2011年12月31日 (土)

「サルトルとボーヴォワール」

 イラン・デュラン=コーエン監督「サルトルとボーヴォワール 哲学と愛」が封切られていたことを知り、年末の渋谷に出かける。
 アルベール・カミュ、ポール・ニザンらもちらっと登場するが、タイトル通り、ジャン=ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールの出会いと「契約結婚」をテーマにした物語だ。
 二人はお互いに相手の恋愛を束縛せず、しかも自らの体験を偽りなく報告しあう自由恋愛の「契約結婚」を結ぶが、教え子や友人たちがからみ複雑な展開になり、ボーヴォワールの嫉妬、苦悩が中心に描かれる。彼女がサルトルの提案する自由恋愛に同意し追求する背景には、当時女性が置かれた位置への反発があった。
Sartre_2  詳細な表現は別にして映画は基本的には事実を描いている、と監督はいう。二人の交流の軌跡の詳細はわたしも知らないが、たしかに大枠はすべて事実に基づいているようにみえる。
 そして観終わって残されるのは、監督がどれだけ狙っていたのかわからないのだが、殺伐とした荒涼感だ。
 たしかに、最後は歳を重ねたサルトルとボーヴォワールが、同志として了解しあうようなシーンで結ばれる。実際そうであったろう。パリ高等師範学校のアグレガシオン試験を主席と二位で卒業した知的エリートらしく、二人が互いに生においても哲学において、刺激を与えあったこともわかる。
 それでも寂寥の感は免れがたい。それは恋愛、性愛が変転し広がっていくからではない。さまざまな嫉妬や葛藤の情が生まれるからでもない。「自由恋愛」という概念ゆえである。人格が自由な主体として自らを確立し、束縛にとらわれずに恋愛する、という哲学ゆえである。もちろん道徳主義への回帰をいいたいのではない。恋愛、性愛、情愛の本質と熱が、自由な主体確立という思考領域では掬いきれないところに存在するからだ。
 だから、(サルトルと比べると!)マッチョにみえるアメリカ人作家との性愛で、ボーヴォワールが「初めて女としての歓びを経験する」というのも、(実際そうだったのにせよ)、ありふれた「性の定型」に落ち着いているようで、いささか拍子抜けする。ただ、当時の女性の社会的束縛を解き放とうとした苦闘の軌跡ととらえる視点で観ることも必要なのだろう。

 ところで主著『存在と無』でサルトルは性的欲望について、「他人の自由な主観性を奪い取ろうとする私の根源的な試み」と定義し、それは結局、根源的な挫折に至る、ととらえている。エロティシズムについてそうとうに深く洞察したものの、伝統をひきずる西欧的知にとってエロティシズムが難所であることを、サルトルもまた示した。自由とは束縛されないことだ、という西欧的知がここでも幅を利かせている。そういう「自由」哲学の土壌が荒涼感をあとに残した。ジョルジュ・バタイユのように、エロティシズムとは死にまで至る生の称揚ととらえるほうが、西欧的知の限界を超える可能性を秘めているように思える。

2011年12月17日 (土)

今年の5作(2011年)

 振り返ってみると、今年2011年も、創世記、カント、ヘーゲル、マルクス(『資本論』『剰余価値学説史』等)、モーゼス・ヘス、マルセル・モース、鴨長明、道元、安藤昌益など、古典と接している時間がほとんどだった。3月11日の東日本大震災と原発事故とは、古典との対話のなかで考え続けてきた。それでも「浮き世離れ」が加速した感は否めない。5作も見当たらず、4作となってしまった。

◎中沢新一『日本の大転換』
 すでに本ブログに書いたとおり。日本文明の「根底からの転換」を迫る書。

◎鎌仲ひとみ 『ミツバチの羽音と地球の回転』
 映画自体は、昨年、つまり福島第一原発事故以前に制作されたものだが、3.11後、作品の重みをさらに増している。
Mitubati  中国電力の上関原発計画予定地の対岸に浮かぶ祝島島民の暮らしと反原発運動を描いたもの。島のおばちゃん、おばあちゃんたちの生き生きとした生活と闘争の活写は、女性監督だからできたのだろう。熊谷博子監督が制作した「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」(2005年)のときもそうだった。
 鎌仲監督のこの映画で、今でも鮮明に残るシーンがある。
 海辺で対峙する中国電力社員と島民のやりとり。建設強行を狙う中国電力社員の管理職とおぼしき人物が、祝島近くにやってきて船上から島民にハンドマイクで呼び掛ける。
 「このまま、本当に農業とか、第一次産業だけで、この島がよくなると、本当にお考えですか? 人口は年々、年々減っていって、お年寄りばかりの町になっていっていることは、皆さん自身が、よくおわかりではないかと思います」
 島民「どんだけ年寄りが増えようが、どんだけ厳しかろうが、祝島の人間は、自分たちの力でがんばっちょるんじゃ、お前らに、いらん世話をやかれんでも、ええ」
 中国電力社員「みなさんが心配しておられるような、海が壊れるようなことは絶対にありません。絶対と言ってよいほど壊れません」
 島民「中電が絶対と言って、絶対の試しはないじゃないか」
 ――電力会社社員のあまりのお節介・僭越発言には、さすがに客席から野次を飛ばしたくなった。

