができる。こうしたかたちで日本が世界に役立つべきだ。エネルギーで日本が貢献するべき。その専門家を育てる必要がある。村上さんのいう「効率」ではない文脈もあるのだ。

 だいたいこんなことを話していた。
 時間の制約もあるから、寺島さんもいいたいことの半分もいえなかったことだろう。だが、原子力利用に異を唱えた村上さんに反対し、日本の平和利用の技術(おおむね原子力発電のことだろう)を世界に役立てるべきだ、ということまでは、明確に発言していた。
 村上さんとは別の意見もある、くらいのコメントならわかるが、そうとうに踏み越えた、かなりこだわった発言である。
 このあと、古館氏が珍しく寺島さんの意見に異議を表明して、この件のニュースは終わった。

 ★ ★ ★

 これまで寺島さんの発言には、なるほどと耳傾けたこともあった。いちがいに全否定するつもりはまったくない。
 だが今回は、率直にいえば、ああ、物産の人で、物産の戦略の馬脚が現れたな、というのが感想だ。
 三井物産は国内の原発内に事務所をたくさんもっている。海外への原発のハードやソフト売り出しもしているのだろう。また、たくさんの関係する系列企業をもっているのだろう。
 そういう企業の戦略に基づく発言を、報道番組コメンテーターとして露骨に発信したことになる。

 寺島さんは、発電以外の医療における利用などもちらっと例に挙げていた。
 たしかに、原子力についての科学研究を抑えることはできない。それは科学がどんどん進む、たんなる自然過程にすぎない。しかし、とすれば原子力(発電)を制御し、循環させる全過程までの方法を、まず先に確立するべきではないか(それが現実に可能かどうかは別問題だが)。「ごみ」の問題の解決の道筋を、真っ先に示すべきではないか。

 今回の事故は、制御もままならず、現場労働者、周辺住民、土地、水、海洋への汚染をそうとう規模で拡大させ(さらに拡大する可能性は否定できない)ている。また再処理、廃棄の方法や見通しは立っていない。そういう原子力の「平和利用」とはいったいどんなものか。放射能物質による汚染事態は「平和」内のことなのか。

 原発利用を海外に広めることで、日本の技術を役立てることができる、という美名のもとで、アジア各地に放射能物質をばらまく結果になるのではないか。廃棄までの方法を確立しない以上、それは確実に現実になる。要するに、汚染を販売する戦略ではないのか。
 かつて「死の商人」ということばがあった、と過去形で語ることができなくなるのではないか。これでは、それをたんに「洗練」して繰り返すことになるのではないか。わたしは、昔のパターンをあてはめて、現在と将来の可能性を糾弾するスタイルは好きではないが、こうした寺島さんの発言をみていると、学んだ歴史における既視感にとらわれる。

 結局彼は、経済侵略の単なる旗振り役にすぎない、としかみえない。
 彼、そして物産とグループにとっては、すでに描いた単年度売上げ・利益、中期計画とその数字がまず優先されるべきことなのだろう。数字は実現しなければならない。それこそ企業人の「責務」だ。企業内にあれば、そう発想する。
 とすれば、原子力発言は何が何でも貫徹し、世界にさらに深く食い込まなくてはならない。企業人はそのように進んでしまう。しかし、現場の人間ならまだ可愛くもあるが、三井物産戦略研究所会長という職責にもある人のこうした発言は、許しがたい。

 商社自体は、原油や石炭権益ももっているから、株価は高騰してバランスがとれるかもしれない。そして、中長期的に「バランスのよい安定的な電源供給」(エコジャパン上での寺島氏発言)という御旗のために、原発を手放すことはできないのだろう。

 先月末に、「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」が発足したという。顧問に民主党の鳩山由紀夫、羽田孜、自民党の森喜朗、安倍晋三、谷垣禎一、国民新党の亀井静香らが名を連ねた。政財界の阿吽の呼吸だ。

 ★ ★ ★

 拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』で、同じ全共闘世代の寺島さんが、全共闘系学生たちを手厳しく批判していたことについて、わたしは反批判したことがある。寺島さんは、全共闘系学生たちを「社会に出てあざとく旋回した」「多くはたわいのない中年と化し、『都合のよい企業戦士』となっていった」「他人に厳しく自己に甘い『生活保守主義者』の群れと化した」と指弾した。こういう批判のし方について、反論したのだが、もはや寺島さん自身が、もっとも「あざとい」道を歩き続けているのではないだろうか。

 いや、一方的に寺島さんを糾弾するつもりはない。少なくともこれまでの原発に黙し、その電力の恩恵に浴してきた自分自身の責任も感じている。この錯綜した社会に生きている。だから静かに語りたい。

 けれども、海外での原発利用を推し進めることは、今回の大事故可能性をパックにして輸出することだ。最終処理の方法もみえない。「ごみ」は次世代以降にずっと先送りされる。そうしたなかで、これが日本の役割だ、とは言うことはできないし、行ってはならない。それでは、日本の人、アジアの人に失礼ではないか。

 これまで、日本の科学者も技術者も、「真剣に」取り組んできたはずだ。決して皮肉でいうのではない。優秀な頭脳が集まってなされたきたはずだ。そうであっても、事故が起きてしまう。そして起きてしまえば、制御しきれない。その要因はいろいろ挙げられるが、今後事態が劇的に変わることはありえない。
 「そんなことを言っていると、日本は沈没するぞ」と脅しをかけられても、それは拒否したい。身の丈にあった生活、社会を、わたしたちは黙々と築くことができるのではないだろうか。これは、少なくとも六〇年以上生きてきた歴史で、さまざまな体験をしてきたわたし(たち)が、守るべき一線だと思う。もちろん村上さんは、わたし以上にそのことを強く思っていることだろう。
 いったい寺島さんにとって人生六〇年とは何だったのか。

追記
 ちなみに彼はこんな発言もしている。「原子力分野の人材育成や技術開発・蓄積の基盤を維持していくにも、『電力の30%』はぎりぎりの線だろう」と(エコジャパン 4/9)。要するに、海外へ原発を売り込むために(!)も、国内で「電力の30%」は原発にしておかなければならない、ということになる。本末転倒というしかない。

2011年5月 1日 (日)

『「絵のある」岩波文庫への招待』

 京都に仮住まいしていたとき、百万遍にある思文閣美術館で「谷崎潤一郎と京都」という展覧会を見たことがある。初夏の日曜日だったか、たしかバスで出かけた。
 小さな美術館でしかも人影まばらな室内。潤一郎の妻松子の連れ子の妻(渡辺千萬子)と、谷崎のフェティッシュな交流が垣間見られたのが印象に残っていた。彼女の足のサイズとか型についてのやりとりがあったと断片的に記憶している。

Iwanamibunko  そんなことをふと想い出したのは、坂崎重盛著『「絵のある」岩波文庫への招待』を開いていたときだった。「絵のある」岩波文庫の数々を自由気ままに紹介しているエッセイ集で、シャミッソー『影をなくした男』、『カフカ寓話集』の次のページを開くと、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』、『小出楢重随筆集』の二冊がテーマになっていた。
 そこで坂崎さんは渡辺千萬子さんについて触れていた。谷崎から自分の頭を踏んでくれと頼まれて千萬子さんがそうしたことがあるという件が引用されていた。「下世話話大好きな私」と坂崎さんは記しているが、私もこういう話は嫌いではない。
 坂崎さんの筆は、ここから画家小出楢重と谷崎の創作上のからみへ展開していく。引用された挿絵も改めて眺めると楽しい。

 ここで、『瘋癲老人日記』の颯子のモデルともいわれる渡辺千萬Hakusasonsou 子さんが、画家橋本関雪の孫娘であることを教えられた。橋本関雪といえば、大正・昭和に活躍した日本画家で、銀閣寺近くに居を構え、邸宅は今は白沙村荘(橋本関雪記念館)として公開されている。わたしも何度か散策したことがあるし、仕事でも一度使わせていただいたことがあった。銀閣寺や参道に近いわりには、喧噪はほとんど耳に入らない静かな庭だった。たしか松竹梅だったか、宇野重吉が登場する日本酒のCMでも舞台になったところ。

Cafe_2  調べていたら、渡辺千萬子さんは後に、哲学の道に「アトリエ・ド・カフェ」を開いたという。東山を散策すると必ずといってよいくらい入る店だったが、そこが千萬子さんの店とは知らなかった。拙著『ほっこり京都時間』で紹介したことがある。その店も数年前に経営が変わってしまったが、骨格は変わらず今に残されている。昨年末京を訪ねたときも、その店で体を暖めた。

 『「絵のある」岩波文庫への招待』にあった一文から、思わぬところに発展したが、「絵のある」岩波文庫をキーワードにして 読書の楽しみをさまざまな角度から教えてくれる一冊。分厚いけれど、山本容子さんの絵で飾られたカバーもうれしい。(芸術新聞社刊)

2011年3月19日 (土)

震災後の1週間

◎当日
 11日午後2時46分ごろ、都心から少し離れた西部地域の小宅にも、激しい揺れが襲った。その強さはこれまで体験したことのないものだった。
 SOHOでパソコンに向かっていたとき、突然揺れ出した。記憶では縦揺れではなく、横揺れがどんどん激しさを増した。はじめは本棚、CD棚を押さえたが、倒れる危険を感じ、よけるように部屋の出入り口の柱につかまり、腰を低く構えて凌いた。1分前後揺れていたように感じるが、定かではない。
 書斎では置き方を安定させていなかったスピーカーが棚から落ちたが、ほかの部屋は大きな被害はなく、置物が落ちたくらいですんだ。
 ネットとラジオで情報を収集する。しばらくして固定電話に家族から電話が入る。
 どうせつながらないだろうと思いつつ、子どもたちのケータイに連絡したが、案の定まったくつながらない。家族の居場所は首都圏のはずなので、無事だろうと推測する。
 ちょうど隣地が新築工事中で、地震発生後も建設の作業員さんたちが何ごともなかったようにぶんぶん音を立てていたので、こちらの大地震意識もいささか薄らいでしまう。
 夕刻、娘から固定電話に電話がはいる。新宿中層ビルにいたが、たいへんな揺れで非常階段から降りたという。新しいビルなのに、下のほうの階には壁面にひびが入っていたという。非常階段から降りただろう人たちで新宿の街は溢れかえっているようで、こちらではなかなか想像できない心的パニックが起こっていることが伺えた。長時間並んで公衆電話からかけてきたらしい。
 夜、メディアから仕入れた情報をパソコンから電子メールで伝えると、しばらくして返事があり、電車が復旧したので帰宅したい、とあったが、結局、電車の本数もすくなく駅に人が殺到するので、会社関係のところに泊まるとの報が入る。
 他の娘たちとも連絡が取れ、無事が確認できる。
 この夜は、都心から自宅まで、数時間かけて歩いて帰った人が、知りあいには多い。黙々と歩きながら人生観が変わった人もいたようだ。 

◎翌日
 食を通じた高齢者福祉の協働運動を進めるカミさんは、翌土曜日早朝も仕事に出る。こういうときこそ、安否確認、食の確保という役割がますます重要になる(数日後は、ガソリン不足で、配食サービスの危機を迎えるが、結束して困難を乗りこえた様子)。
 停電に備え土曜日のうちに、コンロ用のガスボンベ3本、単一電池・単二・単三電池を1パックずつ買う。翌日の日曜にみると、スーパーの棚には皆売り切れの表示が貼られていた。いろいろな棚ががらがらに。

◎安否
 福島県にいる親戚、宮城県にいる知りあいにメールをいれる。宮城県気仙沼の人からはいまだに返事がない。住所で地図をたしかめると少し高台のようにみえるのだが、心配だ。

◎計画停電
Ekimae  計画停電が始まった14日朝、私鉄の駅前には長蛇の列。本数が制限されているため、乗り切れず、駅から溢れて長蛇の列を作っているよう。駅に辿り着いた人たちは、わざわざ300メートルくらい先の列の最後尾に並び直す。でもみな、静かに整然と行動している。
 夕暮れ、近所のカフェに入るが、節電しているので暗い。窓辺に座り、プリントアウトした原稿に手を加えていたが、日が落ちてくると読めないので、店を出る。このくらい我慢するのは当然のこと。小さな街の商店もみな照明を落としている。
 計画停電実施前夜から、自宅と、福祉協働職場のグループ分けを東京電力のホームページのPDFファイルで調べるが、該当町名が複数のグループに重複記載されている。どちらなのかがわからないまま、当日に突入する。幸い実施が回避されたので、助かる。あとで市役所ホームページで、最終確認がとれる。やはりWEBのほうが情報入手は確実で早いし、それ以外ない。

◎生産者
 生活協同組合からのメールマガジンでは、提携する宮城、岩手の生産者が、行方不明になったり、生産工場が壊滅的打撃を受けているなど報じている。生産・消費を通じて長年交流も図ってきたグループのようで深刻な事態。できることがみえてきたら応援しなくてはならない。

◎海外から 
 1週間近く経ち、サンフランシスコ付近に住む親友からお見舞いの電話が入る。電話で話している最中も余震がある。彼方では、近所の小さなお店でも、女性店主が震災用の募金箱を店に置いたとのこと。

◎福島原発
 情報収集はテレビ・ラジオが中心で、ネットもみるが、放射能測定量の情報はなかなか探せなかったが、ようやくネットで見つける。量はテレビでは断片的に報じられるだけでは、かえって不安を増幅させたりする。WEBが一番しっかり把握できる。
 首都圏に住むものとしては、原発近辺に住む人たちにはたいへん申し訳ない気持でいっぱいだ。
 気になるのは、テレビに登場する「評論家」「キャスター」「芸人」「記者」さんの一部が、東京電力や政府を「糾弾」すること。低レベルのそれには呆れる。たしかに東京電力の当初の会見など、重大なテーマなのに対応はじつにお粗末だった。だが、今必要なのは「糾弾」ではない。発言する方々が「偉い」のは十分わかったので、扇情的な糾弾だけはやめていただきたいものだ。大人げない。
 新聞の原発事故の取り上げ方は、各社ずいぶん違う。これまでの原発への姿勢がそうさせるのだろう。

◎仕事
 以前から予定された都内での取材仕事はとりやめとなり、別の手段を講じることに。他の仕事はすべてネットでやりとりしているので、計画停電が長時間に及ばなければ、あまり影響はない。自宅待機措置をとった企業も多いようだ。

 すでに1週間を過ぎた。できることから、始めさせてもらおう。

2011年2月 7日 (月)

牛タンとジャズの夜

 牛タンの店は仙台に数あれど、「太助」が一番と地元の人に教えられ、仕事を終えたあと、地下鉄勾当台公園駅で降りる。
 それらしい地点に行くがわからず、昔からの趣きある商店のご主人に尋ねると、道路まで出てきてくれた。
 「太助さんはね、二つあるけど、どちらのほう?」と訊かれ、よくわかりません、と答えると、「それじゃあ、こちらへ行ってごらんなさい」と道を教えてくれる。どうやらこのご主人は、案内してくれた店のほうに軍配を上げているようで、にやっと笑いながら道順を説明してくれた。それが「旨味太助」。
Tasuke_2  一人で暖簾をくぐったので、開いていたカウンターの隅に腰掛ける。
 あまりにも体が冷えていたので、まずは熱燗を頼むと、「牛タン焼きですね」と軽く念を押すだけで、熱燗と牛タン焼きが運ばれてくる。
 カウンターの奥には、存在感のあるご主人らしき人が背筋を伸ばして全体を見回している。目が合い、軽く会釈する。細かく動いて仕切っているのは女将さんだろう。一人でカウンターに腰掛けていると、カウンター内との間で適度の緊張感がある。
 なるほど、それなりの老舗のようで、営業コンセプトのようなものが感じられる。「雑誌等の取材はご遠慮……」の張り紙も見える。今日の材はオーストラリア産と明記されている。
 カウンターには若いカップル、男性三人連れなどが腰掛けている。カウンター内側と客の姿を眺めながら、ちびりちびり。熱燗をもう一本頼み、牛タン焼きを平らげたところで、店を出る。

 たしかこのあたりにジャズ喫茶「カウント」があるはずなのだ。今度はハモニカ横丁のように並ぶ店のお兄さんに尋ねると、丁寧に教えてくれる。
 道路から細い路地を入りこんだようなところに、「カウント」はあった。店名はもちろんカウント・ベイシーからとったものだろう。
Basie1  ドアを開けると、トランペットのとても円やか音が溢れてくる。クリフォード・ブラウンとマックス・ローチのアルバムがかかっている。空いているので、スピーカー正面に座る。壁にはカウント・ベイシーやコルトレーンの写真が飾られている。六〇年代のジャズ喫茶そのものの感じ。ただ、乱雑さはなく、きれいだ。もうあの時代ではないのだ。トイレの落書きもなかなかお洒落に書かれていて味わいがある。ここにはビル・エヴァンストリオの写真が。ベースはエディ・ゴメスの時代のもののようだ。
 ご主人はカウンターのお客とジャズ談義をしている。そこにあとから入ってきた女性も加わる。みな、シニア。そのあとアラカン風サラリーマンさんが来店し、カウンターの逆サイドに座る。金曜の夜、仕事のBasie2 あとジャズ喫茶で音を楽しんでいる様子。いい光景。こちらもしばし、ジャズの音を浴びる。とても居心地のよい空間だ。
 こうして冷え冷えの仙台の夜は更けていく。

2010年12月27日 (月)

一世紀前のモダン空間 カフェアンデパンダン

Yasakanotou_2  冷えみの強い日、崇徳天皇御廟、安井金毘羅宮を抜け、八坂通から八坂の塔を見上げながら歩く。産寧坂から清水寺へ出るが、まだ修学旅行生などで参道はぎっしり。帰りは産寧坂から二寧坂、ねねの道へ。
 高台寺脇の、昔からあるお店が閉まっている。以前買った四角いお猪口をもう少し買い揃えたいと思っていたが、叶わない。店じまいしてしまったのだろうか。
 八坂神社を抜け、寺町通から三条通へ出る。

 歩き疲れたので、どこかで休みたかった。想い出し、三条御幸町東入ルのカフェアンデパンダン(CAFE INDEPENDANTS)へ。
2  毎日新聞社の京都支局として1928年に建てられた骨董もののビル。三条通には古いモダン建築物がたくさん残されているが、そのひとつ。
 京に仮住まいしているときは、結局建物の地下にあるこの店には、入ったことがなかった。

 タイルをあしらった細い階段を下りると、周囲の壁には、演劇やらさまざまなイベントのポスターが貼られ、パンフレットがずらりと置かれている。
 金属製の丸いノブが懐かしい。引っぱって戸を開ける。入ったら、中からちゃんとノブを引き寄せて締める。自動ドアではなく、「開けたら閉める」というこの感覚、いいです。

3  剥き出しの天上から暖かな色の照明が照らしているが、この空間を独特にしているのは、御幸町通側に高い窓が続き、地上の明かりが射しこんでくることだ。その光が空間に解放感をもたらしてくれる。壁はかつては白かったのだろうが、時代の流れを染みこませて、味わいを出している。タイルが並べられた床に、木製の長い板がテーブル、同じく長い木でつくられた椅子が並ぶ。自由にどのようにも座れる。
 店名にふさわしく独立系の音楽が流れ、若者たちの会話と混じり合う。

 客は若者ばかり。学生さんたちが多い。京都のカフェらしい。見回しても、オジサン(ジイサン)は私一人。
 店員さんはみな、アートとか音楽とか何かやってるんだろうな、という雰囲気。でも、ていねいな応対。夜はイベントが開催されることも。

4   席に荷物を下ろしてから、カウンターに行き注文して支払いを終える。飲み物はそこで受け取り、料理はあとでもってきてくれるシステム。
 白ワインを飲みながら、サンドウィッチランチを食す。歩き疲れているので、うまい。テーブルの古い木の質感もよい。なかなか居心地のよい空間だ。
 気持よくなりカメラを持つ手もぶれて、このとおりワイングラスも回る回る……。

2010年12月23日 (木)

今年の五作

◎ジャン=リュック・ゴダール『ゴダール・ソシアリスム』(FILM SOCIALISME)
 欧州(系)文明史挽歌。
 「ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる」、そんなヘーゲルのことばが献辞としてふさわしい。
◎柄谷行人『世界史の構造』
 スローワーク論では労働が主題なのであまり触れられなかったが、互酬交換の視点から国家の両義性を改めてしっかり抉り出し、だからこそ諸国家連邦(国際連合)から「世界共和国」(カント)へ架橋しようとする注目すべき労作。協同組合的運動を評価する目もたしかだ。
◎トラン・アン・ユン『ノルウェイの森』
 原作を読んでいないと唐突な感が否めないだろうな、という流れがときどきあるが、読んでいれば、映像、言葉、音を堪能できる。
 「緑」役の水原希子ちゃんの存在が輝いている。
◎エリック・クラプトン『クラプトン』
 How Deep Is The Ocean や Autumn Leaves(枯葉)などジャズ・スタンダードになっている曲と、しっかりブルースしている曲が混じる好アルバム。How Deep Is The Ocean にはウイントン・マルサリスも参加している。

 あと一作と思い巡らしたけれど、出てこない。こちらのアンテナが昔のことばかりに向いているせいか。ということで今年は四作となりました。

2010年12月15日 (水)

映画『ノルウェイの森』の中の村上春樹?