◎あがた森魚『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』
 これもブログで取りあげた。アルバム『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』の中でも、同名の曲が一番好きだが、「渓谷鉄道研究家になるんだ」や「霧のブロッケン」など佳曲が並んでいる。全12曲のほとんどが、あがた森魚の作詞・作曲。

◎宇野常寛『リトル・ピープルの時代』
Littlepeople  ビッグブラザー(大きな物語)が崩壊したあとの「リトル・ピープルの時代」として今日の社会を受けとめたうえで、わたしたちはどう構えたらよいのか――それが若い著者の課題である。村上春樹や、仮面ライダーなどのヒーロー番組の軌跡を辿りながら、道を探っている。村上春樹のとらえ方にはいくつか異を唱えたいところもあるが、基本的には著者の構え方を評価できるし、同意したい。
 貨幣と情報のネットワークの圧倒的な速度を奪い取り、「現実を書き換える/拡張するための想像力」を著者は訴える。このときデジタルテクノロジー界における変化に合わせて、「仮想現実から拡張現実へ」という流れに著者は光を見いだそうとしている。なかなかみえにくいのだが、これはわたしの労働論(スローワーク論)とも無縁ではないし、自らの課題として突きつけられているのだと思う。

2011年12月 2日 (金)

もう一度、吉本隆明さんの原発論

 雨が降る夕暮れ、いつも通うスポーツジムの玄関内で、母親が娘を厳しく叱っている。「なんでそんなことするのっ」とかなり強い口調だ。なにもそこまで……との思いを呑み込んで横を通り過ぎようとしたが、そのあと母親の言葉を聞き、暗然とした。「雨に濡れたら絶対にいけないって、言ったでしょ。どうして雨の中、遊んでいるの」。叱られる小学生の娘さんは、黙って俯くだけだった。
 このお母さんのことを、放射性物質に過剰だと批判することはできない。母親だって子どもを叱りたくはない。女の子のほうも外で遊んでいて、なんでこんなに怒られるんだと思うだろう。
 負わなくてよいはずの心労。いわんや、福島第一原発周辺に暮らしてきて被害に遭い、さらに避難を余儀なくされている人たちをや。

 「撃論」という雑誌3号に「吉本隆明『反原発』異論」という記事があった。吉本さんが編集者のインタビューに応えている。目次をみると、寄稿者として三宅久之、町村信孝、田母神俊雄らのお歴々の名が並んでいる。
 これまでと変わらず、「反原発」を批判する吉本さんの発言だ。計り知れない知的恩恵を受けとってきた吉本さんゆえに、逆にどうしても看過できない。以前新聞記事に触れて論じたが、もう一度。
 まず彼の論を要約してみる。

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 原発は実用化するまでにおよそ100年の月日を要している。それを一度の事故でこれを放棄しようというのは、安易に過ぎる。「人間の進歩性、学問の進歩の否定」になる。
 危険度をゼロにするには、立派な囲いをして放射能を完璧に防げばいい。たとえば高さ10キロの煙突をつくり、放射性物質を人間の生活範囲にこないようにすればいい。原発の問題はお金をかけるかかけないかの問題だ。原発をやめるよりもっと出費がかかっても、技術や文明を発達させるべきだ。それが人類の特徴だ。原発をやめるのは、時代の最高の知性が考え実用化した技術、進歩を大事にする近代の考え方そのものの否定になる。
 じっくりと問題と向きあい、「賛成派は保守、反対派は革新」という単純な二元論を昇華した先でやめる結論に達したら、やめていいと思う。しかし今の段階でやめるのは中途半端で、人類の歴史を否定することになる。先の戦争の敗戦は、進歩を軽んじてきたからだ。進歩を軽んじずに、苦しくても先につなげるべきだ。
 日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ。反対派も推進派も脅迫を使っているからだめだが、より問題なのは前者(反対派)だ。「内臓も肉体も(放射能に)当たらないようにする」「防御装置を作ってその上で原発を上手に使う」のが唯一の使い方だ。
 原発一つを廃棄するにも厖大な予算と労力が必要になる。廃棄の方法をみんな考慮したら、「それだけで神経衰弱になってしま」う。「一度発明した技術を捨て去ることはそれほど難しい」。「すでに原発というものを実用化した以上、それを完璧なものにしていく努力こそ必要」だ。
 放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だ。
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 いくつかの論点がある。

◎散らかしっぱなし、やりっぱなし

 吉本さんは、原発をやめることが「進歩性、学問の進歩の否定」になるという。だがこの学問、科学とは、無邪気な子どもが知的好奇心ゆえにさまざまに遊んでも後始末はしないケースの、「散らかしっぱなし」と同じだ。なぜなら、生産過程で発生する放射性廃棄物や核のゴミをまともに処理できる技術をもたないからだ。やりっぱなし、散らかしっぱなしの技術にすぎない。そこにとどまっている。行ったきりだ。帰り道がない。それは西欧的知にほかならない。手に負えないものをつくっておいて、廃棄物は知らん顔は、「人間の進歩」とは言うまい。

◎「科学・学問の進歩」

 「科学の進歩」「学問の進歩」を否定はしない(なにを「進歩」というかは別として)。だが、この「進歩」のために、一般人たちが犠牲にならなければならない理由はない。吉本さんが終始一貫してこだわってきたはずの「一般大衆」を犠牲にするいわれはない。被害を蒙るのは、どうしてもやりたい学者さんや財界人、為政者に留めておくべきことだ。それが守れないならやめるべきで、原発で働く労働者はもとより、実際に一般に被害をもたらすべきではない。他者に根底的な被害を及ぼす技術、知を「科学の進歩」「学問の進歩」とはいわない。たんなる知的好奇心のわがままにすぎまい。

◎研究と運用・実施

 たしかに吉本さんがいうように、どんな知的な好奇心、研究も力によって否定してはならない。だが、それと現実の運用(原発稼働)とは分けて考えなければならない。廃棄・処理方法がまったく確立されていないのに運用がなされるべきではなかった。逆に、そもそも廃棄や処分の方法、技術が決まっていないのだから、すでにある厖大な核のゴミについて、これからも「研究」してもらわねば困る。責任がある。

◎自然との親和性の喪失

Kouyoukyoto  放射性物質による汚染は、自然との親和性を失わせる。ここでいう「自然」とは、人間の手が及ばないような、あるいはかつてあったと夢想してユートピア風に描く自然のことではない。いまわたしたちが生きている空間としての自然だ。つまり空気であり、水であり、雨であり、土である。わたしたちはこうした自然の恩恵ゆえに生きることができている。生きることの基本を支えてくれる基礎的自然との親和が失われつつある。朝起きて、窓を開け、青空を見上げて大気を胸一杯に吸いこむ――そうした素朴な行為も「科学の進歩」の犠牲にされねばならない。
 吉本さんのように考えれば、科学や学問の「進歩」が自然を放射性物質で汚染させても、それに対抗する科学マスクや科学的水・土壌フィルター、あるいは食物の汚染を除去するフィルターを科学・学問の力で開発し、それらをもらって放射性物質から身体を守ればよい、ということになるのだろうか。仮にそれらが可能になったとしても、そうした「進歩」の技術装置を子どもたちに負わせるのか。それは進歩の転倒ではないか。
 少なくとも、放射性物質の拡散・汚染は、大気、水、土という日々刻々わたしたちを生かしてくれる自然との親和性を失わせる。その局所的現れが、原発近くに住んでいたひとたちの「故郷」からの追放にほかならない。大地、海洋、食物の汚染も同様だ。吉本さんは自動車ができて交通事故で毎年たくさんの人が死んでいるではないか、という。だが、放射性物質汚染は、それら近代技術が生みだしてきたものとは次元が異なる。中沢新一さんの『日本の大転換』のことばを使えば、生態圏の外にあったものを無媒介に持ちこんでいる。

◎「脅迫」と断じる脅迫

 吉本さんは「日本人の原子力に対するアレルギーは異常だ」という。たしかに過剰なところもあるかもしれない。だが、それはわからない、わからなすぎるからだ。その怖さはこのくらいですよ、と確定的なデータがはっきり示されれば、心的アレルギーが「異常」か否かの判断ができる。だが、まだ確定的なことがいえない。チェルノブイリ事故でもまだデータが揃っているとはいえない。十年単位、いや百年単位でみて、そのうえで「異常」かどうか判明するのではないか。
 わたしや吉本さんのように歳を重ね、もう遠からず、という人はよいが、子や孫たちに「空気や食や土壌や雨に対する警戒の必要なんてない、そのアレルギーは異常だよ、異常にすぎるよ」と言いきれるのだろうか。原発周辺から移住した人たちは、異常にすぎないのか、あるいは移住を指示したのは為政者の脅迫にすぎないのか。
 吉本さんはこういう問いかけを「脅迫」というのだろうが、わたしには子どもや孫に「そのアレルギーは異常だよ」というほうが「脅迫」のように思える。親やじいさんの気持は、吉本さん自身がよくよくわかっていることだろう。

◎民営(株式会社)が見えていない

 吉本さんはインタビューの最後に、国家消滅の方向を示したレーニンの『国家と革命』に触れている。放射能の防御装置を完備させたら「最終的には東電や政府といった国家の機構を解体して、民衆の手に委ねていく。これが重要」だと。核のゴミも含めて防御装置を完備させることができるとはとても思えないが、もし仮にできたら、東電、国家機構を解体して「民衆の手」に委ねることが重要だ、という。
 『ハイイメージ論』でも同様だが、吉本さんは今日の社会的諸関係の組み替えをまったく想定していないから、「民衆」とは具体的には民間企業、株式会社(にいる人々)だろう。
 だが株式会社は、害がなくなる百万年といわないまでも、一万年、千年、いや百年先の安全性、防御策(廃棄・処理)に厖大な桁外れな資金など投じてはいられない。いま・ここの利益を求めるのだ。そんなことをやっていたら、企業を維持できないし、株主から経営は糾弾される。適当な期間、費用で誤魔化すしかない。それは経営者の非でもなんでもない。今日の社会のもとで株式会社(民衆の手)がとらざるをえない必然だ。安全性に多少の疑義があっても、その解消に厖大なコストをかけたら赤字倒産を招くから、そんなことはしない。当面の利益、短期・中期・長期(せいぜい10年)の利益を確保しなければならないのだ。それは企業人の人間性が「悪」であるからではない。まっとうな経営者なら採算に合わない、あるいは労働者被曝は避けたいと手を引くし、なんとしても今儲けたいと必死な経営者なら、完璧な防護などできなくても「一万年安全です」と宣言して、今の利益を求めるだろう。そう強いられているのだ。そういうことに思いを致さないで、いいかえれば今日の社会的諸関係の変革に触れずに、「民衆の手」に委ねる(民営化)などあってはならないことだ。