 原作の小説『ノルウェイの森』は、村上春樹さんの作品としては、わたしのなかで珍しく評価が低かった。自分(の恋)をとりまく外部、社会への主人公「僕」(ワタナベトオル)の怒りのような感情が、当時の村上作品には珍しく強く吐露されていて、退いてしまうしかなかったからだ(それについては『村上春樹と小阪修平の1968年』でも少し触れた)。
 しかし、トラン・アン・ユン監督の『ノルウェイの森』は、そのあたりは抑えられ、ほぼ純粋に恋愛・性愛映画として作られている。
 原作が頭にあるせいか、筋を追うというよりは、その場その場のシーン、映像、会話、音を、流れるままに楽しめる。

 舞台となる1967年に始まり68年前後の時代風俗は、ヘアスタイルからファッション、大学構内の風景にいたるまで、当時を生きたものとしても大きな異和感なく観ることができる。最後のクレジットに、学生運動の監修だか指導を、当時早大反戦連合メンバーだった高橋公さん(自治労を経て現在ふるさと回帰支援センター)が担当しているのをみつけて、なるほど、と苦笑。

 速く流すべきは流し、ゆっくり追うべきは静かに追い、映像構成のリズム感は巧みだ。
 「直子」が入る京都の寮周辺の森、広大な草原の映像は、動的なズーミングも効果的で、「僕」と彼女の恋の心象を表すだけでなく、物語のダイナミックな展開を促す役割も果たしている。

 色調は明るめで鮮やかだ。日本人ではなく、ベトナム出身でパリ在住の監督ゆえだろうか。デジタルプロジェクター方式による放映も多少影響しているのかもしれない。フィルムのような深みは出しにくいのだろう。しかし、これはこれでこの時代に作られた映像として、受けとめることができる。むしろ好ましいのかもしれない。

 「僕」の松山ケンイチは、受動的な男を嫌味を感じさせることなく演じている。
 強く惹かれたのは、「緑」の水原希子。「直子」(菊地凛子)とは対照的な、動的で明るい存在をみごとに表していた。瞳と口元がつくりだす微笑みは強い輝きを放っている。彼女は本作一番の配役ではないだろうか。
 「永沢さん」(玉山鉄二)と「ハツミ」(初音映莉子)は、小説と同様の役割と味わいを十分示している。
 糸井重里、細野晴臣、高橋幸宏の各氏がちらっと出てくるのはご愛嬌。

 目が釘付けになったシーンがある。「緑」と「僕」がバーに入り、カウンターに腰掛ける。彼らは画面左側に位置している。「緑」がトムコリンズだったかを注文する。すると画面右側にちらりと見えるバーテンダーさんがカクテルを作り、差し出す。視線をぼんやりそのバーテンのほうへ流したとき、左側にいる「緑」と「僕」の会話が頭に入らなくなってしまった。バーテンダーが村上春樹さんそっくりだったのだ。ずいぶん若作りにはしているけれど、似ている。慌てて像を追ったが、はぐらかすような映像で確証はもてなかった。しかし、わざわざそっくりさんを登場させることもあるまい。公式HPのクレジットにも村上春樹出演は記載されていないが、おそらくお遊びで登場したのだろうと推測したが、どうだろうか。
 かつて遠藤周作さんが自身原作の映画『わたしが棄てた女』で、浅丘ルリ子の妊娠を診察する産婦人科医役を白衣で演じ、満面笑みを浮かべていたときよりはずっと好感がもてる(笑)、ということになるが。
 そのことは別にしても、もう一度みてもいいな、と感じさせてくれるフィルム(ではなくファイル)。

2010年12月13日 (月)

哲学の道の『高橋和巳全集』

 たまには銀閣寺へと、烏丸四条から203号系バスに乗り銀閣寺道へ。
 狭い参道には、寒い季節にも関わらず修学旅行生がまだたくさん。

 哲学の道へ出ると、道の一部は養生中とあり、ロープが張られている。反対の山側の細道をぶらりとしながら法然院へ。
 京都へやってくると必ずといってよいほど出かけるのが、大徳寺の高桐院と、この法然院。
3_3  通常は本堂拝観がないし、庭も小さい。茅葺きの苔むした小さな山門1と、そこに立つと見渡せる庭の白砂檀と池、石畳の道。ただそれだけだ。 だから人も少なく、かえってしばらく佇んでいたくなる静寂の空間。東山の山麓なので、小鳥のさえずりと、木々の葉音だけが風に舞う。落葉が庭や白砂檀、池面を飾っている。

 体が冷えてきたので、疎水へ降りてCafeTerrazzaへ。以前はアトリエ・ド・カフェという名だった。拙著『ほっこり京都時間』を執筆しているときに、オーナーが変わり、店の名も変わった。でもこの店の特色である、哲学に道に接するテラスは健在。この日はさすがに寒いので、中に入る。
Cafeterrazza  スパゲッティのセットとグラスワインの白を注文。最近は休日でも昼にアルコールを飲むことは控えているが、今日は哲学の道の冬景色を眺めながら、とワインを注文。
 体が冷えていたので、辛口の白ワインと、スープがうまい。ミートソーススパゲティもおいしくいただく。
 店内奥に置かれた書棚を覗くと、なんと『高橋和巳全集』が並んでいる。その下段には『ルカーチ著作集』がずらり。うーむ、学園闘争中に四〇前で夭折した作家高橋和巳と、ハンガリーの「マルクス主義」哲学者ルカーチの組み合わせ。勝手に解る気がして頷く。お店の関係者の所蔵らしい。おもしろいな、京のお店は。

 紅茶で食後のひととき。哲学の道を歩く観光客や地元に人の姿を眺めながら、しばしカントとへーゲルの「間」について考える。雇用が孕む問題では、カントを批判するへーゲルのほうが優れている。近代の雇用契約における「人格」の「自由」を裏付けたことになる。しかし、カントが苦肉の策で考えた「用益権」こそ、逆説的に今日の問題を考えるときのヒントを与えてくれるのではないだろうか……。

 そのあと白川通へ出て錦林車庫前から204系バスで大徳寺へ。
 境内の石畳を踏みしめながら高桐院へ。
1_2   雨で濡れた参道の石畳の両側には紅葉が散りばめられている。寒風4 が吹き抜ける客殿から南庭を眺める。雨水をたくさん含んだ苔の緑に、散った紅葉が鮮やかなコントラストをなしている。
 この庭は、他の石庭と違い、人造物は石灯籠がひとつ立つだけ。あとは木と苔だけでかたちづくられている。それだけの庭だ。石庭のようにあれこれ考えさせようとする押しつけはまったくない。それがかえって魅力なのだろう。いつ訪ねても、耳には必ず木々のざわめき、小鳥たちのさえずりが聞こえる。
3_4  もう一度強い通り雨がやってきて、やむのを待つ。すっかり体は冷えこむ。ようやく雨があがり、高桐院を出た。

2010年10月11日 (月)

茂田井武『トン・パリ』

Tonparis1_2   童画家・茂田井武(1908~1956年)の絵本、画集はずいぶん出ているが、『トン・パリ』(講談社刊)は異色の体裁になっている。

 日本橋の旅館の次男として生まれた茂田井武さんは、15歳のとき関東大震災に遭い生家を全焼、母も喪い、苦しい生活のなか絵の勉強を進め、22歳のとき京城、ハルピンを経てシベリア鉄道でヨーロッパへ向かう。パリに到着する直前から描かれた画帳が『トン・パリ』だ。25歳でパリを離れるまでの間に断片的に描かれた絵が収められている。

 今は製本された形態では存在しないようだが、それをかつて綴じられていた画帳の形でほぼそのまま再現している。絵に付けられたコメントも手書きのまま。表紙から見返し、中のページまで、しみや汚れ、陽焼けした紙の質感まで忠実に再現されている。当時パリの下町に生きた人々と画家の感覚が甦ってくるようだ。Tonparis2 Tonparis4
 こうした再現は全ページ4色印刷しなくてはできない。贅沢な作りだ。茂田井武ファンが今もしっかり存在し、また編集関係者も茂田井ワールドにぞっこん惚れこんでいるからこそ実現したのだろう。
 さまざまな手法を使って描かれたスケッチは、どれも味わいがある。パリに着いた当初と、17区日本人クラブあたりに住んで落ち着いてからでは、色調や画法がずいぶん変化してくる。その変遷も面白い。
Tonparis5   見開きの絵もあるが、右ページに絵、左ページ脇に手書きコメントがそのまま付されたりしている。「クリシイより ピガールをさまよふ おまはりは冷淡なり くたばりあがれ!!」などとコメントが付いているはじめのころは、彼にとって人物も街もずいぶん距離があったことが伺える。その距離が次第に近くなり、親密になり、鮮やかな色調の世界、温かな視線を注いだ人物像が増えてくる。 (C)kodansha2010

2010年10月 5日 (火)

柄谷行人『世界史の構造』

 社会が否応なく強いてくる転倒と対峙し、どう対抗しようとするのか、真摯に思考を進める営為として、『世界史の構造』(岩波書店)は近年稀な書のひとつだ。
Sekaisikouzou_2   八〇年代、九〇年代あたりの柄谷さんの発言、著作(これはあまり熱心に読んではいなかったが)に、知の党派性のようなものを感じ退いていたものだが、『世界共和国』そして今回の『世界史の構造』は、そういう異和を越えて迫る力をもっている。
 当時、彼と鞘当てしていた全共闘世代の表現者のほうが、そういう姿勢をすっかり失ってしまったのだから、時代は大きく変わったものだとの感慨も湧いてくる。

 この社会に生きていているのだから、今日のシステムのなかで、少しでも楽しく、あるいはより充実した日々をどう送るか工夫し、努力するのは、当然のことだ。だが、そういう思いや工夫を砕いてしまう構造がある。その構造がどんなものであり、どのようにかたちづくられ、それを変えるにはどうすればよいか、考えを進めることも当然ありうる。
 ところが、そうした思考や、この社会の外へと超出してしまう心情を封じて、それはルサンチマンのなせる業だからやめよ、とする説教まで飛び出してくる。しかもそれが貧困な「総括」に拠っていることが多い。
 『世界史の構造』は少なくともそういう次元を超えて、情況に迫っている。
 世界史を「交換様式」からとらえる意義、さらに「道徳性」などについて、その課題、問題点も含めて、スローワーク論で数回にわたり考えてみる。

 『世界史の構造』論についてはスローワーク論のこちらから

2010年9月28日 (火)

クラプトンの「枯葉」

 エリック・クラプトンの新しいアルバム「CLAPTON」の最後に、名曲「枯葉」(AUTUMN LEAVES)が収められている。六五という齢を重ねてきたからこそ、選曲し、歌い、演奏できたのだろう。そういうことをしみじみと感じさせてくれる。

Autumn_leaves_2   旋律は崩さず、自然に淡々と英語で歌い進める。若ければ線を崩したりしたはずだが、そういうものを余分として削いだ歌唱。
 声は渋みを増している。
 ベースとドラムスがリズムを刻み、キーボード、そしてクラプトンのギターもからむ。
 間奏部の彼のギターも音は少なめだ。
 歌を終えたあと、今度はギターで静かに歌いあげる。弦を後ろにしているが、ギターは抑え気味で、その抑制感がかえって深い味わいを表出している。六〇代だからこそなしえた演奏だろう。

 元祖イヴ・モンタンのフランス語の「枯葉」もよい。ステファン・グラッペリの軽妙な中に哀しさを漂わせたヴァイオリンもよい(「Afternoon in Paris」。スコット・ラファロ、ポール・モチアンとしなやかに疾駆するビル・エヴァンスのピアノもよい(「Portrait in Jazz」)。そこに、クラプトンのブルージーな「枯葉」が加わった。心と体に滲みてくる。

2010年9月 2日 (木)

『続東京下町散歩』

Sitamatisanpo1_5     絵地図師の高橋美江さんが下町を歩き、土地の人と交流し、写真を撮り、そしてお得 の絵地図をまとめあげるシリーズの第二弾。
  一番の魅力は各エリアごとに見開きで紹介される絵地図だが、街の住人のなかにすいーっと入っていく散歩師・絵地図師としての著者のキャラクタが、下町の粋と人情を引きだし、勢いのある文を生む。写真、イラストと相俟って、楽しく味わい深い下町案内となっている。以前取材でお会いしたときにいただいた名刺に置かれていたキャッチコピー、「真面目に不良」の精神が各頁の隅々にまで息づいている。

 今回は、
 京橋・八重洲
 亀戸
 深川
 月島・佃
 銀座
 王子
 高輪
 柴又

Sitamatisanpo2  絵地図でありながら、道路や方向は実際の地図の縮尺をきちんと踏襲しているので、距離感を正確につかめるのも特色。
 小生が暖簾をくぐるような安呑屋、昔ながらの居酒屋も、ちゃんと地図に書きこまれている(銀座の秩父錦、深川の魚三、月島の魚仁など)。
 巻末には、ぱっと開く実物絵地図(長野善光寺)が付いている。
  (新宿書房刊 1,800円)

※ちなみに、前巻の『東京下町散歩』のエリアは以下のとおり。
 浅草表玄関
 浅草観音裏
 お茶の水・神保町
 本郷
 向島
 日比谷・有楽町
 根岸
 谷中

2010年8月23日 (月)

それは突然やってきた

○五年が経ち……

 XPマシンに買い換えて五年が経っていた。そろそろとは思っていた。XPを買った直販のD社からの製品メールも、5年経過を機に増えている。
 しかし、とくにトラブルもなく、よく五年間持ったともいえる。昔はたくさん入力したあとにフリーズという情けない事態に何度も直面したが、このハードになってからは一度もそんなことはない。次回もD社のマシンにしょうと考えていた。このマシンに不満はほとんどなかった。フリーランスでSOHOで仕事となれば、パソコンこそ活動すべての拠点であり、重要だ。

 予兆がなかったわけではない。最近モニターに力がなくなったなあ、と感じていた。スリープモードから立ち上げたとき、モニタースイッチが自動でオンにならないとか。それに、全体にスピードが落ちているなとは感じていた。

 しかし、毎年更新のウイルスソフトの更新日が近づき、別のソフトに変えてみた。するとどうだろう。サクサクと動く。どうやらWindowsXPマシンとN社の反ウイルスソフトの相性はよっぽど悪かったようだ。
 前のN社ウイルスソフト環境ではアウトルックエクスプレスを終了するたびに最適化をしますかと聞いてくる。一度「はい」と答えたら、未読メールをそっくり削除されてしまったことがある。ひどいものだった。それ以来この表示が出るたびに、ぐっと怒りを抑え、「ノー」をクリックしていた(この原因がS社にあるのか、OSのM社のほうにあるのかわからない。とにかく相性が悪かった)。
 ところがウイルスソフトをT社のものに変えてみると、サクサク動くではないか。
 で、調子に乗って、もうしばらくこのマシンでいこうかとなどと欲を出していた。いや、そういうべきではなく、もっと長くモノを大切に使おうと考え直していた。

○さっそく直販店へ

 ところがある日、突然モニター画面が音もなく真っ暗になってしまった。その感じから、パソコン本体ではなく、モニターの故障のように思えた。暑さにやられたか。しかし別のモニターがあるわけではなく、診断できない。
 で、ハード全体の買い換えを決断した。七月下旬のことだ。締め切り間際の仕事もなく連休も入るので、すぐに新ハードを入れればさほど実害は生まれまいと見こんだ。

 すぐにD社直販店に足を運んだ。
 当初、モニター付き八万円前後の予算をたてていた。世間ではVista、7とOSが新しくなっていたが、わたしにとっては従来のXPマシンで十分なのだ。テキスト入力が主で、原稿を書くのはエディタだし、画像処理やデザインワークはあるものの、画像ファイルもさほど重いものは使わない。だからXPマシンでよいと思っていた。実際D社ではXPにダウングレードしたものを今でも販売している。XPにしようと心は傾斜していた。新しい高スペックな商品がほしいという欲望なんてなかった。
 ただ、M社のサービスが四年後には打ち切られるというのがひっかかっていた。
 そこで、結局7に決めた。

 結局十一万円ほどの買い物になってしまった(スピーカーは小さなJBLものがあるので除外)。一般のメーカーなら安いほうだろうが、直販D社では高いほうになる。しかもグラフィックや動画関係でハイスペックなことを求めないわたしの作業には不釣り合いな六四ビットマシンにしてしまった。まあ、折角買い替えるのなら、という次第。もっともM社オフィス&パワーポイント付きだからさほど高いとも言えないかな。

○メールデータの移行

 数日後、新品が届き、新モニターに旧ハードをつなげてみると、写った。やはりモニターの故障だったのだ。

 さて、問題はデータの移行と、使用してきたアプリケーションソフトが新OSで動くかどうかだ。データ移動には手間がかかるし、ソフトが新ハードで動かないとなればヴァージョンアップしなければならず、出費が膨らむ。
 大事なデータはもともと外付けハードディスクに保存していたので安心だが、メールソフトのデータ移行が面倒そうだった。