 雑誌の編集後記をみると、吉本さんはインタビューをした編集者さんに「エセ共産主義者」への注意を喚起した様子だ。二〇世紀後半の「スターリニスト」「ソフト・スターリニスト」をいまだに対抗イメージとして『反原発』異論を主張している。たしかにいまだって、一部政治党派や知識人、メディアにはそれに該当する部分がある。けれども3.11後の原発への大衆的批判は、少なくともそんなものとは無関係だ。「賛成派は保守、反対派は革新」という「単純な二元論」なんてすでに「昇華」されている。

 老いやさまざまな病いを抱えながらも、つねに情況への発言を怠らずにいる吉本さんの姿勢には今も頭が下がる。必死で思考していると思うからこそ、そしてこれからも彼のこれまでの営為と対話したいからこそ、あえて再度批判をさせてもらった次第。

2011年10月 6日 (木)

あがた森魚の立ち姿

 しばらくまえ、真夏の夕べ、近所の小ホールで開かれたボサノヴァのコンサートに出かけた。ギタリスト三人によるボサノヴァ、サンバということで聴いてみたかったが、それとはあまり関係なさそうなあがた森魚さんが、なぜか特別出演するというのにも、惹かれた。
 七〇年代初頭、アルバム『乙女の儚夢』は聴きこんだが、それ以来すっかり接点はなかったが、五、六年前久しぶりに「赤色エレジー」を歌う、現在のあがたさんの姿をテレビで見かけた。その歌いっぷりはなかなかよかった。

 そして、今回の舞台でのあがたさんも、期待を裏切らないものだった。「赤色エレジー」はないが、最近のうたを二、三曲披露した。「俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け」「渓谷鉄道研究家になるんだ」……。
 フォークでも、歌謡曲でも、ロックでも、童謡でもなく、あるいはロックのような、童謡のような、少年唱歌のような、決意表明歌のような、不思議な世界へ連れて行ってくれる。既存のエリアに収まりきらない、伸びやかな、しなやかな歌の世界。
 暗色の帽子に、同色の上下の服。絞られた体の線と動きはもたつきがなく、不思議な存在感を放っていた。

 ちょうどそのあと、一般紙に珍しく紹介されていた。黒縁眼鏡をかけていると、なんとなく永井荷風に似た風貌、雰囲気(失礼)。「80歳まで歌うよ、オレ」とのこと。
 みごとな歳の重ね方をしているなあ、この人は。

Agatamorio2

(写真はアルバム『俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け』)

2011年10月 4日 (火)

寺島実郎さんの「覚悟」

 TBSの「サンデーモーニング」で「考・震災」のシリーズが続いている。
 先月25日は、「原発は高くつく?」というテーマで、福島原発事故により発生した、放射性廃棄物の処理、そして高レベル放射性廃棄物「核のゴミ」の処理が問いかけられた。
 重い、しかし避けて通れないテーマだ。コメンテータの発言の是非は別として、こういうテーマを考えようとする番組編成は評価したい。
 居並ぶコメンテータ諸氏の発言が歯切れが悪くなるのは当然のことで、わたしも他人のことを言えない。
 最後に岸井成格さんが新聞社の人らしく、どこかの土地を国が買い取りそこに置くという覚悟が必要、と現実に進めなければいけないことを冷静に述べていた(東京都はじめ電力の恩恵を受けている都県は少しずつ受け入れ表明をしている)。

 そのなかで、やはり異様だったのは、このコーナーではじめに口火を切った寺島実郎さんだった。だいたい次のようなことを語った。
 「二つのことを言いたい。ひとつは放射性物質の危険性について、自分は以前から国際機関との連携をきっちり組むことを主張していたが、それがなされていない。
 もうひとつは、わが国には、核燃料の再処理施設を青森県六ヶ所村にもっている。これはアジアに唯一の施設だ。だからアジアとしっかり組んでいくことが大事」。

 一番目のことは、彼はたしかに以前から発言していたことだ。だが、国際機関と「きっちり」連携しても、放射性物質の危険程度について若干の差異は出てくるかも知れない、あるいは多少のオーソライズができるかもしれないが、それによって(ゴミも含めた)危険と処理を免れることはありえない。しかも、今回のテーマである汚染されたゴミをどう処理するのか、の回答とは関係がない。ゴミは、すでにそこにあるのだ。
 二番目の、六ヶ所村は使用済み核燃料の再処理施設であり、今回の汚染されたゴミの処理とは関係がない。問題のすり替えだ。また、高レベル放射性廃棄物の処理にしても、再処理施設のいや増す危険性が指摘されることはあっても、相次ぐトラブルで、完成の見通しはみえない。その六ヶ所村にすがるとき、寺島さんはいったい何をみているのだろうか。この施設の稼働強行を願っているのだろうか。