 で、新モニターには、新旧二つのハードをつなげて、作業をすることにした。キーボードとマウスが新旧二つずつ並ぶので、混乱がしばしば。
 まずWEBで検索し、移行方法を調べる。
 アウトルックエクスプレスが、Windows7ではなくなっていることを初めて知る。企業を離れてフリーになってから、こうしたパソコン環境の情報やトレンドにはすっかり疎くなっていた。
 で、7ではWindowsLiveメールに変わっているとのこと。だが、それと従来のホットメールとの関係がどういうことなのか、いろいろな説明を読んでもよくわからない。
 で、まあとにかくM社ツールを使えば移行は簡単らしいということで、XPから7への移行を試みる。はじめ移行時間表示に一九時間と出たときには頭がくらくらとした。だが、その表示時間もしだいに短くなり、結局三時間前後で終わった。
 しかし、確認してもデータは移行されていない。それを二、三度繰り返すがだめ。これには腹がたった。歳をとると心穏やかになるというのは、心狭いわたしの場合にはまったく当てはまらない。ツール、メーカーに怒りの言葉をぶつぶつとぶちまけながら試みるが、埒があかない。
 旧ハードでアウトルックエクスプレスからアウトルックにデータを移行してからと考えやり直したが、それも順調に進まない。
 こんなことばかりに時間をかけていられないので、メールデータの移行はとりあえず止めにした。

 新ハード環境が整うまでの5、6日間は、小さなモバイルノートで、WEBメールとテキストエディタを使って仕事をなんとか凌いだ。

○新ハードの環境設定に集中

 そしてとにかく新ハードでの環境設定に集中した。
 メールデータはだめだが、お気に入りなどのデータは移行できた。
 日本語入力はATOKに限るが、前のATOKは7ではインストールできない。ATOKは大事なので、ジャストシステムのネットショップで購入しようとする。すると、あなたに合った商品(既存ユーザ製品)はもっとお安い形で購入できますとWEBでサジェスチョンンが示された。親切だ。で、予算圧縮してこれはダウンロード。これまで登録していた語句の移行も、指示に従いすぐにできた。
 続いて、プリンタのデバイスはエプソンサイトから。二つのデジカメのデバイスはオリンパスのサイトからダウンロード。このあたりは順調で助かる。ポメラのツールも簡単にできた(ここまで書いて、仕事で作業が生じ、取材録音用のソニーデジタルヴォイスエディターのデバイスをセットしていないことに気づき、インストールするが、なぜかうまくセットされない……。他にもまだ出てきそうだ……)

 問題はアプリケーションソフト。なにしろ古めのソフトを使っているので、気がかりだ。
 ホームページビルダーなど、とてもメーカー動作確認が表示されていない、ずうっと昔のものだが、これは何とか動いた。
 高価なインデザインCS3が一番心配だったが、これも今のところ問題なく動いている。 動作速度はさすが格段に向上した。
 あとは筆王。そして会計ソフトの青色申告。これはインストールしていないので、確認できていない。必要が生じたときにでも、やってみよう。

 とにかく道具であるパソコンの環境設定に少なくない時間をとられるのが、“スロー”になれない“時間ケチ”のわたしには腹立たしい。
 一番手間がかかり、怒ったのがメールデータの移行。わたしのやり方にミスがあったのだろうが、それにしても……。メールソフトはもうM社のものは止め、フリーソフトに切り替えた。

 というわけで、メールデータの問題を除外すれば、新ハードへの移行は、とりあえず外部へも大きな迷惑をかけることもなく、すんだ。

 六四ビットのOS7のマシンに変えて、たしかに動きは快適だ。
 当面は新旧二台を並置しておかざるをえない。

Pctwo_2  モニターのサイズが21.5インチになった。天地サイズは変わらないが、左右サイズが広がり、原稿を書くときにテキストエディタの二画面を左右に開いて作業しやすくなったのは助かる。

 あと何年か後、次のハードに切り替えるときには、OSの世界、OSとの付きあい方、マシンの買い替え・データ移行作業もがらっと変わっているかもしれない。

2010年8月22日 (日)

海と戯れ

 海へ出かけるのは年に一回くらいになってしまい、久しい。
 今年も葉山近くの海へ出かけた。
 いつも出かける浜も、今年は海の家が減っている。数年前までは四軒前後はあったが、今年は二軒だけ。サーファの数も減っているようだ。

Sea20102

 毎年二、三百メートル先にある岩場まで泳ぐ。これまではクロールでゆっくり泳いでも一、二度は顔を上げて小休止したが、今年はクロールで一気に岩場まで気持ちよく泳いだ。水温が高かったこともあるが、泳力だけは落ちていない。

 なんとしても海辺で ビールを飲みたいという欲望も少なくなり、夕暮れに飲むビールの量も減ってきたが、泳ぎ、沖へ出て仰向けになって海のざわめきを体内に取り入れてその響きを楽しもうという欲望は決して失せない。海でのそういう行為、遊戯は、心身の存在のありようそのものと共鳴しあっているからだろう。

Tamba4_2

TAMBA4:WE AND THE SEA

2010年7月 9日 (金)

2010東京国際ブックフェア

 二、三年ぶりに東京国際ブックフェア(東京ビックサイト)へ出かける。
Bookfair2   初日だが、これまでになく来場者が多く感じられた。電子書籍(出版)時代の本格的到来と騒がれるようになった影響か。
 思えば、一九八〇年代半ば、IT系版元に入り、当時の電子出版協会の勉強会などにも参加し始めたが、二十五年ほど経ってようやく本格的に動き始めた。
 アマゾン、アップル、グーグル……結局電子書籍(出版)の本格始動もまたアメリカ発となってしまった。

 その電子書籍(電子出版)分野では、当面一番の見どころはアップルということになろうが、ブースは出ていない。たしか前回出展していたはずのソニーの姿もない。キンドルのアマゾンも、もちろんない。

Google_2  注目を集めたのはグーグルのブースくらい。ブースはそう大きくないので、「グーグルエディション」デモのときには観客が通路にも溢れる。版元、著者、書店へも「配慮」したビジネススキームをアピールした内容だが、あまり詳しいものではなかった。
 NECはグーグルの携帯OSアンドロイド向けの端末を参考出展していた。

 他には、小さなブースだが、ipad、iphone向けコンテンツのオーサリングツール・movilioSUTADIOに注目。PDF原稿を用意すると、編集からアプリケーション化、電子店舗での陳列・販売・売上管理までしてくれるというもの。「セルフパブリッシング」のツールだ。もっとも配信月額が1本の場合10,500円なので、それを上回る売上げがないと赤字になる。
 これからは電子と紙が併存していくことは間違いないが、読者、著者、出版社、プラットフォームを含む流通、書店の関係洗い直しが始める。これをチャンスととらえることが大切になりそうだ。

Bookfair  前回はアドビが大きく出展していたり、DTP関係の出展が多かった記憶があるが、今回は同分野の展示はフォントのモリサワくらいしか見かけなかった。ずいぶんの様変わりだ。

 全体に、大手版元のブースはやや縮小されている。経営の厳しさを反映しているのだろう。海外からの展示スペースも、前回よりやや減少しているよう。ただサウジアラビアは全出展団体中一番のスペースを確保し、出版というより、国のイメージを前面に押しだしていた。

Uojin 帰りに旧友の編集者と合流し、月島にある魚が旨くて安い店「魚仁」で、あれこれの感想会。午後5時半に入った店内は、すでにほとんど満員。辛うじて席を確保して、マグロの中落ちをつまみに生ビールを。

2010年6月14日 (月)

谷川雁研究会 機関誌第4号刊行!

 谷川雁研究会の機関誌第4号も、第3号と同時に刊行された。
 小生も「谷川雁とボードリヤール」と副題を付した『労働者の「死」と消費社会という「いやな地帯」』を寄稿したが、それは措いて、さまざまな視点からのユニークな谷川雁論が並んでいる。
 なかでも、村営阿蘇中央病院で交友のあった井澤浩二氏の雁論は、結核療養中のプロフィールを描いた貴重なもの。特別に掲載された、雁さんから井澤氏に宛てたハガキのコピーも資料として重要。
 ★東京堂書店ふくろう店(東京)、模索舎(東京)、三月書房(京都)で購入可能予定。

【『雲よー原点と越境―』第4号目次】

○「物語としての」日本神話に賭けた雁と子どもたちへの祈り
   ……………松本輝夫
  ――霜月まつりから『オオクニヌシ』『わだつみのいろこのみや』への劇的「転」「結」
○労働者の「死」と消費社会という「いやな地帯」
   ……………………とよだもとゆき
     ――谷川雁とボードリヤール
○「戦中派」の体験についてーー意識のなかの谷川雁
   …………北野辰一
    ――昭和30年代前半の発言を手がかりに
○「集団創造」としてのらくだ こぶに
   ………………………………仁衡琢磨
    ――『ピーター・パン』を中心に
○『かいだんこぞう』と私
   ………………………………………井澤浩二
    ――村営阿蘇中央病院での雁さんとの出会い
    ――谷川雁からの葉書掲載(五通)
○共通のことばを求めて
   ………………………………………金丸謙一郎
 ――テーマ活動の「今」と「未来」を語る共通のことばはどこにあるか
○ティンクの瞳の中の雁さん
   …………………………………………あきあかね
    ――なんだか似ているピーター・パンと雁さん
○『ポアン・ホワンけのくもたち』に流れる遥かなる思い
   ………やぶつばき
○月のひかり 縄ばしごおりる
   ………………………………山本紀志子
    ――『白いうた 青いうた』を通しての谷川雁との出会い

・創刊号から第3号までのバックナンバーコーナー
・執筆者紹介
・編集後記

谷川雁研究会機関誌 第3号刊行!

 谷川雁研究会の機関誌 第3号が刊行された。
 昨年11月に文京区民センター(東京)で行われた「第1回公開研究会特集」でその集いの内容を収めたもの。言語学者の鈴木孝夫さんが、ラボ時代の谷川雁の活躍ぶりを詳しく語っている。
  ★東京堂書店ふくろう店(東京)、模索舎(東京)、三月書房(京都)で購入可能予定。

【『雲よー原点と越境―』第3号目次】
  2009年11月7日開催第一回公開研究会特集
○谷川雁の全体像をどう把握するか
   …………松本輝夫
  ますます不穏な時代に「起爆装置」としての
  雁の魅力と可能性の全開を!(雁研代表)
  そのためには「沈黙・空白の十五年」=ラボ時代の解明も不可欠だ
○<運動体>谷川雁の軌跡――1965年前後の屈折
    ……米谷匡史(東京外国語大学教員)
○言語学を一つの手がかりに世界に切り込もうとした谷川雁さん
    ……………鈴木孝夫(慶応義塾大学名誉教授)
 ――「言語学が輝いていた時代」にその輝きを増す舞台回しをしてくれた人
○集団創造の詩学・政治学
    ……………佐藤泉(青山学院大学教員)
○雁制作の物語作品で<世界の映像を裏返す>ことができた
    …………河村昭利(鉄工・建設関連企業役員・元ラボ会員)
○雁晩年の詞『白いうた 青いうた』の射程
    …………杉井倫子(翻訳会社勤務・ソプラノの歌い手)
○谷川雁の全体像が見えてきました!
    …………くし・いなだ(ラボ・テューター)
   ――第一回公開研究会に参加して

<資料編> 
11・7第1回公開研究会 呼びかけチラシ
11・7当日レジュメ一覧(松本、米谷、河村)
 谷川雁研究会への招待(設立趣意書)
  本会に入会なさるには(案内) 
●読者からの反響欄
     ……………………ささきみちこ/安藤創/木原滋哉
 執筆者紹介
 編集後記

2010年4月19日 (月)

村上春樹『1Q84 book3』を読んで

 村上春樹さんの『1Q84 book3』をさっそく読んでみる。
 読み手を引きこむ力は相変わらず。
 拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』で、「いよいよあの季節の意味を問う総括作業に本格的に踏みだした。賽は投げられた!」と書いたが、book1、book2で設定されたテーマのうち、暴力と共同的観念の問題はbook3でもまだほとんど展開されていない。
 当初設定したテーマを十分に展開するには、少なくともbook5かbook6くらいまでは費やせざるをえないことになりそう、というのが感想。たいへんな力仕事になるのだろう。
1q84book3

2010年4月16日 (金)

「1968から2010へ」

「1968から2010へ」(文學界五月号)
小熊英二×高橋源一郎対談

○「八〇年代」体験

 上下合わせて二〇〇〇頁に及ぶ『1968』(二〇〇九年刊)を著した小熊英二さんと、「全共闘世代」にあたる高橋源一郎さんが「文學界」二〇一〇年五月号で対談している(「1968から2010へ」)。
Bungakukai2  『1968』をめぐっては、その時代を青春として生きた「全共闘世代」からは、どちらかといえば、「事実がちがう、見方がちがう」という批判が集中しているようだ。たしかにわたしからみても、そういえるところがあるし、異和を覚えるところはいろいろある。ただ、それをもって本書が全否定されるものでもないし、むしろ、こういう書も媒介に、さらに議論が深められればそれはそれでよいことだ。

 高橋源一郎さんは、『1968』を評価したうえで、違和感も明らかにし、さらに「ウィークポイント」も指摘している。
 これにたいし、小熊さんはあるところでは弁明し、あるところでは論の弱点を率直に認めたりしながら、本書の狙いを説明している。
 議論は進み、これからの課題を二人で探りあう。だから、これはこれで意義のある対談だ。

 で、いくつかの感想を。
 わたしが改めて気づかされるのは、「80年代」体験の相違だ。
 小熊さんの発言を少し並べてみる。

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……、やはり私は八〇年代がいちばん自分の青春だった人間なので、八〇年代ぐらいに日本のポスト・モダンと呼ばれたものや、ニュー・アカデミズムが流行ったりとか、大衆消費社会の礼賛とは言わないまでも、肯定があったことに対する違和感というのがいちばん強かったんじゃないかと思うんですね。だから自分が当事者だった八〇年代の状況に対して、今から振り返ってみて異議を申し立てるという部分が前面に出てきたという部分があるんじゃないでしょうかね。
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やっぱりそれは、あなたたちは一九六八年当時はそういうことは言ってなかったにもかかわらず、なぜ八〇年代にああいうことをしたのかということに対しての、違和感の表明というのはあると思います。
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 これを受けて高橋さんが大衆消費社会への「二段階転向」が「はたして指弾されるべき事柄なんだろうか」と正面から問うたのに対し、小熊さんはその問いを否定せず、次のように「80年代」体験の世代的な違いに触れる。

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……、おそらく、それは年代的な違いだと思うんですね。やっぱり高橋さんぐらいの世代だと、大衆消費社会に対して、自分がそれまでいなかったところに対してステージとして入っていく。それは拒否すべきではないし、拒否したら生きられないものとしてイメージされていると思うんです。私ぐらいになりますと、初めから大衆消費社会の中にいたので、今さら、べつに、それを受け入れるべきだと言われても、受け入れるべきだもヘチマもないんだよというか、そうですか、コム・デ・ギャルソン着て反核運動を批判すればいいんですか、と。それはコム・デ・ギャルソン着てる姿(吉本隆明さんのこと――引用者)そのものが滑稽にしか見えませんでしたから、それってカッコよくないんじゃんという、まずそれが最初に来ますよね。
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 内容の是非や吉本さんのことは措くが、八〇年代に青春を生きた人には、「軽薄短小」風潮を嬉々として生きた(ようにみえる)「全共闘世代」への違和はそうとうに強いのだなということは、別の人からも耳にしたこともあるし、なるほどと思える。実際には八〇年代、「全共闘世代」の少なからぬ人たちも、異和を抱えこんでいたのだが、たしかに、そのまえに六〇年後半体験を経ていたかいないかでは、大きな違いとなるのだろう。

○「ポスト・モダン」というモダン

 さて対談はここから、政治的なもの、その有効性、政治的な言語と非政治的な言語をめぐる議論を経て、「七〇年代パラダイム」の問題へ移る。
 全共闘運動が後退したあとの七〇年ごろに出てきた、「常に加害者としての日本人、少数派への抑圧者としての日本人という立場」を「七〇年パラダイム」と呼び、それが以降つづき、ゼロ年代の半ばになって通用しなくなってきたととらえている。
 このあたりになると、それは七〇年代以降の時代把握をずいぶん狭く縮め、また歪めてしまうし、たとえば笠井潔さんが強調する「六九年(秋期)の切断線」をもって明瞭にしようとしたこととはまったく逆方向を辿ってとらえているようにみえるが、ここでは細かく立ち入らない。

 思うに、八〇年代日本の「ポスト・モダン」がじつはたんなるモダンの延長にすぎなかったのではないか。
 たとえば、ニュー・アカデミズム、「ポスト・モダン」の旗手だった浅田彰さんの次のような発言(二〇〇三年)に改めて接すると、その感を強くする。

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ぼくは、村上春樹って、あの田舎くささと貧乏くささに耐えられなくて、どうしても最後まで読めないから、田中康夫流に「読まずに評する」しかないんだけど、率直にいって最低のものだと思うよ。
  (週刊ダイヤモンド「続・憂国呆談」二〇〇三年)
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 浅田さんが村上春樹を評価しないことも、読まないことも、それは彼の恣意に属することで、どうでもよい。一作家への距離のとり方や批判はいろいろな視点からさまざまにあることだろう。
 ただ、「田舎くささ」「貧乏くささ」をもって人を非難するのは、はたしてどんなものだろうか。反対に「都会(くささ)」「金持ち(くささ)」をもっていると、人や文学は評価されるのだろうか。
 浅田さんの頭は、「都会くささ」「金持ちくささ」万歳のかつてのぎんぎんモダン以外のなにものでもない。
 それらに価値を置く浅田さんがカッコイイとはなかなか思えないけれど、発言当時は大学准教授、今は大学院長という権威と権力を有している人のご発言だから、無視しがたい。学内でも「貧乏」「田舎」蔑視モダンを、若者たちに説教しているのだろうか。高橋さんが指摘する、今日広がる「あからさまな差別発言」の風潮を促しているのは、むしろこうした「八〇年代ポスト・モダン」ブームを担った人たち(の一部)ではあるまいか。
 とらえなおすべきは、もちろん「世代」ではなく、世代枠を超えてこのような事態ではないだろうか。

○量は「ヒストリー」を保証してくれはしない

 ところで、対談にひとつだけ苦言を。
 『1968』執筆にあたって、小熊さんは当事者へのインタビューは行わず、文字資料に拠った理由を語っている。当事者に聞き始めたらたいへんなことになり、収拾がつかない等々。だから文字資料に依拠することにしたというのはわかる。ただ、人の記憶は薄れるもので、むしろ「文字資料」のほうが「ディスカバー(発見する)、蓋を剥がすことができます」として、次のように発言しているところでは、せっかくの対談の意義を後退させてしまう。

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たとえば「戦後民主主義」という言葉を批判的な意味で使いはじめたのは一体いつからかというのは、六九年一月からだということは調べればわかりますが、そんなことは当事者に質問してもたぶん絶対にわからないだろうと思います。当事者は、それはやっぱり六五年ぐらいからじゃないか、みたいなことを言うんですよね。
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 わたし自身、歳とともに記憶の薄れも自覚しているので、文字資料の方が確実というのもわかる。だが、そもそも戦後民主主義が疑われだしたのは、六〇年安保闘争の総括をめぐってからで、「戦後民主主義」が批判的に表現されているのは、たとえば吉本隆明さんの評論には六五年代前後から(もっと前からもあったかもしれない)見ることができる。
 また、全共闘運動周辺に限定しても、「六九年」ではなく「六八年」にすでに登場している。それも、けっして入手や辿ることが困難ではないリトルマガジンにはっきり記録されている。こうした分野の文献類は、わたしの手元にはほとんどないといっていいくらい少ないのだが、それでも足もとのものをちょっと調べれば挙げられる。当然、これより前にもあったと推測してもおかしくない。
 小熊さんにしても、すべての資料を入手し調べることはできないだろうから、べつに見落とし自体を責めるつもりはまったくないけれど、そうであるがゆえに、上記のような断定した言い方だけは避けるべきだろう。資料の膨大さをもとに「事実」を超越的に措定する断言は、とくに学者であるなら避けるべきだろう。

 いくら資料を膨大に収集して目を通しても、掬いきれない資料(データ)はありうる。いいかえれば、空前絶後の資料を駆使することが、必ずしも「真実」を保証してくれるわけではない。たとえば、あのころは一ヵ月の違いすらも極めて重要であったりする。じじつ、「六九年」と「六八年」では大きな違いがある。だからこそ、小熊さんは「六九年一月」だと断定したかったのかもしれないが。
 だれもが「歴史(ヒストリー)」を構築するのだが、それは、必ずしも資料の膨大性によって裏づけられ保証されるものではないこともまた押さえておく必要がある。

2010年1月28日 (木)

ジョルジュ・バタイユの労働論

 フランスの特異な思想家・ジョルジュ・バタイユさん(1897~1962年)は、人間にとって本源的なエロティシズムについて深く追究している。さらに、エロティシズムとは対極に位置する労働についても、刺激的な論考を残した。
 まず、生を断片化させる等価交換を批判し、贈与交換を基礎に据えた普遍経済学を提唱している。
 そして、知が必然的に陥る宿命を示し、へーゲルの絶対知を内側から爆破せんと、<非-知>を置き、絶対知のスキャンダルをえぐりだした。彼のいう<非-知>は西洋知の到達点であるが、そこには西洋知の悲劇性もまた漂う。
 こうした足跡を辿りながら、彼の労働論について考える。

 バタイユの労働論。全8回。
 スローワーク論ノートはこちら
 

2010年1月17日 (日)

谷川雁研究会機関誌 第2号刊行!

 昨年発足した谷川雁研究会(雁研)の機関誌『雲よ─原点と越境─』の2号が刊行された。
 この号では、わたしも「谷川雁と吉本隆明」という拙文を寄稿したが、代表松本輝夫氏の「雲と雁と『国生み』(雁流日本神話)と」は力作だ。しばしば「沈黙・空白の時代」ととらえられるテック(ラボ教育センター)以降の時代をむしろ黄金期と評価する論考だが、テック時代の谷川さんの像も、長年そこに在籍したからこその深い視点でとらえられている。
 他にもラボ誕生前後からラボ時代の谷川さんについて考えさせてくれる貴重な論考がたくさん並んでいる。

【目次】
●雲と雁と『国生み』(雁流日本神話)と
  物語:谷川雁の全体像・本論第1部――雁の可能性が渦巻く7つの源とは?
   松本 輝夫
●谷川雁と吉本隆明 ――自立の分岐と現在の交差――
   とよだもとゆき
●今、谷川雁を語る 
――新たな共同性の回復、社会的連帯の再生は可能か――
   脇田 愉司              
●イソップと雁  ――戦中派谷川雁――
   北野 辰二
●テーマ活動の陣形  ――神話ごっこの原点を求めて――
   河村 昭利
●『アリ・ババと40人の盗賊』とイスラム金融            
   木野 勇人
●らくだ・こぶに、柔らかな谷川雁 ――『グリーシュ』研究――
   仁衡 琢磨
●ラボ・パーティ教育運動の「工作者」・谷川雁
   佐藤 邦彦
●ラボ誕生前後に出会えた二人の大恩人                        ―― 私にとっての谷川雁さんと榊原厳先生
   花上 裕子
●雁さんのズルさが結晶した創作『かいだんこぞう』
   あきあかね
●物語の力、子どもの力、そして大切な絆
  ――『国生み』等で「さんご礁のように」育つ子どもたち――
   やぶつばき
●読者からの反響――創刊号を読んで
   門脇厚司他
編集後記
執筆者紹介

■体裁:A5判 256ページ 
■頒布価格:2000円(税込)

★模索舎(新宿)にて購入可能。

2009年12月20日 (日)

2009年の5冊

 今年も古い本を読むことがほとんどだったなかで、今年出たものから5冊(枚)。

◎村上春樹『1Q84』book1、book2(新潮社刊)
 今年最大のベストセラーにはさまざまな批評が溢れているが、読めばわかるようにbook1、book2は当然次の物語の展開を求めている。来年以降に出るであろうBOOK3で、作家は自身の課題にひとつの決着を付けるべく格闘することだろう(わたしのコメントは、『村上春樹と小阪修平の1968年』に記した通り)。

フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ『シモーヌ・ヴェイユ』上野直子訳(岩波書店刊)
Weilself4_2  学生時代、師である哲学者アランから「火星人」と呼ばれ、クラスメイトからは傾倒していたカントをもじって「スカートをはいた定言命令」と渾名を付けられ、学校当局からは「赤い乙女」と批判され遠ざけられたりもしていたシモーヌ・ヴェイユ。
 彼女については、サイトの「スローワーク論」ノートで6回にわたって触れた。その折りに彼女自身の著作と併せて、この評伝『シモーヌ・ヴェイユ』も読んだ。
 一九三〇年ワルシャワ生まれの女性作家の視点は、シモーヌを聖化するのではなく、冷静に距離をとって調べあげ、人生の軌跡と思想のルーツをていねいに辿った先で、ヴェイユの深い問いかけと向きあっている。

◎笠井潔『例外社会』(朝日新聞出版刊)
 すでにブログで触れたので、詳細は略。

◎DVD『グレン・グールド バッハ・コレクション』(ソニー・ミュージックエンタインメント)
Gould  昨年映像集大成のDVD「ザ・グレン・グールド・コレクション」が出たが、3万円ということもあり買いそびれていた。そのなかからバッハ演奏のみを収録順に収めたものが、今春発売された。価格2,100円はお買い得。
 「ブランデンブルグ協奏曲5番」をうなりながら指揮し弾いていたり、オルガンでしか聴いてなかった「フーガの技法」のハープシピアノ演奏があり、ユーディ・メニューインと競演しピアノを前面に押し出しす「ヴァイオリン・ソナタ」を弾いたり、「平均率クラヴィーア曲集」を珍しくハープシコードで弾いたり。
 圧巻は、カナダ・シムコウ湖畔の別荘でパルティータ2番を弾くシーン。かつて映画やテレビでも観たフィルムだが、彼は多くの聴衆を前にした演奏会ではなく、こうして独りで黙々と弾くほうがさらに躍動的で似合っていることが改めてわかる。

バーデン・パウエル&ヴィニシウス・ヂ・モライス『アフロ・サンバ』
Afrosamba_4  1966年にインディー・レーベルから出されたもの。今年の再発で初めてアルバムを手にする。洗われたボサノヴァとは異なり、ブラジル・バイーヤ地方の歴史的屈折と土俗的広がりを感じさせる名盤。

2009年12月12日 (土)

つくば六所の古民家

 見覚えのある風景と建物の写真が載っていた。先日、新聞に挟みこまれていたフリーペーパー「リトルヘブン」(山田養蜂場刊行)の紙面上でのことだ。この春亡くなった編集者入澤美時さんが再生した、つくばの六所の古民家の姿で、その広い敷地で舞いが催されているものだった。後方の古民家二階から舞いを観る人の姿も写っていた。
Rokusho2  そこは、かつてボロボロで廃墟同然だったのだが、二重梁の美しさに魅せられた入澤さんが、紹介してくれた建築家安藤邦廣さんと組み、茅葺きの素材を自分たちで揃えて屋根を葺きなおし、改築して二年半ほど前に再生させたものだ。

Rokusho1  六所の古民家を訪ねたのは、ちょうど一年前のことになる。入澤美時さんが『東北からの思考』(新泉社)出版記念パーティをそこで開いたときだった。
 冬近い冷えこみの強い日、昼から開かれた集いは、地域で採れた野菜料理などが並べられる大皿の前で、土地の酒やワインで乾杯があり、共著者である森繁哉さんの舞踊が庭で演じられた。
Rokusho3  そのあたりから、冷たい雨が降り出し、酒宴は古民家のなかで暖まりながら進められた。

 わたしは、同じく参加していた旧知の友人とずっと酒を飲みながら語りあっていた。そこを退いたのは午後八時ごろのことなので、六時間以上ずっと日本酒を飲み続けたことになるが、旨い酒だった。酒もよかったし、古民家の醸す雰囲Rokusho4 気もよかったし、六所の空気も美味しかったからだろうが、なにより、たくさんの参加者に応対する入澤さんの笑顔がよかったせいだろう。
 それから数ヵ月後の今春、入澤さんは急逝してしまった。

 さて、その六所の家が、入澤さん亡きあと縁あって、別の方に引き継がれたようだ。「リトルヘブン」掲載の写真を見ると、集落の人たちが集うなかで、庭に設けられた舞台で舞いが奉納されている。
 こうして「人々の交流の場」として生き続けていることがうかがえるシーンを誰よりも喜んでいるのは、六所の家を再生させた入澤さんだろう。

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安藤さんから「茅葺き」といわれた瞬間、この家は僕のものではなくなるなと思いました。当初から、人の集まる書斎=梁山泊(りょうざんぱく)と考えていましたが、いまやもしかしたら、集落の公民館かもしれません。
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 Slownetの取材でこう語っていた入澤さんにとって、その想いが引き継がれたかたちだ。

◎リトルヘブン記事
http://www.3838.co.jp/littleheaven/200912/index.htm
◎Slownet記事
http://www.slownet.ne.jp/sns/area/life/reading/interview/200902010942-9275541.html
◎『東北からの思考』
http://toyodasha.cocolog-nifty.com/blog/2008/12/post-1b27.html

2009年12月 6日 (日)

毎日新聞に書評

 本日12月6日(日)付毎日新聞の読書欄(「今週の本棚」)に、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』の書評が掲載された。
 
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 全共闘運動の総括は決して少なくはないが、ここまで徹底的に本質的な論理を摘出し得たものがあっただろうか。
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 書き出しはこう始まっている。全文は掲載紙で読んでいただくとして、拙著の内容と思いをよく汲んでくれた紹介になっている。
 その下には『1968年の世界史』(アラン・バディウほか著、藤原書店刊)の評も置かれている。ちょうど「1968年」をテーマにした書が並んだかたちだ。

 ちなみに、紙面左隣には「埴谷雄高生誕100年特集」として、鹿島茂氏と沼野充義氏の『死霊』論、埴谷雄高論が掲載され、横に一葉の写真が載っている。1971年に高橋和巳の納骨後に富士登山したときの記念撮影で、埴谷雄高、柴田翔、坂本一亀の各氏らの姿がみえる。
 毎日新聞「今週の本棚」はいつも充実している。

2009年11月23日 (月)

加藤登紀子・「1968」・京品ホテル争議

 加藤登紀子さんのコンサートへ出かけた(横浜パシフィコ)。
 馴染みの曲を、ピアノ、ヴァイオリン、ベース、ドラムス、キーボードを背に歌う。音響技術がよくないのか、音がやや粗っぽく、繊細な音を掬いきれていない感があったものの、彼女の持ち歌やシャンソンをたっぷり聴かせてくれた。

Photo 「1968」という新曲も披露された。彼女と夫だった藤本敏夫さんが若い時代に渦中に身を置いていた叛乱の季節を歌ったものだ。他の曲とは異なり、当然激しい音が刻まれる。

(写真は、藤本敏夫著・加藤登紀子編『農的幸福論』家の光協会刊)
 他の場では、「今の若い人たちはもっと怒っていいよ」といった趣旨のことを口にされていたらしいが、今回のコンサートは、戦後ベビーブーマー世代やその前後が中心の聴衆ばかりだったせいか、そういう言はなかった。

 ときどき、いわゆる「全共闘世代」あたり(なかにはその世代の「学者」)から、「今の学生たちはもっと怒れ」といった言が吐かれるが、ひとはただ不可避の必然によって闘うときは闘うし、闘わないときは闘わない。それを強いればどこに行き着くのかは、あの時代が教えたことのひとつではなかっただろうか。情況の問題を抜きにして語れないし、「学生」や「若者」へのそういうメッセージは、「中年」「老年」自身にも返ってくる。
 また、かつての形態で「立ちあがる」ことだけがすべてではないはずだ。かつてのかたちだけを基準にした視線ではみえないところで、活動している「若い人」たちはたくさんいる。

Photo_2  加藤さんのコンサート前夜、京品ホテル闘争のデモがあった。労働争議のデモだから、関係する労組・争議団が主で、「市民参加」はほかにみあたらなかった。60年代の硝煙醒めやらぬ70年代労働争議の、かつて自分がかかわったような流れのデモの光景とは、かたちも参加人数もまったく異なっている。でも、むかしの形態や光景にこだわったり、比較しても仕方がない。(写真は京品ホテル争議デモの集会)

 この争議は、いまでもたくさん発生している争議の一つにすぎないが、今日の事情を象徴するものであることはたしかだ。
 放漫経営や他事業失敗(ホテル自体は営業黒字)で多額の不良債権を抱えた経営者と、そこに目をつけた債権者リーマン・ブラザーズが昨年結託して、ホテル廃業・従業員解雇、不動産売買を目論んだもので、この夏リーマンから債権を譲渡されたローンスター(ダラスを拠点にした投資ファンド)傘下企業が京品実業の破産申し立てをして自らの債権回収のみを目論んでいる。

 争いの法的関係は複雑だが、構図は明確だ。
 一方に、ただただ「投機」達成を主業務とするリーマン・ブラザース(破綻)やローンスターがある。彼らにとって、実業(生産、労働)などどうてもよく、あえていえば利益幅を大きくするための一要素でしかない。
 他方、抵抗するのは、ホテルやお店の営業維持で長年がんばってきた方々で、労働組合なんてものともそれまでまったく無縁だったはずだが、働く場と生活を破壊されたことを許せないという、じつに当然でささやかな思いから立ちあがった。
 個別の争議としては、とにかく働く人たちの思いが叶う、あるいは納得できるかたちで解決してほしい。また、今後法的規制等の「改革」もたいせつだろう。

 どうじに、これは「投機」を旨とする資本制が不可避にもたらす転倒の姿でもある。争議を外してみれば、リーマンやローンスターだけを「悪」に仕立てあげてすませることもできない。
 こうした事態は、差異が「利潤」をうみだすのであるから(額に汗して)働くことになんて意味がないという官学「経済学者」からみれば、転倒ではない、あたりまえのことと映るのだろう。黒字ホテルの「利益」も働く人の「労働」によって支え生まれたものではないという認識なのだから。

1968cover  「1968」年は、懐古の対象でもないし、特権的に語り若者の鼓舞を促すための道具でもなく、少なくともかつての当事者たちの現在をも静かに問わざるをえない。
 そういう追求作業が、あとの世代にその是非を含めて何ごとかを自ずと伝えることになるのではないか。(写真は拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』新泉社刊)
 加藤さんの「1968」という楽曲も同じだろう。

 コンサートに話を戻せば、冒頭は「愛のくらし」だった(1971年、アルフレッド・ハウゼ作曲、加藤登紀子訳詞)。名曲だ。加藤さんの訳詞もよいし、楽曲が流れると、70年代初頭の時代の匂いが甦り、さまざまな想いを喚起してくれる。この曲を歌い始めたのは彼女自身にとっても重い時期で、翌年学生運動関連の実刑判決で下獄した藤本さんと獄中結婚している。
 コンサートのはじめだったせいか、遅れて席に就く人がいたりで会場がごたついていて堪能できなかったのが少し残念。また聴いてみたいし、お登紀さんには、ますますがんばっていただきたい。

2009年11月 9日 (月)

シモーヌ・ヴェイユの労働論

 シモーヌ・ヴェイユさん(1909年~1943年)の34年の生涯を辿ってみると、傷ましさを感じないわけにはゆかない。
Weilself1_2   社会的には第一次大戦後のヨーロッパの政情不安定、ロシア革命とその後の実態、ナチスドイツの台頭……。
 そのなかで、頭痛、摂食障害ともいうべき状態を生涯抱える。過酷な工場労働への従事。スペイン市民戦争への参加。フランス脱出……。

 彼女の生き方と論には、つねに光と影が交錯している。自らの存在の抹消を欲するかのような生において。ラディカリズムを貫こうとする姿勢において。肉体労働を至上とする特異な労働論にも、同様のことがいえる。
 だが、彼女の労働論は、西欧史に流れる労働蔑視観や労働超克論を超えることで、とても輝いているところがある。

 ということで、ヴェイユさんの労働論についてサイトで連載開始。計六回にわたって連載予定。

【スローワーク論ノート インデックス】
http://homepage3.nifty.com/toyodasha/sub9/sub9back.htm

※写真は1936年のヴェイユ(大木健『シモーヌ・ヴェイユの生涯』1964年勁草書房刊より)

2009年10月30日 (金)

スコット・ラファロとビル・エヴァンス

~Scott LaFaro / Pieces of Jade~

Lafaro  HMVに注文していた「Scott LaFaro / Pieces of Jade」が届く。
 ラファロが加わったドン・フリードマン「Memories Of Scotty」の5曲。そのあとに、ビル・エヴァンスとのリハーサル音源。23分近くある。エヴァンスがラファロについて語った1966年のインタビューも収録されている。

 お目当ては23分近くあるリハーサル音源。ラファロとエヴァンスの二人がWaltsfordebby 「My Foolish Heart」を弾きながら、演奏のかたちを組みたてる様がテープに記録されていた。1960年録音なので、同曲が収録されたアルバム「Waltz for Debby」の前年ということになる。
 前半はエヴァンスが旋律をさまざまに崩して展開させる。
 中盤からは二人で特定の難しいフレーズをくり返し練習している。旋律を歌う声も重なる。
 そして最後は、ひととおりのデュオ演奏で締めくくられている。
 わたしは前半部が好きだ。アルバム「Waltz for Debby」に収められた同曲を聴き直して比べると、最終的に音を削ぎ落としてまとめられていく過程がわかる。
 インプロヴィゼーションとはいっても、基本的な構造と流れを事前にかなり押さえている。録音状態はよくないけれど、ジャズを勉強している人にはきっと大いに参考になるのだろう。

 エヴァンスの演奏がもっとも輝いているのは、やはりラファロと組んでいた時期だ。 ブッカー・リトルの1ホーンアルバム「Booker Little」が名盤として輝いているのも、スコット・ラファロの共演によるところ大である。
 改めて、25歳で夭折したスコット・ラファロの存在を思う。

2009年10月20日 (火)

加藤和彦さんの死

 一七日朝、軽井沢のホテルで音楽家・加藤和彦さんの遺体が発見された。自殺だという。遺書も発見されている。うつだったと知人に告白していたこと、一ヵ月ほど前からその症状がひどくなっていたこと、音楽的に新しいことができないことでゆきづまりを感じていたことなども報じられている。
 うつが心の風邪と言われるのは、誰もが罹る可能性があることを表したもので、特別視されるべきではないということだろう。どんな年代でも、節目ごとに患う可能性はだれにもあるのだろう。