 テレビカメラに向かってコメントするときは、以前から政治(家)にたいして、なにかと「しっかりと向きあっていかなければならない」「向きあう覚悟がなければならない」という抽象語を常套句にしてきた。
 ところが、放射性物質で汚染されたゴミ、放射性廃棄物の処理をどうするかというテーマと、この人は「まったく向きあおうとしない」ばかりか、テーマ自体を意図的に避けて「覚悟を示さない」。

 わたしたちが結果として生みだしてしまった、放射性物質に汚染されたゴミ。原発への考えが異なることはここでは措いても、すでにある現実とすら「向きあわない」ばかりか話題をすり替える態度は、「きっちりと向きあっていかなければならない」ことをいつも結語としていたことと、あまりの撞着を起こしているのではないだろうか。

2011年9月20日 (火)

立錐の余地もない明治公園

~「さようなら原発 5万人集会」~

 60年代、70年代、なんだかんだと、ここでの集会・デモに参加したが、これだけぎっしりと埋まり、立錐の余地もない明治公園をみたのは、初めてのことだ。公園の周囲にも、入りきれない参加者たちがたくさん溢れていた。
Sayonaranukes1  「9.19 さようなら原発 5万人集会」は、午後1時から東京・明治公園で開催。そのあと、渋谷、原宿、新宿の三ヵ所へ分かれてパレード(デモ)となったが、その出発時もまったく身動きのとれない状態が長いこと続くほどの参加数。脱原発の強い意思で埋められた。
 集会中の呼びかけ人たちの発言はあまり聞きとれなかったが、澤地久枝さんの言葉がじわりと染みてきた。

 主催者発表(6万人)と警視庁発表(2万7千人、3万人)の数値が倍以上違うのは、昔と変わらないが、今回は主催者側発表の参加者数がそうとうにリアリティをもっていた。
Sayonaranukes2  労組等のお決まり組織、団体だけでなく、広汎な市民の会、個人参加がとくに目立ち、宗教団体に至るまでじつに多彩で、若者、家族連れ、六十代、七十代に至るまで、世代もじつに幅広いものだった。

Sayonaranukes3  処理がままならないゴミを、生態圏にこれ以上増やし続けない方向にもっていくことは、これからつながれる「いのち」(類)への最低限の責務と思う。

2011年8月21日 (日)

中沢新一『日本の大転換』

○生態圏の外部の無媒介な持ちこみ

 「3.11以降の我々が進むべき道とは?」と帯にコピーがある。雑誌「すばる」6月号~8月号に掲載された文に加筆して緊急出版された(集英社刊)。
 福島第一原発事故後、さまざまな分野の専門家の発言があり、教えられ、それぞれ貴重なものだった。しかし、中沢さんの『日本の大転換』は、それらさまざまな発言とは次元が異なるものだ。
Nihonnodaitenkan  大地震と津浪、そこから起きた福島第一原発事故。この二つは一般に「天災」と「人災」と分けられるが、中沢さんはまったく新しい知の形態である「エネルゴロジー」(エネルギーの存在論)の視点から、原発事故ののっぴきならない重大性を指摘する。

 わたしたち人類は地球表層部の薄い層である「生態圏」に生きている。ところが、原子炉とは、生態圏の外部で起こる髙エネルギー現象を地球上の生態圏で「媒介」なしに発生させる機構である。原子炉内で起こっている核分裂連鎖反応は、「生態圏の外部である太陽圏に属する現象」でありながら、これを生物の生きる生態圏の内部に無媒介のまま持ち込んでしまった。
 アンドレ・ヴァラニャックのエネルギー革命の歴史に沿えば、第一次革命(火の獲得と利用)から第六次革命(電気と石油)までは、人類が原子核の内部にまで踏みこんでエネルギーを取りだすことはなかった。ところが、第七次エネルギー革命では、「原子核の内部にまで踏み込んで、そこに分裂や融合を起こさせた」。それは、「生態圏には属さない『外部』を思考の『内部』に取り込んでつくられた」ものであり、中沢さんはこれを一神教的な技術だと指摘する。

○イデオロギーの問題ではない

 火の利用(第一次)から電気や石油(第六次)までのエネルギー革命とはまったく異なり、原発システムは、「媒介なし」のエネルギー装置である。そこにとてつもない恐ろしさがある。
 わたしのスローワーク論をひっぱり出させてもらえば、西欧的知とは人格、理性が身体を所有し、身体や自然を統御、制圧し、自然的規定を免れた先に「真の自由」の実現をめざすものだ。いいかえれば、人間を規定する自然という「媒介」の排除を志向する。それはあくなき「経済成長」を当為として要求する。これ自体は西欧的知の自然過程にすぎないのだが、媒介の排除(絶対性)はつねに恐ろしい結果を招いてきた。
 話を戻せば、「無媒介」で設置されてしまった原子炉の事故で、わたしたちの社会と生態圏がいま破壊されている。これはイデオロギーの問題ではない。エネルギーの存在論(エネルゴロジー)からみて、原発はわたしたちが住む生態圏にとって異物のままでありつづける。しかも、装置が生みだす「ゴミ」の適切な処理方法は見つからず、どんどん増え続けている。