 同日夜、同い年のビートたけしさんはテレビ番組内で、自分たちの世代が今置かれている状況がきついことをちらっと語っていた。週間番組など定期的な仕事をもっていれば、その流れに乗って紛らわせてやっていけるが、それがないと厳しい、というように。
 サラリーマンであれば、定年で毎日通う職場を失うことと似たようなものだ。勤め人も、毎日通う場が突然なくなると、心的身体的な不安に追いこまれる。「毎日が日曜日」とはじめは喜んでも、その喜びが続くわけではないし、定年後二、三年で心身の変調を来す例は少なくない。
 加藤さんはもともとフリーのクリエイターとして活躍してきたのだから、これはあてはまらないようにも思えるのだが、ちょうど六〇前後でひとつの壁にぶちあたっていたのかもしれない。

Kouyou  加藤さんの音楽はわたしの個人的な嗜好としては違っていたから熱心に追いかけることはなかったけれど、彼が戦後ベビーブーマー、団塊世代のひとつの方向を象徴する存在であったことは間違いない。音楽、生き方、ファッションは、それ以前の世代にないある伸びやかさのようなものをもっていた。もちろんそれがメディアによって露出される範囲でしか知りえないことは承知していても、がちがちの体制に縛られない心身のゆとりのようなものが彼から滲み出ていたように感じられた。

 かつて一緒に活動をした「きたやまおさむ」さんが新聞に追悼文を寄せていた(19日朝日新聞)。それによれば、加藤さんはかつてきたやまさんにこう語ったことがある、という。

 「お前は目の前のものを適当に食べるけど、僕は世界で一番おいしいケーキがあるなら、全財産はたいてもどこへだって飛んでいく」

 おそらく加藤さんは追求すべきものがあれば、「全財産はたいてどこへだって飛んで」いったのだろう。

 それを尽くしてしまったにしても、あるいは壁にぶちあたったとしても、音楽から離れて、ワイン通だったのだからワインでもいいし、恋でもエロスでもいいし、旅でもいいし、緩やかに生きる道もあったと思うし、そういうフィールドをもつことにおいて彼ほど恵まれた人は同世代ではそういなかったと思うのだが、そういう成熟や耽溺、あるいは彼にはふさわさしくないかもしれないが沈潜する生への埋没を拒んでの、あるいは拒まれての結果だということだろう。
 音楽の道から外れることをよしとしない生真面目さが支配していたのかもしれない。

 彼が自死に追いこまれたことは、なかなか重い。社会や情況にストレートにつなげるつもりはまったくないが、生き方のスタイルとして成熟や耽溺にもっとも近いところに位置していたようにみえる存在がそれを果たせず(果たさず)に逝ったことは、「老いること」とこの時代の情況の難しさを改めて示しているのだろう。
 (写真は京都青蓮院)

2009年10月14日 (水)

ビートルズ解散と『共同幻想論』

 吉本隆明さんの仕事を調べる機会があり、古い著書をぱらぱらとめくっていた。
 一九七二年に刊行された『敗北の構造』を手にしていて、前年講演の「自己について ~キルケゴールに関連して~」が目がとまった。
 吉本さんは、自己とは何かというキルケゴールの問いと彼の恋愛体験について語っている。ここで改めて、自己幻想、対幻想、共同幻想の位相の違いと、それを踏まえてトータルにとらえることの必要性が明らかにされている。
 三つの幻想領域の位相の違いをわきまえることは、七〇年代という当時の情況下でとくに求められることでもあった。

Let_it_be  先日ビートルズの最新リマスターCDが発売された。今回「LET IT BE」に収められたミニドキュメンタリー映像を見ていて、改めてそのことを感じた。
 スタジオ内の音響室とでもいうのだろうか、狭い室内でビートルズのメンバー四人が並んで腰掛けていたが、ジョン・レノンの脇にはオノ・ヨーコさんが寄り添っている。いわばビートルズメンバーが五人という按配だ。演奏中もジョンに密着していた。
 かつてビートルズ解散前後に観た映像でも、リハーサルやレコーディング時にジョンに密着する彼女の姿があった。当時その映像に、「それはないよ」と心のなかで呟いたことが想い出される。

 四人それぞれにさまざまな確執があったけれど、ポール、ジョージ、リンゴの三氏からみれば、こういうことが許される状態はたまったものではあるまい。「ビートルズ」というひとつの共同性の世界に対世界が持ちこまれる。しかもそこでオノ・ヨーコさんはなんのたじろぎもみせないどころか、むしろ「前衛アーティスト」としての自己存在を拡張させている気配だ。
 スタジオ(職場)内にパートナーを連れてこないという不文律が破られても、メンバー内にも外側にも、それを制止できる力がすでになくなっていたのだろう。
 解散に至る理由はいろいろあったけれど、位相の違いをわきまえないこうしたシーンは、その流れをただ加速させるだけだったにちがいない。今回のCD映像をみて、改めてそう感じざるをえなかった。

2009年10月10日 (土)

図書新聞に書評

 拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』(新泉社刊)の書評が、「図書新聞」(2937号、10月10日発売)に掲載された。評者は若手気鋭の批評家、宇野常寛さん。
「小阪修平が二〇〇七年に急逝したときに、貴重な回路をひとつ喪ったように思えた」と書き始める宇野さんは、ゼロ年代の批評文脈から、拙著のキーワードを「村上春樹」と「労働」に絞りこみ論じている。
 そして最後を次のように締めくくる。
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六八年の記憶を世代的な自己憐憫に回収しないために、あるいはゼロ年代の批評をウェブの島宇宙に自閉させないために、本書の提唱する「労働」という回路の根源的(そしてSF的な)再設定は極めて有効かつ貴重な示唆になるだろう。
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 「建設的」「反論」部分も含め、「ゼロ年代の批評」との対照はおもしろく、なかなかに刺激を受ける。これからの「スローワーク論」の展開を通じて、「ゼロ年代の批評」と交差することも必ずあるだろう。

2009年9月29日 (火)

アラン・ドロン 老いの魅力

 遅ればせながら、数年前にアラン・ドロン主演で制作されたテレビドラマ『アラン・ドロンの刑事フランク・リーヴァ』を観始めている。

 ドロンさんは一九三五年生まれだから、制作当時七〇歳少し前ということになる。そう思い映像を追うと、ドロンの老け方はじつにみごとだ。
 腹は少しだけ膨らみ、目の下に弛みもあるが(人のことは言えない!)、顎の線はしっかりしているし、渋い初老の刑事役をちゃんとこなしている。しゃがれ始めた声も渋さを増す。彼が若いころには、世紀の美男子ドロンにこういう老け方ができるとはとても思えなかったが、イヴ・モンタンの円味と穏やかさを湛えた老け方とは異なる、渋い老い美を醸し出している。

Delon1  一九六〇年制作のルネ・クレマン監督「太陽がいっぱい」は、実際に映画を観たのはしばらくあとのことだが、ニーノ・ロータの音楽には当時からすっかり虜になってしまった。青春時代に夏の海辺に出ると、この主題曲が頭のなかで必ず流れていたものだ。ラジオでは、和製編成と思われるフィルム・シンフォニックオーケストラの演奏が流れることが多かったが、やはりオリジナルサウンドトラックのほうが格段によかった。

Delon2  当時アラン・ドロンは美男子すぎて、あまり魅力を感じなかったけれども、七〇年代前半につくられた「高校教師」(ヴァレリオ・ズルリーニ監督)ではそれまでのイメージをがらりと変え、無精髭を生やして髪を乱した冴えない教員を演じていた。Delon3 北イタリアの海辺町の寒々しい映像に、メイナード・ファーガスンのトランペットソロが流れ、七〇年代という時代の感性を象徴しているように感じられた。

 さて、今回の『刑事フランク・リーヴァ』。物語の展開、リズム、映像、会話がなかなか洒落ている。やはりアメリカや日本のテレビドラマの刑事ものとは格段に違う。実生活でいい関係にあったミレイユ・ダルクさんが元奥さんとして登場するのはご愛嬌。彼女の顔はなんだか昔とほとんど変わっていないよう。

 黒い噂もパリからの風の便りで耳にするが、とにかく久しぶりにみるドロンさんの老けぶりと表情を、それなりの美学でまとめた刑事物語を通じて観られるのはじつにうれしいことだ。
 (写真=シングルレコードはポリドール、「高校教師」ポストカードは(c)TITANUS)

2009年9月26日 (土)

「出版ニュース」にて紹介

 地下鉄本郷三丁目駅は、産まれ育ったところに近く、また東大と東大病院へは幾度となく出かけたこともあり、かつては馴染みの駅だったが、このところずっとご無沙汰だ。
Mugi_3  先日久しぶりに降り、三丁目の交差点に抜ける細道を進む。昔よく入ったクラシック喫茶「」はあるのだろうか……。
 健在でした! ブレンドコーヒーの値段を安くしたりしながらの経営努力でがんばっているよう。インテリアもソファもむかしの佇まいのまま。スタバやドトールなど、急速に拡大してきたTenjinshitaコーヒーチェーン店とは違う客層の人たちが、すっかりくつろいでいる。
 そのあと上野に抜けたが、途中の湯島天神下の小さいエリアは今も落ちついた街並みを残している。

1968cover  旬刊「出版ニュース」9月下旬号(出版ニュース社刊)のブックガイドで、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』がとりあげられている。的確にポイントをまとめてくれた、 その一部を紹介させていただく。

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1968年を語る本や論調のなかで本書がユニークなのは、世界的作家である村上春樹と、在野の哲学者で全共闘運動の意味を問い続けた故・小阪修平を比較しながら論じることで、反乱の季節とその後を対象化しようとしたことだ。著者は、村上の小説や小阪の評論から、また二人の生き方から、68年とそれがもたらしたもの、とりわけ連合赤軍やその後のオウム事件をめぐって、自身の学生運動、労働運動体験を織り込みつつ、自己総括を試みる。
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2009年9月12日 (土)

「週刊読書人」で書評

 新泉社の人から教えていただいたのだが、昨日(9月11日)発売の「週刊読書人」(9月18日号)に、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』の書評が掲載された。評者は評論家の三上治さん。

Sengosedai  三上さんといえば、1981年に出版された『戦後世代の革命』(彩流社刊)が思いおこされる。1970年代末に書かれた全共闘運動や連合赤軍事件、森恒夫の死などをめぐる論考を収めたもので、当時わたしは傍線をたくさん引きながら、くり返し読んだ記憶がある。その行為は、自分自身がその時代に置かれていたきつい情況をどうとらえ、どう生きるのかを模索する作業とほとんど重なっていた。

 今回の拙著は、同世代の村上春樹と小阪修平の作品、表現、生き方を通して、70年代、80年代、90年代も辿りながら、全共闘体験の光と影を抉り、現在の課題を探ったものだが、三上さんは書評の最後を次のように締めくくってくださった。少し長くなるが、引用させていただく。

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本書は村上春樹と小阪修平を使っての著者の1968年についての探索ということが色濃いが、これは現在の探索と重なっている。あの時代を支配した政治的理念や言葉が死語になっていく現在だから、表出意識や感覚から時代に向かい合うことがそれだけ切実になっている結果であるといえる。あの時代を探索するとき、「1968年革命」などという政治理念からは遠ざかる方がいいのもそのためだがそれは果たされている。表出意識や感覚にこだわり、問い直す作業にはこの本は欠かせないという位置をもつものと言える。続編が期待される。
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※『村上春樹と小阪修平の1968年』目次はこちら

2009年9月 7日 (月)

茂田井武展(神奈川近代文学館)

 茂田井武展「子どもたちへの贈りもの」が、横浜の港の見える丘公園脇にある県立神奈川近代文学館で開かれているということで出かける。
 休日の午後、みなとみらい線の元町・中華街駅で初めて降りる。改札からエスカレーターを何度か登ると、出口が公園の入り口になっている。かつては、元町から細い小径を登っていったものだが。

 文学館に向かう途中、ふだんは門が閉ざされた横浜外人墓地の一部がこの日は公開されている。
Yokohama1Yokohama2Yokohama3Yokohama5     入口でカンパをして中に入ると、傾斜地に無数の墓が並んでいる。ボーイスカウト創設者や、フェリス女学院校長、英国横浜総領事、フランス菓子職人、新約聖書最初の全文和訳者等々外人さんたちの、思い思いの造型の墓を、案内図を手に回ってみる。

Yokohama4  今回の茂田井武展(神奈川近代文学館主催)は、茂田井武生誕100年の催し最後を飾るもので、ゆったりしたスペースに、これまでは展示されなかった作品やエピソードも紹介されている。
 実家の東京日本橋に三代続く旅館「越後屋」が関東大震災で焼け、不遇な青春を送るが、二十歳を過ぎてシベリア鉄道でパリへ向かう。途中車中で始めた似顔絵描きが人気で小銭をたくさん手にするが、外貨を車外に持ち出せないことがわかり、車中の食堂で散財したとか、厳しい生活を強いられていたはずなのに、小学館児童文化賞児童絵画賞受賞の賞金を全額寄付しようとして周囲から制止され、半額にしたことなど、作家の一面を知る面白いエピソードが、作品の合間のパネル展示で紹介されている。
 茂田井武の軌跡を辿り、作品と三人の子どもたちへの想いをゆっくり味わうことができる。 (同展は2009年9月27日まで)

 隣接するコーナーでは、「文学の森へ 神奈川と作家達」展。太宰治、三島由紀夫、大岡昇平、石原慎太郎から、村上龍らに至るまで、神奈川にゆかりの作家たちの品が展示されている。

2009年8月 2日 (日)

『吉本隆明のDNA』

 新聞記者である著者藤生京子さんが、姜尚中、上野千鶴子、宮台真司、茂木健一郎、中沢新一、糸井重里の6名に取材し語らせた吉本隆明論。

Yoshimotonodna_2  各氏のなかに吉本さんのことばがどのように入りこみ、染みいり、またときには異和や反発を生みだしたのかがみえてくる。「吉本体験」がそれぞれの営為の核心を形成してきたことがうかがえる。なるほどと気づかされるところもしばしば。
 活躍するフィールドの異なる6名に深く影響を与えるほど、吉本さんが大きな存在であることを、改めて教えてくれる。

 それぞれが話しているときの温度の高低、間合い、口調、表情も、著者によって挟みこまれているので、ことばの周辺に漂う雰囲気も味わえる。
 かつて論を交した上野千鶴子氏には、反発だけではない、吉本さんへの屈折も垣間見え、おもしろい。両氏のやりとりと関係を改めてみると、わたしなどは吉本さんのほうに「母性」を強く感じてしまう。

 著者は、10年ほどまえ、30を過ぎてから吉本隆明の著作に接するようになったようだが、よく読みこんでいる。

 異和も含めてうなずきながら読み進めたが、ひとつだけ、どうしてもそのまま読み流しにくい箇所があった。宮台氏のところだ。
 「吉本=終わった説が世間に跋扈している」ことに触れて、宮台さんは「吉本さんに依存していた人が多いことの現れですよね」としている。
 「僕は、終わった、終わらない、という議論に関心はない。終わったと宣言するヤツは『じゃあ、お前は何を獲得したのか』が問われているわけで」。
 そのとおりだと思う。拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』で、わたしは吉本さんの『ハイ・イメージ論』を批判したけれど、彼が「終わった」などとはまったく思っていない。

 で、立ち止まってしまうのは「吉本は終わった」ということについて、「普通の人間にはそういう資格はない」とした上での次のフレーズにある。

~~~~~~~~~~~~~~~
 宮台は言う。全共闘運動が崩壊していくプロセスで、多くの人は、吉本に依存して党派に参加しない自分を正当化し、運動から離脱していく自分を正当化し、消費資本主義のニューファミリー的なものに埋没していく自分を正当化した。
 「吉本さんに責任があるわけではない。依存したヤツに責任があるんですよ。吉本さんを自己正当化に使った方々は、あさましい、と思いますね。だから嫌悪するんです」
~~~~~~~~~~~~~~~

 この前半部分は70年代からときどき見聞きするフレーズだ。きっとそういう人もいたのだろう。自らが生きるときに「吉本が……」と彼を自己正当化の具として使うのは、たしかに「あさましい」。そのことに同意した上で少しだけ語っておく。
 問題は、宮台さんが「全共闘運動が崩壊していくプロセス」で、「党派に参加しない」こと、「運動から離脱していく」こと、さらに「消費資本主義のニューファミリー的なものに埋没していく」ことを批判的にとらえていることだ。いいかえれば、この文脈では「党派に参加」すること・しつづけること、「運動から離脱」しないことが是として暗黙の前提されている。あるいは「消費資本主義のニューファミリー的なものに埋没」しないことが是と前提されている。そのようなとらえ方について。

 では、「党派に参加」しつづけることの先、「運動から離脱」せずつづけることの先にいったいなにが起こったのか、その惨劇を宮台さんは見届けていないのだろうか。
 あるいは、人が生活をしていけば、「ニューファミリー的なものに埋没していく」ようにみえることをどのような視点から批判するのだろうか。

 同じような論がある。
 たとえば、全共闘運動に対立したと自ら立場を鮮明にする寺島実郎さんは、全共闘世代が「社会に出てあざとく旋回した」「他人に厳しく自己に甘い『生活保守主義者』の群れと化した」等々と手厳しく批判している。
 もうひとつ挙げれば、かつて三島由紀夫さんは「ぼくは、男が女房、子どもを弁解にしたらもうおしまひだと思ふね」と語っている(これは小阪修平さんからの孫引きになるが)。
 ここには、全共闘世代(の一部)への批判、「節操」のなさへの批判があり、「倫理」が語られているようにみえる。しかし、一見わかりやすく響くこうした批判を、わたしはすんなりと受け容れるわけにはゆかない。結局ここには、昔からの貧しい二項対立が相も変わらず横たわっているだけではないのか。

 寺島さんと三島さんの言をめぐっては『村上春樹と小阪修平の1968年』で細かく論じたが、少なくとも「党派に参加」すること・しつづけること、「運動から離脱」しないことに価値があったり、あるいは「ニューファミリー的なものに埋没していく」ことが批判されるという、単純な図式で思想や倫理を語ることは難しい。
 (もっとも、本書はインタビュアーである著者がまとめたものなので、宮台氏が実際にどう語ったか仔細にはわからないところがあることは留保しておかねばならないけれど)。

 全体としては、6人の生と思考の軌跡を辿ることを通じて、吉本思想の豊饒を改めて明らかにする好著。 (朝日新聞出版刊)

2009年7月16日 (木)

詩仙堂のハイデガー

 「何か、お探しか?」
 普段着の白髪のオジサンが声をかけてくれた。白川通から東へ少し入った、住宅地の細い路地で、曼殊院門跡への道を探していたときだった。京都人のやさしさだ。
 梅雨時の朝、どこへ行くか決めかねながら三条京阪のバス停でぼんやりしてたとき、はじめに入ってきた岩倉実相院前行のバスに乗る。洛北の静かな寺に出かけようと考えていたので、頭の中に地図を広げ修学院駅前で降り、叡山電鉄修学院前を抜け白川通へ出たところだった。

Photo  オジサンの教えてくれたとおりに進み、曼殊院へ。重いバッグを背負っているので、汗が噴きだす。この門跡寺院を訪ねるのも、もう五回目くらいだろうか。
 人影のない曼殊院で畳みに座り、枯山水の庭を眺める。鶯、そして名付けえぬ小鳥のさえずりだけが聞こえる。

 次に、ひなびた丘陵の風景が続く小径を抜け、詩仙堂丈山寺へ。

Photo_2  ここも人影がないのがうれしい。腰を下ろし庭園に目を遣る。鹿威しの音だけが響く。 小一時間ほど庭を眺めていて、いろいろな思いが去来する。
 ふと、ハイデガーのことを思う。彼がなぜナチスに傾斜したのか簡単に論難してすますつもりはないけれど、彼の思考を辿るとナチスにつながっても不思議ではない気がする。誰をも襲う観念の力学は厄介だ。それから自由であるのはけっして容易ではない。

 白川通に戻りバスで洛中に出ようとするが、来ないので、叡山電鉄に乗って、とりあえず出町柳へ。
 京阪電車に乗り換えようとしたが、クラシック喫茶柳月堂のことを想い出し、のぞいてみる。
Photo_3  店は健在だった。平日の昼下がり、中高年の客数名がいる。ハムトーストを注文して昼食替わりにする。
 ヘンデルの管弦楽曲、つづいてラフマニノフのピアノ協奏曲が流れる。以前だったら、ロマン派以降の曲はあまり受けつけられなかったが、最近は自然に聴ける。
 野球帽を被った商店主という感じの小柄なオジサンが首を振り、腕を振り、曲に浸っている。京都らしいな。
 店内を静かに歩く若いウエイトレスさんは、六〇年代早稲田「あらえびす」にいたウエイトレスさんに似ていて清楚。
 こういう店は、とうの昔に東京からは消えている。

2009年7月 7日 (火)

村上春樹と小阪修平の1968年

1968cover_6 ★近刊予告!『村上春樹と小阪修平の1968年』★

 「1968年」をテーマにしたり、書名に冠する書籍が最近次々と刊行されている。
 『1968年に日本と世界で起こったこと』(毎日新聞社)は、毎日新聞に連載されていたシリーズ企画をまとめたもので、たんに「全共闘」に限定せず、「公害」「ミニスカート」「アングラ演劇」「フォークソングの時代」など幅広い領域から、各界の人の発言を通して68年についてまとめたもの。いかにも新聞社らしい企画。
 鹿島茂『吉本隆明1968』(平凡社新書)は、全共闘世代にあたる著者が、「吉本隆明の偉さ」をていねいに示した書。
 そして新曜社からは、小熊英二『1968』が上下巻となって今月出版される。各巻1,000ページを超える大著で、『<民主>と<愛国>』同様話題呼ぶことだろう。
 その他にもいくつか見かけた。

   こうした「1968年」ものの末席を汚すことになるが、拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』も今月下旬に発売になる。
1968obiura_2   後記にも書いたが、小阪修平さんが亡くなった直後2007年の秋から書き始めたもの。同世代(全共闘世代)でもっとも評価する村上春樹さんと小阪修平さんの表現と生き方を主に論じながら、全共闘体験と現在の意味を問う。村上さんの初期三部作から本年の講演「卵と壁」と『1Q84』まで、小阪さんの30年近くにわたる評論、そして生き方と向きあってみた(新泉社、7月下旬刊、装幀藤田美咲、写真は帯裏側)。
 詳しくはこちらから(近刊予告)。

2009年4月22日 (水)

清水へ祇園をよぎる桜月夜

~京の桜~

 かつて鞍馬口通に住んでいたとき仁和寺へは、自転車で出かけるか、北野白梅町から京福北野線で御室駅で降りるルートだったが、この日は京都駅からJR嵯峨野線に乗ることに。
 本数が少ないのに驚く。30分近く待った京都駅始発の車内は、嵐山まで出かけるらしい観光客で座席はいっぱい。私の前には、ドイツ人らしい男性と日本人の高齢カップル。
 ほとんど降車する人のいない花園駅で降り、双岡と妙心寺の間の民家立ち並ぶ道を抜けて、仁和寺へ。

Ninnaji  ふだんは境内は自由に参拝できたはずだが、桜の季節になると、入山料を納めなくてはならない。
 平日でも人出は多かったが、御室桜はこの日はまだ一分先。
 金堂は桃山時代に建てられた京都御所の紫宸殿を江戸時代初期に移築したもの。桃山期らしい様式が感じられる。

Kinkaikoumyouji 桜名所はどこも人が多そうなので、次に真如堂へ向かう。荒神口でバスを降り、荒神橋から鴨川を渡り近衛通を抜けて歩き続ける。真如堂にはうまく出ず、金戒光明寺の西側に。
 真如堂、金戒光明寺、その北の吉田山周辺は、道が入り組んでいて、目的地になかなか行きづらいエリアだ。
 これもよしと金戒光明寺の境内を歩く。人がほとんどいないのが救い。

Minamiza  夕暮れ、祇園白川へ。四条大橋に立つと、南座の上に満月Sirakawa1_3 が上がる。
 祇園白川は、ライトアップの桜を見にくるガイジンさんが多い。白川沿いの料亭の灯りが夜桜に彩りを添え、その先の空には満月が。

Sirakawa2_2  清水へ祇園をよぎる桜月夜
  こよひ逢ふ人みな美しき  
     (与謝野晶子 『みだれ髪』)

 壹錢洋食のある縄手通にまでフーゾクの店が進出している。その手の看板、写真がデカデカと並んでいる。以前はなかった、と記憶している。

Goshosakura_2   翌朝、御所の近衛邸跡の枝垂れ桜へ。仮住まい時には何度か訪れた桜だが、まだ健在だった。

★京都の桜景色★

 仮住まい時代の京都、桜景色。とくに印象に残るところ。

・祇園白川から見上げる夜桜
・茶店縁台に腰掛け熱燗あおりながら眺めた円山公園の枝垂れ桜
・駒井邸近く、北白川疎水沿いの桜並木
・賀茂川堤、出雲路橋から北への桜トンネル

2009年4月18日 (土)

笠井潔『例外社会』

 たいへん刺激的な論考である。700ページに及ぶ大著だが、一気に読むことができる。
Reigaishakai_2  古来の社会思想・哲学から最近の若い世代の論考にも目配りし、格差社会の現況、2008年の秋葉原通り魔事件、金融危機にまで触れている。
 2003年に刊行された東浩紀、笠井潔両氏の往復書簡をまとめた『動物化する世界の中で』は、二人のやりとりが噛みあうことなく閉じられていたし、探偵小説世界には疎い私は近年の氏を心配していたが、それは杞憂で、著者の現在の力をしっかりと感じさせてくれる。あとがきで、笠井さんは「本書は、わたしの側からする往復書簡への応答である」と記しているが、たしかに十分な応答になっている。

 1984年に出された『テロルの現象学』は、連合赤軍事件や左翼党派の観念力学をみごとに抉る労作だった。当時ほとんどの論者が迫りえない観念の問題に肉迫するものとして屹立していた。
 ただ、当時いまひとつ即座に首肯しえなかった「集合観念の象徴的暴力」が、今回の『例外社会』でも「千年王国主義運動」というかたちで継承されている。「神的暴力」「敵の名指し」も含め、このあたりは私にはすんなりとは入ってこない。
 とはいうものの、千年王国主義運動論を主に展開させた第3部(最終部)の「群衆論」がもっとも刺激的で、この大著も「千年王国主義運動」希求を措いては存在しえなかったのだろう。市場のとらえ方、贈与にたいする交換の対置も含め、さらにじっくり対話するだけの価値は十分もっている論考だ。

 編集者的視点からひとこと。
 700ページあるということは、ページを開いたとき書籍のノドを大きくとられる。
 だが、ノドのアキのとり方はふつうのヴォリュームの書籍同様の10ミリか10ミリ少々しかとられていない。ページを移るたびに、首を傾けたり、手で強く小口を押さえなければならない。シニアには肩が凝るし、疲れる。本の内容には疲れないが、読むときの肉体が疲れる。担当編集者の配慮が薄かったのが残念。
 (朝日新聞出版刊)

2009年2月24日 (火)

エリック・クラプトン コンサート in武道館

 武道館にてエリック・クラプトンコンサート
 前回行ったのは、同じ武道館でたしか1990年代半ばか後半のはずだから十数年ぶり。

 半袖シャツ姿で登場するクラプトン。ステージの中央で背筋を伸ばしてすっくと立つその姿は以前と変わらないのだが、ギタープレイは前回よりもさらに深みを増したように感じられた。
 2曲目か3曲目が「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だった。レゲエ風のその曲はあまりわたしの好みではなかったはずなのだが、中間部で静かに始まったギターソロは圧巻で、以降コンサート最後まで引きこまれた。

Clapton  ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーやキース・リチャーズ、チャーリー・ワッツら、そしてエリック・クラプトン……。日本の現状と比べて、彼らの歳の重ね方は圧倒的に屹立している。
 生の美学へのこだわりの違いなのだろうか。
 (写真は「461オーシャン・ブールヴァード」)

2009年2月 5日 (木)

今年の幕開けはザ・ローリング・ストーンズ

 正月3日、六本木ヒルズ内の映画館でザ・ローリング・ストーンズのライヴ映画「SHINE A LIGHT」。シニア割引で観る2本目か。1本目がたしか若松孝二監督「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」で、なんともはや……。

Shine_a_light  2006年、ニューヨークのビーコン・シアターでのライヴをマーティン・スコセッシ監督が映像化している。
 メンバー4人ともシャープな体型を維持している。とくにミック・ジャガー。彼の動きは、10年程前だったろうか、東京ライヴのときと変わらない。走り回り、歌いまくり、跳ねまくる。ご立派。
 映像なので、4人の表情がよく描かれている。中盤だったか、ある曲が終わった後、チャーリー・ワッツ氏が横にいるカメラに向かって、ふうっと軽くため息をついて笑顔を見せる。その表情がじつに微笑ましかった。

 六本木ヒルズは成金趣味の匂いがしてあまり出かける気がしないが、いつ出かけても、とにかく店の位置や方向がわかりにくい場所です。

2008年12月28日 (日)

今年の5冊 2008年 

 今年も昔のものを引っ張り出して読むことのほうが多かった。ニーチェやマルクス、モーゼス・ヘス、イリイチなどなど。その中で今年の5冊。

◎入澤美時・森繁哉『東北からの思考』(新泉社)
 ブログ別ページに記した通り、今年一番の収穫。

◎宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(早川書房)
 今年話題になった若い世代の評論。わたしがとんと疎い若い世代が負う情況と課題がみえてくる。

◎池田知隆『団塊の<青い鳥> ~戦後世代の夢と希望~』
 還暦を迎え始めた団塊世代38人の軌跡と今をていねいに辿ったものだが、全共闘運動について改めて問う書でもある。

◎堤未果『ルポ 貧困大国アメリカ』 (岩波新書)
 丁寧な取材を通じてアメリカの資本主義社会の現状をよく伝えている。

◎福島泰樹『無聊庵日誌』(角川書店)

Buryoan_3  著者25作目の歌集。取材したとき招いていただいた無聊庵がタイ トルに冠されている。

 味わい深い近年の歌が並んでいるが、その中から三首。

  小市民の哀感ここに極まりて
    生きるばらばら死するばらばら

  反復とはあまきリフレイン憂愁の
    キルケゴールの哲理なりしが

  百日紅おれも滑りて咲く花の
    しどろもどろの朝の四次元

◎コンサート・フォー・ジョージ(CONCERT FOR GEORGE)

 ひとつおまけでDVD。
 なにごとも数歩遅れる小生。このDVDは数年前に出されたものだが、この秋にレコファンで入手。
Concert_for_george  ジョージ・ハリスンが亡くなった翌年2002年に行われた追悼コンサートの模様を収めたもの。エリック・クラプトンが主催し、息子のダーニ(お父さんにそっくり!)はじめ、ポール・マッカートニーリンゴ・スター、ビリ・プレストン、ジェフ・リンらが揃い、ジョージの名曲を歌う。
 圧巻は、「While My Guitar Gently Weeps」。リンゴのドラムスを背に、ポールとクラプトンのヴォーカル、そしてクラプトンのギターが泣く。CDではずいぶん聴いていたが、こうしたライヴは、映像でみるとますます胸が熱くなってくるのを抑えることは難しい。

2008年12月26日 (金)

『東北からの思考』

   少しでも地方を旅すれば誰もが目にする駅前商店街のシャッター化、山村・農村の過疎化、集落の解体……。わたしも旅や取材でそうした光景をかなり目にし、ショックを受けてきた。
 人口が国内で少ない山形県内でも最も少なく、しかも高齢化比率、過疎化比率が高い最上郡の八市町村となれば、深刻の度は増す。
Tohokukaranosikou_4  その最上エリア内のさまざまな場に立ち、歩きながら対談するのが、舞踏家で東北芸術工科大学教授の森繁哉さんと、編集者の入澤美時さん。二人はそこで風景を見、匂いを嗅ぎ、手で触り、舌で味わいながら、言葉を交わす。

 テーマは、明日の希望が見えず崩壊が進む集落、そこに住む「じっちゃん、ばっちゃん」たちの農業をいかに再生していくか――。
 そう問うとき、陥りがちなのは、集落や人の総体、二重性、闇を無視して都会人の一方通行的表層視線からのアプローチで、わたしも含め、その陥穽から免れがたい。しかし、そんな視線を粉砕した地平に立って新たな方策を具体的に提起しようとするのが本書。
 たとえば、かつての原風景、集落のイメージに対立するものとみなされるコンビニをたんに悪しき近代主義として排除するのでなく、現在の民俗学的視点も採りいれて考察する。他方、スナック・演歌や隣組や結いを前近代的遺制として排するのではなく抱えこみ、逆にそこから突破口を見いだそうとする。

 「じっちゃん、ばっちゃん」に象徴される農業(アジア的遺制)を、大型化・広域化が不可避な農業(超資本主義)にどう接ぎ木するかを、進歩主義的歴史観を突き破って、「相互扶助」「無償の贈与」「協働」をキーワードに展開している。

 新庄駅から近い国道の陸橋の上から眺めると、道路の一方にショッピングセンター、反対側に昔懐かしい農村風景が広がる。この日本の地域・地方の縮図のような風景を前に始まった二人の対話は、言葉がじつに豊かだ。
 とくに森さんの言葉には、なかなか接することのできない深みと響きがあり、読者の心身に滲みてくる。それは、森さんが最上の山村で生まれ育ち、今も住んでいて、その身体と心から発せられていることに拠っているのだろう。

 まったくかけ離れた都会に住むわたしのような人間にとっても、じつはとても切実な課題が突きつけられているのだと思う。
 自らの場のことはひとまず措いて善意やボランティアで関わろうとする次元(このことが即座に否定されるべきことではないが)を突き抜けて、たとえば労働(生産)と消費の分裂があまねく都会労働者(生活者)にもたらす悲惨な現実と関係をどう組み替えていくのかという課題(わたし流にいえば「スローワーク」)ともつながっているからだ。

 400ページ近いヴォリュームだが、豊富な写真と注が洒落たデザインで添えられていて、対話の妙にぐいぐいと引きこまれる。収穫の書(新泉社刊)。

2008年12月20日 (土)

「雪の降る町を孤り祈らん」

○三月書房

Shourenin1  雨上がりの冷え込んだ夜、東山の青蓮院へ夜間ライトアップ見物に。
 名物の大楠も照らされている。
 紅葉の最盛期を過ぎていたこともあり、騒がしくないのがありがたい。落ち葉も灯りにひっそり照らされている。
Shorenin4Shoreninn2Shorenin3Shorenin5 

 前回出かけたのは、もう四、五年前だろうか。そのときと同じように、庭園には闇の中から梵字が浮かび上がってくる。
 堂内の襖絵は、かつて比叡山で沢田研二のコンサートなどプロデュースした木村英輝さんが描いたもの。前回来たのはちょうどその絵ができたあとだったか。

Sangatushobou 寺町通の三月書房は人文系・社会科学系専門の書店。古書店ではない。
 今はほとんどなくなってしまった街の小さな書店の店構えで、面積も同様だ。しかし、アジア最大級と言われる東京のジュンク堂で探してもなかった書籍がちゃんと置かれている。ありがたく購入する(『相互扶助論)。
 この店は、京都を訪ねれば必ず寄りたくなる魅力を持Tadasu1っている。入り口脇の小さなウィンドウも楽しい。

 12月まで紅葉を愛でられる糺の森を歩く。

○福島泰樹さんライヴ

 毎月10日は吉祥寺の曼陀羅で歌人福島泰樹さんのライヴ。短歌絶叫コンサートだ。
Fukusimayasuki  昔からときどきライヴで絶叫の喝を受けていたが、一年半ほどまえ、仕事で取材をさせていただいて以来なのでずいぶんご無沙汰だ。
 半年ほど前、案内をいただき渋谷のライヴハウスに出かけたが、会場前には若者たちの長蛇の列。なぜ福島さんのコンサートにこんな……、といぶかしく思いながら、入れそうもなく引きあげたが、どうも彼が教壇にたつ日大の学生さんだったらしい。

 この日は向島ゆり子さんが参加し、ピアノとヴァイオリンでサポート。常連の尺八菊池雅志も。

  シャンソン歌手高英男にはあらねども
    雪の降る町を孤り祈らん
            (福島泰樹『蒼天 美空ひばり』)

2008年12月14日 (日)

『団塊の<青い鳥> ~戦後世代の夢と希望~』

 若者の叛乱が世界的に起こった1968年ごろに青春を送った団塊世代が還暦を迎え始めた。
 その団塊世代38人を、毎日新聞論説委員の池田知隆さんが取材しまとめた本が少し前に出た。『団塊の<青い鳥> ~戦後社会の夢と希望~』(現代書館、10月刊)。

Dankaiaoitori_4  秋田明大(日大全共闘元議長)、戸井十月(作家)、手嶋龍一(外交ジャーナリスト)、道浦母都子(歌人)、鎌田實(諏訪中央病院)から、都はるみ、ガッツ石松、安奈淳、里中満智子にまで及ぶ団塊世代の各氏が登場し、小生もその末席をけがしている。

 たまたま私が図書新聞(2008/12/13号)に寄せた、本書についての書評は以下のように始まっている。

~~~~~~~~~~~~~~~
 数年前のこと。メディアに登場しなくなって久しい秋田明大さん(元日大全共闘議長)の取材記事と写真が毎日新聞に掲載された。紙面をじっと見つめ、ことばにまとまらないさまざまな感慨が湧きあがったことをよく覚えている。「池田知隆の『団塊』探見」というシリーズのひとつだった。
 本書はその連載に加筆しまとめたもので、団塊世代三八人が登場する。上梓するにあたり、秋田さんには再取材を敢行したようで、冒頭にずいぶんページが割かれている。世界的に若者の叛乱が起こった「六八年」から今年で四〇年。その長い歳月と運動の意味を、著者の池田さんが同世代の生き様を通して静かに問う貴重な書となっている。
~~~~~~~~~~~~~~~

 この書評はかなり強引に全共闘運動とのからみでまとめたものになってしまったが、本書自体は、池田さんがもっと幅広い視点から各分野で活躍する団塊世代の人物をていねいに追っている。それが本書の懐の深さで魅力でもあり、ひとくくりにはとうていできない団塊世代の多様な生き方を表している。

 それでも池田さんが本書を秋田明大さんから始め、道浦母都子さんで締めくくっているあたりに、全共闘運動が団塊世代に及ぼした影響の大きさを証左しているよう。実際池田さん自身、「どうしてこんなにまで秋田さんの人生にこだわるのか、正直いって、わたしはこれを書き連ねるわたし自身に驚かされた」(46ページ)とまで吐露している。