○自閉するシステムからの脱出

 原子力と現代のグローバル資本主義はまるで兄弟のようだ、と中沢さんは指摘する。後者のもとで、社会から分離され自律性を獲得した「市場」は外部をもたなくなってしまう。外部をもたないシステムとなり「成長」を遂げる市場経済システムと、もともと外部にありながら生態圏にもちこまれ外部性への回路を失い自閉し拡大するシステムである前者は、同じといってもよい。

 今日ある原発の是非の論議を、「原発推進派も新エネルギー派も」嵌ってしまう「効率論の罠」に収斂させてはならない、という思いが中沢さんにはある。「経済計算やエネルギー計量論の狭い枠」のなかでとらえていることはできない。だから「今回の『日本の大転換』では文学的な物語や修辞的な認識論の回路に一切頼らず、徹底して科学的な記述スタイルをベースにした」と語っている(「PLANETS SPECIAL 2011」)。

 原子力発電からの脱却は、「たんなるエネルギー技術と産業工学の領域に限定される影響を及ぼすばかりでなく、わたしたちの実存のすべてを巻き込んだ、ラジカルな転換」をもたらすことを明らかにする。
 ここから彼は、「贈与」をキーワードにしながら、「現代の資本主義からの脱出の可能性」(人類の本性によりふさわしい形態への変容)へと思考を進める。めざされるべきは「第八次エネルギー革命」であり、それは経済に「太陽と緑」の次元を取りもどすことになる、と。

 「贈与」の問題などさらに考えるべき課題は残されているが、大きな方向性としては、わたしたちがこれから進むべき道のアウトラインをわかりやすくみごとに描いている。「日本文明が根底からの転換をとげていかなければならなくなった」との冒頭のメッセージに同意したい。

2011年7月23日 (土)

鈴木孝夫と三木成夫

 鈴木孝夫研究会編の『鈴木孝夫の世界 第2集』が刊行された(冨山房インターナショナル)。同研究会での鈴木さんの講演や、同会が主宰した若者たちとの合宿の記録の他、鈴木さんについての研究・考察が、幅広い分野の人たちから寄せられている。
 わたしも「西欧知の黄昏にて 動物的原理・植物的原理 ~鈴木孝夫と三木成夫~」というタイトルで寄稿させていただいた。「動物的・植物的」の対比を通して、西欧型文明を厳しく批判する鈴木孝夫さん(言語学者)と三木成夫さん(形態学者)の論は深く共鳴しあっている。

Suzukiakao2_2 【目次】

『鈴木孝夫の世界――ことば・文化・自然――』第2集

◎第1章 鈴木孝夫の記念講演
グランド・セオリーとしての『私の言語学』をめざして(第3回)
『教養としての言語学』に盛り込んだ大胆な企てとは?(第4回)
『日本人はなぜ英語ができないか』――その文明史的考察(第5回)

◎第2章 鈴木孝夫、若者たちと談論風発
【講話】下山の時代を生きる知恵と覚悟と哲学とは?
  ――『私は、こう考えるのだが。』をめぐって

◎第3章 鈴木孝夫研究の進展をめざして
人間の顔をした言語学○泉邦寿
  ――鈴木言語学のいくつかのポイントをめぐって
航路を照らす灯台のように(続)○内田伸子
  ・第4回タカの会『教養としての言語学』をめぐって
  ・第5回タカの会『日本人はなぜ英語ができないか』をめぐって
鈴木孝夫とラボとの幸運にして相乗的な出会い○松本輝夫
  ――ラボ草創期は、グランド・セオリーとしての
    鈴木言語学の揺籃期でもあった

◎第4章 私が鈴木孝夫先生から学んだこと、考えたこと
新しい「グローバル化」への転換○南博通
unforgettable person○風見岳快
西欧知の黄昏にて 動物的原理・植物的原理○とよだもとゆき
  ――鈴木孝夫と三木成夫
われわれは何処へ行くのか○松岡周吾
  ――知的放浪と鈴木孝夫流言語哲学について
自己確立と協調性を結ぶビッグ・ピクチャー○姫野浩明
  ――昨夏の軽井沢合宿を通して考えたこと

◎第5章 連載論考(第2回)
弟子は取らず 鈴木孝夫の家庭環境○矢崎祥子
「空の記号」の魔法の魅力○得丸公明
  ――鈴木言語学でチョムスキーの謎を解く 

2011年6月11日 (土)

原発事故 村上春樹と寺島実郎

 古館さんやコメンテーターの発言が鬱陶しく、最近は「報道ステーション」はあまり視ていないが、この夜はたまたまチャンネルを切り替えていたら、村上春樹さんの映像が現れた。6月10日夜のこと。カタルーニャ国際賞を受賞し、当地でスピーチをしていた。古館さんが言うように、映像としての村上さんの姿はとても珍しいものだ。