 団塊世代、そしてそこにおける全共闘運動の意味を改めて問う好著。

 ★ ★ ★ ★ ★

以下は目次です。

●はじめにーー青い鳥のゆくえ

●第1章「時代を旅して――秋田明大さんのこと」
・中国人花嫁と暮らす元日大全共闘議長

●第2章「自由を求めて」

○戸井十月・・旅するように暮らす
○橋口譲二・・喜びの記憶を世界の子供たちに
○甲斐扶佐義・・美女と猫とボヘミアン
○高橋公・・「ふるさと」回帰を呼びかけて

●第3章「世界に生きる」

○手嶋龍一・・情報戦を生き抜く知恵を
○高見邦雄・・中国の緑化に挑んで
○熊岡路矢・・市民外交を担うボランティア活動を
○朴慶南・・水平線のつながりを

●第4章「孤高のはてに」

○川瀬敏郎・・「無私」に生きる花人
○青木洋・・世界一周を成し遂げたヨットマン
○ガッツ石松・・タレントになったチャンピオン
○小川一夫・・“花咲かじいさん”になった宮大工

●第5章「夢を追いかけて」

○都はるみ・・時代をゆさぶる歌姫
○安奈淳・・・病を乗り越えたオスカル
○豊田勇造・・関西フォークにこだわりながら
○近藤明男・・22年ぶりに再起した映画監督

●第6章「漫画・絵本の世界で」

○里中満智子・・漫画の国際化のために
○安彦良和・・ガンダムからアジアへ
○伊勢英子・・時代と呼吸する絵本を
○永田萠・・妖精ブームの中で

●第7章「女を生きる」

○辻イト子・・「大阪のおばちゃん」のたくましさを
○森小夜子・・人形に向き合いながら
○竹中ナミ・・「障害者を納税者に」と訴える
○残間里江子・・団塊女(モグラ)よ、もっと時代の表面に

●第8章「暮らしの中で」

○鎌田實・・「がんばらない」精神とはなにか
○高橋卓志・・「開かれた寺」の改革のはて
○山崎譲二・・葬儀より手元供養を
○橋本憲一・・料理人塾を呼びかける京都「梁山泊」

●第9章「地域に生きる」

○鈴木常勝・・街角の子に語りかける紙芝居
○竹原信夫・・「景気は気から」という日本一明るい経済新聞社代表
○岩田健三郎・・地域を歩き、地域を見つめる版画家
○元正章・・・・牧師になった書店員

●第10章「新たな生活流儀を」

○水野阿修羅・・男らしさを超える生き方を
○平井雷太・・「教えない教育」が時代の風
○豊田素行・・「スローワーク」を提唱する元ネット編集長
○佐々木成人・・挫折の果てに見えた夢

●第11章 「同時代を深呼吸して――道浦母都子さんに聞く」

●その他
◎団塊群像・・名簿
◎わたしたちの60年・・年表
◎参考文献

●おわりに

2008年11月29日 (土)

ザ・ゴールデン・カップス ライヴスペシャル2008

~デイヴ平尾追悼~

Kourakuen_2  11月28日、カップスのライヴが後楽園JCBホールで。
 本来デイヴ平尾さんも当然出演する予定だったのだが、急逝し、彼を追悼するライヴに。

Cupslive Ⅰ部は、元ガジャーズ、元オックスのヴォーカルさんらも登場したが、向いている音楽の方向が全然違っているので、懐かしくはあるが、戸惑うしかなく……。
 でも、ブルーコメッツの三原綱木さんはそれなりにしっかり筋が通っている。
 (写真は開演前の会場)

 Ⅱ部。カップスの登場。
 舞台中央、デイヴ平尾さんの立つべき所は空いたまま。
 エディ藩、ルイズルイス加部、ミッキー吉野、マモル・マヌー。そして中村祐介らのサポートプレイヤー。
 デイヴなきライヴを引っ張るエディ藩さんは歌も演奏もますますのっている。ミッキー吉野さんのキーボードも変わらずさすが。発言はほとんどせず淡々とベースを弾きルイズルイス加部ちゃんも味わいがある。ドラムスの席に座りながら小さく叩くマモル・マヌー氏。声に昔の面影が。

 途中でデイヴと交遊の深かった井上堯之さんが登場し、歌とギター。

 カップスのサウンドは今日聴いても凄い。いや、今日このように演奏できることが凄い。懐メロではなく現在のサウンドとして、しっかり屹立している。そんなエディ藩、ルイズルイス加部、ミッキー吉野、マモル・マヌーらを集めたのは、なにはともあれリーダーだったデイヴ平尾さんの力だろう。
 わたしのような素人にも、カップスと他のGSグループの違い、ルーツの違いが時を経るごとに、一層鮮明にみえてくる。

 かつてのカップス時代、演奏中に殴りあいも演じたマモル・マヌーとエディ藩の両氏も互いにぼそっと声かけあうなど(今ではけっこう仲がよいらしい)、いっときの熱い時空を共有した仲間が40年のちに一堂に会するのはしみじみすることでもある。

 もうひとつ。歳を重ねることが心と身体にもたらす(蓄積する、喪わせる)力についても思いを巡らす。そこに潜む残酷も含め、拒絶しようとするのでもなく、逆にずっぽり受容しようとするのでもなく、静かに受けとめるしかない。

2008年11月20日 (木)

信州の鎌倉 ~別所温泉へ~

○林間の石造多宝塔

Pa180104 丸窓がユニークな別所線(上田電鉄)に乗る。信州上田を出た電車は信州塩田の田園の中央をゆっくり進む。こういう路線電車は大好きだ。
   ハンドボールの試合に出かける高校生たち。ケバイお化粧Pa180108 をしてケータイでがんがん喚くうるさい娘さんもいた。そして仕事に出勤する女性たち。それでも2両編成の座席には少し空きがある。

Pa180112   30分ほどで別所温泉駅。味わいのある駅舎を出る。

Pa180134  まずは常楽寺。駅から10分。のどかな住宅街を抜けた小山の麓にある。
 別所温泉を開いた平安時代の慈覚大師(円仁)の開山と伝えられる。鎌倉時代には学問を学ぶ拠点のひとつだったそうPa180128だ。本堂裏、境内の奥、鬱蒼と繁る木立に立つ小さな石造多宝塔は国の重要文化財。石造での多宝塔は珍しい。
 人はほとんど来ない。静かに多宝塔を眺める。

○治安維持法弾圧を伝える石碑

Pa180136 常楽寺を出て、別所神社の舞台から街を見下ろしたあと、安楽寺に向かう。
 細い道、安楽寺近くの丘陵に、山本宣治とタカクラテルの石碑がさりげなく建っている。

Pa180145   戦前治安維持法改悪承認議会で反対演説をすべく上京した山本は右翼に襲撃され亡くなる。農民組合の招きで同じく上田に来ていたタカクラテルが、彼の死後、自宅庭に石碑を建てたが、直後治安維持法の大弾圧で逮捕され、石碑も破壊を命じられた。しかし、家主が深夜に隠し破壊の難を免れたという。
 刻まれたラテン語は「生命は短し 科学は長し」。山宣さんの座右の銘だそう。なるほど、アルファベットを辿ると、ラテン語に疎い私にもそう読める。
 隣の安楽寺には大勢の参詣客があるが、この石碑はまったく忘れられたようで、立ち止まる人はいない。けれど、こういう事実が石碑ごと残されていることは大切なことだ。

○「建長と塩田(安楽寺)とは各々一刹」

 安楽寺は天長年間(824~834年)に開かれたと伝えられる古刹。現在は曹洞宗の禅寺。
 鎌倉の建長寺の開祖蘭渓道隆の語録一節に「建長と塩田(安楽寺)とは各々一刹により、……」とあって、鎌倉時代中期に、建長寺と並ぶほどの禅寺であったよう。これはまったく知らなかった。鎌倉北条氏の関係で信州の中心道場であったらしい。
 北条氏滅亡後は、寺勢も傾いたようだが、現在にも多くの文化財を残している。

Pa180176
 その最たるものが、国宝八角三重塔。裳階を付けているので四重にみえるが三重塔だ。八角の屋根がきれいに波打っている。鎌倉時代末の建立らしいことがほぼ判明している。

Pa180193 境内のお堂には鎌倉期の二人の高僧像があり、一人は中国僧。さらに経蔵もある。
 こうしてみると、信州の奥深い地に鎌倉にひけをとらないような文化が花開いていたことがうかがえる。
 通信・交通が驚異的に発展した現代より中世のほうが、各地で文化の勢いがあったのかもしれない。

○「慈悲の湯」が湧き出る北向観音

Pa180204  街中に入り北向観音に近くなると、雰囲気ががらりと変わPa180213 り、温泉地らしい観光地の匂いがする。小さな参道の両側には土産物店が軒を連ねている。石段を上がると、参詣客で賑わう北向観音さん。
 境内には「慈悲の湯」という温泉が湧き出ている。口に含むとゆで卵の匂いと味。湯の街らしい。

Pa180219  温泉は古代からあったようで、中世に入っては、木曾義仲、塩田北条氏、真田氏はじめ地域から愛されてきたのだという。
 街中には外湯が四つある。その一つが写真の大湯(葵の湯)。ここの湯も飲める。

 田園を走る丸窓電車、ひなびた温泉街、古刹と観音霊場、そして戦前の農民運動……。信州の鎌倉と呼ばれるのもうなづける、奥深い歴史をもつ別所温泉だ。

2008年11月16日 (日)

経済危機 耳を疑う二つの言

◎「アメリカが世界経済のリーダー」

 サブプライムローン問題に端を発した経済危機をめぐって、さまざまな発言、分析がなされていたが、二人の発言には仰天させられた。

 一人は、米国大統領ブッシュさん。
 いつかどこかで火の手が上がるとみられていたサブプライムローン問題、やはりアメリカの市場から火の手が上がった。一度否決された金融安定化法案が下院に再提案され、なんとか10月3日可決された。
 このときブッシュさんは「アメリカが金融市場を安定化でき、世界経済のリーダーであることを示した」と大真面目で述べた。
 自国、自らが問題を引き起こし、世界経済へ大きな波及をもたらしておきながら、今度はその危機への対症療法のひとつにすぎない金融安定化法案の可決をもって、「世界経済のリーダーであることを示した」と堂々とおっしゃる
 国内向けの発言だろうが、この人は世界にどのように介入しても、すべては国内向けでしかないのかもしれない。アメリカが「世界のリーダー」であること――それが彼にとって第一義的なことなのだろう。

◎「自由は手放すべきではない」

 もう一人は、東大経済学部教授の岩井克人さん。ブッシュさんは戦後ベビーブーマーだが、こちらも日本のその世代の人。
 10月17日、朝日新聞朝刊。「経済危機の行方」というコーナーに登場し、インタビューに答えている。
 まずは60年代から優位に立ち始めた新古典派経済学の実験が今回の危機で破綻したと分析する。その上で、資本主義は基本的には投機によって成立しているから、不安定なもので、それは資本主義を支える貨幣自体が純粋な投機だからだ、といつもの持論を展開する。
 ここまでは、彼の経済学論であり、ただうなづくだけだ。
 今後の経済動向については、「より良いセカンドベストを求めるプラグマティズムというか、永遠の実践主義でいかざるを得ない」と考える。これも彼の論からは導き出される方向として理解できる。

 ところが、やっぱり……。最後に出てくるのが「自由」だ。

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 アダムとイブのたとえでいうと、資本主義の中で、人々は自由という禁断の果実の甘さを知ってしまった。その甘さの中には、もちろん“原罪”的な不安定さが含まれている。でも、自由は手放すべきでないし、もう手放せないだろう。
~~~~~~~~~~~~~~~

 こう、結んでいる。
 聞き手がまとめた記事ということを割り引くにしても、この期に及んでこれまでの著書と同じように唐突に「自由」が突然謳いあげられる。

 岩井さんが無前提に「資本主義は自由だ」と言い張るのなら、たとえば、貧しくて生活苦に喘ぐけれど他国の戦場に出かけて戦闘行為(殺害行為)をサポートすれば高額の生活費が得られるのも「自由」の謳歌だ。それは企業側からみれば、民営化された戦闘行為(殺害行為)を請け負って利潤を上げる「自由」でもある。あるいは、とても返済できそうもないのに住宅ローンを組めて(結局は自己破産し追い出されて)しまうのも「自由」だ。それは企業側からみれば、ほとんど回収不能の債権でも数多く生みだしごた混ぜにして売るだけでべらぼうな利潤が得られ、あとは野となれ山となれでかまわない「自由」でもある。
 アメリカの経済の実状に即して言えば、岩井さんが手放すべきではないと謳う「自由」とはそういうことを基本的に含んでいる。わたしはこれらの事態は「自由」ではなく、「自由」の「転倒」だと思う。本来の言い方でいえば、「自由」ではなく「恣意」にすぎない。
 それを「自由を手放すべきではない」と結語させるのはとんでもない飛躍といわなければならない。
 貨幣は人間社会に不可避的に転倒をもたらすが、今日の「経済学」はそういう事態へ問題を立てる意識を包摂して成立していない。あるいは異和の棘として内側に抱えこんでおくことすらできていない。そういう思考をすっかり排除することにおいて、現在の「経済学」が成立しているようにみえる。
 だとすれば、限定された「経済学」の枠内だけに発言を慎むべきだ。軽々しく「自由」とか「自由は手放すべきではない」などと論を飛躍させるべきではない。
 でも、お得意のカント道徳哲学が登場しないだけ、まだましだったか。

2008年11月 2日 (日)

「ゴーシュ」と茂田井武

~『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』~

Gauch  宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』。主人公の「ゴーシュ」とは何人(なにびと)であるのか。その問いに答えようとした『≪ゴーシュ≫という名前 ~<セロ弾きのゴーシュ>論』(2005年、東京書籍刊)はなかなかの労作である。

 著者の音楽評論家梅津時比古さんは、「ゴーシュの名はドイツ語の『かっこう』から取った要素があるのではないだろうか」と問いを発し、賢治が生きた当時に遡り、文献等を基にしながらも、広い哲学的視野から答えを探っている。
 なぜ賢治がドイツ語の「かっこう」Gauchにヒントを得たか、その思想的背景にまで論を進め、Gauchとしての「かっこう」を通じて、「かっこう」が音楽的な存在であるだけではなく、愚者としての意味と性的存在としての役割をももつことを明らかにする。そこから、『セロ弾きのゴーシュ』や『銀河鉄道の夜』が「人間や地球のみを中心として物事を見ることを傲慢として反省する視点」を指摘している。
 そして「愚直に純正律の音程を求め続けるかっこうと、帰属社会からは完璧にはずれてしまっているゴーシュの姿」に、賢治の無知の知の思想をみている。

Serohiki  さて、わたしたちが親しんだ絵本は福音館書店版『セロひきのゴーシュ』だ。その絵を描いているのが茂田井武さん。

 『≪ゴーシュ≫という名前』の著者は、アンコールのときのゴーシュの演奏が「近代主義的な、自己を強く主張する自己表現からは遠い演奏であることは明らか」で、「ゴーシュは動物たちとの遣り取りを通じて、音楽において自己の無知を自覚し、また自己の音楽的探求が<推測 coniectura>に過ぎないことを確認し、何も知らないことを知ることによって、宇宙をつらぬくような深い音楽に近づいていた」と読み解いているのだが、茂田井さんの絵は、まさにその見方と響きあう表現を得ているように感じられる。

 『セロ弾きのゴーシュ』を絵本化したものは、世にたくさんあるのだろうが、やはり茂田井さんが絵を描いた福音館書店版ということになる。
 茂田井武さんがその絵を描いたのは、数年間喘息と肺結核を患い病床に伏しながら、絵筆を握っていたころ。
 編集を担当した福音館書店の松居直さんは、当時の依頼の様子を次のように書いている(月刊「日本橋」2008年9月号)。

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 依頼をしに茂田井さんのお宅へお邪魔した際、玄関先で奥様に「主人は病気なので」と断られたのです。でも茂田井さんは襖ごしに話を聞いていて――。「その仕事する。上がってもらえ」と奥から声がしました。居間に上がらせてもらうと布団に寝ていらして、やはり帰ろうとすると、「その仕事ができたら死んでもいい」とつぶやかれて承諾して下さいました。
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 そしてその絵を描きあげた年、武さんは亡くなっている。こうしてみると、賢治と茂田井さんを結びつけた編集者が果たした役割の大きさを改めて思う。

Kiokunokakera  その「早世の天才画家」茂田井武さんの画業と人間像をまとめたのが最近発売された『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』(講談社刊)。
 今、見直され、若い世代からも評価が高まる茂田井武さん。20代前半ヨーロッパ貧乏旅行時代の習作(これも味わいがある)から絵本や絵雑誌の作品まで集められ、資料も充実している。

Tihirobijutukan  いわさきちひろ美術館では、「生誕100年 夢と記憶の画家 茂田井武展」が開催中(2008年11月30日まで)。武さんの蔵書や愛用の品々を集めたコーナーも設けられ、絵とともに楽しめる。

2008年10月25日 (土)

「現代思想」8月臨時増刊「吉本隆明 肯定の思想」

Gendaisisou_2  おそまきながら、「現代思想」8月臨時増刊の「吉本隆明 肯定の思想」。
 うしろにたくさん並ぶ吉本論はおいて、冒頭の吉本さんインタビュー「肯定と疎外」はなかなか充実している。ここしばらくいろいろなメディアで語っている中でも、出色のものではないか。
 過去の著作や発言を振り返っているところは、これまでもおおよそ触れられてきたところだが、さらに踏み込んだ発言があり、驚くところもある。花田清輝、三浦つとむらへの感慨にも、ほう、という感じがある。

 なかなか突っこんだ内容になっているが、これは聞き手である高橋順一さんの力に負うところが大きいに違いない。語っているのは吉本さんだが、問いと展開、まとめ方でそうとうにていねいに力を注いだことがうかがえる。
 それに呼応するように、吉本さんもしっかり発言している。

 ここで、吉本さんは現在の病理に触れている。
 第一次産業革命期に膨大な産業規模が大きくなったのは蒸気機関のおかげだと一般経済学者は考えたが、マルクスとエンゲルスはそれに替えて肺結核の蔓延を挙げた。つまり労働者の長時間労働によることをそう表した。これを受けて、吉本さんは、第二次産業革命期の現在蔓延しているのは、肺結核ではなく精神病だ、と。そうなのだと思う。

 昨今の様々な事件に触れて、精神疾患と「正常な人間」の区別が不明瞭になっていることをだれも言ってくれない、とも不満ももらしている。

 吉本さんは産業の一循環の速度が人間心理の速度を規定する、とも指摘している。おそらく『ハイイメージ論』あたりを踏まえてのことだろう。
 教えられた上でわたしなりに言い換えれば、産業の一循環の速度というより、資本が自己増殖する運動の速度とでもいうほうがぴったり来るようにみえる。それが、心の病いを蔓延させ、社会の疲弊と混乱を深めているのだと。

2008年10月 5日 (日)

沢田研二と山下敬二郎

~年重論2~

○還暦を迎えた沢田研二

 沢田研二さんがTVで久しぶりに歌を披露していた。NHK「SONGS」で2週2回にわたって。これまでも矢沢永吉や寺尾聡らが出演している番組だ。 
 昔の曲「勝手にしやがれ」から、最新曲で自ら作詞し憲法九条をかけた「我が窮状」まで数曲を歌っていた。還暦を迎え、11月、12月と関西・東京のドームでコンサートを開くようだ。

 阿久悠が作詞した70年代ジュリーの歌は、あの時代の気分をよく反映していた。声、ルックスと楽曲は流行歌(はやりうた)として一級だった。
Sawadakenji_3  「勝手にしやがれ」も「時の過ぎゆくままに」もよかったが、わたしには「さよならをいう気もない」「LOVE (抱きしめたい)」あたりが深く心に残っている。重い時代だった70年代のことが蘇ってくる。(ジャケット ポリドールレコード)

 これまでも歌い続けてきたのだから、まずはご立派。歌はやはりうまい。ずっと「ロック」をやってきたというような話をしていたと思うが、「ロック」でも「流行歌」でもその規定はどうでもよい。
 ただ残念なのは、贅肉が付きすぎていたこと。以前からたまに写真などで見ていて、知ってはいたが……。それとあまり変わっていない。とくに「SONGS」1回目では、衣裳の関係もあり、そのあたりがひときわ目立ち、もたつき感があった。

 同じ番組に登場していた矢沢永吉、寺尾聡、忌野清志郎の各氏はそれぞれ絞っていた。見られるのが職業でもあるのだから、当然だとも思うのだが。でも、体質やらいろいろ理由があるのかもしれないし、これ以上触れるのはやめておこう。
 GRACEという女性ドラマーがなぜか気になった。

○「ダイアナ」の山下敬二郎

 その少し前、これも珍しくTVに登場したロカビリー歌手の山下敬二郎さんを観て、びっくりした。
 いわゆる懐メロ番組だったが、平尾昌晃、ミッキー・カーチスとかつてのロカビリー3人組として、ポール・アンカの「ダイアナ」だったかを歌っていた。
 もう70歳近い山下さんだが、細い体を白い上下の服に包み、当時と同じような独特の高い声で歌いあげていた。
 わたしにとっては当時の三人組の中では一番興味の薄い存在だった。そして以降も何度か同じような企画番組に出ても、山下さんには一番つかみどころのなさを感じていたのだが、この日は一番輝き音にノリ、パワフルに感じられた。
 衝撃といってもいいような驚きを受けた。平尾昌晃、ミッキー・カーチスよりカッコよく決めていた。

 曲の合間の対応がずれていて(?)、多少お歳のせいでは、と搦め手からのつっこみがあったが、そんなことも含めて、ご立派というしかない。驚きだった。
 どうやらずっとステージには立っていたようだ。

○アンチエイジングではなく

 歳をとればそれに伴い身体にも緩みやガタが来る。たとえば肌の弾性が弱まってくる。寝ていて顔にできた寝跡がなかなかとれない。視力が落ちる。足腰も弾性が弱くなる。重力に逆らえず、全体に肉は下がり気味になってくる。
 それにたいして、「アンチエイジング」というのもおかしなことだ。加齢による変化は自然過程にすぎないのだから、無駄な抵抗はしない。ただ重ねる歳に沿いながら、どう現在の己れ、情況と緊張感を持ち続けるか。そのことは問われている。

 話は飛ぶが、仕事で話を伺った古希を迎えたある女性作家は、死ぬまで焦燥感を持ち続けるのではないか、と語っていらっしゃった。その通りだと思う。達観や悟りの状態がステージとして設定されていたら、そのほうが怖い。わたしも、最後まで焦燥感など抱き右往左往しながらだろう。

2008年10月 3日 (金)

橋爪大三郎『冒険としての社会科学』

 1989年、昭和が平成に変わり、ベルリンの壁が崩壊した年に出された『冒険としての社会科学』が、新書として復刊された。当時はまともに読んではいなかったようだ。

Shakaikagaku  それまでの「右翼」や「左翼」の狭い枠組みを越えたところでの社会科学のあり方が、憲法を柱にして示されている。緻密にそして誠実に論が展開され、しかも若い世代への啓蒙書として、噛み砕いてわかりやすく書かれている。

 氏が社会科学の分野で多くの業績を残し、活躍をしてきたことも認めた上で、あえてこの書への疑義を呈しておきたい。
 もちろんすでに20年前に書かれた書であることを踏まえなければいけないし、橋爪さんの他著をあまり読んでいないので、あくまでも本書に限定してのことになる。

 なぜ、「あえて」なのか。ここでの橋爪さんの「マルクス主義」の始末の付け方が以降の若い世代の視点にけっこう影響を与えているように思えるからだ。 (2回連載)

詳細は以下へ。
toyodasha>知の岸辺へ
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-26.htm

2008年9月15日 (月)

ニーチェ ~沸騰する自意識の空騒ぎ~

 「弱者と出来損ないは亡びるべし、――これはわれわれの人間愛の第一命題。彼らの滅亡に手を貸すことは、さらにわれわれの義務である」
  (西尾幹二訳『アンチクリスト』)

 ほんとうにニーチェさんの書には物騒なことばが並んでいる。
 滅亡に手を貸すのが義務……とまでニーチェさんは言う。余計なお節介だし、恐ろしいことだ。
 このフレーズ、現代でも耳にしたことがある言説であり、それがどんな悲惨をもたらしたことか。
Nietche1  (写真は理想社版ニーチェ全集から)

 ところで「滅亡」するべしとされる「弱者」らを誰が決めるのだろうか。ルサンチマン・ニーチェさん? まっぴらご免被りたい。だれもそんなことを決められない。

 ニーチェさんの書に溢れているのは、過剰な自己意識だ。それはそれで、青春などには強くある現象にすぎない。
 けれども心しなければならないのは、自己意識を昂揚させたり沸騰させたりするために、「賤民」や「蓄群」を措定してそれらを罵らなければならないとすれば、それはもっとも責められるべきルサンチマンの世界というしかない。

★ホームページ更新★

ニーチェというルサンチマン(3)
「あらゆる価値の価値転換」という誇大広告
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-24.htm
ニーチェというルサンチマン(4)
過剰な自意識の空虚
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-25.htm

2008年9月 8日 (月)

大塚英志+東浩紀『リアルのゆくえ』

 大塚英志と東浩紀の何回かの対談をまとめたもの(講談社現代新書)。
 サブタイトルは「おたく/オタクはどう生きるか」。

 あとがきに、東さんが「なぜ大塚氏はぼくにこんなに苛立つのだろう」と疑問を呈している。大塚氏にはそれなりにあるのだろうが、たしかに大塚さんの猛烈な追及ぶりにやや退けてしまう。
 東氏のあとがきに附記されているところによると、「印刷二日前に大塚氏より申し出があり、氏のあとがきは削除された。また、同氏の提案により、同時に、第一章の三割ほどと本書全体に配された注のすべてが削除された」とのこと。
 なにやら最後の最後でずいぶんと乱暴な措置がとられたようだ。

 論議が多少噛みあっていたように感じられたのは、今年の秋葉原無差別殺傷事件直後の7月の対談をまとめた終章。

 で、東さんはここで「世代間闘争」について触れている。
 同事件に触れて、若い人はとにかく怒っているのだが、その妥当性はともかく、そういう現実が意外に知られていないことを指摘する。

 「先日『ロスジェネ』のシンポジウムがあって、そこで赤木智弘氏が『加藤容疑者は老人の多い巣鴨に突っ込むべきだった』という発言をして喝采が起きる一幕がありました。そういう発言が自然に出てくる状況がある」

 東さんは、そのあたりに危機を感じとって警告を発している。
 若者の一部にそういう物騒な発言があるのだとすれば、怒りや不満をぶつける先を間違えている、としかいいようがない。
 同時に、わたしも含め人生後半を迎えたひとたちも、世代を超えた視線をより意識するべきだと思う。

★ホームページ 更新情報★
ニーチェというルサンチマン
第2回目「貧しき『自己超克』」

toyodasha>知の岸辺にて>
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-23.htm

2008年9月 6日 (土)

ニーチェというルサンチマン

 ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ。1844年生まれで1世紀少し前の1900年に亡くなっている。
 百年以上前に亡くなった人物の言説を前向きに評価するならともかく、今さら疑義と批判を投げかけるのはあまり気がすすまない。
 また、彼の文を読んでいると、人間の弱さがもっとも歪んだ形で表現されているようで、気持が沈んでくる。それに、こちらももう限りのある時間を、彼への論評にあまりかけたくはない。

 とはいうものの、最近彼の著作を再読する機会があり、最低限のことだけは言っておくべきだと思う。
 なぜなら、この哲学者の言説は、20世紀前半にはナチズムに利用され(その責の所在の有無についてはここでは触れない)、それが20世紀後半になると現代思想の源流と位置づけられたりと、影響力を失っていないからだ。そしてもっとも根底的なことは、それが、西欧の知がずうっと抱えてきた負の構造がもっともあらわになっていると思えるからだ。
 というわけで、「ニーチェというルサンチマン」をホームページで数回に分けての連載に。

 第1回目は「トリノ露店のおばあちゃんとニーチェ

toyodasha>知の岸辺にて>
http://toyodasha.in.coocan.jp/sub7/sub7-22.htm

2008年8月31日 (日)

クンパルシータ

 四条木屋町から、閉店し今はない「みゅーず」の脇を上り、次の路地を西に入る。フーゾク看板が立ち並ぶその狭い小径を入ってすぐのところにあったタンゴのカフェ「クンパルシータ」。

P8220990_3  訪ねてみると、……予感していたのだが、案の定閉店していた。呑み屋になり、クンパルシータは消えていた。

 最後に出向いたのはもう4年ほど前だったろうか。
 そのときのことはよく覚えている。午後6時ごろ出かけたら、ちょうど店を開く時であまり準備はしていないところだった。ようやくエアコンが作動し始め、湿気をたっぷり含んだ店内の澱んだ空気が流れ始めたときだった。

 客は私1人。ママさんは、新聞の片付けなどをしたあと、音楽を流し始める。
Photo_3  長時間待たされることもあったが、この日はコーヒーは意外に早く出てきた。そしてお水のおかわりなどにも気遣ってくれた(左写真はありし日の「クンパルシータ」の店構え)。

 そのうち、若い学生の男女が入ってくる。女の子は初めてやってきたようで、男が女に店の説明などしていた。
 午後7時を回ったころだろうか、脂が漲った大学教員風の男が、やや年下の女性を連れてきた。近くに座ったせいで、彼がしきりに女を口説いている声が耳に入ってこざるをえなかった。なぜかそんなことを覚えている。

 ママさんはもうずいぶん腰が曲がっていて、歩くのも少し難儀そうだったが、しっかりした話っぷりで、笑顔が可愛らしかった。若い頃はさぞやお綺麗だったことだろう。
 そしていろいろ話を聞かせてくださった。

Photo_2  戦後の混乱の中、母娘で店を始めたのは昭和21年。「あと2年で創業60年」と語っていたのが4年前のことだ(拙著『ほっこり京都時間』)。
 創業60年はたしか2006年に当るはず。そのころは訪ねられなかったが、きっと創業60年というのがママさんの心には節目になっていたのだろう。
 それを閉店のタイミングと心を決めていたと考えても不思議ではない。そんなふうに感じられた。親族がいるでもなさそうだし、ママさんが退くときが店じまいのときだったのだろう。

 近くで呼びこみをしているフーゾクのお兄さんに尋ねると、店じまいは1年ほど前のことらしい。

 創業のころ二十歳くらいの娘として、80歳前後。よくもまあ、現場でしっかりお店を続けてこられたものだ。頭が下がる。きっとまだ彼女の生は続くのだろうが、まずは80歳までご立派な現役人生。

 代々にわたり長く続くお店はもちろん素晴らしいが、母娘2代、そして娘さんが80までしっかり切り盛りして店を維持し、休店しがちになり最後はひっそり店じまいして消えていく。それもまた静かに受けとめ味わいたい歴史だ。フーゾクの波がこのあたりの風情を激変させつつあったし。

 一説には介護施設に入られたとか。たしかではないが、お元気でいることを願わずにはいられない。

2008年8月26日 (火)

「過ぎさりし夏」

 8月、湘南の海へ。
Umi  仰向けになり海に浮かぶ。
 皮膜が海水に溶け、四肢が海に溶解する。頭の奥のほうでざわめきの音がするだけ。体は波に浮遊する。

Yoru  夜の入江。波の音だけが足許から響く。

 夏も終わり。
 そこでミシェル・ルグラン「過ぎさりし夏」。チャリートが巨匠ミシェル・ルグランに会い、彼の楽曲を歌った最新アルバム(CTミュージック)。
 「Watch What Happens ~チャリート meets ミシェル・ルグラン~

Tyari1Tyari2

2008年8月20日 (水)

最近読んだ本から

 けっこうな枚数の原稿を最近脱稿して多少時間に余裕が。
 ということで読書時間を少し増やす。

Huyunotabi梅津時比古『冬の旅 ~24の象徴の森へ~』。シューベルトの「冬の 旅」論であり、それを通じた現代のニヒリズムとも向きあう刺激的な書。私のようにごく一般的なクラシック聴きにとっても、なかなかスリリング。

大塚英志『サブカルチャー文学論』。刊行されてずいぶん経ってから読んだことになる。

村上春樹『スプートニクの恋人』再読。改めて巧いと思う。一点、ひっかかりを覚えるのは、「ミュウ」の原体験のとらえ方。それは『ねじまき鳥クロニクル』の「クミコ」のとらえ方ともつながっている。いつか触れてみたいと思う。

大澤真幸『不可能性の時代』

北田暁大『嗤う日本のナショナリズム』

Zerosouzouryoku宇野常寛『ゼロ年代の想像力』は気鋭の若手評論家のデビュー作。わたしはまったく疎いけれど、ここ10年間のサブカルチャー作品群を素材にし、現在の若い世代が直面する問題の所在をわかりやすく論じている。大いに刺激を受ける。

ニーチェ『偶像の黄昏』、『アンチクリスト』、『この人をみよ』。以前も手にしていたが、正面から再読。現代思想の源流とも評されるニーチェだが、この人、やっぱりおかしいな。「あらゆる価値の価値転換」と何度も自ら強調しているが、異議あり。

2008年8月16日 (土)

『おひとりさまの老後』にみる貧しさ

○ハウツー本として情報は網羅されているが

 遅ればせながら、上野千鶴子氏の『おひとりさまの老後』について。

Ohitrisama  「老後」を迎える「おひとりさま」が「こうすれば、あるいはこう心がければ大丈夫」と、「不安」を解消して元気に「老後」を送りましょうとエールを送る書。
 「老後」のハウツー本としては、だいたい世間で流布されている情報が陳列されている。住宅、地域、お金・経済、介護、仲間づくり、財産や遺言、お墓などについてさまざまに目配りして情報を集めていて、それはそれで一般的な情報価値をもっている。ハウツー本として価値を見いだして購入する人が多く出ることもわかる。

 本書のターゲットは、もともとシングル、離婚したり夫が先に逝きシングルになった(いずれなる)女性たちに絞られている。でも、おそらく男性読者も少なくないのだろう。
 長年会社勤めをしてきた男たちが往々にして不器用で、地域デビューもなかなかできないし、したたかでもないし、現役時代の肩書きや名刺を引きずりがちだし、(自分も含め)やっかいな存在であることはたしかだろう。そして、だいたいが女性より早く死ぬことも事実だろう。
 そういうことを前提にして、「おひとりさま」であったり、これからそうなる女性へのエールを送ることは、それなりの情報価値をもっている。

○不評を招く排他的な姿勢

 だが、ひっかかりを覚える点もいつくかある。
 まずは、多くの人たちが感じている一般的な点について。
 仕事がら、わたしも定年後の生き方について取材してきたり、ときにはデータやノウハウについて書いたり、語ったりするようなこともある。そして「老後」の生き方のハウツー本の必要性も十分わかる。みな不安なのだから。
 老いてくれば、収入が減り、死をより間近に感じるようになり、自立して生活できない事態への不安が増す。これは年齢を重ねた人が抱えこむ不安だ。

 しかし、あたりまえのことだが、不安は高齢者だけの「特権」ではない。生きていて抱える不安は、若者であれ、中年であれ、高齢者であれ、女性であれ、男性であれ、変わりはない。若者にはまた別の不安や苛立ちがあり、中年も同様だ。

 で、本書では「老後」に抱える不安の解消を図ろうとする語り口、姿勢が、なかなかに排他的だ。
 本書で送られるエールの先は、これから「老後」を迎える「団塊世代」とそれ以降の、「おひとりさま」女性に絞られている。それ自体はメッセージのターゲティングであり問題ないのだが、他世代や異性、あるいは、経済的により苦しんでいる層への配慮や、つながろうとする姿勢はみられず、むしろ突き放して嘲笑している。それは故意にとっている戦略なのだろうが、あまり好ましいものではない。そのことが多くの反発を買う要因でもある。
 当然、ターゲット以外の世代や性、あるいは厳しい経済的状況に置かれ層や、この社会のシステムについて思考を伸ばそうという姿勢もない。
 まあ、それも書籍のターゲティング上やむをえないと半ばイクスキューズできるのかもしれない。

○若い世代からの批判

 で、今頃なぜこの本について触れるのか。それは雑誌「SIGHT」2008夏号(ロッキング・オン)で、若手の評論家東浩紀さんが、上野氏の論に噛みついていたからだ(東浩紀ジャーナル「言論は世代を超えられないのか?」)。

続きは以下へ
http://homepage3.nifty.com/toyodasha/sub5/sub5-28.htm

2008年8月 3日 (日)

金沢と京都 自己増殖運動

 恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「世界報道写真展」。
 カメラ付きケータイの普及、動画の普及とネット上での閲覧システムが確立し、報道写真のポジションは低下しているのだろう。
Sekaihoudou  だが、報道写真展をこうしてみると、プロが一瞬を切りとった写真は、あとから考えさせられる力をしっかりもっていることは今も変わりない。
 戦争、内乱、貧困、弾圧、レイプ……。

 「争闘と暴力」

 そのあと、2階にあるがらんどうのカフェでひとやすみ。

 ★ ★ ★

 酷暑の夕暮れ、金沢にある21世紀美術館へ。

 美術館へ向かう途中、香林坊の交差点に立っていたら、制服を着たような若い地味目の女性が広告ティッシュを差し出す。二つ差し出すので、一つだけ受けとる。裏側を見るとフーゾクの広告だった。
 いやはや、まだ明るい、そして香林坊の落ちついた広々した交差点で配布しているとは……。

 そういえば半年前だろうか、京都・先斗町通の夜を久しぶりに歩いたとき、路地の脇に立っていた男に声をかけられたことがある。フーゾクへのお誘いだ。
 以前は先斗町通には、フーゾク勧誘員なんてまったく立っていなかったものだが、制覇した木屋町通をさらに東進している。
 資本は自己増殖運動を追求し、自ずとエリアを拡大する。自らに増殖を強いるのだ。

P10109762_2P10109782_6 さて、21世紀美術館。数年前オープンのようだ。緑の丘陵の上に出現した空間は歩いていて気持ちよく、楽しい。
 有料エリアと無料エリアがあるようで、無料エリアのみ、ぶらりと歩く。迷路っぽい通路で、目的の地に行けずに苛立つおばさんもいたが、いろいろな発見もあり(右写真は展示作ではなく、別室の係員。でも、なかなか絵になるデザイン)。

P71800222P71800182  日比野克彦氏のアートプロジェクト「ホーム→アンド←アウェー」方式[But-a-I]と名づけられた部屋に入る。女性係員以外誰もいない。
 入ると、カメラ撮影禁止とかでカメラを袋に入れさせ られる。
 入口にかかっているいくつかの太い木の棒の中から1本を選んで握りしめ、空間内を徘徊する。

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