 「非現実的な夢想家として」というタイトルで、日本語で話していた。
 日本語なのに、手振りがぎこちなく感じられたが、内容はまっとうなものだった。講演の断片を編集したものだが、主旨としては、唯一の被爆国でありながら、今回の福島第一原発の事故で新たに放射能をまき散らしてしまった。われわれ日本人は、核にたいする「ノー」を叫び続けるべきだった。しかしいつの間にか、「効率」的ということで、原発依存に傾いてしまった。

 要旨はそんなところで、まともな発言として受けとめた。

 ところが驚いたのは、そのあとのスタジオからの発言だった。
 コメンテーターとして鎮座していた寺島実郎さんが、語り始める。
 要旨は次のようになる。

 村上さんのいうことはわかるが、自分は違う意見をもつ。
 日本にはユニークさがある。それは日本が他の核兵器保有国と違い、核兵器開発せずに、平和利用に徹してやってきて、たくさんの専門家を送りだしてきた。これから核の平和利用を目指す国が増える。日本の技術を役立てることができる。こうしたかたちで日本が世界に役立つべきだ。エネルギーで日本が貢献するべき。その専門家を育てる必要がある。村上さんのいう「効率」ではない文脈もあるのだ。

 だいたいこんなことを話していた。
 時間の制約もあるから、寺島さんもいいたいことの半分もいえなかったことだろう。だが、原子力利用に異を唱えた村上さんに反対し、日本の平和利用の技術(おおむね原子力発電のことだろう)を世界に役立てるべきだ、ということまでは、明確に発言していた。
 村上さんとは別の意見もある、くらいのコメントならわかるが、そうとうに踏み越えた、かなりこだわった発言である。
 このあと、古館氏が珍しく寺島さんの意見に異議を表明して、この件のニュースは終わった。

 ★ ★ ★

 これまで寺島さんの発言には、なるほどと耳傾けたこともあった。いちがいに全否定するつもりはまったくない。
 だが今回は、率直にいえば、ああ、物産の人で、物産の戦略の馬脚が現れたな、というのが感想だ。
 三井物産は国内の原発内に事務所をたくさんもっている。海外への原発のハードやソフト売り出しもしているのだろう。また、たくさんの関係する系列企業をもっているのだろう。
 そういう企業の戦略に基づく発言を、報道番組コメンテーターとして露骨に発信したことになる。

 寺島さんは、発電以外の医療における利用などもちらっと例に挙げていた。
 たしかに、原子力についての科学研究を抑えることはできない。それは科学がどんどん進む、たんなる自然過程にすぎない。しかし、とすれば原子力(発電)を制御し、循環させる全過程までの方法を、まず先に確立するべきではないか(それが現実に可能かどうかは別問題だが)。「ごみ」の問題の解決の道筋を、真っ先に示すべきではないか。

 今回の事故は、制御もままならず、現場労働者、周辺住民、土地、水、海洋への汚染をそうとう規模で拡大させ(さらに拡大する可能性は否定できない)ている。また再処理、廃棄の方法や見通しは立っていない。そういう原子力の「平和利用」とはいったいどんなものか。放射能物質による汚染事態は「平和」内のことなのか。

 原発利用を海外に広めることで、日本の技術を役立てることができる、という美名のもとで、アジア各地に放射能物質をばらまく結果になるのではないか。廃棄までの方法を確立しない以上、それは確実に現実になる。要するに、汚染を販売する戦略ではないのか。
 かつて「死の商人」ということばがあった、と過去形で語ることができなくなるのではないか。これでは、それをたんに「洗練」して繰り返すことになるのではないか。わたしは、昔のパターンをあてはめて、現在と将来の可能性を糾弾するスタイルは好きではないが、こうした寺島さんの発言をみていると、学んだ歴史における既視感にとらわれる。

 結局彼は、経済侵略の単なる旗振り役にすぎない、としかみえない。
 彼、そして物産とグループにとっては、すでに描いた単年度売上げ・利益、中期計画とその数字がまず優先されるべきことなのだろう。数字は実現しなければならない。それこそ企業人の「責務」だ。企業内にあれば、そう発想する。
 とすれば、原子力発言は何が何でも貫徹し、世界にさらに深く食い込まなくてはならない。企業人はそのように進んでしまう。しかし、現場の人間ならまだ可愛くもあるが、三井物産戦略研究所会長という職責にもある人のこうした発言は、許しがたい。

 商社自体は、原油や石炭権益ももっているから、株価は高騰してバランスがとれるかもしれない。そして、中長期的に「バランスのよい安定的な電源供給」(エコジャパン上での寺島氏発言)という御旗のために、原発を手放すことはできないのだろう。

 先月末に、「地下式原子力発電所政策推進議員連盟」が発足したという。顧問に民主党の鳩山由紀夫、羽田孜、自民党の森喜朗、安倍晋三、谷垣禎一、国民新党の亀井静香らが名を連ねた。政財界の阿吽の呼吸だ。

 ★ ★ ★

 拙著『村上春樹と小阪修平の1968年』で、同じ全共闘世代の寺島さんが、全共闘系学生たちを手厳しく批判していたことについて、わたしは反批判したことがある。寺島さんは、全共闘系学生たちを「社会に出てあざとく旋回した」「多くはたわいのない中年と化し、『都合のよい企業戦士』となっていった」「他人に厳しく自己に甘い『生活保守主義者』の群れと化した」と指弾した。こういう批判のし方について、反論したのだが、もはや寺島さん自身が、もっとも「あざとい」道を歩き続けているのではないだろうか。

 いや、一方的に寺島さんを糾弾するつもりはない。少なくともこれまでの原発に黙し、その電力の恩恵に浴してきた自分自身の責任も感じている。この錯綜した社会に生きている。だから静かに語りたい。

 けれども、海外での原発利用を推し進めることは、今回の大事故可能性をパックにして輸出することだ。最終処理の方法もみえない。「ごみ」は次世代以降にずっと先送りされる。そうしたなかで、これが日本の役割だ、とは言うことはできないし、行ってはならない。それでは、日本の人、アジアの人に失礼ではないか。

 これまで、日本の科学者も技術者も、「真剣に」取り組んできたはずだ。決して皮肉でいうのではない。優秀な頭脳が集まってなされたきたはずだ。そうであっても、事故が起きてしまう。そして起きてしまえば、制御しきれない。その要因はいろいろ挙げられるが、今後事態が劇的に変わることはありえない。
 「そんなことを言っていると、日本は沈没するぞ」と脅しをかけられても、それは拒否したい。身の丈にあった生活、社会を、わたしたちは黙々と築くことができるのではないだろうか。これは、少なくとも六〇年以上生きてきた歴史で、さまざまな体験をしてきたわたし(たち)が、守るべき一線だと思う。もちろん村上さんは、わたし以上にそのことを強く思っていることだろう。
 いったい寺島さんにとって人生六〇年とは何だったのか。

追記
 ちなみに彼はこんな発言もしている。「原子力分野の人材育成や技術開発・蓄積の基盤を維持していくにも、『電力の30%』はぎりぎりの線だろう」と(エコジャパン 4/9)。要するに、海外へ原発を売り込むために(!)も、国内で「電力の30%」は原発にしておかなければならない、ということになる。本末転倒というしかない。

2011年5月 1日 (日)

『「絵のある」岩波文庫への招待』

 京都に仮住まいしていたとき、百万遍にある思文閣美術館で「谷崎潤一郎と京都」という展覧会を見たことがある。初夏の日曜日だったか、たしかバスで出かけた。
 小さな美術館でしかも人影まばらな室内。潤一郎の妻松子の連れ子の妻(渡辺千萬子)と、谷崎のフェティッシュな交流が垣間見られたのが印象に残っていた。彼女の足のサイズとか型についてのやりとりがあったと断片的に記憶している。

Iwanamibunko  そんなことをふと想い出したのは、坂崎重盛著『「絵のある」岩波文庫への招待』を開いていたときだった。「絵のある」岩波文庫の数々を自由気ままに紹介しているエッセイ集で、シャミッソー『影をなくした男』、『カフカ寓話集』の次のページを開くと、谷崎潤一郎『蓼喰う虫』、『小出楢重随筆集』の二冊がテーマになっていた。
 そこで坂崎さんは渡辺千萬子さんについて触れていた。谷崎から自分の頭を踏んでくれと頼まれて千萬子さんがそうしたことがあるという件が引用されていた。「下世話話大好きな私」と坂崎さんは記しているが、私もこういう話は嫌いではない。
 坂崎さんの筆は、ここから画家小出楢重と谷崎の創作上のからみへ展開していく。引用された挿絵も改めて眺めると楽しい。

 ここで、『瘋癲老人日記』の颯子のモデルともいわれる渡辺千萬Hakusasonsou 子さんが、画家橋本関雪の孫娘であることを教えられた。橋本関雪といえば、大正・昭和に活躍した日本画家で、銀閣寺近くに居を構え、邸宅は今は白沙村荘(橋本関雪記念館)として公開されている。わたしも何度か散策したことがあるし、仕事でも一度使わせていただいたことがあった。銀閣寺や参道に近いわりには、喧噪はほとんど耳に入らない静かな庭だった。たしか松竹梅だったか、宇野重吉が登場する日本酒のCMでも舞台になったところ。

Cafe_2  調べていたら、渡辺千萬子さんは後に、哲学の道に「アトリエ・ド・カフェ」を開いたという。東山を散策すると必ずといってよいくらい入る店だったが、そこが千萬子さんの店とは知らなかった。拙著『ほっこり京都時間』で紹介したことがある。その店も数年前に経営が変わってしまったが、骨格は変わらず今に残されている。昨年末京を訪ねたときも、その店で体を暖めた。

 『「絵のある」岩波文庫への招待』にあった一文から、思わぬところに発展したが、「絵のある」岩波文庫をキーワードにして 読書の楽しみをさまざまな角度から教えてくれる一冊。分厚いけれど、山本容子さんの絵で飾られたカバーもうれしい。(芸術新聞社刊)

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